随談第156回 昭和20年代列伝(その9)ひばり三絶(2)

美空ひばり三絶の(その2)は「伊豆の踊子」である。昭和29年、若き日の野村芳太郎監督の松竹映画主題歌、これも若き日の木下忠司の作詞作曲である。木下忠司は「喜びも悲しみも幾年月」だのなんだの木下恵介監督の映画音楽が有名だが、この「伊豆の踊子」の方が曲としてすぐれていると思う。いやこれは、日本人作曲家による近代日本の歌曲として有数の名曲ではあるまいか。

この五月、三百人劇場の野村芳太郎作品特集で久しぶりに対面し、映画そのものも、野村監督若き日の機知と瑞々しい情感のマッチした名画であることを再認識した。昨年暮、戦前の田中絹代版を見ての感想はその折のブログに書いたが、ひばり版の方がはるかに勝ること数等である。ひばりもいいが、石浜朗の一高生もこの人生涯のはまり役だし、何よりダメ兄貴役の片山明彦が傑作だ。由美あづさとか雪代敬子などの女優たちも、その後の世代の女優たちになくなってしまった、昭和の初期という時代を体現できる「日本の女」の匂いをもっている。

田中絹代版の主題歌「雨の日も風の日も」というのも、リアルタイムでは知らない私のような戦後育ちの人間でもいつとはなしに覚えてしまったほどの有名曲だが、それに比べひばり版の方は、もうひとつ知名度が高くないのは、名曲必ずしも大ヒットしないという、歌謡曲の人気というものの一種の宿命というほかないのだが、しかしもうひとつ突っ込んで考えれば、ひばりが国民歌手的な規模で人気と支持を獲得してゆく過程でぶつかった、いくつかの分岐点のひとつに、この曲があったのだという風に思えてならない。つまりひばりを支持する人気の質が、この曲にはある一定以上の支持を与えなかったのだ。

さりながら、昭和29年、十八歳のひばりの歌う「伊豆の踊子」はまぎれもない名曲である。次回に述べる「お針子ミミーの日曜日」などとともに、この頃のひばりは、高音に情感と抒情性があって、後年の「国民的大歌手」になってからのひばりしか知らない向きには信じがたいほどの清冽さがある。

曲は、ごく短いフレーズと同じ旋律の繰り返しで、単調なようでそれがかえって悠久につながるような、舟歌のように果てしなく繰り返されるような趣きが、興趣が尽きないという意味では曲想は違うがシューベルトみたいだ。「三宅出るとき誰が来て泣いた、石のよな手で婆さまが」「まめで暮らせとほろほろ泣いた、椿ほろほろ散っていた」「江島生島別れていても、こころ大島燃ゆる島」という、これで全曲である。言うまでもないが、「こころ大島」は「こころ逢う島」と掛詞になっている。

おそらく、心あるファンには忘れがたい思い出とともにいまも生きているのであろうが、それだけに留めておきたくない思いが私にはある。ズバリと言えば、ひばりヒット曲としてはやや高踏的に傾き、歌曲として評価されるには、どうせひばりの歌謡曲だとみなされて、識者にははじめからその存在すら知られていないのかも知れない。「川の流れのように」や「悲しい酒」ばかりほめていないで、ひばり歌謡にはこういう曲、これだけの達成もあるのだということを訴えたく、今回はやや肩に力が入ったブログになった。

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