随談第228回 観劇偶談(その109) 朗読新派&文楽

たぶん話題にする人もあまりいないだろうと思われる二つのことを書く。どちらも、今月のささやかな発見である。

水谷八重子がプレゼンターになっての「朗読新派」の公演というのを見てきた。八重子が毎年12月に『大つごもり』を朗読会を開いているのは知っていたが、掛け違って今まで見られずにいた。今年で五年目だという。場所はなんと麻布区民センターという、つまり地域住民のための区営の施設。六本木の駅から歩いて五、六分という足弁のよさとはいえ、二日間の公演で客席は両脇・後方に空席がある。それもどうやら、関係者やその家族に方らしい人が、かなりの部分を占めているようだ。PRがまだ行き渡らないのか、それとも、関心のある者かくまでいないのか? しかし少なくとも今回の公演を見る限り、内容はなかなか充実している。新派の本公演が少なくなっているいま、その渇を癒すものとさえ、言ってもいい。

やり方は試行錯誤を積み上げているらしいから、はじめから今回と同じではなかったらしい。今回のは、舞台に世話屋台を簡略化・抽象化した装置を作り、木戸、井戸、二重など、最低限度必要な道具が飾られている。この上で、久保田万太郎脚色の、つまり新派古典としておなじみの脚本で、芝居と朗読で構成した舞台が展開する。配役はみねが瀬戸摩純、石之助がなんと安井昌二の特別出演、それに柳田豊だの田口守だの矢野淳子だの、現在の新派の第一線のわき役たちが出ている。つまり真っ当も真っ当の新派なのだ。それへ、舞台の袖上手で、八重子が一葉の原文を、舞台下手に女子アナウンサーの内田まどかが島田雅彦の現代語訳を朗読する。この構成も、悪くない。

瀬戸摩純は、もっている風情といい芸質といい、新派のオーソドックスな女優芸を受け継ぐ候補として以前から注目していたが、その期待を裏切らないだけのものを見せていた。この公演の主役として懸命につとめているのが、そのまま役に通じているのも一得である。

それにしても、新派の脇役たちのもっている芸といい、自ずから醸し出す風情といい、これだけの人たちの集団というものが、いまの演劇界にいかに貴重か、認識している者がどのぐらいいるのだろう? 今月の新橋演舞場の『冬のひまわり』でも、松竹新喜劇と新派の面々が脇を固めているが、おそらくいま、プロフェッショナルとして最も確かな腕を持っているのは、この人たちではないだろうか?

文楽は師走公演で例によって偉い人たちはお休みだが、そのなかで『野崎村』の切を語った竹本文字久大夫が、オヤという出来だった。要するに浄瑠璃は、人物が的確に語り分けられ、情景が間合いよく語られれば、聞く方は気持ちよく聴くことが出来る。『野崎村』のような浄瑠璃だと、それが端的にわかる。

文字久大夫という人は、私は不明にしてこれまであまり明確な印象を持ったことがなかった。顔すら、いつも見ていながら、はっきりとは認識していなかった。だが今回語った浄瑠璃は今月中でのよき物だった。拾い物、といってはむしろ失礼だろうが、私にとっては、予期せぬ収穫であった。

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