随談第137回 観劇偶談(その66)舟木一夫と風間杜夫

新橋演舞場で恒例になっている舟木一夫の公演が今年で10回目になった。この公演のことは、前にもこのブログに書いたことがあるし、今月の公演のプロフラムには舟木一夫掌論みたいなものを書いたから、ここではちょっと別なことを書こう。

今月、舟木は野口雨情を演じている。第一回の演舞場公演のときも雨情だったから、いわば再演だが、四回目には竹久夢二を演じている。(この『宵待草-夢二恋歌』は脚本もなかなかよく、過去10回の中でも出色だった。)こういった、明治から大正・戦前の知識人や文化人の役をするときの舟木というのは、じつはちょっとおすすめといっていい。

演舞場公演では、『沓掛時次郎』や『雪の渡り鳥』『瞼の母』といった長谷川伸の有名作や『月形半平太』『狐の呉れた赤ん坊』『薄桜記』といった時代劇の有名作も演じていてそれも悪くはないが、それよりも雨情や夢二を演じる舟木の方が、演技者としての資質からいっても、わたしには興味がある。

まだアイドルだったごく若いころに、川口松太郎や先代水谷八重子から新派に誘われたという話も聞いた。やはりアイドル時代に、『佐々木與次郎の恋』という脚本を演じている。いうまでもないが、佐々木與次郎というのは漱石の『三四郎』に登場する、熊本から上京した生真面目な田舎者の三四郎と対照的な町っ子で、教室を出て町へ行こう、などとそそのかしたり、小さんという名人と同じ時代に生まれ合わせたことはわれわれだけに恵まれた幸運である、などと三四郎を煙に巻いたりする男である。

漱石は三四郎と対比させ、狂言回し的な役割を演じさせるために、軽薄なシティボーイぶりをやや強調しているが、時代の新思潮の空気を吸って軽やかに生きる都会派青年という、近代の日本がはじめて持った新しいタイプの人間として興味深い存在でもある。(明治十五年以後の生まれ、という世代論を漱石は與次郎の口を通してさせている。)そういう人物を主人公として描いた脚本を、アイドル当時の舟木に与え、演じさせるということを考えた企画も端倪すべからざるものがあるが、そういう企画を考えさせた舟木という才能もまた、ただの鼠ではないというべきだろう。

それから幾星霜、妙な大家などになり遂せず、いまも瑞々しさを保っている舟木一夫という才能に、私は関心を抱くようになった。

同じこの月、三越劇場では新派がかかり、波乃久里子の鶴八を相手に風間杜夫が鶴次郎を演じている。前にも既に『風流深川唄』を共演しているから、こんどまた無事つとめ遂せたことで、これは今後のひとつの路線と成り得るであろう。

まだ発声にちょっと疑問が残るものの、『鶴八鶴次郎』という新派古典をさほどの違和感なく勤められるというのは、つまるところ、身体に新派と馴染み得る雰囲気を持っているからだ。舟木が若き日に誘われたというのも、そこを見てのことだったに違いない。それをいうなら、すっかり新派俳優になり切ってしまった菅原謙二だって安井昌二だって、もとは映画俳優だったのだ。(それにしても、風間杜夫がかつて大友柳太朗の『怪傑黒頭巾』の子役だったというのは、ちょいとしたトリビアである。)

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