この欄では劇評はしないつもりである。しかし劇評からはみ出してしまうようなこともいろいろある。
18代目勘三郎襲名披露公演が2ヶ月目に入ったその4日目を見た。いまここで書こうと思うのは、夜の部の『籠釣瓶』のことである。佐野次郎左衛門を初役でやったのは、1999年の12月だから五年半前になる。いいだろうなと思って見に行って、「序幕」の吉原仲ノ町の見初めのところで、はやくも私は首をかしげてしまった。
なにかが変だ。玉三郎の八ツ橋が花道を入るのを呆然と見送って、ニヤリ、というか、なんとも表現のしにくい感じで笑いを見せる。私の知っている次郎左衛門といえば、先代つまり17代目勘三郎か先代幸四郎、つまり白鸚より後だけだが、ここで笑う次郎左衛門ははじめて見た。なんでも初代吉右衛門が若いときにやったのを勘三郎(ややこしいが、もちろん当時は勘九郎だ)が調べたかしての、試みだったらしい。笑うこと自体がいけないのではもちろんない。だが舞台を見ている限り、ここで笑う次郎左衛門の心象をわたしは掴み兼ねた。
もうひとつは、勘九郎だけでなく、後の「縁切り」の場に出てくる同郷の同業者たちにしても、うまい下手ではなく役が持っている灰汁がない。八ツ橋を身請けしようというまでになった次郎左衛門が、自分のモテモテぶりを見せようと、仲間を連れてくる。しかし思いがけない愛想尽かしにあって面目丸つぶれになる。アテがはずれて仲間たちが不機嫌になる。一皮むけば酷薄な人間関係の上にわれわれも生きているわけで、『籠釣瓶』という芝居の面白さというか怖ろしさはこういうところにもあるわけだが、ここで肝心な先代たちにあった役者の灰汁がない。つるっとしていて、コクがないということになる。
そういうことを、私は当時の『演劇界』の劇評に書いた。ついでによせばいいのに、勘九郎よ怒るな、と書いた。よけいなことを書かない方がいいのに、と心配した友人もいた。だが、その一言のせいかどうかは知らないが、この劇評が、私と新勘三郎のつながる縁の端となったのは事実だった。(つづく)