歌舞伎座の噂はまだ続くが、ちょっと一服して新橋演舞場の話。今月の一押しにしようかとも思ったが、それは他にとっておくとして、芝居も面白い、藤山直美も沢田研二もよかったが、それよりなにより、感心したのは松竹新喜劇その他の脇役の面々である。
小島慶四郎、小島秀哉の両小島あたりはいまさら言うまでもないとしても、大津嶺子、中川雅夫、井上恵美子、西岡慶子などといった新喜劇の出汁昆布で煮染めたような役者たちの、なんと生き生きしていること! とりわけ、車夫役の曾我廼家文童には感服した。とくに、一度死んでから、あの世から白装束に白い人力車を引いて春団治を迎えに来る、おかしさがそのまま涙に直結する呼吸というものは、まさしく新喜劇の真骨頂だ。
売れない落語家から漫才師に転向する役をやっているレツゴー長作とかいま寛太といった人たちのことを私はほとんど知らないが、その他のもっと小さい役をやっている人たちまで含めて、まさにプロフェッショナルの集団がここにいる。春団治の臨終を看取るために集まっている面々の、なんと個性的な顔ぞろいであることか。いかにも大正から昭和初年の寄席芸人の苦味や匂いを醸し出している。苦味と、大阪弁でいうところの阿呆らしさと、屈折と能天気がいっしょくたになったようなやるせなさと・・・。
思えば昭和四十年前後、まだ御大の渋谷天外が健在で、藤山寛美がハチャメチャな勢いでのし上がったころ、新喜劇の舞台はほとんど毎週、テレビで見ることができた。両小島はそのころ売出し中のホープで、大津嶺子は娘役だった。貫録のある女将役者の石河薫や、なんとも達者な酒井光子が女優のトップ、男優も、顔を見ただけで大阪の街の匂いや、夏の芝居なら町埃や暑気までが、ブラウン管のむこうから漂ってくるような役者がぞろぞろ出て来た。その頃に比べれば、などと團菊爺イ風なことを言い出せばいろいろあるだろうが、しかしざっとそれから四十年たったいまも、なおこれだけのレベルで集団として独特の写実芸を保っているというのは、考えれば驚嘆に値する。
主役のふたりもいい。藤山直美はやっぱり舞台の役者だ。朝ドラの『芋たこなんきん』は私もご多分にもれず楽しんだが、テレビだと巧くはあってもやはりちょっと鼻につくところがある。新喜劇独特のある種の「芝居の嘘」(つまり、離見の見をパタ-ン化するという)が、テレビだと少し浮くのだ。それに、舞台で見るほうが女っぷりもいい。
沢田研二には感心した。歌手として全盛だったころの、いやらしいぐらいの色気やオーラが、いまの年配になって有効に生きている。かつて先代の門之助が、ジュリー時代の沢田の色気を上方和事だといったことがあるが、こういうのを見ると、いまにして腑に落ちる。実際の春団治がどんなに華やかな芸人だったか、正直なところ私にはもうひとつよくわからない。残された写真や音盤で聞く声は、おそらくその真骨頂を伝えていないのではあるまいか。破天荒なことを企てた芸人であることはわかるが、その芸の色も艶も凄みも、私にはもうひとつ感じられない。ホントかなァという気さえ、しないでもない。沢田研二の春団治が実物にどれだけ似ているかは想像の外だが、このドラマを通じて、どういう芸人だったかはよくわかる。いや、解らせる。これは、大変なことではあるまいか。