随談第620回 三谷かぶき・魁春・サニブラウン

歌舞伎座は昼の部が名作特集、夜の部が「三谷かぶき」。昼の部は吉右衛門の『石切梶原』に仁左衛門の『封印切』という、十八番と見られる大物を二つも並べるという「豪華版」だが、普通なら昼・夜と別々に「目玉」として出すところだろう。吉・仁、二人並べて三谷とつっかうということか?

『石切梶原』はよく出る芝居だからいろんな人のを見てきたが、昭和54年正月(今度改めて筋書の上演記録で確かめた)、折からめきめき役者ぶりを上げていた30歳代の吉右衛門が東京での初役で演じた梶原を、この芝居こんなに面白いものだったか、と目を洗われる思いで見た驚きをいまも鮮明に覚えている。以来、梶原は吉右衛門の極め付きのひとつとなったわけだが、今度改めて見て、そろそろやり尽くしたか、という感もないでもない。先ごろの『熊谷陣屋』では、度重ねてもまだこれまでにない熊谷を見せてくれたという驚きと感銘があったが、『石切梶原』という狂言にはそれほどの奥行はないということでもあるだろう。芸の切っ先が余って少々遊んでいる気味がないでもない。(誤解のないように付け加えると、この場合の「遊び」とは、「手抜き」とか何とか、そういう意味での遊びではなく、器具だとか機器などについていう「遊び」、つまり目いっぱいにしないでわざとゆとりを余しておくような場合に言う、あの「遊び」に近いと思っていただきたい。)歌六の六郎太夫、米吉の梢、又五郎の大庭、歌昇の俣野に錦之助の奴と脇も手揃いで、第一級の舞台であることは間違いない。

『封印切』も、仁左衛門の忠兵衛が、身についた上方和事の味わいと言い芸と言い、(坂田藤十郎がもう二十年も若返ってこない限り)当代随一であることは疑う余地はないのだが、やっぱりこの人は「七百貫目の借財背負うてもびくともせぬ藤屋伊左衛門」といった丈高いセリフがよく似合う人で、八右衛門ごときに焚きつけられて逆上するような阿呆な飛脚屋の養子風情とは、どこかすれ違ってしまうところがある。(『油地獄』の与兵衛? あれは一種の新歌舞伎だから話は別である。)筋書の出演者の弁で自身でも八右衛門の方が好きだと語っている通り、まだ孝夫・扇雀だった仁左衛門の八右衛門と藤十郎の忠兵衛の掛け合いの面白さというものはなかった。(上演記録で見ると昭和58年12月の南座とある。もちろんその後も、いろいろな忠兵衛を相手に何度もやっているが。)忠兵衛は平成元年以来との由、なるほどと頷ける。それから30年経った令和元年の今回、いま一度やっておこうとした意気を買おう。梅川が孝太郎、八右衛門が愛之助でどちらもきちんとしているが、仁左衛門とでは役者が違い過ぎて位負けがするのは是非もない。まあ、そういうことも一因ではあるだろう。

もっとも、お陰でひとついいことを思い出した。上演記録によると昭和58年4月、国立劇場で孝夫の忠兵衛に雀右衛門の梅川、我童のおえんに我當の八右衛門、さらに十三代目仁左衛門の孫右衛門という配役で「封印切」から「新口村」まで出したとき、前夜祭の形で、仁左衛門・雀右衛門・孝夫の三人にNHKの後藤美代子アナウンサーが聞き手で座談会をしたことがあった。事実は十三代目の独演会で、封印を切るやり方だけでもこれだけあります、などと六通りだったか七通りだったか、仕方話でやってくれるのだから面白いのなんの、その蘊蓄の豊かさと話術の妙に文字通り堪能したが、この時の公演が、これだけの顔ぶれで小劇場の公演だったことが、そうだったっけと記憶に甦った。

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令和慶祝第二弾の含みとも見える『寿式三番叟』と『女車引』が冒頭に並ぶが、『女車引』がちょっと味なものだった。魁春の千代、雀右衛門の春、児太郎の八重という配役の取り合わせがよく、この曲の高踏的な趣味と趣向がほのかに伝わってくる。とりわけ魁春の千代の踊りぶりを見ていると、膝の折り方、腰の構えや折り具合、身のくねらせ方から指先を一本一本、付け根から爪の先まで丁寧に伸ばしてゆくような細かなしぐさに至るまで、さながら歌右衛門を見ているようで、なつかしさも懐かしし、何とも面白かった。思えば加賀屋橋之助から中村松江といった若手の頃、この人は歌右衛門をコピーのように真似をするといって、批評家からよくくさされていたものだった。しかし、子供のお習字から始まって、日本の古来の芸事・習い事というのは、偉い先生のお手本をなぞってなぞってなぞり抜くことから始まったのではなかったか。たいがいは、どこかで自分流を入れようとするものだが、この人は、それを律義に「一所懸命」に守り通し、その果てに、ついに我が物としたのだ。いまやそれは「魁春ぶり」として、今日の歌舞伎で珍重すべき「一芸」として昇華されるに至ったと言える。まだまだ元気に動ける今のうちに、私はこの人の政岡や白拍子花子をぜひとも見てみたいと思っている。

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さて三谷かぶきだが、私は事前から、これはわりにうまくいくのではないかという気がしていたが、まあ幸いにして、その予測は外れなかった。私は三谷氏の作をそれほど熱心に見ているわけではないから、むしろ直観だが、この人の歌舞伎に対する姿勢・態度にわりに好感を覚えていた。少なくとも、頭の高さが感じられないのがその理由である。悪乗りをしなければいいが、という心配もないではなかったが、舞台が歌舞伎座だし、幸四郎の後ろには白鸚も控えていることだし、それぐらいの良識はありそうに思えたし、というわけである。

みなもと太郎の原作漫画は読んだことはないが、これも直観で、悪くなさそうな感触を覚えていた。大黒屋光太夫という題材も、これが「昭和の昔」だったら井上靖の小説から脚色して重々しい新作物にしたところだろうが、みなもと太郎→三谷幸喜、と来るところが「令和の今」というものなのだ。この軽いノリ。

アリューシャンの孤島に漂着した光太夫ら17人が、次第次第に帝政ロシアの奥深くへと日本から遠ざからざるを得ない運命の中、幕が開くたびに人数が減ってゆく過程で、17人それぞれについて、猿之助、愛之助から男女蔵だ廣太郎だ種之助だ、宗之助だ松之助だ、さらには千次郎だ幸蔵だ松十郎だと、みなそれぞれに、あゝあの人、と観客に覚えてもらえるだけのキャラと仕どころを与えてもらって、それがうまく生かされているのと、艱難辛苦の果て帰り着けたのは二人だけ、という大筋が一本通っているところが成功の因で、犬橇の犬(あれは『ラマンチャの男』のラバで使った手の借用か)とか竹本を使った愁嘆場等々のお遊びも、サービスの程を弁えて嫌味にならずに収めているのも賢いところ。しかし何といっても、猿之助のエカテリナ女帝に白鸚のポチョムキン公爵、ロシア人姿になった幸四郎の光太夫と三福対揃った見せ場が見事に「歌舞伎」になっていたのが、私が成功と見做す最大の理由である。

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国立劇場の歌舞伎鑑賞教室は壱太郎のお舟に鴈治郎の頓兵衛という『矢口渡』で、聡明な壱太郎らしく、「成駒家」流として大詰めを人形振りで見せるなど、ソツのないまとめ方で、「鑑賞教室」としてお手本のような舞台だった。全体としては猿之助に教わったというが、猿之助は当然、田之助から教わったはずで、もう今ではこの流れのやり方だけになってしまったということか。かつて我童が襲名披露に演じたり、歌右衛門や梅幸だって大家になる前には(といっても戦後である)やっているのだが、どういうやり方だったのだろう? 一度、澤村藤十郎が、頓兵衛を追って、落ちている櫂を拾って花道まで行くというやり方をしたのを見たことがあるが、17代目勘三郎が青年歌舞伎時代にやった時の型らしい。今度の人形振りは、祖父(つまり坂田藤十郎)の映像を参考にしたとの由だが、それ以来の変り型だったことになる。それにしても先の芝翫と雀右衛門という近年での二大女方が二人ともお舟をしなかったのは、何か理由があったのだろうか?

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私の小学生時代は、古橋だの橋爪だのという選手たちが活躍していたさ中だったので水泳の方に目が行ったが、ある頃から、スポーツというものはやはり陸上競技というものが根元にあるのだと感じるところがあって、オリンピックなどでも日本選手の活躍如何に関わらず陸上競技に興味が行く。大相撲やプロ野球とはまた別な面白味がある。今度の日本選手権は、100メートル、200メートルで俄か陸上ファンも含め話題殺到だが、サニブラウン、桐生、小池という順で騒がれるのを見ているうちに、俄然、小池を応援する気になった。こういうのは、どうも性癖であるらしい。それにしても、サニブラウンにせよ、篭球で俄かに大騒ぎされている八村にせよ、アフリカ人を父に日本人を母に持つという選手がこの何年かであれよという間に、各分野に登場したのはどういうわけなのだろう。皆が皆、母親の方が日本人で、その逆は今のところ耳に入ってこないのは、現代の日本人は女性の方がそれだけ「人間力」が強いのだろうか。もうひとつ、インタビューを聞いていると、彼らの言葉遣いも発音も、大方の日本人選手たちよりきちんとしていることに気づく。

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今月目に入った死亡記事にピアニストの宮沢明子、田辺聖子、高島忠夫といった名前があった。特に熱心に聴いたわけではなくとも、宮沢明子などという名前を聞くと、かつてのある一つの季節が甦ってくるような感覚がある。つい先ごろ、深夜にテレビをつけると大野亮子がピアノを弾いていたのでオゝと驚いた。同じような懐かしさだが、こちらはまだ健在と見える。

高島忠夫は、宇津井健と一緒に新東宝の子飼いの新人として久保菜穂子とか日比野恵子とかいった女優となんとなく安手な感じのメロドラマに出ていた時代がまず思い出される。高島、宇津井に次ぐ位置にいた中山昭二が、何と、歌右衛門の影身に沿う如く引き抜きの名手として知られた加賀屋歌江の兄であったと知ったのは、それから随分のちのことであったが。

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こちらはまだ健在であることを知った話。ご覧になった方も多いと思うが、加藤登紀子が美空ひばりを語るというNHKの番組を見ていたら、チャーリー石黒が瀟洒な老紳士になって出てきたのにフームと思わず唸った。こういう、日系二世めいた芸名をつけること自体が時代を強烈に物語っているわけだが、忘れるともなく念頭にから消えて久しい名前だった。当時から芸人の臭みのない人だったが、あか抜けた風情がただの素人にしては、と思わせはするものの、まったく芸人臭のない紳士になっていた。一方、去年の評判に乗って始まった「安らぎの郷」の続編に、つぎつぎとかつての売れっ子がおやおやと思う老人になって登場するのは、まあ、なんというか・・・

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