随談第245回 今月の一押し・玉三郎の「判官御手」

今回の一押しはいつもとちょっと趣を違えて、玉三郎の『勧進帳』の義経の、それも「判官御手」のくだりを挙げる。大体、今月の歌舞伎座は、仁左衛門の弁慶もいいし、勘三郎の『刺青奇遇』もいいし、『将軍江戸を去る』の三津五郎もいいし、玉三郎の『熊野』だってこのところ続けてきた「能楽回帰物」の中では出色だし、どれを一押し候補にしたっておかしくない。

勘三郎の半太郎は、父十七代目の、いいんだけれど涙過剰の行き方と少し趣を変え、もっと雄々しい男に作っている。去年やった『俊寛』にしても『筆売幸兵衛』にしても、みな同じ行き方だ。泣くには父の方がいいが、ちょっと醒めて見ると、ややあざとい気がしないでもない。見終わっての後口は、子の当代の方がすっきりしている。トータルして父よりいいと、言ってしまってもいい。

加えて、玉三郎のお仲の巧さは改めて言うまでもないようなものだし、ウムと唸らせたのは仁左衛門の鮫の政五郎だ。この前の『お祭佐七』の鳶頭の勘右衛門でもそうだったが、ちょいと出て、じつに説得力がある。あの鳶頭の意見事がなかったなら、いかに菊五郎が江戸っ子ぶりをみせたとしても、佐七の軽率短慮は如何ともすべくもなかったろう。この政五郎にしても、この男の説得力がなかったならば、半太郎の思いは素直に観客に伝わらなかったかもしれない。一途ということは、一方的で説明抜きということでもあるからだ。長谷川伸の作には、いつもそういう難しさがつきまとう。

『勧進帳』は仁左衛門久々の弁慶がまずおもしろい。いわゆる「型」としては、花道で義経の「いかに弁慶」という呼びかけに「はーっ」と答えて坐るのや、詰寄りで金剛杖を左手は順手に握っていわゆる和戦両様の形をとることや、富樫がいったん上手の切戸にはいるのを見送ったあと、手にした金剛杖をトンと下ろすだけでなく、がっくりと膝をつかぬばかりに折って、そのままの姿勢でいざるように下手へ回るとか、一家言あるやり方が目につく。これらに通底しているのは、義経を守り抜く強い意思の表明である。

仁左衛門の『勧進帳』というのは、父十三代目の自伝にあるように、十三代目が若き日に七代目幸四郎から手ずから教わったもので、同じ七代目から伝わったのでも、白鸚幸四郎や松緑らから当代などに伝わったものと異同があるのが注目される。花道で坐るのは、現三津五郎もやったし故羽左衛門もやったが、金剛杖の片手を順手に持つのは、二代目段四郎が伝えていたやり方ということになっている。しかしこうしてみると、七代目幸四郎も十三代目にこのやり方を教えたのかという推測も成り立つことになる。

ところで、玉三郎の義経である。セリフなど、強い調子で言おうとするためか、かえって一種の粘りのような、癖のある口跡が気になったり、ということはたしかにあるが、「判官御手」のくだりの美しさは、そうした疵を埋め返して余りある。余人にはない、玉三郎独自の美しさである。その後、中啓を左から右に持ち替えて左手をしおれて泣く、その流れるような動きと、それに要する、時間にすればほんの数秒の間の陶酔感は比類がない。敢えて、この短い時間に凝縮された「判官御手」を、今月の一押しとしよう。

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