随談第249回 観劇偶談(その115) 今月の一押し候補たち

近頃、山崎権一が面白い。今月の役は歌舞伎座團菊祭の『幡随長兵衛』の序幕村山座の劇中劇に出てくる緋の衣を着た慢容上人だが、これがなかなか秀逸である。とぼけていて、適度に立派で適度にやすっぽく、覚束ないようでいながら、意外に丁寧にやっている。

そもそもこの権一というひと、先代権十郎のたったひとりの弟子で、とぼけた風貌といい、落語の『鼻欲しい』さながらに鼻に抜けたようなセリフといい、まさしく記憶に残る役者であることは間違いない。この人がいなくなったらどんなにか寂しくなるだろう。安いようでいながら品も悪くない、『七段目』の九太夫にはやや物足らず、十一段目討入りの場の師直ならぴったり、でしゃばらず、さりとて霞んでしまいもせず、それどころかユニークな個性でセリフをひと言いうだけで、ああ、やってるなと、誰しも微笑したくなる、というあたりが、いかにも山崎屋権十郎の弟子らしい。

『千本桜』渡海屋・大物浦の海老蔵もチャーミングである。丸本物になると、音程が下がらず上ずるようなセリフの癖が耳にも鼻にもつく海老蔵だが、不十分ながらに、上ずる感じがなくなったのには、オヤと耳を奪われた。「渡海屋」の銀平が、ともかくもそれらしい人物になっていたのはその賜物である。「大物浦」の知盛になって海老蔵ならではの魅力が全開するが、義太夫狂言『千本桜』というより、『鳴神』の荒れでも見ているようだ。すなわち「海老蔵十八番・大物浦」の荒事である。しかし知盛を生けるがごとく見るかのようであるという一点に限れば、誰の知盛よりも知盛らしい。そこが「異能役者」海老蔵たるところである。(別の意味でだが、その人らしいというなら、『幡随長兵衛』で彦三郎の近藤登之助が随一だろう。これは番外だが、友右衛門が義経をやっていて、無駄に齢を取っていないところをみせる。それにしても、友右衛門がひとつの役でこんなに長い時間、舞台にいたことってあったかしらん。)

演舞場の『毛谷村』の亀治郎のお園も面白い。お園の女武道としての性根をびっくりするほど強調してみせる。錚々たる女形たちのお園をこれまでいろいろ見てきたが、こんなお園は見たことがない。では規格外かといえば、そうでもない。亀治郎の頭脳プレイと、それを実現して見せる技巧の裏づけが実に雄弁だからだ。何よりいいのは、染五郎と二人合わせていかにも似合いの夫婦であることで、『三社祭』でも、ただ元気に踊りまくるのとは違った風情を醸しだしているのが秀逸である。二人にコンビ結成を勧めたい。半世紀前の染五郎・団子が、いまこうして、代替わりして蘇ったかと思えば、私などには感慨深い。

だが、今月の一押しということになれば、私には別案がある。『毛谷村』での錦之助の京極内匠である。まさに快打一番。その男ぶり役者ぶり。水の垂れるよう、と昔の人の言ったのはこういうことかと頷かれる。ついこないだまでの、ただのっぺりした信二郎とは大違い、これでこそ、「中村錦之助」である。

富士の山は一日にして出来た、というが、思えば昨春の襲名この方、めきめきと力をつけてきていたのは、心ある者なら気づいていたところである。よき潮時に、意義ある襲名であったことを、いまこうして自ら実証して見せた錦之助のために乾杯しよう。

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