随談第220回 日記抄・竹本駒之助と古田敦也

もう二週間以上もブログを更改していない。落ち着いてパソコンのキーを叩く時間もろくにない有様だったからだが、そうした中で、しばし心をなぐさめることが二つあった。ひとつは年一回、毎年今ごろに開く竹本駒之助の会であり、もうひとつは神宮球場でヤクルト・スワローズの古田の引退試合を見る機会にめぐまれたことである。女流義太夫とプロ野球を抱き合わせにするのも妙なようだが、妙な取り合わせを愉しむのもまた「妙」なるかなともいえる。(取り合わせというなら、いまこれを書きながらかけているCDはハイドンの77番のシンフォニイであって、その前には美空ひばりの昭和30年ごろの歌を集めたテープをかけていた。)

駒之助の方は、今回の演目は『艶姿女舞衣』つまり「酒屋」だったが、的確な人物の語り分けがこの人の義太夫の真骨頂であり、フレーズの切り方、フレーズからフレーズへの言葉の渡し方、つなぎ方の明晰さが生み出す快感が、私が駒之助を好む理由で、こんどもまた、期待は裏切られなかった。八月に桂歌丸の『乳房榎』を聴いたときにも書いたが、煎じつめればこれは、日本人が日本語をもっとも美しく魅惑的に語るのを聴く愉しみであり、ごく少数の、限られた人たちの「芸」の中にその快楽を愉しむことができる。

(わたしにとって駒之助を聴くもうひとつの楽しみは、鶴澤津賀寿の三味線を聴くことだが、彼女のことは六月にこの随談の196回目に書いた。こちらは、ほとんど聞くたびに、といっていいほど成長していくのを確認する楽しみでもある。)

さて、駒之助と古田などというタイトルをつけたが、別にふたりを取り合わせてむりやりこじつけ論を物そうというのではない。しいてこじつければ、その芸の歯切れのよさという一点に私の好む何かが共通しているかも知れない。(私は野球だって芸だと思っている。選手の誰彼をいいと思うのは、その「芸風」をいいと思うからなのだ。)

私は格別な古田贔屓というわけではないが、引退試合を見に行こうと思い立つ程度の親しみは感じている。おととしの春にこのブログを始めて間もないころにも、たしか新庄と抱き合わせにして古田のことを書いたことがあるが、当時は例の昼はスーツ姿で球界側と交渉に当り、夜はユニフォーム姿でプレイをするというのが話題になったころだった。私は必ずしも、あのとき古田が主張したことにそのまま賛同しようとは思わなかったが、あのときの行動の「切れ放れ」のよさに「軽み」のあるところが気に入ったのだった。しかし今度の引退は、監督専任を求める球団の提示した条件を呑まなかったが故なのだから、そこらのこだわりは当人にとってはやむをえないところなのだろう。(客観的に見れば、選手兼任はあきらめるべきだったとしても。)

私は真夏にナイターを見るのが好きなので、今年もヤクルト-横浜戦を見に行ったが、たまたまその試合にも古田が代打で登場した。こんどの引退試合でも、終わりごろになって、石井や高津が投げたり、広島側でも佐々岡が投げたり前田が代打に出たり、一時代前ならオールスターみたいな「顔見世」があって、一期の思い出に目の保養をさせてもらったが、ニュースになった引退セレモニイなどより、じつはその両軍の「心ゆかせ」の方が私にとってはじんと来るものがあった。

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