随談第135回 観劇偶談(その64)瓜生山歌舞伎

先週末、京都造形芸術大学内にある春秋座の舞台で亀治郎の『奥州安達原』を見た。その舞台は、そっくりそのまま、今週東京で「亀治郎の会」として公演が行なわれるから、そのみごとな成果のほどはそれを見ていただければわかるし、わたしも「演劇界」に評を書くことになっているから、ここではそういう話はしないことにして、「瓜生山歌舞伎」と銘打った京都での公演についての話をしよう。

瓜生山というのは、大学のキャンパスがその山裾にある東山三十六峰のひとつである。「市川亀治郎の挑戦」というサブタイトルがついた「瓜生山歌舞伎」は、7月29日から31日まで三日間、一日一回だけの、贅沢といえば贅沢な公演だった。

これまでにも、毎年の夏、亀治郎はこの春秋座の舞台で「亀治郎の会」を自主公演としておこなってきたから、ついそれと同じように思ってしまいがちだが、今度はそれと違い大学自身が行なった公演である。正規の公演としては珍しいケースといえる。「京都造形芸術大学舞台芸術研究センター」の主催・企画・制作となっている。

春秋座はいうまでもなく、市川猿之助がこの大学の副学長に就任したことから、大学に働きかけて作った、本格的な劇場である。「京都芸術劇場」という「角書」がついている。もちろん大学の施設だから、教育施設としても使われるのだろうが、ふつうの大学講堂と根本的に違うのは、あくまでも本格的な歌舞伎を上演できる機構を備えた「劇場」であるということだ。こんどの公演では、『安達原』ともう一本、舞踊の『松廼羽衣』があったが、亀治郎の天女が宙乗りで天空に消えて幕となった。

猿之助が作った劇場だから、宙乗りの設備もあるのは当然といえばそれまでだが、セリ、スッポン、廻り舞台、客席の構造にいたるまで、これだけの機構、これだけの細心の工夫が凝らされた劇場というものは、日本中でもそうざらにあるものではない。昭和女子大学のホールが、本格的なクラシック音楽の公演がおこなわれる演奏会場として知られているが、それと双璧といってよい。

別に、自分が関係しているわけでもない一私立大学のPRをしているのではない。ここにそれを書くのは、「瓜生山歌舞伎」の試みが、いろいろな試みがなされつつある現在の歌舞伎にとって、ひとつの注目すべきものになりうる可能性と意義を、充分に持っていると思うからである。大学主催の公演といっても、現実にこの公演を動かしている主体も、それが目指しているのも、大学の宣伝などではなく、あくまでも、現代という状況の中で歌舞伎を如何にすべきか、歌舞伎がどうあるべきかを訴え、現実の中にそれを働きかけようとする運動であることが、よくわかる。

「大学だからこそできる実験と冒険を盛り込んだ、京都芸術劇場・春秋座でしか出会えない歌舞伎の世界を体験していただくための企画」とは、この公演を主軸となって推し進めてきた田口章子教授の言葉だが、まさしくこの言葉には裏も表もない。二回、三回と回数を重ねることで上方文化発信の拠点としての役割を果たしていきたい、とも教授は言う。

証拠は目前、その成果を背負った「亀治郎の会」を見ればわかる筈である。

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