随談第84回 日記抄(その3)

もう一回だけ相撲の話になる。

栃東が優勝して表彰式でのインタビュウで、アナウンサーから水を向けられる前に自分から、来場所は上をめざして頑張りますと言ったのでオッと思った。こういう言葉を自分から言い出すというのはそうあることではない。面白くなりそうである。

前にもこのブログに書いたことがあるが、真面目で謙虚なのはいいのだが、この栃東という力士は、きっとアタマもいいのだろうが、新聞などで見ると、自分のことを分析しすぎて評論家みたいなことを言っていることがよくある。ご本人にしてみれば、反省癖が強すぎる結果、そうなってしまうのだろうが、勝負師というものはあまり他人に向かってそういうことを喋るものではない。朝青龍だって人一倍反省はしているはずで、だからこそ、前の場所負けた相手におなじ手を喰らうことが絶対といっていいほどない。インタビュウで水を向けられても、マアよく考えて、などという程度で軽くあしらってしまい、べらべら取り口についてこまかく解説したりしない。そういうことは腹の中に納めておけばいいのである。プロの相撲取りだなという感じがする。

もちろん栃東自身にそんなつもりはないだろうが、敗因などを客観的に緻密に口にしてしまうと、その瞬間に、反省の弁のつもりが第三者に向かった解説になってしまうのだ。事実、これまでの栃東は、自から自縄自縛に陥っている感があった。そんなことを喋っているより頭を真っ白にしてがむしゃらにやった方がいいのに、と思うことがよくあった。プロの相撲取りというより、アマチュア臭い感がないでもなかった。敢えていうが、ケチ臭かった。

同じようなことを考えていた人がいるらしい。夜の番組の優勝力士インタビュウを見ていたら、ある人から、あれこれ考えたりするのはアマチュアのすること、プロの力士ならもっとどっしり構えていろと言われて、先場所の故障のあとも、余計なトレーニングなど一切せず、相撲の稽古だけをやっていたと話しているのを聞いて、わが意を得た。

土俵下で、上を目指したいと広言したのは、そういうこととはまったく違う。マジメ優等生の自縄自縛から自身を解放する湧き上がる力があって、その勢いが言わせた言葉に違いない。こう来なくては、面白くない。

前回も書いたが、この場所は大分多士済々になってきた感じがする。優勝争いに大勢がからんだという現象面のことだけを言っているのではない。ひところは、体型から人相まで、同じような印象の力士が多く、取り口も単調になっていたが、それもかなりよくなってきた。「角逐」という言葉は相撲のためにあるようなもので、その意味からも「角力」と書く表記をもう少し復活させたい。そもそも「角界」という言葉もこの表記があればこその言葉ではないか。安馬だったか、決まらなかったが、二枚蹴りを見せたりもしていたが結構なことだ。吊出しという技も最近ほとんど見かけない。四つに組んで揉み合うということが少なくなったからで、「すまいぶり」(この言葉も最近聞かないが、往年の志村アナウンサーがよく使っていた)にコクがなくなったことのひとつの端的なあらわれといえる。

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