團菊祭の評は、『演劇界』がリニューアルまでの3ヶ月間をカバーするために発行する「月報」に書いたが、目に触れる機会も少ないだろうから、やや繰り返しにはなるが、『勧進帳』と『め組の喧嘩』で、團十郎と菊五郎の間に入って、役者の格と、程のいいバランスの妙を見せる梅玉のことを書いて、合わせて今月の一押しに代えることにしよう。すなわち、その義経であり、焚出しの喜三郎である。
團十郎が、突如の病気休演で海老蔵襲名の興行半ばに姿を消して以来の歌舞伎座での『勧進帳』は、菊五郎の富樫と並ぶといかにも「團菊祭」にふさわしい壮観である。團十郎以上の弁慶、菊五郎以上の富樫ということを言い始めたら、おそらく百家鳴争、かまびすしいことになるだろう。
しかし團菊祭という「祭事」の場に見合う弁慶・富樫ということになれば、当代團菊に如くはない。単にその名跡を襲っているからという意味ではない。初日に先立つつい先月末、旧井上外相邸の跡地で行われた天覧歌舞伎百二十年という催しで天皇皇后来臨の席で、やはり團菊が『勧進帳』を見せたというが、つまりは、当代歌舞伎の象徴としての弁慶であり富樫である。(もっとも菊五郎の富樫は、シャープな二枚目の官僚風でない、武人としての富樫という意味で、当節興味深い富樫ではあった。)
ところでその中にあって、梅玉のつとめる義経というものが、じつに程がいい。たとえば仁左衛門をもってきたら、それは三横綱土俵入りみたいな壮観であるだろうが、少々大々しくて、座りがよくないような気がする。かといって、團菊と三幅対に収まるには誰でもいいというわけにはいかない。梅玉の品格、大きからず小さからぬ役者としての格といったものが、團菊の間に置くと、見事に坐るべきところに坐っていることが知れる。
かつて前名の福助時代、弟の魁春の松江といつもお神酒徳利だったころ、歌右衛門が、巧い拙いより、大きい役者、格のある役者になるようにと、判で押したように言い続けていたのを思い出す。なるほど、大きい役者とは言いかねるにしても、格のある役者にはたしかになったのである。
同じことが、まるで『勧進帳』を世話にもどいたかのような『め組の喧嘩』でも、菊五郎の辰五郎と團十郎の四ツ車の間に梯子から降り立って両者を捌く焚出しの喜三郎についても言える。大々しくなく、それでいて格と、程のいい貫目がある。かつてこの役は三代目左團次の役であり、その後に見た誰の喜三郎より喜三郎らしかったのは、先々代松緑の辰五郎と十一代目團十郎の四ツ車の間へ割って入るのに、ふたりに比べ役者ぶりはひとまわり小さいが、それを補ってあまりある、先輩役者としての風格がまさに喜三郎にぴたりだったからである。それとの相似形が作り出す舞台上の均整美が、梅玉の身上である。
かつての菊五郎劇団なら三代目左團次、吉右衛門劇団なら勘弥が、そういう位置にいたわけだが、但し梅玉の喜三郎がこれらの先達に及ばないのは、町奉行と寺社奉行の二枚の半纏を脱いで、印の紋を鳶と角力の双方へ見せる、きっぱりとした手つきやこなしが醸し出す、「いなせ」なるものを眼前に見せてくれるかのごとき役者の味である。