随談250回 ひさしぶり相撲随談

琴欧州が突如目覚めた如く優勝して、ようやく朝青龍・白鵬に独占されていた制覇者リストに、割って入る者が現われた。よろこばしいことである。文字通り割って入ったのだから、この優勝には価値がある。あの長身で、四つ相撲が取れるのだから、琴欧州の復活が本物なら、朝・白両横綱にとって、脅威となることは間違いない。

優勝を決めた後のインタビュウもよかった。人柄のよさが、顔にも応答の仕方にもあらわれている。いかにもGENTLEである。気は優しくて力持ち、というなつかしい言葉を思い出させる。思えばこの言葉は、相撲というものが、一般民衆に受け入れられ、親しまれる一番根底のところに触れている。「お相撲さん」という、憧れと敬意と親近感とがブレンドされた呼称にこそ、相撲が何より大切にしなければならないエッセンスが凝縮されている。どんなに隆盛を極めようと、「おサッカーさん」とか「お野球さん」というわけにはいかない。「お相撲さん」の「お」の字にこそ、相撲がもし本当に国技なら、国技たるべき根拠が隠し味のようにひそんでいる。つまり、気は優しくて力持ち、とは、男というもののあるべき姿、あらまほしいあり方の、もっとも素朴にしてもっとも端的な表現であり、それを具現したものが「お相撲さん」なのだ。琴欧州は、気は優しくて力持ちの上に、ハンサムと来ているのだから、男としてこの上はないようなものだ。(私の知人に、映画俳優ならゲイリー・クーパー、歌舞伎なら仁左衛門、相撲なら琴欧州という女性ファンがいる。)

今場所の琴欧州の相撲は、朝青龍との一戦が白眉であり、あの一戦に琴欧州のすべてが凝縮されていた。右上手を浅めに取って引き付け、二、三合揉み合ってから左前褌を取ったところで、事実上の勝敗は決した。負けた朝青龍が支度部屋に帰る途中でモニターテレビを、左前褌を取られたところまで見て、後は見ずに行ってしまったそうだが、むべなるかなという気がする。ああいう相撲をとられたのでは、朝青龍としても手の打ちようがないに違いない。

朝青龍と白鵬を、以前このブログで、実際には見たことのないにもかかわらず、音に聞く戦前の玉錦と双葉山になぞらえたことがある。相撲ぶり・タイプ・人柄、いかにも好対照で、風貌にもそれぞれ一脈、彷彿とさせるものがある。この一月場所のふたりの決戦はいかにもその精華だったが、それに琴欧州が割って入ることが実現したら、三様の三者が鼎立することになる。双葉・玉の時代には、武蔵山とか男女ノ川といった長身の横綱もいたのだが、実際には対抗できるほどの力がなかった。戦後の栃若時代の末期、朝汐がやや拮抗しかけて、この人は不思議にも年に一度、大阪場所になると栃若を抜いて優勝したが、結局、三者鼎立とまでは行かなかった。しかし、栃若とはまったく違うタイプの強豪として、時に面白い存在ではあり得た。(なにしろ、東宝映画『日本誕生』で手力男の命に扮して、原節子の天照大神や乙羽信子のアメノウズメと共演してピタリという体躯・風貌の持主だったのだ。事実、ある時大関の栃光を一撃の下に吹っ飛ばして唖然とさせ、放送したアナウンサーに、『古事記』の英雄を見るようだと言わせたことがある。)琴欧州はまた違うタイプだが、是非、鼎立時代を到来させてもらいたい。

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