随談第106回 観劇偶談(その47)こんぴらかぶ記(中の巻)

段四郎といえば、この二月の『道明寺』の宿弥太郎が素敵な出来栄えだった。仁左衛門の木彫の菅丞相もなかなかよかったが、宿弥太郎もまるで木彫りの質感さえ感じさせるようなおもしろさだった。そもそも太郎のあの人形芝居そのままのような扮装は、同じような姿の『阿古屋』の岩永が人形振りで演じられるように、人間離れした感触を必要とすればこそ、考え出されたものにちがいない。段四郎のあの宿弥太郎をこの金丸座で見たらどんなに面白いことだろう。谷崎潤一郎が見たら涙を流して喜ぶかもしれない。

さて段四郎氏と別れて『かさね』が始まる。海老蔵の与右衛門に亀治郎のかさねである。この踊りは、知られているように大正歌舞伎が復活したものだ。当然、照明の使い方も、近代的な照明設備のととのった大劇場を想定して考えられている。それを、金丸座でやるとどういうことになるか。興味の半面、別の意味での懸念もあった。

だがそうした懸念は幕が開いて何分もしないうちに掻き消えた。「山三浪宅」もそうだったが、両脇の板戸を全部閉めて場内を暗くする。その闇の感覚が、歌舞伎座や国立劇場で「照明を落し」て作り出すのと、決定的に違うのだ。もちろん金丸座とて、蝋燭の照明は使えない。この決定的な違いがどこからくるかといえば、電気を全部消せば(停電になれば)おそらく無機的な意味で真っ暗闇になってしまう鉄筋コンクリートの大建築と、板戸をあけ放せば自然光が入ってくる木造の劇場構造の違い以外にはない。

「山三浪宅」のあと、板戸も障子も開け放って外気が流れ込んできたときの爽快さというものはなかった。雨上がりの後に晴れ上がったために、やや蒸し暑かったせいもあるが、流れ込んでくる風の心地よさというものをあらためて知った。

それで思い出すのは、昭和三十年ごろ(つまりあの『三丁目の夕日』の時代である)、東武東上線で池袋の次の北池袋駅の線路際に北映座というちっぽけな三流の映画館があって、中学生だった私は、東映と松竹と東宝の映画をそれぞれ三週遅れで三本立てで見せてくれるのでよく通ったものだった。錦之助千代之介の『笛吹童子』(これが東映)に木下恵介監督の『女の園』(これが松竹。田村高広の映画初出演である。父の阪妻が死んだのでむりやりひっぱりだされたのだ)に『ウッカリ夫人とチャッカリ夫人』(これが東宝)というような、じつに不思議な取り合わせになったりする。ところでこの映画館は、休憩時間になると片側の板戸をはずして、金丸座と同じように風を入れ、縁台を出して客を休ませていた。つまり昔の芝居小屋の構造は、都内でも二流三流の映画館には受け継がれていたのだ。

さて閑話休題として、この『かさね』は期待にたがわぬものだった。亀治郎のかさねはお国ともども屈指の適役だろうし、海老蔵の与右衛門も、持ち前の集中力で異能ぶりを魅力に転換するのにもって来いの役といえる。

それにつけても、海老蔵が仮花道からダダダダッと駆け出してきたときの興奮というものはなかった。臨場感だの迫力だのと(いえばそういう言葉を使うよりないのだが)言うのがあほらしくなる。花道は、出の瞬間には桟敷の枠と同じ高さであり、間に通路というものがないから、そもそも客と役者を隔てる空間というものが存在しないのである。

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