随談第632回 またも不要不急の話ばかり 図夢歌舞伎

図夢歌舞伎なるものが始まった。トム歌舞伎ではない。夢を図るズーム歌舞伎だそうな。(高名な映画監督で内田吐夢という方があったが、あれは「夢を吐く」のでトムだった。)6月末から7月へ掛け、毎週土曜11時から5回連続で『忠臣蔵』を有料配信するというものだが、このほかにも、各優各自でさまざまな企画が行われつつあるらしい。これも誰ゆえコロナ故にかかる事態となり、日ごろスマホを片手に、当世流のさまざまなメカニズムを苦とも思わず駆使する現代歌舞伎の若く意欲ある諸優がこうした挙に出るのも当然というものだろう。

(とはいえ、私のような、元々「メカ」だの「エレキテル」のたぐいに関心のないままにこの齢となった者には、驚き呆れ唖然とする外はないような話である。ついでに言っておくと、高齢者だからメカニズムに弱いのではなく、もともと若い時からの、これは「気質」の問題であって、ミソもクソも一緒に、高齢者だから新技術に弱い、と見做す当世流の通念には(当世流の言い方をすると)イワカンヲオボエル。)

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さて閑話休題、その図夢歌舞伎だが、正規の劇評を8月4日付の日経夕刊に載せることになっているので、これはその、いわばデッサンのようなものとしてお読みいただきたい。まあ何と申そうか、プラマイ共になるほどこういうことか、というのがまず第一の感想、というより感慨である。前回、幸四郎が言い出し兵衛になって、と書いたが、むしろ仕掛け人・仕切り人という方がふさわしそうだ。タイトルとしてはただ『忠臣蔵』だが、内容は『仮名手本忠臣蔵』を、毎回ひとり二人これと思うゲストを招いて、自身が大星・師直・本蔵といった全段を貫く芯になる役を務め、図夢版『仮名手本忠臣蔵』を見せようというのが趣意と見た。猿弥が口上人形を発展させた語り手の陰の声として筋を運び、幸四郎自身もあるいは本蔵あるいは大星として、「独白で心境を語りつつ筋売りをする外に、判官、定九郎、猪、平右衛門等々、あるいは狂言回し、あるいは切り盛り役、あるいは潤滑油等々となる役回りをつとめて目まぐるしく働く。更に終了後に素顔で登場して(幸四郎自身は「映像」部分も生出演であるらしい!)、ときに汗も引かぬままときにゲッソリ?しながら、あるいは挨拶あるいはトークと、サービスにも抜かりがない。この甲斐性! これが第一の売り。

売りの第二は、映像の使い方で、普通の「舞台中継」ではいわば客席から見ているのと同じ角度、というか視点から見ることを前提にしている。もちろん、方々に何台もカメラを置いていろいろな角度から撮るにせよ、客席から見ている臨場感というものが第一なわけで、アップを多用するとか、意外な角度から写すとか、ほどほどにすれば好評を得るが、度が過ぎるとウルサイということになる。あくまで「劇場の椅子」に座って見ている感じ、が生命なわけだ。だが、そういう「劇場の椅子」を前提とした「現実感」とか「臨場感」から疎外された、それを逆手に取れば自由な図夢歌舞伎としては、たとえば「三段目」の喧嘩場で「判官目線」で師直の嫌みなパワハラ爺いぶりをアップで写し、今度は「師直目線」で怒りに堪え、ふるえる判官を見るショットを見せる。映画なら当り前といえばそれまでだが、あくまで『仮名手本・三段目』の舞台を客席からは見られない「目線」で見るというところに、斬新な興趣があるのは確かだ。まあこれが、今回一番の「当り」ともいえる。しかも師直も判官も幸四郎がしているのだから、「四段目」の腹切場では、幸四郎の判官が腹を切るところへ幸四郎の大星が駆けつけて、「襖を押し開く」背中をまず見せて(これも客席からでは見られない)から、つぎに切腹の座の傍らに座を占めて、同じく幸四郎の判官が「無念じゃ」と訴えるのへ、「委細承知」とやる。映画では昔から「一人二役」という手法でやっていることだが、それとはまたひと味ふた味違った「幸四郎リサイタル・図夢歌舞伎」としての面白さは充分にある。染五郎の力弥の「いまだ参上仕りませぬ」も合わせ、「三人?の目力」を鑑賞するのもファンにとってのお愉しみか。つまり映像は(三密回避のため)各役各優を別々に撮影したものの合成であるわけだが、それを逆手に取った面白さと言える。

もっとも、「逆手に取る」といっても、「大序」ではこの逆手が裏目に出て、ゲスト出演の壱太郎の顔世に師直が言い寄る件は、ソーシャルディスタンス風の間隔を取っているため師直のセクシャルハラスメントの「あわや感」が出ないのは是非もない。師直の付文を顔世がソーシャルディスタンスの彼方から勢いよく放り捨てる!と、それを拾うのに前かがみになった師直の上半身が画面から見えなくなってしまう、というような、少々マヌケな事態も生じる。つまり第一回のこの場はまだ「劇場の椅子目線」に捉われていたからこういうことになったわけで、まあここらは、初物尽くしの試行錯誤の内と大目に見ようが、そういえばテレビのごくごく初期のころには、立回りのあと剣豪がハアハア肩で息をしながらセリフを言ったり、登場人物一同隣室へ移動する間カメラが長々とシャンデリアを映していたり、といった間の抜けたことがよくあったものだったっけ。(イマドキのお若い方々のために注釈を加えると、当時はドラマもすべて生放送だったのです。)

第3回に至って、様相は複雑多様になる。場面も「五・六段目」、しかも勘平に猿之助が出演(冒頭、猿之助の勘平と幸四郎の定九郎が「顔をしている映像が映るというサービスがある)、放映時間も第一回「大序から三段目が正味約35分強、第二回「四段目などは30分(このぽっちり感!)に比べ今回はたっぷり50分余、勘平・おかる・おかやのやりとりも浄瑠璃にはないセリフも随所に織り込み、更に竹本も葵太夫が出演、語りのアップも頻繁にありボリューム感が前二回に比べ格段に増すことになる。この回はもっぱら猿之助に預けた形で幸四郎は顔を見せるのは定九郎のみ、後は「余市兵衛内」に(二人侍ではなく一人侍として)やってくる不破数右衛門は声のみの出演、猿弥の「口上=語り手」によると「五段目」の猪もそうだというが、もちろんこれは洒落の内、ちょっとショットが映るだけで、花道の「出」から本舞台を二周するという「苦役」はやらない。ここでのミソは、稲叢を真横から表と裏を見せて(つまり下手の袖から見る形である)定九郎が余市兵衛の財布を奪って突き殺す件を手品の種明かしよろしく見せるところ。なるほど面白いには違いないが、この種のことはほどほどにしないと、同じ手はそう何度もは使えない。(納涼歌舞伎の『弥次喜多』で「四の切」の舞台裏をそっくり見せたことがあったが、つまりあの手である。但し今度は稲藁だから経費はぐんと安くて済む。)

「六段目」は丸本物の愁嘆場の醍醐味を図夢歌舞伎流の演出で見せようという意欲を思わせる。おかるの壱太郎がなかなかのもの、おかやに上村吉弥という配役で、とくにおかやの芝居が舞台以上に前に出る。丸本物三段目の愁嘆場の真の主人公は、『鮨屋』なら弥左衛門『佐多村』なら白太夫、じつは爺役婆役であるという昔から言われていることが、平素舞台で見ている以上にくっきり浮かび上がってきたのは面白い。つまり本質としてスター芝居である歌舞伎芝居と、原作浄瑠璃の綴じ目が図夢歌舞伎流の映像本位の脚本にすると自ずから露呈してくるということか。あるいはそこに、幸四郎(と戸部和久台本)の狙いがあるのか? もっともこれは一面からすると、限りなく映画に近づくことでもあって、言うなら「義太夫入り映画」であるともいえる。女衒の源六は登場しないから、「聟さんは昨夜父つぁんに会ったそうだ、これでご安心」というのをおかるのセリフに書き換えるような脚本上の処理も随所に行われるが、吉弥二役の一文字屋お才(但しこちらは声のみ)も合わせ、4人のやり取りに「大序」のようなソ―シャルディスタンス故のすきま風は吹かず、かなり緊密な画面を作り出すことに成功している。(試行錯誤も回を重ねるごとに学習・進化した故であろう。)

もっとも、省ける人物はなるべく省こうという実際上の都合かも知れないが、少々無理も生じている。五段目で千崎との出会いを出さないので(そもそも千崎自体が登場しない)、(おそらく)勘平は(以前にどこかで)不破に会って、不破から石碑建立のための50両のことを聞き、その50両を何とかならぬかと余市兵衛にもちかけた、ということになる。とすると、余市兵衛がおかるの身売りを決めたのは勘平の要請を受けてのことというリクツになる。ストーリーを簡明にしようとしたためか、それとも他に考えがあってのことかはわからないが、こうすると(おかやから見ての)勘平の罪は一段と深く(許しがたく)なり、その分(観客からすると)勘平の哀れが薄くなることにもなる。即ち本来なら、勘平は勘平で(千崎から教えられた)石碑建立の50両の工面に懸命となり、余市兵衛ファミリーは(それとは別に、勘平の真情を忖度したが故に)彼らなりの考えでおかるの身売りを親子3人の相談づくで決め、それが定九郎という(想定外の)存在が出現したためにすべてがワヤになるという、50両という金をめぐっての不幸な偶然の重なり、イスカの嘴の喰い違い、という「運命悲劇」の綾のもつれ方がいささか変わってくる。猿之助の勘平は幸四郎の意気に添うべくなかなかの熱演だが、薄幸の色男というより「人間悲劇」の趣きが強くなるのは、この台本上の処理のためのようにも見える。もっともこれには、猿之助自身の意図も大きく関わっているようで、腹を切るのも、俗にいう「関西型」で余市兵衛の死骸を見て(客席に?)背を向けたまま腹を切る。幕切れも「早野勘平、血判つかまつったァ」と大きな声で誇らしげに宣言するかのように叫んで、両手を膝に背を伸ばしたまま落ち入る、という具合い。ここらは幸四郎ではなく猿之助の仕切りであったのかもしれない。(加えて、猿之助の仁の問題もあるように思うが、そこまで風呂敷を広げると話が面倒になるから、この際はひとまず措いておこう。)

第4回は「七段目」一力の場。手探りの試行錯誤を積み上げて、図夢歌舞伎ならではの仕掛けや工夫もかなり進化して、幸四郎らしいミソがあちこちに仕掛けてある。幸四郎の役は平右衛門一役、前段は、猿弥の口上ならぬ「語り手人形と平右衛門の掛け合いで筋を運ぶ。どうじゃどうじゃいなの見立ても(配信、すなわち幸四郎にとっての本番つい前日の藤井七段の棋聖戦制覇を取り込むなど、幸四郎らしいアンテナの感度を見せる)、手を出して足をいただく蛸魚もテレツクテレツクスッテンテンも、みな平右衛門がやってしまう。二階座敷と手水の水鏡を『引窓』風に見立て、そこに何と初代白鸚の由良之助の顔が映ったりするなどあって、やがて雀右衛門のおかるが登場、ここからの平右衛門とのやりとりが今回の眼目、本格に作った七段目の舞台の、おかるが平舞台、平右衛門が二重の上と三密対策の映像を手際よく使って運ぶ。髪の飾りに化粧して、可愛や妹、わりゃあ何にも知らねえなあもソーシャルディスタンス厳守の構成画面で見せるわけだが、雀右衛門のおかるが図夢歌舞伎の域を超えた大人の色気を見せる本格の芸で堪能させる。少々の不便を不満とも思わせない、ここはなかなかの見ものである。おかると平右衛門のやり取りにやがて初代白鸚!の大星の映像も加わっての画面構成も、ここらは第4回ともなれば経験の積み重ねにものを言わせている。トド、平右衛門が九太夫を刺して、折檻の件で初代白鸚なつかしの名調子を聞いてこれで約40分、だんだん銭の取れるものになってきた。それにつけても、初代白鸚の懸河の弁の迫真力には、昔の人は違うなあ、と今更ながら感じ入る。

さて最終回の第五回は「九段目」と通称「十一段目」の討入。ここでは猿之助が再度登場、今度は何と戸無瀬を演じる。がこれが、なかなかの見ものである。当今の猿之助しか知らない人は意外に思うかもしれないが、花形と呼ばれて売り出しの頃、この人亀治郎は女方と見られていたのだ。『小栗判官』の青墓長者の娘お駒など、いまなお猿之助十傑に優に数えらるべき逸品として目に焼き付いている。いまとなっては加役とはいえ、むかし取った杵柄、というより若き日に身に付けた女方としての素養は、賢く役を選べば今後も大いに期待に応え得るものと私は睨んでいる。この戸無瀬はそうした意味からも注目に値する。(それにしても猿之助は、勘平と言い戸無瀬と言い、図夢歌舞伎を幸四郎への協力だけに留まらせず、自身の今後への展望と布石の場としても活用している辺り、端倪すべからざる抜け目なさ、イヤサ、意欲の程を見せている。)

ここでも、お石も小浪も、もちろん取次ぎの女中も登場しないから、置きの浄瑠璃(今度も葵太夫の出演である)がすむとすぐ、戸無瀬が一人で木戸口へおとない、幸四郎の(お石ではなく)大星がドオレと出てくる。小浪もそこにいることにして戸無瀬が、嫁入る所はいくらもある、とやっているところへ加古川本蔵が下手で鶴の巣ごもりを吹奏する、「ご無用も(ここらの猿之助は確かに見ものだ)、加古川本蔵の首進上も、幸・猿ご両人だけでやってしまうが、ここに染五郎の力弥が登場、本蔵を槍で突くのも雪持ち竹も、為所はほぼそのままやる。大星との早変わりのため本蔵の眉が付け眉だったり、ここらは図夢歌舞伎ならではのご愛嬌だろう。「九段目」だけで50分余、「十一段目」として討入も、門前で大星が山鹿流陣太鼓を打ち鳴らし、泉水の立回りなど、主な見せ場はかいつまんで盛り込み、めでたく本懐まで抜かりなく見せて無事終了。〆て六十分余。そのあと(これは文字通りに大急ぎで)素顔に戻って聞き手の戸部氏と対談トークでしめくくるというサービスぶり。中でとりわけ、共演者から裏方、スタッフまで、全員が3月以来はじめて顔を合わせた人たちばかりだったという、やや涙ぐんでの一言には、ウームと唸らずにはいられなかった。

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プロ野球が5000名を上限として観客を入れるようになった。そのことの是非は別の話として、3万は収容するスタンドに5000人が散在する光景は、何やら懐かしいような感じがする。これがコロナ禍ゆえの措置ではなく平常のことだったなら、プロ野球のように長期にわたって試合が行われる興行は、いつもいつも超満員というより、普段は六分から七、八分ぐらいの入りで、いつふらりと見に行っても楽に席が取れるというぐらいの方が、大人の娯楽として好もしい。寄席などでもそうだが、何か特別の興行なら別だが、前売りを買わないと入れないというのはどうも窮屈な気がする。少なくとも観衆5千という数字は、昭和の頃のパ・リーグの試合より多いわけで、なつかしい感じというのも一つにはそこから来ている。カンという打球の音、バシッと投球が捕手のミットに納まる音、一球一球に(拍手だけとはいえ)反応する観衆のざわめき、審判の判定の声、フライが上がって野手が互いに掛け合う声、といったものが快く響く。観客も、固唾をのんで見守るような局面でも、トイレだか何の用だか知らないが、間断なく立ったり歩き回ったりする様子がない。満員になれば3万4万という、ちょっとした地方都市の人口と変わらない人数を思えば、何かしらの都合や用事ができて動き回る者が絶えないのも無理はないとはいえ、あんた一体、何を見に来たの?と訊きたくなるような輩が少ないのではあるまいか? まあ5千ではちょっと寂しいのは確かだが、久しぶりにかつての野球見物の雰囲気を思い出したのは事実である。

大相撲の七月場所が初日まであと一週間を切るという間際になってから、観客を入れて実施と決めた。観客収容1万の国技館の4分の一の2500人、升席は一人で独占、二階の椅子席は4席ごとに一人と、明快な算術で分かりやすい。これも球場と同じくサアーッと撒いたほどの埋まり方だが、野球場の大きなグラウンドの解放感と違い、小さな土俵を四方八方から見下ろすというコンパクトな館内では、無観客だと無機的な感じが際立った三月場所のような異様な感じがないだけでも大違いだ。声援が禁止で拍手だけというのは、野球の場合以上に少々間が抜けるが、わけの分かった観客が大勢を占めているらしく、取組み中の拍手もツボに入っているので気持ちはよい。(あの分なら、制限時間一杯になったところで席を立つような、あんた一体何を見に来たんだと言いたくなるような輩はあまりいなさそうだ。)

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思えば、拍手というのは元来西欧伝来の舶来の応援の仕方だが、相撲も歌舞伎と同様、急所急所に声を掛けるというのが本来であろう。もちろん、手拍子というのは古来から日本にもあるものだが、歌舞伎でも、戦前のことは知らないが声を掛けるより拍手の方が主流になったのは戦後もそれほど古いことではない筈で、拍手万能の昨今、一番気になるのは、たとえば『白浪五人男』の「勢揃い」で、日本駄右衛門以下、ひとりひとりのツラネのセリフがすむごとに拍手が起こり、それがしばらく尾を引く。と、「賊徒の張本日本駄右衛門」と言って見得をするとすぐ、その息につなげて「さてその次は江ノ島の岩本院の稚児上がり」と弁天小僧のツラネが続くのだが、その頭の部分が拍手に消されて聞き取れない、ということが起こるようになった。「続いて次に控えしは」と忠信利平、「またその次に連なるは」と赤星十三、で五人目に南郷力丸が「さてどん尻に控えしは」と続いてゆくのだが、この、それぞれの冒頭の部分が一人終わるごとに起こる拍手のために聞き取れない。聞き取れない以前に、駄右衛門から弁天、弁天から忠信、忠信から赤星、赤星から南郷と、陸上競技の400メートルリレーではないがバトンタッチの間合いに妙味があるのだが、それが拍手の中に埋没してしまう。以前は、五人のツラネのせりふ全部は言えないまでも、きっかけの部分ぐらいは知っていて、例えば隠し芸なりスピーチなり、人数が揃った席で順に何かをしようというような際に、「それじゃあ、続いて次に控えしはで私が・・・」とか、一番端の席にいた者が「さてどん尻に控えた俺が・・・」などと言いながら立ち上がり、下手なのど自慢で唄を歌ったり一席ぶったり、といった光景を、さほどの芝居好きの集まりでなくともちょいちょい見かけたものだが、たぶんこの風習は拍手の普及と共になくなる(既になくなった?)であろう。

しばらく前、『勧進帳』の弁慶の幕外の引っ込みの際、観客から一拍子の拍手が起ったというので非難・疑問の声が上ったことがあった。あの飛び六方の呼吸にそもそも一拍子という等間隔の「間が合わないではないか、というのが究極の疑問点となる。一拍子の拍手というのは、私の記憶では、前回の東京オリンピックの際、体操競技で日本選手が大活躍したのがテレビで放送されたのがはじまりであろうと睨んでいる。つまり、鉄棒とか跳馬とか床運動とか、各種目ごとの選手の入退場の際に会場から一拍子の拍手が起こる。おそらく体操界では以前から慣習として行われていたのだろうが、これがオリンピックを契機に一般に広まったのだ。あの伝説的な女子バレーボールは別格とすれば、日本選手が一番活躍しメダルを多数取ったのは体操であったから、一拍子の拍手というのが、それまであまり耳にしなかったリズムの新奇さと相まって、あっという間に広まったのは、人気絶頂時代のドリフターズの番組『全員集合』から、「最初はグー」という、それまで(少なくとも東京では)聞いたことのないジャンケンの掛け声が広まり定着したのと共に、この半世紀間にテレビを通じて日本人の民俗に生じた二大異変であろう。(前に書いた「せーの」という掛け声も合わせ三大異変というべきだが、これはテレビを主たる媒体とはしていない、と思われる。)

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何でこんなところに連休があるんだろう?と思ったら、そうか、オリンピックだったっけと、思い出した。この期に及んでもまだ、誰も中止を言明しないから、オリンピックは宙ぶらりんを続けている。都知事選でもオリンピック中止を公約にする候補者が何人いるかと思ったら、一人しかいなかった。ヘーエ、と思う。オリンピックは甲子園大会と違って国内だけのお祭りではないから、奇跡が起こって来夏までに国内でコロナ禍が終息したとしても、パンデミック状態が終息しない限りはオリンピックを開催するわけには行かない。というより、してはいけない、筈だろう。日本さえよければ参加できない国があってもやっちまえというのでは、五輪の精神どころではない。IOCは、日本がやらせてくれと言ってきたからTO-KI-Oなどと言って「許可」したという立場だから、生殺与奪の権はあちらにあるが、やらせてくれと訴えた日本の側から返上すると言ってやるのが、良識ある者の取るべき筋というものではあるまいか?

ナニ本当はIOCも、実行委員会も東京都も、JOC(って、こういう問題には仲間に入れてもらっていないのだろうか。以前は、JOC委員長ってもっと権威があったような気がするのだが、まあ、この際それはどうでもよろしい)も皆、内心では解っているのだろうが(そうでなかったら正気の沙汰とも思われない)、それぞれ思惑があって言い出さないでいるわけだろう。可哀そうなは選手たちで、中止と言われない限りはそれを信じるしかないわけで、これほど罪作りな話はあるまい。アスリート・ファーストというお題目をダシに使っているのだから想像を絶する酷薄さだ。それにしても不思議なのは、テレビでにぎやかに持論を述べ立てるワイドショーのコメンテーター諸氏の誰一人、オリンピック開催の是非について、国内の事情のことしか言わないのは何故だろう? 五輪のマークの「五輪とは、一体何なのだ?

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大分長々しくなったからこの辺で終わりにしようと思ったら、オリヴィア・デ・ハヴィランドの訃報を新聞で見て驚いた。104歳という。ウーム、と唸るしかない。

一緒に、弘田三枝子の死亡記事が載っていた。彼女だって、戦後の世相を語る上で欠かすことのできない存在であろう。

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8月、歌舞伎座が再開する。果して楽日まで無事舞い納められるか否かすら予断を許されない状況下での再開だが、再開する以上、新聞評も掲載の予定。変更がなければ8月18日の日経夕刊をご覧いただければ幸いである。

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