随談第222回 観劇偶談(その107) 今月の一押し 芝雀の二役と吉弥のお国

今月は国立劇場の『俊寛』で千鳥、『鶯塚』で腰元幾代を演じた芝雀を、次点として『牡丹燈篭』でお国を演じた上村吉弥を挙げる。もちろん、舞台成果として勘三郎の『俊寛』、三津五郎の『奴道成寺』の二つは今月の白眉だが、それはまた別の機会に書こう。

芝雀はとりわけ、『鶯塚』の幾代という積極的で明るい役で成功を収めたことを彼のための喜びたい。自分の仕えるおぼこでイノセントな姫君のために、とりわけその恋のために、取次ぎをしたり、積極的に煽ってみたり、後押しをしてみたりという腰元の役は、『新薄雪物語』の花見の場の籬(まがき)などと同系の役で、なんとなく西洋のオペレッタに出てくるお節介焼きの気のいい女中などと共通するような楽しさがある。『廿四孝』の濡衣だって、もっと複雑な事情を抱え込んだ人物とはいえ、お姫様の恋の取持ちをする訳知りの腰元という基本的な役柄としては、幾代や籬と歌舞伎国の中の同町内、ではないまでも同市内の住民だろう。

芝雀はこれまで、力はありながら堅く身を鎧っているような感じがあって、何かくすんだイメージになってしまう、損なところがあった。父親の雀右衛門も、いまでこそ当代の立女形として誰しもが認める大きな存在だが、ひところは芸がこずんで実力はありながら評価がいまひとつ高くならないという時期があった。もっと前の映画時代のことまでいまさら言う必要はないが、波乱万丈、曲折の多い役者人生はそのまま、評価の高下と比例している。劇評家をも含めた世評というものの当てにならない一面を反映するかのようでもある。

芝雀はその雀右衛門の、忌憚なくいえば陰の側面ばかりを受け継いでいるようにも、これまで見えていた。実力と評価が正当に比例していなかった。試みにここ一年に芝雀の演じた役のあれこれを思い起こしてみるといい。先月の秀山祭では藤の方と清正妻葉末である。夏には巡業で吉右衛門の大星にお輕である。その前は『春雨傘』の葛城と『御浜御殿』のお喜世、その前は・・・切りがないからこのくらいにするが、長打はなくとも打率の高さは相当なものであることがわかるだろう。

その、堅く鎧っていた己が身を、少しだが解き放つかのような様子が見える。それが今月の、とりわけ『鶯塚』の幾代だった。染五郎の熱意と努力があったにしても、芝雀のあの活躍がなかったなら、どんなに寂しかったことだろう。

いつだったか、雀右衛門と二人で『二人道成寺』を踊った時。ふたり並ぶとやはり現代の人である芝雀の方が大分背が高いのだが、じつは私にとってはそれは、ちょっとした驚きであり発見でもあった。芝雀は雀右衛門より小柄だとばかり思っていたからだ。つまりそれが、芸というものの力であり魔力であり、同時にそれがもたらす錯覚である。

上村吉弥のお国もよかった。『牡丹灯篭』という、元々新劇用に作られたという曰くのある新脚本のなかで、お国という女の多面的な在りようがさまざまに乱反射して、そのどれにも、一種独特の魅力を発散していた。民話劇『赤い陣羽織』でも代官の奥方で存在感を示したし、傑作『天守物語』の老女といい、新作・新歌舞伎で活躍する才能なのか?

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