随談第171回 今月の一押し(その10)長老か少年か

今月は長老と少年俳優とに、それぞれ候補者がいる。

長老の方から先にいうと、中村富十郎の高師直である。というと、いまさらめずらしくもないようだが、今度の師直を見て、いままでとはひとつ段が違うと思った。もちろんいままでだって相当のものだったが、富十郎としても、またこれまで見てきた師直たちと比べても、格別のものという風には見てこなかった。が、今度のはちょっと違う。

非常にすっきりしていて、格が高い。生の富十郎というものが消えて、富十郎という役者の芸そのもので、師直という人物を造り出している。若狭助や塩冶判官をやたらに引っ叩いたり、余計なことをして世話っぽくなったり、品格を下げたりしない。それでいて、富十郎の芸のもっている明るいユーモアが、敵役としての色気と愛嬌を生み出していて、瑞々しい。前世代の師直たちと比べてもすぐれているのは、まずこの点である。

十七代勘三郎の人間臭い師直はなかなか魅力的だったが、晩年に演じたのは愛嬌を強調するあまり世話っぽくなりすぎて、結果として品格を下げていた。十七代羽左衛門のは、格はあったが老人くさく、愛嬌が薄かった。この場合老人くさいというのは、師直は老人ではないか、ということとは別の種類の問題である。二代目松緑が晩年に大顔合わせでやったときのは、たしかに立派だった。明快なのが場合によっては損の卦に出ることもあった松緑だが、さすがに晩年のそれは老獪さも充分あったし、巨大さという意味では富十郎よりもうひとまわり大きいし、まずここ30年来では随一か。

その前というと、この手の役はもっぱら八代目の三津五郎だった。格に入って見せる巧さとその成果としての品格と、本行の人形を思わせるような立派さという意味では、これもいかにも一級品という印象となって残っている。思い出した。二代目鴈治郎のも見たっけ。でもこれは、鴈治郎というおもろい役者を見るという意味での面白さだったといっていい。あとは延若だが、この辺までが前世代の一流どころといっていいか。

という風に考えてくると、こんどの富十郎というのは、こういう人たちの中に伍しても相当のところに行っているのではなかろうか。とりわけいいのはセリフである。三段目の「喧嘩場」で、判官をいびるセリフが世話っぽく下司にならない。「貴様」という言葉ひとつとっても、イントネーションで現代語の(つまりわれわれがけんか腰でものを言う時の)「貴様」ではない。「その鮒がよお」などとも言わない。「その鮒めが」と言う。こうした配慮から格が生まれる。その意味では、八代目三津五郎のに近いかもしれない。

もうひとりの候補は、すっかり大きく凛とした少年に成長した児太郎の力弥である。四段目の力弥は梅枝がつとめていて、これも候補に挙げていいほどの成績だが、梅枝のことはすでに何度も紹介したので、今回は、七段目と十一段目の力弥をつとめる児太郎の好もしい成長振りを吹聴しておきたい。まだ声変わり前なので本当のところはこれからだが、気魂が凛然としていて、身仕舞いが自ずからすっきりしている。これは本物、という感じがする。こういう先物買いはしていいのだ。もっとも、声変わり前の力弥に討入りをさせるのがちょっと無惨な感じがして胸が痛んだのは、われながらふしぎだ。

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