随談第184回 今月の歌舞伎から(その4)魚宗を我が物にした勘三郎

 勘三郎の『魚屋宗五郎』がいい。四演目だというが、こんどで遂に我が物にした感がある。自分は決して、よくそう思われがちなような器用な人間ではない、と勘三郎自身語る通り、ここまで来るのにずいぶん曲折があった。初演はたしか八月の納涼歌舞伎で、もう十年余になるか。うまいのだが、何故かこちらの胃の腑に落ちてくれない、といった感じだった。『髪結新三』が、未成の部分はあっても初演のときからはまるべきツボにははまっていたのと、対照的だった。

月並みな解釈のようだが、新三が父先代ゆずりであるのに、宗五郎は二代目松緑のものだ。しかも、六代目菊五郎ゆずりの黙阿弥物の、先代と松緑の間で棲み分けと共生がほぼ成立していた中で唯一、これは父先代が手掛けようとしなかった役だ。そこらあたりに、微妙な問題があるのか、などと思ってもみたこともある。

もちろん、仕どころは酒乱の様にあるが、松緑のは、それ以前の、律儀な市井人としての宗五郎が余人の及ばぬ傑出したものだった。皆が騒ぎ立てるのをたしなめながら客席に背を向けて位牌に手を合わせる、その背中が、この生真面目な男のすべてを無言のうちに語って見事だった。元よりひとつの言い方としてだが、松緑の全業績からひとつを挙げろといわれたら、この宗五郎の背中を挙げてもいいかと思うほどだ。

これは芸でもあるが、それ以上に仁に関わる問題だった。十七代目が遂に演じなかった理由もそこにある、と私は勝手に解釈している。

十八代目の京都での再演は見なかったが、数年前の三演目は見た。悪くなかったが、勘三郎としてとくにすぐれたもの、という風には思わなかった。が、今度はいい。自分の宗五郎を築き上げている。

松緑ゆずりというなら、すでに三津五郎が秀作を見せている。(いま、菊五郎のことはちょっと措いておこう。)松緑もそうであったように、芝居として、芸として演じる宗五郎であり、律義な市井人としての姿もすぐれていた。当代での宗五郎として、優にその存在を主張するものだ。

勘三郎のはそれとは違う。律義な堅気の姿もきちんと演じ、いいのだけれども、勘三郎ならではのものが出たのは、酒乱のさまである。酒に呑まれていく中で見せる、一種の狂気といおうか。このまま行ったらどうなるだろう、とちょっとそんなことまで頭をよぎる。おそろしいような凄み、といおうか。もちろんそれは芸でもあるのだが、それだけに留まらない何かを感じさせる。

血かな、とも思う。これまで、一卵性父子?のようによく似ていながら、ひとつ、勘三郎二代論をする上で、ふたりの違いを分けるのは、十七代目にあって当代にない、おそろしいようなものすら感じさせる「闇」の部分、とでもいうもので、そのことを私はこれまでにも方々で書いてきた。それは先代当代それぞれの人間形成の過程でのさまざまなことが、複雑微妙な因果関係をなしている結果なのだが、今度の宗五郎は、この問題について、さらにむずかしい宿題の一問を私に課したようでもある。

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