随談613回 1+1=1.3

判じ物みたいなタイトルで恐縮だが、前回はあれっぱかりでお茶を濁して勘弁していただいたので、今度は早めにと思いながら、そういう時に限って次々とやらなければならない仕事が目の前に現れる、という日が続いて気がつけば早や霜月下旬、勝頼が八重垣姫に口説かれた頃である。(因みに、我が家の夕顔はさすがに霜月も下旬になってからは咲かなくなった)、というわけで今回も、先月分と今月分と合わせて1+1=2とするつもりだったが、1+1=1.5か1.3ぐらいのところでご了解願うことにしたい。... 続きを読む

随談第609回 熱暑のさなかに

おあつうございます、と打って転換したら「お暑う」でなく「お熱う」と出た。生意気なパソコンである。ひと頃までは、日本歴代の最高気温といえば、昭和一桁時代に山形で記録した40度ナニガシというのであった筈だが、この数日、そんなものは問題にもならないような数字が日本中から連日出てくる。私の住む練馬区は、しばらく前から、新聞・テレビの気象予報で「東京都心」と別に扱われるようになった。東京23区から除外されたような気分だが、つまり、地図を見ればわかるように、練馬区は東京湾から西北方面へ(つまり、都の西北である)23区中最も遠い内陸にあり、地図上に物差しを当てれば延長線上に、数年前に岐阜県多治見市に奪われた気温日本一をこのほど奪回した埼玉県熊谷市がある。つまり、都区内随一の高温を誇るわが練馬区は、高温日本一の熊谷のミニチュア版というわけだ。... 続きを読む

随談第608回 菊吉の目の玉

今月の歌舞伎座では、菊五郎が『野晒悟助』を出したのが秀逸である。凡庸なホームランより、技ありのシングルヒットの方がプロフェッショナルの仕事として評価されて然るべきと私は考えるが、これはまさにそういう代物である。菊五郎としては20年ぶりとのことだが、じつはこれは、僚友だった故・辰之助が健在でいたならば、菊五郎のところへお鉢が回ってくることもなかったであろう演目である。菊五郎としては、だから(菊之助にもだが、たぶん菊之助以上に)松緑に、よく見ておけよと、骨法伝授する心づもりで20年の埃を払って出したものと、これは私の勝手な推測(いや忖度か?)である。... 続きを読む

随談第607回 麗しの五月に

今回も余儀ない事情で月末になってしまった。芝居はとうに終わっている。間が抜けてしまったようだが、ま、お許しいただきたい。「麗しの五月に」というタイトルを取ってつけたように付けたのは、むかしむかし、大学に入って初めてのドイツ語の授業の時、ABCを教わる先に、先生が黒板にハイネの「麗しの五月に」という詩を書いたのを、何とはなしに思い出したからに過ぎない。あの先生、ゲルマニストとしてはあんまり名を成すこともなかったらしいが、ほとんど思い出すこともない教師たちの中で、ふと思い出すこともあるのは、こんな逸事のせいかもしれない。... 続きを読む

随談第606回 卯月見物記

四月の歌舞伎座は、昼を菊五郎、夜を仁左衛門が取り仕切って奮闘しているにもかかわらず、正月来の襲名見物疲れか久々の孝玉共演見物疲れか、はたまた財布の紐を引き締めたのか、客席が大分ゆるやかに見えたともっぱらの噂、狂言がややなじみが薄いというキライもあったかしらん。... 続きを読む

随談605回 如月弥生の噂たち

ようやくオリンピックの喧騒が収まって、とにもかくにもほっとする。オリンピックが嫌いなわけではない。テレビを通じて培養・増幅される騒々しさに疲れるのだ。取り分け、NHKと民放とを問わず女性のアナやレポーターの、一生懸命盛り上げましょうと奮励努力する嬌声のワンパターンぶりが、彼女たちの健気さが思い遣られるにつけ、痛々しさに耳を覆いたくなる。彼女たちの真面目(なればこそああなるのだろうから)な努力を悪く言うわけにはいかないだけに、こちらはますますたじろぐことになる。... 続きを読む

随談第604回 東京の雪

20センチも積もる「大雪」が降ると大騒ぎになるのは東京という町の常だが、子供のころまで振り返ると、東京の基準でいう「大雪」というのは、四、五年を周期にあったような気がする。学校に行っても(たぶん先生たちが揃わなかったのだろう)授業がなかなか始まらない。達磨ストーブ(というのが当時の暖房の代表だった)を囲んで、普段あまり喋ったりする機会のない他クラスの友だちとも話に花が咲くのはみんな気持ちが高ぶっているからで、結局授業もろくにないままに終わって儲かったり、大雪とか台風襲来というのは、日常の歯車を束の間チャラにしてくれるという意味で、ちょいと悪くないものだった。小学生の時に高円寺の駅をラッセル車が通るのを見た、なんてのは、今なお、いい思い出となっている。... 続きを読む