随談第40回 上村以和於映画噺(その1)

よほど小さいときから歌舞伎に親しんでいたのだろうと買いかぶってくれる人もあるようだが、実はそれほどの「おませ」ではない。少なくとも映画の方がずっと早くから身近にあった。つまり、ごく普通の話である。

一番古い映画の記憶というのを、このあいだ訊かれたが、どうもはっきりしない。いずれにせよ小学校1年前後だが、当時中野の鷺宮に住んでいたので、日本映画なら野方の西武座、洋画なら高円寺の平和劇場が定番だが、ときに新宿のヒカリ座とか青山のなんとかいうとかいう映画館へ連れて行かれることもある。はっきり覚えているのは日劇で『我が青春に悔いなし』を見て、それから実演があって、金語楼が出たのと二葉あき子が「夜のプラットホーム」を歌ったのとタップダンスがあったことで、プロの芸人の舞台というものを見たこれが最初であろう。もうひとつ、当時よくあった、日が暮れてから学校の校庭に白布を張って映画会というので、「象を喰った男」というのをみた記憶がある。いずれにせよ、こういう中のどれかであることは間違いない。

西武座ではよくエノケンを見たが、ここは新東宝の作品をよくやったらしく、鐘ががらんがらんと鳴るタイトルが子供心に印象的だった。のちに資料に当たってみて、多分一番古い記憶は、高円寺平和で見た『我等の生涯の最良の年』であろうと自己判定する。一九四六年本邦公開というのが、そう判断する根拠だ。

ずっとのちに『逢引き』を見たとき、シリア・ジョンソンの人妻がトレバー・ハワードの愛人と逢引きをしてわが家に帰ると、夫が暖炉の前の椅子に掛けてクロスワード・パズルに熱中している場面で、一気に子供の時の記憶が甦った。文字通りのデジャヴィである。もうひとつよく覚えているのは、ヒッチコックの『断崖』でケイリー・グラントとジョーン・フォンティンが車に乗って断崖の上を走るシーンだが、もっともこれらはのちに見直して確認したから言えるので、小学校入学前後の子供の断片的記憶に過ぎない。

これらはたいがい母が自分が見たいから私を連れて行ったまでで、もちろん自分から見ようと思って見たわけではない。これは日本映画だが、場面は銀座かどこかの都会の繁華街で、道路のこちらをヒロインが歩いていると、反対側から「××子さん」と声をかけてニッコリしながら横断してくる男がいる。と、車が走ってきて男がひかれてしまう。ヒロインがあっと顔を覆う。と、つぎの場面が仏壇で男の位牌が写る、というただそれだけの文字通り記憶の断片なのだが、これが映画のモンタージュというものを知った最初という意味では貴重な記憶ということになる。(それにしても、あれは何という映画で、俳優は誰だったのだろう。なにかの拍子に知れないかといまでも時々思い出す。)

十七世勘三郎と同い年の母がよく懐かしがっていたのはロナルド・コールマンとグリア・ガースンの『心の旅路』で、これもはるかのちに銀座でやっているのを見て、教えてやったら当時もう八十歳を過ぎていたがひとりで見に行ってきて喜んでいた。(あれはグリア・ガーソンではなくガースンと言わないと「なつかしくない」のである。)

と、このあたりがわが映画前史と言おうか。(もちろん、つづく)

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