随談第54回 上村以和於映画噺(その5)

まだしばらく続けると書いてからちょうどひと月たってしまった。

この前『山の彼方に』のことを書いた中にズボンをはく女優というので角梨枝子のことに触れたと思うが、あの後まもなく彼女の死亡記事を新聞で見つけて何やら不思議な気がした。やはり代表作として『山の彼方に』が挙げてあった。『青い山脈』では杉葉子が評判になったが、その姉妹編のような『山の彼方に』でも同じような、なよなよしない体格もいいmannishな路線を東宝ではねらったのだと思う。しかし杉葉子ほどには親しまれなかったのは気の毒だった。しかし「戦後」という時代を語るには、当然出てくる名前だろう。

杉葉子といえば、いまの中村雀右衛門が大谷友右衛門といって映画俳優でもあったころ、『青春銭形平次』というので平次の女房のお静になったとき、女形の友右衛門の平次よりお静の方が男みたいだと書いた映画評があった。角梨枝子も、数年後に東映の時代劇に出て、錦之助とのラヴシーンがいやに筋張ってみえて幻滅だった。現代ならともかく、当時の時代劇では、本人も見る方も、たぶん監督も、彼女たちのようなタイプの女優をチャーミングに見せる術もなければ、チャーミングと思う感性もなかったせいだと思う。もっとも『青春銭形平次』の監督はまだ偉くなる前の市川昆である。

角梨枝子が錦之助と共演した映画というのは『勢揃い喧嘩若衆』という正月映画で、白浪五人男を仕組んであって、錦之助の弁天小僧と東千代之介の南郷力丸が浜松屋の店先で「しらざあ言って聞かせやしょう」というツラネをそっくり本式にやったのと、芝居でいう「蔵前」で大友柳太朗の日本駄右衛門と弁天・南郷が浜松屋の姦計にはまって逆に牢格子の中にとじこめられてしまう場面を覚えている。浜松屋は進藤英太郎だった。

当時の時代劇にはいろいろな形で歌舞伎を換骨脱退してはめこんであることがよくあって、長谷川一夫の『鬼薊』といのはつまり『十六夜清心』がミソになっている。澤村国太郎の目明しに付け狙われ、ついにつかまって島送りになり、帰ってきたときはすでに明治になっているというのが、子供心にもじつに哀婉に思えた。恋人役の山根寿子のせいだったかもしれない。坂東好太郎が色悪めいた役で長谷川に絡むのは『白虎』の方だったか。

坂東好太郎は主役でいきんでいるときより、脇にまわって色悪をやると、さすがに歌舞伎の出ならではのいい味を見せた。入江たか子の『怪猫逢魔ケ辻』というのは、彼女の怪猫物でも怖いことにかけては白眉だと思うが、ここでも坂東好太郎の色悪がよかった。(などということを考える私も、思えばませた嫌な中学生だったものだ。)

それより少し前だが、美空ひばりがアラカンの鞍馬天狗に出たり、市川右太衛門の月形半平太に出たりして騒がれだした。あるとき担任の中年の女性の先生が、こないだ映画を見に行ったら予告編で美空ひばりが出てきたけど、いやあね、あんなの。みんなはどう思う? といって、クラス中に目をつぶらせて、ひばりがいいと思う人は手を挙げなさいと言って、本当に手をあげさせたことがある。いまどきそんなことをしたら問題にされてしまうかもしれない。そういう点では、良くも悪くも、教師も生徒も、おなじ小学生でもいまとは随分違っていた。

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