池袋の新文芸座で映画監督佐々木康生誕百年祭と銘打った映画会が行なわれ、七日間14作品が上映されるというので、仕事の合間を縫って三日通って半世紀ぶりに対面する3作品とデートを果たしてきた。今度対象となったのは、東映に移った昭和三十年以降のいわゆる東映時代劇ばかりだが、この人はその前に松竹で現代劇を多数撮っていたという万能選手だった。戦後の大ヒット歌謡曲の第一号となった並木路子の歌う「リンゴの歌」を主題歌とする『そよ風』もこの人の作品であって、これは大分前に見たことがあるが、つぎには松竹時代の現代劇の特集も見てみたいものだ。
東映では松田定次に次ぐ存在だったように記憶しているが、『曽我兄弟・富士の夜襲』は1956年の作で、これはこの年の秋の大作だったのではなかったかしらん。錦之助と千代之介がデビュー三年目で、ふたりが拮抗していた時代の代表作といってもいい。何しろ五郎と十郎の仁にこんなにぴったりのコンビというものはそうあるものではない。この前後から錦之助が長足に成長して、やがて千代之介は置いてきぼりを食う形になる。東映時代劇としてもこのころからしばらくが、職人集団としての勢いと程のよい娯楽性とが最もよく調和していたのではなかったか。千恵蔵が頼朝役で特別出演しているが、たしかに、いま見てもこのころの千恵蔵というものは、この人としても最も充実した時期だったろう。つまりこの頃の東映は、黄金時代前期として、まだ爛熟退廃の影が少しもないのだ。
兄弟の母の満江が花柳小菊で、これも立派なものだが、母子を迎え入れる曽我祐信に三代目時蔵が出ていて、さすがに映画の脇役俳優とはひと味違う味わいを見せている。工藤の月形龍之介もまさにその人そのものの如き精悍さだし、大友柳太朗や大川橋蔵が畠山重忠・梶原景時といった儲け役で出演しているのはオールスター体制を取っているからだが、後の「忠臣蔵」もののような、いかにも要領よくスターを配合するマナリズムに陥っていないのが、このころの東映の健全さで、敷皮問答だの、御所ノ五郎丸の五郎召取りだの、兄弟の郎党団三郎や鬼王(つまり『対面』に登場する彼である)だの、歌舞伎でもいまは見られなくなってしまった、かつての「曽我狂言」を構成していたさまざまなモチーフが巧みに盛り込まれているという、なかなか隅には置けない脚本なのである。(なおこの御所ノ五郎丸が伏見扇太郎で、又五郎の門から出たこの人のことは前に『風雲黒潮丸』でも書いたが、五郎丸がこの人の傑作であることを、今度見直して再確認した。活歴や実録物の骨法を、この世代の歌舞伎出身者は心得ていたのかも知れない。)
見に行った日は東京に久々に雪の降った日曜日で、こんな日に出かけるのは物好きばかりかと思ったら、ひと足遅かったら立ち見になりかねない大入りだったのは、上映後のト-クショウに高千穂ひづるが出演するためでもあったのだろう。お陰で最前列のかぶりつきで、77歳になったかつての大磯の虎に対面するというオマケがついた。虎が高千穂ひづる、化粧坂の少将が三笠博子。彼女のことも前に書いたが、早くに結婚してやめてしまったが、当時の日本映画の女優には少ない、鎌倉風俗をしても負けない柄のあるいい女優であったことを、改めて惜しみ、懐かしんだ。