随談第168回 昭和20年代列伝(11)和風ミュージカル映画

テレビで昭和20年代の音楽映画をいくつか見た。いわばミュージカルの前駆的なものだが、それはそれとしておもしろい。

まず『銀座カンカン娘』。いわずと知れた高峰秀子娘盛りの時代の有名作だが、同じ下宿屋(志ん生と浦辺粂子の夫婦がやっている)に住み互いに憎からず思い合っている高峰と灰田勝彦が、ロメオやシラノみたいに二階と下で恋の二重唱をしたり、岸井明(明大の相撲部出身で体重30貫という巨体が売り物の、ちょっぴりハイカラなコメディアンだった)の楽士に誘われて高峰と笠置シヅ子の親友同士が銀座のクラブで「カンカン娘」を歌い踊るところなど、回顧の感傷以上に、時代の空気を知る者のシムパシイを感じざるを得ない。笠置シヅ子も灰田勝彦も全盛時代だし、高峰秀子の歌もちょっとしたものだ。『二十四の瞳』以後の名女優高峰秀子も結構だが、こういうデコの方が私にはなつかしく好もしい。ジューン・アリスンみたいな女優になりそうに見える。

それにしてもここに出てくる銀座のなんともソボクなこと。銀座のダンスホールでもみんなが当時流行のヨーヨーをやっているのもオカシイ! 監督は山本嘉次郎。

この映画での志ん生の役は新笑という一旦引退した落語家という設定で、都落ちする新婚の高峰と灰田を、祝いに『風呂敷』を一席演じながら、『勧進帳』で弁慶が延年を舞いながら義経を促して落としてやる息で旅立たせてやるのがラストになっている。志ん生は美空ひばりの『ひばりの子守唄』にも、音楽家のハイカラ紳士山村聡に親たる者の道を説いて説得するという鳶の親方の役で登場する。(志ん生が山村聡を説諭するというのがおかしい。)つまりどちらも、物語の鍵となる役どころなのだ。

その『ひばりの子守唄』だが、これがなかなかおもしろい。ケストナーの『二人のロッテ』の翻案で、ちょいとおしゃまになった14歳のひばりが、ふたりのロッテならぬふたりのひばりを二役で演じる。ひとりは山の手の音楽家(つまり山村聡だ)のもとでお嬢さん育ち、もうひとりは近所の子供に踊りを教えて生計を立てている女親(水戸光子がなかなかいい味だ)のもとで下町育ち。それが夏休みの林間学校で仲良しになり、瓜二つなところから互いに入れ替わる相談を実行に移す。

山の手育ちと下町育ち、性格も違う。じつは双子の姉妹なのだが、つまり山村聡と水戸光子が両親なのだが訳があって別れたために、互いにそれとは知らずに育ったのだということが分かってくる。で、最後に志ん生が山村聡を説得してめでたしめでたしとなるわけだが、その間に「二人の瞳」だの「お下げと巻毛」だのいろいろ歌う。もっとも音楽映画というわけではない。監督は島耕二。意外なようだがそこが「二人のロッテ」なのだ。

志ん生たちの醸し出す下町ムードもさることながら、いまとなって貴重なのは、林間学校の帰途、片方のひばりが淺川駅で途中下車すると山村聡の父親が迎えに出ている、といった東京の郊外の情景である。中央線沿線の住民は、淺川、つまり高尾で電車に乗り換えるのだ。山村聡の家は周囲の田園風景からいって国立あたりと見たが、どうか? たぶん荻窪までは来るまい。当時小学生の私は鷺ノ宮に住んでいたから、多少の土地勘がある。

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