第21回の歌舞伎フォーラム公演を見た。今回は歌女之丞、勘之丞、京妙、又之助、滝之、左字郎、京珠という顔ぶれで、『俄獅子』『釣女』『大石妻子別れ』といった演目に、第一部「歌舞伎に親しむ」と題していつものように客席から観客を参加させてのコーナーがある。
この公演の意義は、見るところ三つある。ひとつは、通常の公演とはひと味違ったファン啓蒙を通じた新観客獲得の働きかけとして、第二は門閥(という言葉の是非はこの際ともかくとして)外の役者たちの研鑽・勉強の場として、第三は、第二とも連動するが、珍しい狂言の発掘・伝承としての意義である。夏の国立劇場で、稚魚の会と歌舞伎会の公演はいまも続いているが、以前は中村歌江の葉月会、京蔵・京妙など雀右衛門一門の桜梅会などなど、意欲も意義も充分ある公演が多々あったし、もっと以前には、名門の御曹司連の会も活発だった。90年代の終わりごろなどは、8月というと毎週のようにいろいろな会があって、真夏というのに見物する側も忙しかったものだった。
それが世紀の変わり目ごろからこっち、めっきりと少なくなったのには、歌舞伎の公演が増えたり大きな襲名公演が続いたりなど、いろいろな理由があるだろう。それをいまここで云々しようとは思わないが、このわずか十年の様変わりに、やや寂しいものを感じるのは否めない。歌舞伎フォーラム公演は、それらとは少し性格が違うものがあるのかもしれないが、一般の歌舞伎ファンから見れば、いまは数少なくなった貴重な公演だということになる。
私も、21回の公演すべてを見たわけではないが、今まで見たどれをとっても、舞台への取り組み方、その成果、充実したもので、好感をもって見てきたつもりである。小芝居種といわれる演目にも意欲を見せるのも、興味をそそられた。実際、見てみると、いろいろ得るところがあって、俗に「小芝居種」という言葉から連想されがちなイメージとはずいぶん違う、考えを改めさせられるような経験も一度ならずあった。『老後の政岡』『弥作の鎌腹』など、いまも忘れがたいし、『松王下屋敷』を見はぐったのはいまも悔しく思っている。
今度の『大石妻子別れ』もおもしろかった。近松の『碁盤太平記』を基にしながら、いろいろ手を変え、品を変えている。そうした、小芝居らしい改変のなかにこそ、いま見れば、日本人が、とりわけ小芝居を支えてきたような層の人々が、忠臣蔵なら忠臣蔵というものに何を求めてきたかが汲み取れるのであって、それを「あざとい」という一言のもとに切り捨て、軽視してきた近代主義の方にこそ思い上がりがあったことがよくわかる。(歌舞伎の研究家や、社会学者などにとっても、おもしろい研究対象になると思うのだが、いまはそのことは措いておこう。)
聞けば、これまで公演の本拠の観のあった江戸東京博物館の舞台が使えなくなるおそれもあるような話もあるとか。どういう事情か、あるいはただの噂なのかつまびらかでないが、こうしたささやかな気概の発露としての活動は、大切にしてゆきたいものだ。