随談第83回 日記抄(その2)

大相撲初場所の7日目を桟敷席で見物するという幸運に恵まれた。この前見たのが3年前の夏場所だから大分新しい顔に変わっている。しかしその3年前、朝青龍はすでに横綱だったのだ。独り横綱の状態はかくも永く続いているのであって、いかに独り天下であるかが改めてわかる。

場所は東方の記者席のすぐ後ろで、桟敷席としては最前列になる。土俵まで10メートルあるかないかという距離だから、鬢付け油の匂いが席までぷーんと届いてくる。十両の最後の一番に駆けつけたので、幸い土俵入りを見ることが出来た。この前は見はぐったので、朝青龍の手数入り(この言葉、最近聞かないね)を生で見るのははじめてである。拍手を打った後、手をすり合わせるところがテレビで見ていてもちょっと気になるが、せり上がりは腰が入っていてなかなかよろしい。

思えば羽黒山、照国以来、すべてではないが何人もの横綱の土俵入りを見てきたことになる。誰のがよかったかといえば、断然羽黒山にとどめをさす。仁王様のような隆々とした両手を左右に広げてせりあがる不知火型の豪快さ、スケールの大きさというものはなかった。不知火型は次の吉葉山以降、短命な横綱が多いとかいってやる人が少ないが、羽黒山は40歳近くまで取った史上でも稀な長命の横綱だったのだから、不知火型短命説というのもいい加減なものなのである。羽黒山は、それも引退の前年に全勝優勝をしている。その千秋楽に千代の山を下手投げで破った一番と、引退の年の初場所、新大関の栃錦を極め出しで破った一番は、実際にはラジオの実況放送で聞いて、後に雑誌のグラビアの連続写真を見ただけなのに、この目で見たかのように鮮やかに覚えている。特に栃錦との一戦はこの大横綱の最後の勝ち星となったのだった。

ところでこの7日目は、魁皇と千代大海の大関ふたりがろくに相撲が取れずに負け、翌日と翌々日にそれぞれ休場してしまったのだから、そう毎場所見るわけにもいかない以上、これが見納めにならないとも限らない。34歳で再入幕を果たした北桜が、独特のサービス精神溢れたポーズで塩をまくのが今場所の話題のひとつになったが、例の高見盛よりもむかしながらの相撲取り気分が感じられて悪くない。(指揮者の岩城宏幸氏が楽屋で「タカミザカリをやって」から指揮棒をとることにしているというエッセイを書いていたが、これはちょっといい話に属する。鏡を前にウンウンと力んでいる岩城氏の姿が目に浮かぶ。)

前回見たときには朝青龍の魅力が圧倒的で、二、三を除いたほかの力士がくすんで見えたが、その点でも今度はなかなか多士済々のように思われた。北勝力というのは気合相撲でちょっと半端なところがある力士だが、相撲取りらしい気っ風がなかなかいい。やめた貴闘力に風貌もよく似ている。注目の琴欧州は、序盤に二敗した硬さが少し尾を引いているのかややおとなしやかだったが、風情に雰囲気があるところがいい。役者でも野球の選手でも、芸だけでなく雰囲気があってはじめて名優であり名選手であり名力士なのだ。つまるところ、われわれは、その雰囲気を愉しむために劇場や球場や国技館まで足を運ぶのだし、その雰囲気ゆえに、何十年後までも鮮やかな記憶として生き続けるのだ。

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