随談第212回 観劇偶談(その102) 今月の一押し 勘太郎と猿弥、それに新蔵

今月は何といっても、歌舞伎座第三部の『裏表先代萩』で政岡・仁木・小助の三役をたっぷり演じる勘三郎と、倉橋弥十郎と細川勝元という世話と時代の捌き役二役をあざやかに演じ分ける三津五郎と、この二人五役が見ものであるのは言うに及ばない。

まず政岡は、充分に糸に乗って見せるクドキが凄い。乗りすぎという評もあり得るかもしれない。たしかに、そのために母親としての母性がかえって薄くなる幣もないとはいえない。しかし加役の女形にかえって女形芸の古格が残っているという観点からすると、これほどおもしろい政岡に、21世紀のいま出会えるとは、奇蹟のようなものだ。

女形が本位の人は、どうしても、時代時代の求める女形像に敏感にならざるを得ず、それは意識・無意識を問わず、その時代時代の現実の女性像の影を引いている。よく昔の女形に比べ、女性化あるいは女優化が進んでいるということが言われるが、それはある意味では自然なことであって、加役の女形にかえって古典的な女形の芸の感覚が色濃く残ることになる。勘三郎は、時代の先端を行く行動ばかりがとかくニュースになるが、同時に、いま最も古風な芸味を残している役者でもあることを見落としてはいけない。それは、この政岡などにもっとも色濃く現われるのだ。

仁木も面白い。予期以上に大きさもあるのは、知盛などをつとめるうちに身についたものだろうが、何より見ものは「床下」の引込みである。あれは術を使って宙を往くのだといわれながら、普通、柄で見せる大立者の仁木であるほど、国崩しの風格や貫禄で押し切って、技巧を見せようとしない。それならばと本当に宙乗りでやって見せたのが猿之助だが、勘三郎は、歩く芸としてそれをやって見せるのだ。小助がいいのははじめから想像がつくが、年配が近くなったせいもあって、ちょいとした表情やアクの付け方など、先代が生き返ったみたいな瞬間がいくつもあった。この芝居がこれほど面白いことを、じつは私はこんど知ったようなものだ。それはまた、ひとりで主要な三役を奮迅の勢いで兼ねたことから生まれる活気であり、リズムの所産でもある。亡父は仁木と小助に八汐と頼兼の四役だったが、政岡で三役の方がドラマの焦点が明確になり、坐りがいい。

三津五郎の、同じような場面、同じような役で、世話と時代を仕分ける鮮やかさも、他の追随を許さない見事なものだ。名調子ももちろんだが、それだけなら他にもいないではない。三津五郎の三津五郎たる真骨頂は、場面場面の寸法と骨法を的確に把握し、ドンピシャの間合いでそれを決めてみせる感覚のよさである。

というわけで、三津・勘ご両人を一押しにと思ったのだが、待てしばし、なるべくなら若手や影にいる人を、と考え直して、別な候補を思いついた。『磯異人館』で主役岡野精之介役の勘太郎と、五代才助役の猿弥である。勘太郎は、ナイーヴな清潔感と、気が回りながらある種の不器用な生き方をする主人公への共感と、ふたつながらで二十年前の父にまさる好演だった。また猿弥は、後の五代友厚という大人物たる風貌を見せながら、類型的な脚本の中から、篤実で頼み甲斐ある人物像を精彩あるものとして舞台に躍動させていた。前回書いた新蔵の弁慶も併せ、今月はこの三人ということにしよう。

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