随談第261回 オリンピック異聞

オリンピックが始まり、楽しみの半面、いらいらもまた始まった。選手の戦績にではない。アナウンサーや解説者の口吻から覗いて見える内輪ぼめであり、それが見る目を歪めかねないことにである。もちろん日本の選手やチームを応援するのは当然だ。しかし目が内側にばかり向いていると、贔屓がいつのまにか独善、夜郎自大にすりかわる。

例を野球の中継放送に取ろう。いわゆる星野ジャパンの、主として対韓国戦。日本の先発の和田もよかったが、韓国の先発の、まだ大学生だという若い投手もよかった。三回まではパーフェクトに押さえられ、むしろ和田の方が押され気味だった。日本が先取点をとる前に交代したが、あれは、その後もそうであったように、韓国の監督が早目早目に交代させる戦法をとったためで、日本がそれほど打ち込んだわけではない。だがアナウンサーは、ノックアウトと言った。あれはノックアウトだろうか?

日本が新井のツーランで二点を先取した直後、和田が先頭打者に四球を出し、ツーランを打たれて同点にされ、ようやく取った先取点をふいにした顛末については、監督自身が自分の責任だと言明し、多くの論者が批判をしたことだし、そういう話はいまはしない。しかしその後、韓国が小刻みに投手交代を始めると、アナウンサーは、韓国にもいろいろ投手をまかなう台所事情があるようですね、と穿ったことを言い始めた。そうだろうか?

アナ氏はいろいろデータを調べて、私などよりずっと裏事情に通じているのに違いない。だから、そういう事情通らしいことをちょっと言ってみたかったのかもしれない。しかしあの場合、そんなことより、一人一殺みたいに次々と新手を繰り出して日本の反撃を阻もうとする韓国の監督の気迫と機転に、私は感服した。事実、それが成功して、三点ビハインドを追いかける九回裏の日本の反撃を断ち切ったのではないか。一点取り返して、なおノーアウト、というところで、下手投げのスローボール投手を出してきたタイミングのよさで、日本の反撃の切っ先はてきめんに鈍ってしまったのではなかったか。

昔の軍歌の文句みたいになるが、いま目前の、この一戦、ではなかったのか? そういうセリフは、又かというぐらいに方々のテレビに出演して、当の星野監督自身が繰り返し力説していたはずのことではなかったか。そうして、韓国側はその通りに戦いを挑んできたのではなかったのか。

これで次に韓国と対戦するときのデータができました、などと言う声も聞こえていたが、また対戦できるようになれればいいですがね。よく水泳とか冬季大会のスケートのような競技で、解説者が、××選手いいですよ、日本記録を0秒1、上回っています、ソレソコダ、まだだいじょぶです、ア、ア、ア・・・ああ、残念でした、といった風な放送をしばしば耳にする。こんなのは、まだしも一種の愛嬌もあるが、自分たちの都合のいいように内側にばかり目を向けていることに変わりはない。野球の場合、シドニー大会のころに比べれば随分よくなったが、(開発途上のチームとの対戦のとき、この人たちはいずれ、パパは昔あの日本のチームと戦ったんだよと、子供に自慢話をしたりするんでしょうね、なんて得意そうに言っている解説者もいた。さすがにその手の独善は鳴りをひそめたようだが)それでも、わが仏尊しの夜郎自大はまだなくなってはいないような気がして、このままで日本野球は本当に大丈夫だろうかと、シンパイデタマラナイ。

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