随談第34回 上村以和於相撲噺(その7)

前回(その6)の続きですのでそのつもりでお読みください。

男の艶ということを、相撲取りの粋ということからちょっと考えてみた。この前、元の寺尾を海老蔵と見間違えた話をしたが、思い出す限り、私が一番粋だったと思う相撲取りはやはり栃錦である。栃錦は、べつに役者と見間違うような美男ではない。(ほぼ同時代に輝昇という果敢な突っ張りで鳴らした気鋭の力士がいたが、この人は片岡千恵蔵に似ているというので女性ファンに人気があった。千恵蔵といっても、重役スターになってからのあの鰓の張った、カンロクのありすぎる千恵蔵ではなく、もう少し若い頃のだが。)

栃錦はのちには名人といわれ、本場所がまだ年に三場所だった時代に技能賞を9回取って(つまり毎場所栃錦に決まっていたも同然だった)技能派として売り出したのだが、しかしいわゆる相撲巧者にありがちなひ弱さとは無縁の相撲を取った。また栃東を引き合いに出して申し訳ないが、ああいう風に緻密に計算をし、計算通りにいかないとしょんぼりしてしまったり、星勘定を気にして萎縮してしまう「近代的知性」とは、似て非なる技能相撲だった。一言でいえば、激しい相撲を取った。

小兵だったから頭もつけた。無駄にじっとしているということがなく、激しく動き回って次々と手を繰り出し、連続して技を仕掛けた。栃錦が大関で若乃花が小結か関脇の頃に水入りの大相撲を取ったときのフィルムがあるはずだが、それを見るとふたりとも神経がびりびりするようで、実に俊敏に動き回っているのがよく分かるが、それでいて腰がよく入っている。その証拠に、二人とも、相手をしとめた一瞬、何ともいい形に極まった。

ふたりのやや後輩に琴ケ浜という内掛の名人がいて、この人はしぶとく相手の懐に入ると腰を振って上手を引かせず、苛立った相手が強引に上手を取りに来るところを、一発の内掛でしとめるので、黒豹が枝の上からじっと獲物を待っていて一瞬で倒すのを連想させた。これはやや変則なのでさすがに大関で終わってしまったが、大変な名人芸であったことは間違いない。そういうのを見ていたせいで、この頃の力士が簡単に相手にマワシをとらせるのが不思議で仕方がない。

話がややそれたが、さっきの栃若戦のフィルムに、途中栃錦の髷の元結が切れて、水が入って土俵下に下りた時、仮の元結で自分で髪を束ねるシーンが写っている。そうでなくとも激しい相撲を取るので、勝負が終わると髷ががっくりと傾く。その瞬間に男の色気がほとばしる。それなのだ。それでいて、土俵を下りると栃錦はまったく温厚な人だった。

おなじ春日野部屋に鳴門海という、オリックスから阪神で活躍した星野投手のような鶴のように細い相撲取りがいた。この人も地味だがなかなかの名人で、体重が倍以上もある横綱の鏡里に三場所連続で勝ったりした。栃錦とふたりでちゃんこ鍋をつついている写真が雑誌に載って、キャプションに新国劇の舞台の場面のよう、とあった。

栃錦は若手のころ、相手に喰い付いて離れない稽古ぶりを見に来た六代目菊五郎が「まむし」と仇名をつけたという。先代の吉右衛門も、これは出世してからだが、栃錦が贔屓だったという。つまり「菊吉」が惚れたほど、「粋」だったのである。(次回からは映画噺。)

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