隋談第659回 噫! 忠臣蔵

11月の国立劇場の歌舞伎公演は、国立劇場察するに余りある苦心の企画「歌舞伎&落語・コラボ忠臣蔵」というので、春風亭小朝の『殿中でござる』と『中村仲蔵』のあと芝翫が『五段目・六段目』の勘平をやったが、(これだと実は、小朝と競演したのは歌六の定九郎ということになるわけだが・・・)、いわば「小朝流忠臣蔵論」ともいうべき『殿中でござる』は菊池寛の短編を小朝流に?み砕いたものらしいが、釈台を置いての、つまり「講釈」である。討入がテロと見做されるようになった今日、『忠臣蔵』を演じる機会は少なくなるだろうというあたりが、菊池寛×小朝÷2、というところか。大佛次郎が『赤穂浪士』を書いたのが昭和初年、池宮彰一郎が『四十七人の刺客』を書いたのが平成初年、大河ドラマで忠臣蔵を出した最後が西暦2000年、即ち20世紀最後の年(大河版忠臣蔵としてこれが何作目だったろう? すなわちそれまでは、「忠臣蔵物」は戦国物、幕末維新物と並んで大河ドラマの常連メニューだったのだ。)つまり、昭和から平成、さらに20世紀末までの4分の3世紀の間に「義士」が「浪士」となり、遂には「刺客」となったわけである。今日、日常的レベルで「赤穂義士」という言葉はほぼ絶滅、すなわち「死語」と化し、「赤穂浪士」という言い方が、大佛次郎がかつてそこに籠めた暗喩は雲散霧消、何の批判も感傷もないフラットな用語として、何気に(!)使われるようになったのが昭和末期以降、さらにそれを「刺客」と呼ぶに至ったのが平成初年、すなわち20世紀末ということになる。(因みに、10月歌舞伎座で松緑が講釈種の新作として演じた『荒川十太夫』は、堀部安兵衛を「義士」として見る上に成り立っているわけだが、『劇評』第8号の狂言作者竹柴潤一氏の言によると、言い出しっぺにして主演者である松緑から「『元禄忠臣蔵』が通しがあったとして『大石最後の一日』の後につけて上演してもおかしくないようにしたい」と注文があったという。フーム。「義士」と「浪士」さらには「刺客」との間に、こういう間隙があったということか。... 続きを読む

随談第657回 木槿から金木犀へ

もう忘れている人、そもそも知らなかったという人の方が、今となっては大多数だろうが、昭和の昔のいっとき、吉右衛門と仁左衛門をライバル視するあまり両者のファンの間にかなり過熱した関係が生まれたひと頃があった。ご当人同士はどうであったかは知らないが二人とも丸本物を得意としたためもあって、当たり役が競合したことが、熊谷なら、盛綱なら、実盛なら、孝夫の方がいい、いや吉右衛門の方が、ということになったわけだろう。それから久しい時が経ち、仁・柄・芸風、それぞれの良さを認め合えば自ずから、時とともにめでたく棲み分けも出来、評価も安定したわけだが、一時は、双方のファンの間で一触即発のような空気さえあったものだった。まあそれだけ、熱烈な支持者がそれぞれにあったればこそで、歌舞伎がそれほど活気に包まれていたればこそであったとも言えるが、今はむかしの物語、秀山祭の一周忌に『七段目』の大星をつとめる仁左衛門を見ながらゆくりなくも思い出した。... 続きを読む

随談第656回 よしなしごとばかり

毎年8月は自主公演やら勉強会やらが並んで、これがちょっとしたおたのしみになっているが、思い出すのは、世紀の変わり目頃だったか各種の自主公演が目白押しだったのが、何年か続いたひと頃があった。京蔵が『吉野川』の定高をしたり丸本物の大物に挑むなど意欲作も多かったが、そうなると毎回のように葵太夫が引っ張り出される。この種の会は土曜日に行われることが多かったので、ある年の8月など、毎週土曜日になると葵太夫の顔を見ていたという夏もあった。その葵太夫も今や人間国宝、役者の方も今やベテランと呼ばれる年配になっている。20年余はひと昔、である。評は『劇評』第6号に載せる予定なので、そちらをご覧いただきたい。... 続きを読む

お詫び 水野久美さんについてのこと

今月2日付の随談第655回に、水野久美さんについて訃報を聞いたという趣旨の一文を載せましたが、お読みになった方からの指摘を受け、調べたところ、私の思い違いであったと認めざるを得ないようです。水野さんには大変失礼なことを致しました。また、お読み下さった方々にも申し訳ないことでありました。ここに訂正・抹消の上、お詫び申し上げます。... 続きを読む

随談第654回 ON THE SHADOWY SIDE OF THE STREET

街を歩いていて「片陰」という言葉を思い浮かべる季節となった。日が高くなって、道の片側にしか日陰が出来ない。陽ざしを避けてその日陰を拾って歩くようになると、もう夏だなと思う。反対に、陰になっている側を避けて日当たりのいいところを選って歩くようになると、そろそろ冬だなと思う。もっとも「片陰」は季語としては夏という約束だが、それよりも、いまどきそんな歩き方をしていると鋭い警笛に非難叱責されるかもしれないから(「叱声」に対する「叱笛」(しってき?)という言葉が出来て然るべきか)、片陰、などという言葉は日常語としては絶滅危惧語になりかねない。先ごろの朝ドラの『カムカムエヴリバディ』で(あれはなかなかよかった。朝ドラ近来の佳作だった)、ルイ・アームストロングのON THE SUNNY SIDE OF THE STREETがテーマになっていたが、あれは日本の冬の時代が舞台だったからという隠し味だったのだろうか。... 続きを読む

随談第653回 あれこれ

マスクをしなくてもよい場合、というのを政府が決めたというニュースがあったが、それなりの反響に留まっている感じだ。例によってテレビのワイドショーの識者が、同調圧力だの、個人の自主性だのと言った声を発している。これまたいかにも日本的な「景色」であろう。マスクは第二のワクチンである、と力説していたお医者さんもいたはずだが、歯痛から緑内障まで、私はいま現在罹っている医療に関することは一切、専門医の言うことをそのまま信用することにしている。... 続きを読む

随談第652回 富士尽くし

濃厚接触者なるものになって、幸い陰性で済んだものの、月初めの7日間は外出自粛となり前売りで買っておいたチケットはフイになった。お払い戻しは致しませんという約束だから、丸損である。改めて中日過ぎの切符を買って無事見物はしたが、何だか不戦敗のような気がしないでもない。黙阿弥の芝居などで耳にする、三百落としたような心持ちとはここらのことを言ったものか。劇評は、先月から始まった木挽堂書店発行の『劇評』第二号に書いたのでそちらをご覧いただきたい。... 続きを読む

随談第651回 雑誌『劇評』三代記

コロナの騒ぎが最早「騒ぎ」ではなく「常態」と心得るべきこととなった感のある一方、露国のウクライナ侵攻という一件は、なんとなく終末論的な要素すら孕んでいるやに覚える。そんなのに比べれば小せえ小せえと思うべきなのかもしれないが、話をわが歌舞伎に関わることどもに限っても、いろいろ波乱含みの事態が続いている。が、そんな中にも「いい話」もちゃんとある。... 続きを読む