随談第7回 上村以和於野球噺(その1)つづき

小学生のころ、サンフランシスコ・シールズというのがやって来た。メルトン投手とか、スタインハウアー選手とかいう名前を覚えている。格好いいというより、名前からして凄味があるような感じだった。オドール監督というのはヤンキースのディマジオの師匠で、ディマジオの弟弟子のミッキー・マントルというのもついこないだまでシールズにいたのだが、今度は来ないらしいという話だった。

第一戦の相手はその年優勝した三原監督(!)率いる巨人軍(と言わないと当時の感じが出ない)で、この年に南海ホークスから移籍してきた別所が先発したが10対0で負けた。(スコアはもしかしたら少し違うかもしれないが、ともかく大敗だった。横綱の前田山が、負けがこんで途中休場中なのに見物に行って問題になり、引退に追い込まれるというおまけがついた。)

そのあと全日本軍だの何だのが戦ったが、まったく歯が立たなかった。でもシールズってアメリカでは二軍なんだってさ、と情報通みたいなことを言う同級生もいた。つまりシールズは3Aで、実はマイナー・リーグなのだということを、当時の日本人の理解の及ぶ範囲内で日本風に表現したわけである。二軍でもあんなに強いんだから、大リーグというのはどんなに強いのだろうと思ったが、大人たちだって、認識の程度にたいした違いはなかったろう。

その二年後に、こんどは本物の大リーグ選抜軍というのがやって来た。中にディマジオもいた。ディマジオはその前年にも単独でやって来て、川上とホームラン競争をやって川上が勝った。ラビット・ボールというよく飛ぶボールや、ゴルフ・スイングといってしゃくり上げる打法が全盛で、ホームラン隆盛の日本野球に対して、自分が目指しているのは二塁打になるようなヒットで、それが本当にいい当たりだったらホームランになるのだ、というようなことを言ったと思うが、少し違っているかもしれない。しかし翌年大リーグ選抜軍の一員としてやってきたディマジオは、それが引退の年で、日本の投手を相手にしてもあまり打てなかった。

今度も第一戦は巨人が相手だった。たしか先制点のチャンスだったと思う。ランナー二塁で川上の打順だった。ここで打ったらエライ、と(当時から既にいた)アンチ巨人のオトナたちが顔を見合わせて含み笑いをしながら言った。川上は右中間にライナーを放って走者を進めた。(つづく)

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