錦之助・内田吐夢の『宮本武蔵』といえば、『一乗寺の決斗』か『巌流島の決斗』と来るのが通例だが、敢えて『般若坂』を挙げる。やや異を立てるのは、三分はへそまがり趣味からでもあるが、残る七分は、時代劇映画論の定番理論に穴を開けたいという私の願望への可能性をここに見るからである。
『般若坂の決斗』は、『笛吹童子』以来錦之助が担ってきた伝統的な若衆役者のイメージと、一方時代劇映画が当初から内蔵していた「反・歌舞伎」的自然主義とが、俳優錦之助の成長の過程で千載一遇的にマッチし、表面張力のように溢れようとして一瞬の緊張の中に捕らえた、稀有な「幸福の時」に作られた作品である。
武蔵が宝蔵院に赴き般若坂で浮浪浪人の群と闘うくだりは、吉川英治の原作では、姫路城に三年籠って宮本村の武蔵(たけぞう)から宮本武蔵へと脱皮した武蔵が、剣士としての第一歩を踏み出したところに当たる。ビルドゥングス・ロマンとしてはウィルヘルム・マイスターならぬ武蔵の修行時代ということになる。内田吐夢監督が武蔵の成長と錦之助の成長を重ね合わせて、五部作を五年がかりで製作したという話はよく知られているが、『般若坂』は第二部に当たる。
しかし錦之助の本質を「永遠の少年性」に見る私の観点からすれば、『般若坂』の瑞々しさは、自分の進むべき道を剣と定めて歩き出した武蔵と、映画俳優として自分の歩むべき方向を明確につかんだかに見える当時の錦之助が、この作品の上で、これ以上はない幸福な形で重なり合った精華のように見える。そこには、錦之助の持つ最良の資質が匂い立っている。そうして、それは二度と戻ることはない性質のものなのだ。(だがその後の映画界の激変は、錦之助に苦難に満ちた悲劇的な道を辿らせることになる。それを知っている「いま」から振り返るとき、ここに見るその瑞々しさは一層哀切である。)
『一乗寺』や『巌流島』を評価する人の気持がわからないわけではない。二度と返らぬといっても、まだこのころの錦之助は充分に若い。『般若坂』で見せた瑞々しさが失われてしまったわけではない。錦之助自身も『巌流島』をもって自分の目指したものの達成と考えたかもしれない。私の言うのは、『巌流島』で完熟する「それ」が、まだ幾分の青みを残している『般若坂』の方に、錦之助の本質を見るということである。完熟したトマトよりも、蔕の周りに幾分の青みを残したトマトにこそ、真の瑞々しさがあるように。そうして、その瑞々しさこそが、錦之助という俳優の真骨頂なのだ。
月形龍之介演じる僧日観の諭しに、武蔵は一筋の疑念を感じる。日観が経文を書いた石を投げ捨てて映画は終わる。そこに原作に対する内田吐夢の批判があり、その批判は知られるように『巌流島』で小次郎を倒した後の虚無へとつながっている。しかしここでの武蔵にはまだ虚無はない。その若さが、錦之助の瑞々しさと見事に重なっている。
月形の日観の見事さが武蔵の一筋の疑念を一層鮮烈にしているのも、演技者と演出の相乗効果としてこの上ない。また出番は少ないが、黒川弥太郎の胤瞬が五代目菊五郎みたいな役者ぶりで実に格好いい。