随談第217回 観劇偶談(その105) 劇団若獅子『澤田正二郎物語』

新国劇の解散後、有志がつどって結成、年二回の公演を苦闘しながら続けている劇団若獅子が、結成二十周年記念として春のPART1『国定忠治』につづいて秋のPART2『澤田正二郎物語』をやっている。といっても、東京では16日から21日まで6日間、9公演、あとは4地方で合わせて5日間、6公演だけだから、見ることが出来た人は幸いなるかな、と言いたくなるほど限られた条件の中での活動である。

なかなかの好企画であり、田中林輔の作・演出もあまり奇を衒わず、しかし凡庸でもなく、3時間足らずで澤田正二郎の半生をよく伝えている。森光子の『放浪記』などと同じ人物伝の形式で、同時に芸道物のおもしろさも併せもっている。北条秀司の名作『女優』と似たところもある。発端の芸術座脱退の場面は、事実、事件として重なり合う。「あれ」は松井須磨子側から、「これ」は澤田正二郎側から、同一事件を扱っている。(それにつけても、当代水谷八重子は、ぜひとももう一度、『女優』を演じるべきだ。このままでは、若い世代の観客にとって、あの名作は永遠に幻の名作になってしまう。)

特別参加の朝丘雪路が久松喜世子になって、自身の受賞のあいさつのスピーチとして澤田正二郎の思い出を語るのが、全体の枠になっている。これもゲスト出演の大出俊が島村抱月(と新国劇を内から支えた俵藤丈夫の二役)でいい味をみせる。(この人はなにをやっても同じようだが、しかしこういう時代の知識人の味を出せるのは貴重だ。)第一幕の最後と第二幕の冒頭で『大菩薩峠』の狂気に陥った机龍之介が簾を切る場面と『白野弁十郎』の大詰を実際にやってみせるのも、澤田正二郎を偲ばせるのと観客サービスとを兼ね合わせた趣向として悪くない。どちらももちろん、澤正役の笠原晃がやるのだが、もっとも『白野弁十郎』の方は、澤正より島田正吾の方に似ているのはご愛嬌というものだろう。)

その笠原章あっての若獅子なわけだが、いままでみた「新国劇古典」の時代物の時よりも、今度の澤正役の方がはるかにいい。知性と男気を併せ持った、いかにもその人の面影を伝えているように、実際の澤正を知らないわれわれに思わせる。大正六年の芸術座脱退から昭和四年のその死までという、その時代の人物らしい雰囲気を持っているのがいい。正直、今回でこの人を大いに見直した。

もうひとり、新国劇全盛時代の名脇役だった清水彰が、九十二歳という高齢を感じさせない見事さで、白井松次郎役で登場するのも、それだけで感動的だ。こういう実在の有名人物がつぎつぎと登場するのもこの種の劇のおもしろさだが、関東大震災直後に羅災市民慰安のための野外劇『勧進帳』上演をめぐる場面で、九代目團十郎未亡人と市川三升夫人が登場するとは思わなかった。たぶんこの人たちの姿を、たとえ劇中の人物としてでも目の当たりにしたことは、なんとなく得をしたような気分になる。(それにしても澤正は、本当に『勧進帳』をこのときやったのだから、考えてみれば驚く。どんな感じだったのだろう?)

先月明治座でやった与謝野鉄幹・晶子夫婦を扱った芝居とも一面で共通するが、こういう真っ当な、新奇を衒わない芝居というものが、いま、もっと見直されていい。

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