随談第165回 随談随筆(その5)年賀状

新年のはじめは、ごくのんびりと随筆と行こう。ここ何年か、年賀状は大晦日から元日にかけて書くことにしている。というと、そうそう、歳末の忙しい中で謹賀新年なんてそらぞらしく書いていられるか、年賀状は何時(いつ)幾日(いっか)までに投函せよ、なんてのは郵便局の都合にすぎない、賀状は正月になってから書くのが本当だ、などと大仰に同調してくれる人がいるが、べつにそれほど理屈を立ててそうしているわけではない。

池波正太郎さんは前年の三月ごろから賀状の準備にとりかかったそうだが、たしかに、挨拶というものは相手を本位にするものであって、だから新年の挨拶は新年に相手に届くようにする方が本当だろう。とはいうものの、ようやく世間も歳末気分に染まってくる大晦日から元日に賀状を書くというのも、はじめはやむを得ずにしたことだったが、やってみるとそれはそれなりに、真実味があって悪いものでもない。

賀状の形式は久しく、「新春御慶」とすこし大ぶりに、その下に、これは年ごとに正月にふさわしい俳句をこさえて、あとは住所電話番号に夫婦連名、その間に空白を広く取るように印刷したのを、毎年定型にしていたが、昨年は喪中であったのと、私自身の身辺に変化が生じた最初の新年でもあったので、「新春御慶」は寒中見舞いの挨拶にし、身辺の様子を知らせる文章をつらつらと書く、という形式にしてみた。

わたくしごとを長々と書くのはなんとなく気恥ずかしいような気がして、これまでしなかったのだが、頂戴する賀状の中に、毎年身辺のことを巧みに知らせてくれながらお人柄まで偲ばれて、あゝ、こういうのもいいものだな、というのがあって、そこから思いついたのだった。やってみると、お人柄はともかく、いつもよりなんとなく、反応があったような気配がある。そこで、「新春御慶」は復活して、今年もそれ式にしてみることにした。

「御慶」はもちろん落語の『御慶』の真似をしてみたいからだが、そのままだとちょいと気恥ずかしい。と思っていたあるとき、良寛展が三越であったのを見に行ったら、良寛の賀状に「新春御慶」というのがあるのを見つけて、頂戴することにしたのである。

例年は紅白歌合戦を聞きながら書き始めるのだが、今年は少し早めに身辺が片づいたので、午後から始めることができた。思いついて、落語のCDをかけた。ふだん原稿を書くときはクラシックにせよシャンソンその他にせよ、音楽を聴きながらということが多い。落語はやはり言葉だから、原稿を書きながらというには、ちょいと差し支える。しかし賀状の名宛を書きながらには、これはまことに快適である。

桂文楽の『富久』がなんといっても歳末にふさわしい。つぎに馬生の『お富与三郎』の「島抜け」を聞く。これは元の新橋演舞場の畳敷きの稽古場で三日続きでやったときのライヴで、私はこのとき三日通い詰めて現物を生で聴いている。堪能した。話を聴くというのはこういうことなのだ、と改めて思い知った。円生の『三十石』を聴く。彦六なんかにならない頃の正蔵の『年枝の怪談』を聞く。どれもかつて聴いたものばかりだが、いま聴くとこれほど凄いのかと、唸った。

年賀状はやはり大晦日に限る、か?

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