随談第68回 観劇偶談(その28、番外映画噺2)

小津安二郎『お茶漬の味』メモの続きである。

野球場の場面でバッターボックスに入った別当のショットのことを前回書いたが、7年後の昭和34年作の『おはよう』の中でテレビの相撲中継が写って、入幕したばかりの柏戸と北葉山が画面に出てくる。それを見ている子役が設楽幸嗣だが、設楽孝嗣は『お茶漬の味』にも出てくる。『おはよう』では弟と一緒にミニ家出をする、ある意味では主役だが、7年前の『お茶漬の味』ではもちろんまだ幼い。(のちにこの人は三井物産の社員として、私の兄と仕事上の関わりを持つことになるという、意外な後日の姿を知ることになる。)

津島恵子が見合いをする場面では歌舞伎座が使われるが、前年の26年に再建されたばかりの歌舞伎座が当時の松竹映画ではしきりに登場する。宣伝になるからなるべく使えというような指示が、もしかすると松竹社内であったのかもしれない。『麦秋』でも高橋豊子の母親が歌舞伎座に見に行った留守番をしながら、淡島千景と原節子がラジオでその舞台中継を聞くという場面がある。先代吉右衛門の河内山の啖呵が聞こえてくるのだが、さる物知りの教えてくれたところでは、声は吉右門自身ではなく悠玄亭玉介の声色なのだという。27年作の山本有三原作の『波』でも佐分利信が笠智衆に誘われて出かけた歌舞伎座の二階のロビーで、岩井半四郎扮する気障な男と睨み合う場面がある。

ところで『お茶漬の味』では津島恵子が途中でお見合いをすっぽかして帰ってしまうので、木暮実千代がロビーを探す場面があるが、ひとつ腑に落ちないのは開演中であるにもかかわらず(『娘道成寺』の長唄が聞こえている。「成駒屋」と声がかかる。つまり前年の開場の年に襲名したばかりの歌右衛門が踊っているのだ)、その割りにはロビーの人通りが多いことである。小津を完璧な様式主義のように言う人が多いが、案外ぞろっぺいな面もあるように私は思っている。最後の夫婦でお茶漬けを食べる有名なシーンでも、佐分利信がお茶を茶碗にかける時間から想像される量に比して、いつまでもさらさら掻きこんでいるのが気になる。(『晩春』でも鎌倉と東京を行き来する横須賀線の電車の遠景がいつも同じフィルムの使い廻しだ。白い帯のかかった「進駐軍専用車」が連結されている。)

木暮実千代という女優はいかにも有閑マダムが似合う人だが、商社の部長であるあの家では女中をふたり置いている。年配の方はちょっと写るだけだが、小園蓉子がやっている若い方はかなり登場場面が多い。岸恵子と女学校の同級で、小園蓉子がニューフェイスの試験を受けるのにいっしょにくっ付いていった岸恵子の方がスターになってしまったというゴシップが、当時小学生のわれわれの耳に入るほどに囁かれていた。

ところであれは地方出の女中だからまあいいが、『東京物語』で末娘の香川京子がご飯をよそうのにしゃもじで一回盛りにしたのも、我が家の女たち、つまり母や姉などが問題にしていたものだ。二回盛りにしないのは行儀が悪いというのである。いきなりご飯に箸をつけずにまず味噌汁を一口飲むのだとか、お代わりのときは茶碗に一口分残してよそってもらうのだとかいったマナーが、当時はかなり几帳面に守られていたと思う。

(まだつづく)

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