随談第628回 襲名仕切り直し(改訂版)

コロナ・ウィルス騒動も遂に時の首相による非常事態宣言発出という事態となって(「発出」という官僚言葉を私は不敏にして知らなかった!)、團十郎襲名興行が、予定されていた三カ月すべて延期ということになった。延期と言っても、ウィルス蔓延という事態がいつ収まるのか予測をつけようがない相手である以上、一旦は中止という形を取った上で、改めて時期を見て、ということにせざるを得ない。なまじ、少し始めてからでなかったのを幸いとすべきであろう。「ご破算に願います」と声がかかると、算盤の珠をすべてじゃーっと元に戻す、という光景が思い浮かぶ。

さりながら、「改めて時期を見て」というその「時期」をどうやって見極めるのか。オリンピックは、1年後に開始、などと獲らぬ狸の皮算用で決めてしまったが、そのときになってパンデミックがまだ終息していなかったらどうするつもりなのだろう? 危うい賭けだが、つまりは、IOCも政府をはじめ日本側の関係団体も自分たちが抱えている諸々の事情に自縄自縛されているから、という以外に理由はないだろう。このほどの非常事態宣言発出をめぐっても、何やら思惑がさまざまありそうな様子を見れば明らかで、マスクなど送りつけられても気色が悪いばかり、あれを実際に本当に自分の顔に張り付ける人がどのぐらいあるのだろう? これをいい機会に、襲名をオリンピックとセットにしたような日程の立て方も、すっぱりと切り離した方がいい。

これは戦争だ、という見方がある。なるほどもっともなようだが、戦争というのは人間と人間の間のことであって、肝心のウィルスにとってはそんなことは知ったことではあるまい。まして、ウィルスに打ち勝ってオリンピックを、などと息巻いたり得意がったりところで、彼らを蔓延させ(てしまっ)たのは人間自身であって、彼らは別に人間に敵意を抱いているわけでもなければ人間に戦いを挑んでいるわけでもない。ただ自然界にああいうものとして生まれ、その性(さが)に従って生息しているに過ぎない。ウィルスが物思うすべを持っていたなら、人間の身勝手さを迷惑千万とせせら笑っているかもしれない。ワクチンというのは、彼らを殲滅するのではなく、同じ自然界に生息するものとして彼らと和平し共存しようという方法であって、たしかにこれは、人間の叡智の産物と言うに値するかもしれない。

團十郎襲名は歌舞伎にとって最大の祝い事である。歌舞伎の祝亊が、世界にとっても事収まった喜びにつながれば、これに勝ることはないではないか。急いては事を仕損じるとはここのところである。團十郎の「にらみ」に秘められた稚気をこそ思うべきであって、睨んで御覧に入れたはいいが、ウィルス蔓延が一向に終息しないのでは洒落にもならない。

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