随談第641回 ワクチンと朝鮮人参

三度目の緊急事態宣言が発出となったが、彼れを見、此れを見、腰の定まらない手の内が見え見えで、いずれ期日が切れれば延長必至という情けない切り札である。本降りになって出てゆく雨宿り、という川柳がありましたっけ。大手町に自衛隊が出動、マンボウ実施地域から緊急事態宣言実施地域へと高齢者を移動させてワクチン接種をするというのは、英断といえば英断だろうが、ワクチンさえ何とかなればオリムピックも何とかなるかもしれないという実は神頼みの一手。そこで思い出すのが、かつての歌舞伎・講談・落語から時代小説・大衆劇等々によく出てきた朝鮮人参という不治の病も治すという特効薬である。親が不治の病にかかって明日をも知れぬ命、朝鮮人参さえ手に入れば、と医師に言われても及びもつかぬ高値(コウジキと読みます)、そこで孝行な娘が吉原に身を売って・・・という風にストーリーが展開するというのがお定まりであった。嗚呼、ワクチンさえ間に合ったなら!(嗚呼、朝鮮人参さえ手に入ったなら!)緊急事態宣言下のオリムピック開会式という光景は、世界史に残る“人類の英知の証し”となるであろう。本降りどころか、暴風になって出てゆく雨宿り、か?

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緊急事態宣言の実施開始日が文楽劇場の楽日と重なって、吉田蓑助師の引退が一日繰り上がるということとなった。私が文楽を見るようになった頃は、ちょうど蓑助師が期待の花形として脚光を浴びていたさなかであったから、一番長く見続けたのは蓑助師であったと言って差し支えないだろう。当時は女方遣いとして紋十郎と二代目栄三が健在だったし、若大夫も綱大夫も、寛治も喜左衛門も健在だったのだから、いま思えば、名人上手の時代はまだ続いていたわけだ。しかし経営・運営的には困難の極みにあったのだから、芸の良しあしと人気・景気とは別物と思い知るべきなのであろう。蓑助師には『千本桜』のお里を見せてもらったことを無上の幸せと思っている。

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宣言発出となって5月11日までの約2週間、外出の予定が奇麗さっぱりなくなった。〆た今こそ、とばかり取り出したのが、今を去る60年余年前に作った切り抜きである。昭和30年5月から翌31年8月まで全450回、読売新聞に連載された子母澤寛の『父子鷹』を、リアルタイムで毎日切り抜いては、当時わら半紙と呼んでいた粗末な(と言っても当時はそれが最も手近にある白紙だった)紙に、(新聞の連載小説は基本形は今も同じ上下2段の横長である)表に3回分、裏に3回分、糊で貼り、それを今度は用紙の端を糊で重ね貼りすると、糸で閉じるより堅牢な切抜き帖が出来上がる。もちろん連載終了後に上下二冊の単行本として刊行されたのがいまも書架にあるが、4年ほど前の夏(夏という季節は郷愁に駆られやすい。自然が身近に来るからだろうか)、ふと思い立って、死ぬまでにぜひ一度、あの切り抜きを探し出して心行くまで読み耽りたいと心に決めた。新聞連載だから、その時々のさまざまな記憶が伴われて甦る。石井鶴蔵の挿絵と併せて鑑賞・味読しようというのが眼目である。ところが、あそこにしまってある筈、と心当たりを探したが見つからない。思いつくところを探しに探して、ああ、そうかと気が付いてようやく探し当てるまでに1年近くかかった。(ナニ、そんな大邸宅に住んでいるわけではもちろんないのだが、探し物というのはそういうものなのである。)それから、折を見てと思いつつも、日々の暮らしに時を奪われ、且つ又、もう少し先まで楽しみを取っておこうという心から、今日まで来ていた。一年前、コロナ禍に見舞われて得た閑暇に、ふと心が動いて大佛次郎の『鞍馬天狗』を本棚から埃を払って読み耽って得るところが多々あったことは、当時書いたと思う。そのことがあったためもあろう、この度の宣言発出を天の声と聞き違えたことにして読み出したのだったが、何しろ60数年前のわら半紙だから、端の方が枯れ落葉のように茶色く劣化しているのが削げ落ちるからその対策も講じる必要がある。だがそんな面倒に阻喪するぐらいなら初めからこんな酔狂はしないのであって、達意にして簡潔、主人公勝小吉をめぐる人々を描き出す筆の妙、季節の移ろいから江戸の市井の有様や物の匂いまで描き出す描写の妙等々、一読三嘆しながら読み進める幸福に、目下、浸っている。こういう文章を書く作家は、もはや絶えて久しくなってしまったことがつくづく思われる。

(前回書いた北大路欣也氏のデビュー作がこの小説の映画化で、たまたま、先月時代劇チャンネルで放映されたのも60余年ぶりに懐かしく見た。惜しむらくは名作と呼ぶには微妙なところですれ違っているような感はあるが、市川右太衛門の小吉、長谷川裕見子の女房お信、月形龍之介の兄男谷彦四郎、志村喬の父男谷平蔵、薄田研二の爺や利平治等々、出演者の一人一人も懐かしく、且つ適役が揃って感概深く見た。この映画と再会したことも、この機を逸せずと、我が背を押すひとつの力となったことは疑いない。)

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榎そのさんの訃報を新聞で見てしばし思いに耽った。『演劇界』を購読し始めた頃が、ちょうど榎さんと土岐廸子さんがコンビを組んで活躍を始めた頃だったから、その業績のほぼ全貌を見てきたことになるだろう。土岐さんは、実際に接するとなかなかコワい方だったが、榎さんは、前からあなたのファンだったのよと、優しい言葉で迎えてくれた。お二人の果たした仕事は、なまなかの劇評よりはるかにすぐれた「批評」であったと思っている。

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私はひと頃、コンサート・ゴーアーでもあった時期がある。まだCDなどは存在せず、LPの時代だったから、当時買い集めたレコードで今なお、物置状態になった部屋の一隅が占領状態になっている。クリスタ・ルートヴィヒの訃を知って、久しぶりに彼女のシューベルト歌曲集という一枚を聴いた。こういう世界があったのだ。

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