随談第209回 観劇偶談(その99)三越劇場『婦系図』

三越劇場の新派公演がどうやら定着しそうな感じになってきた。なにはともあれ、そのことを喜びたい。パンフレットの表紙裏には、来年一月の「新派120年記念公演」の広告が載っている。たとえ年に何回かであれ、定打ちの場が出来ることの意味は計り知れない。

おととしから始まった、風間杜夫を迎えて波乃久里子が取り組む八月の公演が三年目の今年、『婦系図』を出すのは、いわば切り札を出したようなものだろう。つまりこれは、ひとつの賭けである。

風間杜夫としても、一昨年の『風流深川唄』、去年の『鶴八鶴次郎』は、いわば瀬踏みだった。同じ新派古典といっても、これは昭和の作品である。芸の上で、新派が歌舞伎に準ずるような形でひとつの「古典」としての様式を確立する過程で成立したもので、そこには新派の芸のエッセンスが詰まっている、という意味での「古典」である。しかし『婦系図』となると、そうは行かない。『金色夜叉』とか『不如帰』はもう純粋な意味で現役レパートリーからはずれてしまったし、『競艶録』などはさらにそうだとすれば、『婦系図』こそが、現在の新派にとって、現役のレパートリーの中にぎりぎり踏み留まっている古典であり、新派が新派としての存在意義を現在の演劇界に主張し得る、最後の砦ともいえる。

「古典」として確立している演出も、「湯島境内」なら「三千歳」、「めの惣」なら「勧進帳」が一種のよそ事浄瑠璃のように使われているように、一種の「型物」としての半面を持っている。そうでありながら、パンフレットに波乃久里子も先代八重子の教えとして語っているように、様式があって様式にはまらない、リアルな芝居でなければならないところに、新派の芸の機微があるわけだが、そうした意味からも、この中には、現在の新派が辛うじて持ち伝えている新派の一切があるのだと言っていい。

風間杜夫にとっては、今回の『婦系図』は、ともかくも初挑戦としての意義を考えればいいのだと思う。他の配役を見ても、酒井俊蔵の柳田豊にせよ、小芳の紅貴代にせよ、そのほか誰彼なく、全員が初挑戦といっていい。昨今随分といい味を見せるようになっている柳田や紅にして、この初挑戦にはかなりの悪戦苦闘の様子が見て取れる。まして、妙子の瀬戸摩純とか河野菅子の石原舞子らにしてみれば、その役らしく見えるというだけでも、大変なことに違いない。これには、彼ら演技者としての努力や精進だけに帰するわけにはいかない問題がからんでいる。要するに、新派がかつてのように常打ちの劇場を持って、歌舞伎が『勧進帳』や『寺子屋』をやるように、『婦系図』や『滝の白糸』をやれるという状況でなくなってしまってから久しいという事情が、背景にある。

その意味からも、三越劇場の公演こそ、最後の砦であると同時に、新たな反転攻勢のための橋頭堡としなければならない。できれば、この三越をいわゆる新派古典の道場とし、一方、新しい現代作品に取り組む場を獲得したい。歌舞伎だってそうであるように、新派も、その両面が必要なのだ。今年は戦後62年だが、これは明治の45年と大正の15年を足したよりも長い年月である。昭和初年の人が明治維新を振り返るのと、いまわれわれが終戦を振り返るのとが、同じスパンなのだと考えることは。新派という演劇ジャンルにとっても、何かを暗示していないだろうか。

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