随談第19回 観劇偶談(その8)

ここ連日、歌舞伎座、国立劇場、坪内逍遥没後70年記念シンポジウム、明治座、コクーン歌舞伎、ラ・マンチャの男という風に、立て続けに、見たり聞いたり喋ったりということが続いた。その中で、コクーン歌舞伎の『桜姫東文章』と『ラ・マンチャの男』を続けて見るという体験をしたことから、ふと妙なことを考えた。

こんどの『東文章』は、串田和美のアイデアで舞台全体が、というより芝居そのものが、見世物小屋に仕立ててある。特に序幕の新清水の豪華絢爛の大道具の代わりに、中央に姫、下手に残月の部下の僧たち、上手に姫の家来のお局たち、と三つの台に分乗させてくっつけたり離したりに苦心のほどが偲ばれたが、さてそうなってみると、『東文章』と『ラ・マンチャ』とが、ふたつながらに同じような構造を持ったドラマだということになる。

『東文章』では、あさひ7オユキが口上役として、別の台にのって登場し、進行役をつとめる。あれをもう一歩、串田演出が鶴屋南北に遠慮しないで踏み出せば、『ラ・マンチャ』が作者のセルバンテス自身が獄中で自作自演しているドラマであるように作り直すことも可能だったに違いない。

だがあさひ7オユキの口上役は、そんなことをふと考えさせたりするかと思うと、イヤホンガイド的な説明役に引っ込んでしまったりもする。桜姫が風鈴お姫になって出戻ってくる「権助住家」などは、装置や照明は変えてあっても、段取りに至るまで芝居はいつもの通りに運ぶので、真意はわからないが大分歌舞伎に遠慮しているようにも見えた。

コクーン歌舞伎は、脚本の中に眠っていて、「型」とか「役柄」とか「仁」とかいった歌舞伎の演出のコンヴェンションが掬い上げていない意味を掘りこして造形化したり、コンヴェンションでは構築できない原作戯曲の構造を新たな視点から構築するところに意義があるのだと私は理解しているのだが、どこまでそれが実現されているかということになると、さてどうだろうかと首をひねることもある。

演出の上ではもっと歌舞伎離れをして、それを歌舞伎俳優の身体に埋め込まれた芸と技術で造形したどうなるか、という興味から期待するのは、こちらの片思いが過ぎるのだろうか?

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