随談第582回 今月の舞台から

秀山祭の歌舞伎座は、吉右衛門王国の弥栄を祝うがごとくいまや爛熟の境。大蔵卿で正面を切ったまま階段を何度か上り下りする折など、実は内心ひやひやする。高齢者の仲間入りした肉体は否応なく盛時の勢いを奪われつつあることは否みようがないが、舞台の上に立ち現れる人間像はいよいよ鮮明に、作り阿呆に韜晦する、その奥の心境を眼前させる。こういう大蔵卿は見たことがないと言ってもいい。「いのち長成気も長成、ただ楽しみは狂言舞」の後、下に降りて「暁の明星が西にちらり東にちらり、ちらりちらり」と空を指すところが圧巻。その分厚い感触は、他の誰の大蔵卿にも覚えたことのないものである。

魁春の常盤が、かつて加賀屋橋之助時代のこの優に、義父歌右衛門がその教育方針を問われて、行儀のよい品格ある役者にと答えたという、その通りの姿となっていまそこにいる。この人の定高を見たいと思う。政岡ももう一度見たいと思う。戸無瀬や萩の方やを見たいと思う。<BR>私は歌右衛門を信者として神の如くに拝跪した体験を持たない者だが、しかしこの種の役を演じる歌右衛門をその盛りの時代に(正直、時としてやや辟易しながらも)見たことを貴重な体験であったと信じる者でもある。魁春は、義父のそうした役々を、間近にあって熟知するどころか、雛鳥や小浪や初花姫等々で四つに組んで芝居をした人である。そうした体験を、この人ほど数多く持つ優は他にない。(12月の国立劇場では戸無瀬を務める由、期待したい。)

『吉野川』を吉右衛門・染五郎の大判事・久我之助、玉三郎の定高・菊之助の雛鳥という配役は、今日での大顔合わせであることに間違いないであろう。たしかに、当代の歌舞伎としてある水準を行く舞台であった。吉右衛門の大判事は、その芸容の丈高さに於いて文句ない立派さであり、「倅清舟承れ」の眼目のセリフは、その含蓄と量感の点で、父白鸚や叔父二世松緑に勝るものと思う。(それとは別に、白鸚の無骨さが、いま思えば恋しくもあるのだが。)

玉三郎の定高は新聞評にスマートで素敵なおばさまぶりと書いたが、内容芸容とも玉三郎歌舞伎として見る分にはそれ自体完結した世界を構築している。玉三郎が引き受ける以上、こうした定高像を作り上げることになるのは、これはこれとして認めるしかないわけだが、丸本時代物『吉野川』の一役としてこう演じられれば、雛鳥役の菊之助としては行きどころを封じられた形にならざるを得ない。またそれとは別に、菊之助は久我之助がむしろ本役であろう、ということも改めて知れる。祖父梅幸以来の、音羽屋の人たちの芸質であり体質と考える他はない。(今回は今回としてふと思いついたのは、菊五郎に定高を奮発してもらって、吉右衛門と文字通り「あいやけ同士」として、菊之助の久我之助に雛鳥は右近、というのは如何であろう。)

染五郎が、久我之助のすぐあとに『らくだ』で屑屋の久六になって出る。これは染五郎流の役者心として認めて然るべきであろう。昼の部開幕に『碁盤忠信』を再演したのは曾祖父七代目幸四郎に因んだ演目だが、実は母方の曽祖父初代吉右衛門が子供芝居時代に演じたという隠し味も利かせている。アイデアマン染五郎のプロデュース力というのはなかなかのものである。

『らくだ』には実はいろいろなバージョンがあるが、今度のは岡鬼太郎作の『眠駱駝(ねむるがらくだ)物語』だから、半次の妹おやすなどというなくもがなの役(とはいえ小米がじつに可愛らしい)が登場したり、座付作者としての鬼太郎の配慮が今となっては却って邪魔臭いが、このバージョンの初演が昭和3年3月の本郷座、初代吉右衛門の久六に13代目勘弥の半次というのだから、じつはこれも、叔父吉右衛門の蔭で染五郎も秀山祭をひそかに営むという隠し味になっているわけだ。(小米のやっている妹役の初演者しうかとは、後の14代目勘弥の少年時代である。)

新橋演舞場に新派が、但し半月興行だが久々に掛かり、二代目喜多村緑郎襲名公演を出したのは、新派としては一種の賭け、将来掛けての試金石というものだろう。新・喜多村緑郎になる月之助は大変な荷物を背負うことになるが、そういう問題はちょっと脇に置いていうなら、俳優月之助としてはよき道を選んだと言える。ひと頃、毎年7月の旧歌舞伎座を、猿翁の後を玉三郎が引き受けて鏡花劇をしきりに出していた頃、当時段治郎だった月之助がなかなかの実力を見せていたのが相当に強い印象となって記憶に残っている。先頃は若獅子の連中の応援を借りて新派公演として『国定忠治』を出したりしたが、新派本来のものも含めて、女性路線に傾きっ放しだった新派の間口を広げられる可能性がある。

それにしても川口松太郎『振袖纏』、北条秀司『振袖年増』と、昼の部に並べた戦後新派の佳作たちを見ても、昭和20~40年代頃の新派というのは、何という大人の世界を当たり前のような顔をして毎月のように舞台に乗せていたのかということがよくわかる。(もっとも、『振袖纏』を今回時代物にしたのは松也の出し物としての特例であろう。これでは、物語は同じでも松太郎物の味は出ない。)

いつも言うことだが、昔に比べれば、など言い出せばともかく、脇役のしっかりしていることも、痩せても枯れても新派の財産である。柳田豊、佐堂克実辺りが最古参だろうが、中堅どころの女優たちの粒の揃っていること。市川猿琉が喜多村一郎と名乗って新派俳優となって新・緑<BR>郎に文字通り影の如くに付き従ったのにも、健闘を祈らずにはいられない。

文楽が国立劇場開場50周年記念に『一谷嫩軍記』を昼夜で通すという頑張りようだが、逆に言うと、良きにつけ悪しきにつけ、そこから文楽の現状が如実に窺えるというものだ。文雀も亡くなり、昔、というのは国立開場以前からの人といえば、人形では簑助、三味線の寛治、團七、清治、太夫の咲太夫ぐらいのものか。團七が「陣屋」の後半を弾いてさすが年功という処を見せたが、この人がこんな大きい場を弾かせてもらったのも久しぶりだろう。(なにしろかつては津太夫を弾いていたのだ。)そういう意味では、単に手薄になったということばかり言うより、場が与えられればちゃんと出来るのだという人は、まだ他にもいる筈だ。腐っても鯛、と言ったら言った方が失礼だが、可惜鯛を腐らせておくのは、文楽の側の不見識であろう。

咲太夫がチャリ場の「脇ケ浜宝引」語って巧いものだが、何となく、やや細って元気がなかったのが、この際だけにちょっと気になる。大事にしてもらいたい。

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随談第581回 8月の日記

8月×日 もともとの夏好き、37度だの8度だのというのは格別、33~4度ぐらいまでなら、盛夏の午後を、クーラーなしで風通しのいい場所で読んだり書いたりは嫌いではない。まして仕事から離れた読書なり、音楽を聴くなりして過ごすいっときは、むしろ至福の時と言っていい。

盛夏が好きなのは子供の時からだが、まず、この季節には自然が身近にまでやって来る。我が家の周囲の庭ともいえない空間に植えた草木にまで、カナブンブンだのカマキリだのダンゴムシだの、下等な虫どもがいつ湧いてきたのか棲みついている。ヤモリが貼りついていたりミミズが這っていたりする。今どき都内に住んで、他の季節にはこんな連中にはまずお目に掛からない。郷愁が甦る。私は東京23区から旅行以外には外に出たことのない人間だが、言うところの高度経済成長が始まる以前の東京は、都に鄙あり、結構、田舎が混じり合っていたものだ。空襲で焼け野が原になったりしたために、街中にも自然が甦っていたということもある。本当の田舎育ちの人から見たらチャチなものかもしれないが、こういうのが私にとっての日々の暮らしの原風景なのである。盛夏の暑気は、ほんのつかの間、そうした原風景のかすかな匂いを、肌近くもたらしてくれる。

今日は、午後のいっとき、パソコンの電源をスリープにしたままベッドにひっくり返って、アリシア・デ・ラローチャの弾く、グラナドスだのファリャだの、スペインの作曲家のピアノ曲を集めたCDを聴いた。こういう一世代前の演奏家のCDを1枚1000円ぐらいで安売りしているのを、ほんの時たま、銀座の山野辺りで見つけてくる。昔はLPをいろいろ買い集めたり演奏会を梯子したりしたものだが、ラ・ローチャも、そんな頃に一度、聴いたことがある。こんもりとした体格の、度量のありそうなおばさんだったが、演奏も豊かで心地よかった。音盤というのは、どんな名曲のどんな名演奏でも、繰り返し聴いていると鼻につくものだが、一年前に買ってきたこの一枚は、まだ飽きが来ない。今日の東京の気温は、後で聞くと37度を超えていたそうだが、ラ・ローチャおばさんの弾くグラナドスのお陰で、快適に夢とうつつの間を行き来することが出来た。

 

8月×日 歌舞伎座の三部興行の一等席の料金が1万4500円だというのが話題になっているらしい。6月の3部制の時より500円だけベンキョウ致しておりますということか。

橋之助が三部すべてに顔を見せてこの名前でのお名残りをするというのがひとつ、扇雀が連名の首座に立って開幕劇に『媼山姥』という出し物を持つ、というようなこともあるが、まあ、こう見渡したところ、エース格が染五郎、猿之助が西の横綱に座って二人で『弥次喜多』をするというのが、今月のミソなのだろう。(第一部の『権三と助十』で権三を獅童にゆずって自分は助十に回る、という味なスタンスの取り方は染五郎流全方位外交の度量の表われ、石子伴作ではないが、ヤルジャアネエカと褒めていい。)第三部に至って、橋之助の『土蜘』も含めて故勘三郎党の面々で締め括る、というのが大きな流れのように見受けられる。(その中に、間狂言の番卒役で猿之助が出ているのがちょっと乙だ。)

見回したところ、『権三と助十』が上等だ。前代の大家たちが、綺堂の書いた世話狂言というので黙阿弥などよりも素に近く、というところに足を取られて、悪く言うと、軽くこなすといった傾向があったが、当代の若い俳優たちには、黙阿弥よりもこのあたりが一番身に沿った芝居がし易いのかもしれない、みな溌剌として張りがあるところを買う。井戸替えに駆り出された長屋中の面々が、みなノリがいい。幸雀、笑野、喜昇などという、当節の脇の女形としてちょいとしたところが、平素の美女ぶり?と変わったところを楽しんでやっている。

この芝居の大正15年7月歌舞伎座の初演というのは大変な大顔合わせで、権三が15代羽左衛門に助十が二代目左團次(という顔合わせが、すでに通念を破っている)の上に、助八が初代猿翁、家主が初代吉右衛門というのだ。それと比べられてはかなわないとして、今回の獅童、染五郎、七之助、巳之助、弥十郎等々、先に言ったように心持よくやっているのが気持ちいい。強いて言うなら、もっとよかるべきはずの亀蔵の佐官屋勘太郎が、なにがなし、役に入りにくそうにしているかに見えたのがちょいと気になったぐらいか。

「弥次喜多」は過去のさまざまな「弥次喜多」の出来具合に照らしてまずまずというところ。ラスベガスへ行ったり、目先の替え具合とテンポのよさで飽かさないというのがまずまずの理由、一方、ラスベガスの場以外は案外新味がないのは、金太郎と団子の少年武士の主従の絡ませ具合がやや平凡だからで、目立った失点はないが大きな得点になったわけでもない。もっとも、二人ともしばらく見ぬ間に大きくなったなあ、と健気な成長ぶりを見せたのが大きな得点ではないか、と言われればその通りともいえる。(団子がなかなか練りのあるいい声をしているのに感心した。)

弥次喜多といえば思い出すのが、昭和38年7月、このときも納涼歌舞伎と謳っていたと思うが、夜の部全部を弥次喜多道中の通しで(今と違って10時ごろまでかかったが当時はそれが当たり前だった)、十七代目勘三郎と二代目松緑の弥次郎兵衛喜多八で、日本橋から京の三条まで、原作の主要場面をうまくつまんだ上に、偽の(しかし本物より若くてモテモテの)弥次喜多を絡めたり、盛りだくさんで見せたのが私の見た弥次喜多中の最大作。現坂田藤十郎の当時扇雀と、前々月に三代目猿之助を襲名したばかりの現猿翁が偽の弥次喜多、後の富十郎の坂東鶴之助が原作通りのゴマの灰(そのきびきびしたセリフと取り回しは今も鮮やかに耳朶と目に残っている)、梅幸や後の芝翫の当時福助も三島女郎や何かの役でつき合ったり、勘弥とまだ友右衛門だった先の雀右衛門が十辺舎一九夫妻で登場、借金取り立てに詰まって「膝栗毛」を書くこととなり、取り敢えず書いた分が第一幕となって舞台に乗り、その間に書いた続きの分が第二幕となり、更に書き足して何とか三条大橋まで辿り着くという趣向で、これは作者の中野実の実体験だろうというゴシップが流れたが、この勘弥の一九がまるで本物の一九を見るような傑作だったり、弥次喜多が田舎芝居の一座に紛れ込んで『宮城野信夫』を演じたり(松緑の信夫である!)、いま思えばとんでもない贅沢とも無駄遣いともいえる。当時これを褒めた劇評は見なかったような気がするが、むかしから、「弥次喜多」の芝居というのはそんなものだったともいえる。(思えばこの時の昼の部に、梅幸が『有馬の猫』を出したり、昼の切りに、現・雀右衛門の駄右衛門、10代目三津五郎の弁天、現・又五郎の忠信、現・時蔵の赤星、18代目勘三郎の南郷という、かの「ちびっ子五人男」が出たのだった。)

第3部の鶴瓶の新作落語を勘九郎が願って新作したという『廓噂山名屋浦里』は、他愛ない話をうまくまとめて悪くないが、浦里といえば相手は時次郎、『明烏』かと思うと、内容はむしろ紺屋高尾の話のようなのが気になるが、マ、いいか。それよりも、鶴瓶の倅という駿河太郎(この芸名の由来は何だろう? 伊勢五郎だの亀井イチローだのという兄弟分でもいるのだろうか?)が特別参加で出演するのはちっとも構わないが、そのことを、筋書その他で説明がないのは何としたことであろう。巻末の出演俳優の顔写真にも、仕切りをつけるとか何かしないと、アマチュアの大関を本場所の土俵に幕の内力士として乗せるようなものだ。

蛇足として、橋之助の『土蜘』について、A氏B氏C氏のやりとりを小耳にはさんだのがちょいと面白かったので、お三方には無断だがその一部を紹介しておこう。

A:橋之助の役者ぶりの立派さというものはもっと評価されていいと思うんだけどね。

B:それはわかるけど、呼吸や間がひとつしかないから芸の妙味というものがないのが面白くないなあ。

C:橋之助みたいな役者って、大正時代頃だったらよくいたんじゃないかという気がする。こまかい心理だのなんだのより、押し出しとか役者ぶりとかで売るような。

A:そのころなら名優で通ったかも知れないね。いっそこのまま押し通して長生きすると、古風な役者として珍重されるようになるかも知れない。

C:なまじ器用に上手くならない方がいいんじゃないかなあ。

B:そうですかねえ。

というのだが、穿ったような、一部頷けるような・・・

 

8月×日 元西鉄ライオンズの豊田泰光氏が亡くなった。81歳というお歳の上は、稲尾・中西と共に西鉄黄金時代の強打の遊撃手豊田としては不足はないかも知れないが、後半生の評論家としての豊田氏のファンとしては,今少し続けていてほしかったという思いが残る。たまたま同じ日経新聞という土俵を、しばらくの期間ひとつにしたというご縁は、こちらが一方的に思っていることで、あちらはご存じないことだったろうが、毎週木曜日の朝刊につい先ごろまで続けていたコラムは、いわゆる元野球人の文章とは類を異にしていた。つまり、野球ということを抜きにして愛読するに充分だった。野球以外のことも俺は知ってるぞ、などということは見せないが、豊田氏の目は、野球以外というか、野球の背後にあるものに届いていた。その遠近感覚が見事だった。遠近法の中に野球が捕らえられていた。そこを読むのが楽しみだったし、その呼吸をひそかにパクってきたつもりだが・・・

 

8月×日 去年の第一回に引き続き、尾上右近の「研の會」第二回を見る。今年は『忠臣蔵』五・六段目に『船弁慶』と意欲満々の音羽屋路線だが、踊りだと年齢を忘れさせる芸の大人びた右近も、勘平となると、俊秀であることに変わりはなくとも、やはり若手であることが見えて、こちらとしては実は少しホッともする。米吉のおかるもそうだが、少しうるさく感じるのは、学んだことをすべて出そうとするからだろう。それは、秀才・優等生であることの証しでもあるわけだが、厳しく言えば、ある意味で、芝居よりも仕事の方が優先してしまうからとも言える。

染五郎が定九郎と不破をつき合ってここでも如才がないところを見せる。種之助の千崎は父ゆずり、菊十郎与市兵衛はいかにも菊五郎劇団、菊三呂のおかやはどうしても理が勝つことを咎めるより、神妙につとめたことを言うべきであろう。吉弥のお才が我童よろしく京都弁を遣うのは異論もあろうが、我童を思い出させたというだけでも大したことには違いない。同様に、橘太郎の源六が鯉三郎を思い出させたと言ったら、褒めすぎかもしれないが、ご本人の目にある仕事をした結果に違いない。

ところで、六段目が終わってロビーへ出ると途端に「ありがとうございます。今日初めてのお買い上げです」という元気な声が聞こえた。見ると米吉が、右近のサイン入りのTシャツを売っているのだった。ついさっき祇園へ売られていった筈のお軽がグッズの売り子になっていたのだった。

『船弁慶』は、(こういうことは若手の勉強会に言うべきではないかも知れないが)現在すでに第一線級であることは間違いない。静に一段の嫋々たる風情とか、知盛に疾風の如く来たって迅雷の如く去る幽玄味とか、言わなくともやがて一層、磨かれるに違いない。

自身の『翔の会』を翌日に控えた鷹之資が義経をつとめ、父ゆずりの見事な声を聴かせる。天性でもあろうし、日ごろの精進の賜物でもあろう。体もすっかり大人になって、これも父そっくり。ここまでくれば、そろそろ展望が開けてくる。

8月×日 その鷹之資の『翔の会』を翌々日に見る。こちらは既に第3回、国立能楽堂でするのは、もっぱら、歌舞伎よりその基礎となる修行として、片山九郎右衛門師等の教えを受けているからだ。これぞ亡父の遺してくれたまさに七光り。今回も、『杜若』を仕舞として舞い、『助六』を素踊りで踊る。妹の愛子が(中学生だそうだ)『汐汲』を素踊りで踊る。顔は妹の方が目元パッチリして父そっくり。

8月某日 歌昇・種之助兄弟の「翔の会」第二回。「研の会」にも種之助が千崎で、米吉がおかるで出ていたように、相和しながら進んでゆくという関係と見える。昨年から始まった二つの会は世代交代の大波の、一番新しい波濤であろう。今回は『菅原』から「車引」と「寺子屋」。この『車引』がまさにフレッシュという英語を使った評がぴったり。目いっぱい、きっかりとやる。そうでなければこういうものをする意味がない。二重丸を進ぜよう。『寺子屋』だって体操競技のような採点法でいけば同じぐらいの点数がつくわけだが、地芸が物を言う「芝居」となるとどうしても点が辛めがちになるのは「研の会」の五・六段目の場合と同じこと。それにしても、兄と弟、力量一杯隠しも何もなく、真正直に出るところまでお父さんにそっくりだ。

8月某日 国立劇場の歌舞伎音楽研修発表会の「音(ね)の会」と、おなじみ「稚魚の会・歌舞伎界合同公演」に、今年は劇場開場50周年というので、修了生中の大ベテラン、鴈之助、京蔵、京妙が「音の会」では『合邦』、「合同公演」では『女車引』を出したのが、どうして皆さんもっと見に来ないのだろうと思う見ものであった。前者は鴈之助の玉手に京蔵の俊徳丸、京妙の浅香姫に新蔵の合邦、後者は鴈の春、妙の八重、京蔵の千代。もう一つ『寿式三番叟』で蔦之助の三番叟が舌を巻かせた。気合と躍動感は息の良さがあればこそ。「いい顔」をして見せる役者ぶりのよさは猿之助を思わせ、猿之助よりいい男である。左字郎と言ったころから目につく存在ではあったがこれは収穫であった。

このほか升一の権太、春希のお里、桂太郎の維盛等々で『すしや』とか、建て前で言うのではなく、御社席など、もう少しか顔ぶれが揃ってもいいのではあるまいか。

 

8月某日 帝劇で『王家の紋章』なる連載40周年という超大大作漫画のミュージカル化第一作を見る。近々新橋演舞場でやる『ガラスの仮面』もそうだが、こういう超大作が漫画という形式で延々と書き継がれているという事実には、ただただ驚かされる。筋の結構、人物の配置、人情・心理のつかまえ方、史実の渉猟や取捨の仕方等々、かつて『大菩薩峠』だの『南国太平記』だの『富士に立つ影』だの『照る日曇る日』だの『宮本武蔵』だの、といった錚々たる大衆文学の大作が書かれていた、大正から昭和初期という時代を連想させる。(もっというなら『里見八犬伝』だって『巌窟王』だってそうなわけだが。)違うのは、あちらの読者は男だったのが、こちらは少女(だった人も40年読み続けてアラ何とかになっているわけだが)という点だけで、上に挙げたような数々の特質はどれも、かつて、たとえば谷崎潤一郎が直木三十五に対して言ったようなことがそのまま当てはまる。まあ、かの『ベルばら』だって同じことだが。

さてそのミュージカル版だが、ごく発端部分だけらしいが、それでも正味2時間半程度にまとめるにはかなりの手際を要したであろうことがよくわかる。かつての大衆文学は、折から新時代の大衆娯楽として時流に乗った時代劇映画や、日本演劇史上ほとんど唯一の例外として男性客を基盤に成立した劇団である新国劇に豊富な題材を提供したが、大歴史劇としての少女漫画もこれからの試みとして、演劇界が当然開拓して然るべき沃野であろう。

出演者ではファラオの姉アイシスという悪女になる濱田めぐみのキャラの立ち方が抜群であった。やはり舞台で鍛えた俳優ならではのもので、シアタークリエで見た井上ひさしの『頭痛肩こり樋口一葉』に起用されたテレビ育ちの女優の、ムキになって懸命に力演するのが気の毒になったのと対照的である。(テレビではなかなか達者な女優と見えていたが、それとこれとは別の話である。)

 

8月×日 オリンピックが終わってようやく静かな(というほどでもないが)日常が戻ってきたのは何よりである。オリンピック自体が嫌いなわけではない。まあそれなりにテレビ観戦もしたし、それなりに楽しみもした。ただ、レポーターやアナウンサーのけたたましい歓声(嬌声)やら絶叫やら、放送が始まるたびにキミダケエーノーというテーマ曲が耳に飛び込んでくるたびに、生理的な疲労を覚えたのは確かだ。

前にも書いたことがあるが、私の考えではオリンピックとは要するに世界大運動会であって、いろいろな種目のある中で煎じ詰めたところ、駆けっこに尽きる。スポルト=遊び、というものの最も原初的で、最も帰一的なものは駆けっこだろうし、結局、それが一番面白い。もっとも、ゲームとしては単純すぎるから、普段、金を払って陸上競技を見に行こうとはあまり思わないが、オリンピックという名の世界大運動会では、原初的にして帰一的な本質がむき出しになって見えてくるから、実に面白い。小学校の運動会でもハイライトは紅白リレーであるように、世界大運動会でも精華は400㍍リレーということになる。

というわけで、始まる前から一番期待し、予期以上の成果をあげたのだから、400㍍リレーの銀メダルに、私にとっての今回のオリンピックは尽きることになる。日本の陸上短距離での銀メダルは並みの金メダル100個分ぐらいに相当するという私の暴言的持論はともかくとして(そもそも104年前、日本が初めてオリンピックに参加したとき、選手はマラソンと100㍍と二人だけだったのだ)、4人の選手の走りには充分に満足した。

駆けっこだけに特化するのは偏狭だというなら、オリンピックは世界大運動会より寛永御前試合の現代的国際版であるとも考えられる。千代田城吹上御殿の徳川家光将軍の御前で、全国から雲霞の如く集まり来たった豪傑たちが、剣術やら棒術やら鎖鎌やら、さまざまな得物を取って秘術を尽くすのが寛永御前試合なら、将軍に相当するのは世界中の名もなき観客たちであり、その前で世界中から集まった豪傑あり、美女あり、さまざまな選手たちが、水中にもぐって統一行動(シンクロ)をしたり、リボンを放り投げては受け止めたり、こんな種目があったのかと驚くような、奇々怪々な(と言ったら失礼だが)超越技巧の限りを尽くした技や演技を繰り広げて競い合うというわけだ。

(蛇足をひとつ)女子ピンポンの中学生の天才少女には驚かされたが、「美誠」と書いてミマと読むキラキラネームにも驚かされる。おそらく、彼女にあやかって「誠」と書いて「マ」と読ませる女の子が続出するに相違ない。まあ、名前の読みに関しては、国語はとっくに破壊されているのだから、今更でもないわけだろうが・・・

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随談第580回 BC級映画名鑑・第2章「BC級名画の中の大女優」第2回(通算10回)高峰秀子『朝の波紋』

(BC級映画名鑑第2章の第一回として原節子の『東京の恋人』を載せたのは3月2日付の随談第569回だった。月一回程度の割りで連載するつもりでいたのが、心ならずも随分間が開いてしまった。これがホントの間抜けというところだが、遅ればせながら再開することにしたい。)

(1)

『朝の波紋』は前回にも書いたように、昭和27年5月1日封切りの新東宝映画だが、この日は、戦後史に刻される惨事の一つとして知られるメーデー事件の当日である。つい三日前の4月28日に講和条約が発効して日本がGHQの占領状態から解除されたことをシンボリックに示すマイナス札のような出来事だが、高峰秀子の笑顔が明るい『朝の波紋』にも、終戦から七年という時点での東京の街の様子が丹念に映し出されている。それは同時に、この映画の人物たちがそれぞれに戦後七年という歳月を生きてきた背後を暗示するかのように彩っている。

高峰の役は英語が堪能なのを生かして中堅どころの貿易商社に勤務、社長秘書として重用され、当時のキャリアウーマン(など言う言葉は、当然、まだなかったが)として恵まれた立場にあるが、伯父の家に下宿住まいをしている。彼女の身寄りについて映画は詳しい説明もなく、深入りもしないが、親兄弟はなく、恋人や婚約者もいない孤独の身であることが戦争の後遺症として暗示される。

伯父の家にはもう一人、彼女には甥に当る居候の少年がいて、父親は戦死、三宅邦子演じる母親は、箱根の旅館で、子供の手前は事務の仕事をしていると繕いながら実際は女中をしている。元はれっきとした中流家庭の主婦だった様子が、三宅邦子のたたずまいを見ればおのずと知れる。(『麦秋』をはじめ小津安二郎に重用された三宅だが、戦前以来の東京の中流家庭の匂いを彼女ほど自然に身に着けている女優はいないだろう。その雰囲気とたたずまいは、この『朝の波紋』でも生かされている。女中をしていても元は「いいとこの奥さん」なのだ。昭和20年代というのは、戦後の混乱と全くと言っていいほど等価に、戦前が生き続けていた時代であり、それは社会のさまざまな面について言えることだが、当時小学生だった私などでも、三宅邦子の漂わせるのと同様な雰囲気をもった中年女性の幾人かを、身近な懐かしさと共に思い出すことが出来る。)

少年は母の言葉を信じつつ、寂しさを紛らわせるために、なついてきた野良犬を飼おうとするが、伯母にきつく叱られる。この伯母の役の滝花久子も、中流の上という家庭の主婦がぴたりとはまる雰囲気をもった女優である。少年の飼う野良犬が、近所から靴を銜えてきたり、小トラブルを次々と起こすことがきっかけとなって、通勤の行き帰りに付近を通る青年と親しくなる、という形で池部良が登場し、高峰と接点ができる。住所を当てに訪ねると、近くの、かつては広大なお屋敷が爆撃で廃墟となった一隅にわび住まいをしていることが分かる・・・といった経路をたどって、この人物の風貌、ひととなりが次第に姿を現してくる。元は著名な富豪の御曹司の身でありながら、いまは貿易会社の一介の社員をしながら泰然としてわが道を行く、知的なハンサムでありながらヌーボーとした趣きの男を演じて池部良を置いて他には求められない。(単に茫漠としたヌーボー男なら珍しくないが、育ちの良さと知性という二点がカギとなると、候補者はたちまち激減する。)『青い山脈』では旧制中学生、それよりはやや屈折はあるが『山の彼方に』では中学教師と、石坂洋次郎原作の青春映画で見せたのより、もう一味ふた味、懐の深さのある人物で、この辺りが日本映画の二枚目俳優中にあって他に真似手のない池部の真骨頂というべきであろう。(後年、任侠映画のインテリやくざとして効いてくる下地でもある。)

高峰をめぐるライバルとして、同じ会社に勤める岡田英二扮する自信家の青年がいる。年配は池部の役と同じぐらいだが戦争体験についてはわからない。父親が有力な人物で、古臭く卑小な日本を捨てて海外へ進出することを目指しており、ついては、英語も堪能で外人バイヤーとも渡りあえる有能な女性として高峰を伴侶にふさわしいと考えている。この種の男は、現代にも、いつの時代にもいるが、やがて「もはや戦後ではな」くなる日をいち早く視野の内に入れようとしているという意味で、昭和27年という時代を映している。

木村功と共に劇団「青俳」を代表する俳優として、この時代の日本映画にあっての一存在であった岡田だが、『また逢う日まで』とか『ここに泉あり』とか、憂いに沈んだ良心的インテリか、それを反転させた悪役めいた人物か、いずれにせよ影のある人物というのが役どころとしてイメージとなっている。ひとつ例外的なのは、『朝の波紋』と同じ年の作品で成瀬巳喜男監督の佳作として知られた『おかあさん』で、気のいいパン屋の倅をしているのをもう一方の側に置くと、『朝の波紋』の少々バタ臭い欧米指向の裕福な家庭に育った青年という役どころにいかにもふさわしいことが分かる。岡田青年は、知的な自負をちらつかせながら高峰に接近を試みる。ある米人バイヤーをめぐるいきさつから、同業の他社の社員である池部と敵対する形で関わりが出来ると、仕事一途というより、少々投げやりですらあったり、応召中に戦地で感染した難病を抱えている冴えない同僚のためにひと肌脱ごうとしたりする、業績や出世を度外視したような池部の行動に冷笑的な目を向ける。

映画は、そういう二人の男に挟まれて、才知ある聡明な女性が、戦後という時代を如何に生きてゆくかに、次第に焦点が絞り込まれる。一種のビルドゥングス・ロマンとしての側面を女性を主人公としたこの時代の映画は強く持っており、つまりこの『朝の波紋』での高峰秀子は、新しい時代の若い女性の生き方を切り開く、一つのシンボル像を描いたことになる。このころから、高峰に限らず、彼女の後に続く形で戦後デビューした当時の代表的な若い女優たちは、それぞれにこうした作品で、時代を先取りするような形で若い女性観客の共感を得ていくことになる。それもまた、昭和20年代という時代の匂いなのだが、戦前に子役として活躍し戦中戦後に適齢に達した高峰は、この時期、他の戦後派女優たちの先頭に立つ形になっていたことが分かる。この後、『二十四の瞳』を大きな転換点として後続の女優たちと一線を画す道を歩くようになる、その分岐点としての意味も、この『朝の波紋』は持っているように見える。

原作は高見順が前年に朝日新聞に連載した小説で、新聞連載小説全盛のこの当時、各紙は当時第一線の作家に執筆を依頼し、各映画会社は連載が終わるのを待ちかねるように映画化した、これもその一つだった。スター女優にとっては、こうした作品で評判を取ることが更なるステップともなる。前回、原節子の主演作として挙げた『風ふたたび』も『白魚』も、前者は永井龍男、後者は真船豊の新聞連載小説から、同じ昭和27年に映画化されたものだった。(前年の、原の出演作中でも屈指の名画として知られる『めし』も、林芙美子が朝日に連載中に急死、中絶した新聞小説の映画化だった。)

池部の人となりを更に知るよすがとして、ボートレースの場面が、やや典型的なきらいはあるものの(戦前以来、映画に登場する大学スポーツといえば、ラグビーか、でなければボートレースと相場が決まっていた)、五所平之助監督らしいすがすがしいリリシズムがそれを上回って快い。

ある日曜日、池部は出身大学のOBとして、当時は隅田川で行われていたボートレースに選手として参加するのに高峰を誘う。ボート部の先輩として上原謙が特別出演風に登場するが、むしろ自分の主演作よりもこういうときの上原はちょっと乙である。終了後浅草の泥鰌屋で打ち上げをするシーンがあるが、戦後7年経ってもまだ戦災で焼け野ケ原になった後遺症をあからさまに見せているのを知らされる。(選手仲間で泥鰌屋の息子という好青年を演じる沼田曜一も、その後も新東宝に所属したためもあって遂に地味な存在のままで終わってしまったが、清潔感のある好俳優だった。後には、ときにアラカン主演の新東宝時代劇でひと癖ある役をしたりすることもあったが。)

一方、高峰は商社に勤める仕事を通じても、海外向けに輸出される日本の製品が作られている現場の実態を出張先で見て、それまで知らなかった社会の現実を知り、そのことによって、岡田が思い描いている展望がエリート意識の限界内に留まり、如何に現実を見ようとしていないかを知る。どんなに卑小でみみっちくとも、それが日本の現実なのであり、岡田のような人間はそこに目を向けようとしない。

映画の後半部は、学校の遠足で行った箱根で会った母親の現実を知り衝撃を受け、さらに飼っている野良犬を捨ててくることを伯母に強く命じられた少年が家出をし、行方が知れなくなるのを、池部の協力を得て尋ね回るのを通じて、互いに相手を知ってゆく。同時に、池部は少年の母親が自分の勤める会社に事務職として採用してもらえるよう、上司に働きかける。

原作の高見順としては、新聞に連載する、当時の言葉で言う中間小説(純文学と大衆文学の中間という意味であろう)としての佳作だが、その清々しさと、前に言った五所監督の大人の瑞々しさ、それに若き高峰秀子の明るい清潔感とがマッチした、好もしい佳品というのが、この作品の映画史上での位置づけということになるだろう。

この後高峰は、『二十四の瞳』というやがて伝説的存在となる「名画」を境に、大女優として別格的存在になってゆく。それと軌を一にするように、新任間もないころの大石先生の笑顔を最後にして、高峰の顔から笑顔がなくなって、やりきれないわ、とでもいうような憂い顔、うんざり顔のオンパレードになってゆく。後半生の大女優高峰秀子はうんざり顔の名優といっても過言ではない。 名女優高峰秀子にケチをつける気持ちは全くないが、私にとっては、それは一つの大きな喪失でもある。『銀座カンカン娘』のあの明るい笑顔こそが、私にとっての高峰の原点である。(そういう意味で、最近知ったことなのだが、あの『サザエさん』を、高峰秀子でという企画が、江利チエミの『サザエさん』よりはるかに前にあったというが、惜しいことをしたものである。江利チエミ版は江利チエミ版として、もっと原作の4コマ漫画のエスプリを生かした『サザエさん』が高峰バージョンとして実現していた可能性がある。)

『朝の波紋』は、高峰秀子のそうしたさまざまな面を万華鏡のように見せる、彼女の女優人生の岐路に立つ、興味の尽きぬ佳作なのだ。

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随談第579回 7月の話題あれこれ

●昭和8年生まれの天皇が生前退位の御意向というニュースが話題を呼ぶ中、永六輔だ大橋巨泉だと、昭和8年、9年生まれという世代が相次いで世を去ってゆく。こういう名前と絡みついている記憶はもちろん数々あるが、方々で書かれ語られている上に今更私がしゃしゃり出てここに書き並べる必要もあるまい。(こういう人たちの事績についてなら、現役テレビ人新聞人に任せておいても遺漏はない。私がなすべきは、もしかしたら他に拾う人がいないかもしれない落穂を拾うことである)。わが身と重ね合わせての個人としての思いに過ぎないものが、ほぼ悉く社会史・世相史的な意味合いを持ってしまう、というところにこの御両人のような存在の特性がある。その意味で、永六輔はラジオ三分のテレビ七分、巨泉は100パーセントテレビ、という違いが、私の個人史の中で彼らの持つ意味にもニュアンスの違いをもたらしている。ラジオはイニシエーションの季節に私の中に種子を撒いたものであり、テレビはその後に襲ってきた大津波のようなものだからだ。

二人の蔭に、ザ・ピーナッツの残る片方がひっそりと逝ったというのも、昭和30~40年代というテレビの時代の縮図のようだ。

●という波がやや静まった所へ中村紘子の訃報が入ってきた。時期的には、私が大学に入ったころ、中学生だった彼女が華々しく話題の人となったのだったから、ザ・ピーナッツと世間的デビューはほぼ同じころ、というタイミングになる。別に熱心な聴き手であったわけでもないが、やはり相前後して鮮烈デビューした小澤征爾と言い、あのころからクラシック音楽の世代と人種が変わった、そのシンボルとして何となく懐かしさと親しみを覚える。それにつけてもだが、同じヒロコでも他のヒロコさんたちとひと味違って、「紘子」というのは昭和10年代生まれのシンボルのような名前で、むかしチョイ惚れしていた同級生にもこの名前の女性がいたっけ。典拠はもちろん、八紘一宇である。

●大相撲の名古屋場所が終わって、まあ、荒れ場所らしい面白さはあったが(とはいえ、終盤の日馬富士はその真骨頂を示すものだった。あれは高く評価されて然るべきである)、一に安美錦、二に豊ノ島という私にとっては一番面白い二人が二人とも、同じアキレス腱断裂という不祥事で全休というオソロシイ事態になってしまった。来場所もおそらく休場だろうから、さ来場所には十両はおろか幕下陥落まで覚悟しなければなるまい。年齢で力が衰えてのことなら十両陥落となる前に引退するところだろうが(格から言って十両に落ちてまで取る力士ではない)、事情が事情だから、幕下からでも再起することになるのだろう。(宝富士が金星・銀星を挙げてインタビューを受けるたびに安美錦の情報を漏らすのがなかなかよかった。お陰で、わずかながらも怪我の様子を知ることが出来た。)

それにつけても、照の富士が先場所わずか2勝という惨状の後、今場所は膝の具合も多少よくなったかと思わせる面もあったが、結局は辛うじて勝ち越しという惨状に終わった。何故、手術をして完治の上、再起するという道を選ばないのだろう。仮に二場所連休して大関陥落しても、三場所目に10勝すれば復帰できるのだし、もっとかかったとしても、完治しさえすれば照の富士の実力なら早晩、大関復帰は難しいことではなかろうに、中途半端な出場を続けているのは、本人の意思なのか親方の意向なのか、いずれにしても不可解なことである。膝の怪我のために大関横綱を断念したり(安美錦でも、このほど引退した若の里でもそうだろうが)、仮になっても凡庸な成績で終わってしまった先例はゴマンといる。あれだけの逸材を無下に終わらせてはならない。

●相撲の話題ではもうひとつ、新方針となった春場所以来、立会いのやり直しがあまりにも多すぎるのは感興を殺ぐこと甚だしい。さしものNHKさえ、千秋楽の放送でこの問題を取り上げて、アナウンサーが、個人の意見ですがと断った上だが、呼吸が合ったら立会い成立と認めていいのではないかと言っていたのは、ちょいとした勇気ある発言と言っていい。まったく同感である。今場所の白鵬=稀勢の里戦など、立会いやり直しが明らかに勝負の帰趨を左右したし、先場所だったかその前の場所だったか、一旦勝敗が決した後にやり直しとなって、さっき勝った方が負けになってしまった。しかもやり直しの理由が、相手がキチンと手を付かなかったからというのでは、本人は元よりだろうが見ているこちらも釈然としない。北の富士氏も言っていたように、行司によって、また審判員によってばらつきがあるし、そのくせ、二度やり直して三度目となると、さっきよりひどいと思うようなのでも認めてしまうケ-スも多々ある。手を付く立合いを励行させるのはいいが、呼吸が合っていれば認めるようにしないと、それもすぐに止めるのならまだしも、取り進んでから、更には勝負がついてからやり直しというのは、感興を殺ぐだけでなくそもそもぶざまである。運んできた料理を、客が箸をつけてから、ア、間違いでしたと引っ込めるようなもので、度を越せば、良心的なつもりが逆に非礼ともなりかねないことに、協会は思いを致すべきである。

●都知事選の候補者が21人もいるのにビッグな3人のことしか報道しないのはおかしい、という声がようやく高まったと見え、選挙戦もお終い頃になってから、申し訳のように「泡沫候補扱い」の中からめぼしい幾人かの選挙戦の様子が報道されるようになった。選挙公報なるものを、先日、じっくり読んでみたが、なるほどなかなか面白い。広報に書いてあることに限るなら、「ビッグ3」も他の18人に抜きん出るほどのことは言っていないこともわかった。

かつては泡沫候補のなかに面白いヒトがいろいろいたものだが、衆院選が小選挙区制になってからとんとレベルが低下してしまい、残念に思っていたところが、今度は相当盛り返したのは結構である。前知事の辞任騒ぎの過程で、コントを見ているような問答を大真面目でやっていたのが、反面教師的に刺激を与えたのかもしれない。(かの号泣県議の仕草・表情に前都知事のセリフをつけたら、絶妙のコントになったであろう。)

若い世代の投票率が低いのが話題となっているが、選挙を身近に感じさせる上で泡沫候補のレベルが如何に影響を与えるか、私は自分の子供のころの実感に照らして断言できる。小学生だった私が、選挙に、ひいては大人たちの作っている社会に興味を持つようになったのは、面白い泡沫候補がそれこそ多士済々、保守と革新とを問わず、ヘンなおじさんから憂国の士に至るまで、多種多様にいたからであると言っても過言ではない。(かのノンキ節の石田一松が選挙カーの上で演説をしている姿を見たのは、いまなおよき思い出である。もっとも石田一松は実際に当選もしたから、泡沫候補の域を抜いていたとも言えるが。)

昭和20~30年代、何故面白い泡沫候補がたくさんいたのか? 曲がりなりにもせよ、民主主義というものを誰もが実感できていたからだと、今にして思う。自民党の長期安定政権が確立するとともに、泡沫中の名物男たちは老化し、新陳代謝も行われなくなってしまった。代って、いわゆる70年代の過激派学生たちの時代になるのだ。(当時の巨泉の大当たり番組に『ゲバゲバ90分』というのがあった。)とどめを刺したのが、先にも言ったように、衆議院が小選挙区制になって、「無用の用」を容認するゆとりが失われたことである。

それにつけても、過日の参院選の開票速報の放送開始の冒頭、NHKが如何にも得意げに、出口調査に基づき開票前でも当確を出しますと喧伝していたのにウっとなった。これまでは、いくら何でも開票が始まるまでは遠慮していた筈だが、遂にここまで来たかという思いである。あれでは、お前が投票しなくたって選挙の大勢に関係ないぞと言っているようなものではないか。その一方で、若い世代の投票率がどうのと議論する矛盾の滑稽さを思わないのだろうか。そもそも、一秒の何分の一でも早く結果を知ることを、候補者とその関係者以外、誰が必要としているのだろう。

●こんどはNHKをほめる話。都知事選の前日に放送のあったドラマ『百合子さんの絵本-陸軍武官小野寺夫婦の戦争』というのが思いがけない収穫だった。有能な諜報員だったが軍部主流派から疎んじられてストックホルム駐在というやや閑職に置かれながら、ドイツの対ソ戦への動きや、ヤルタ会談で連合国間に交わされた密約など、日本の敗戦を決定づける上で重要な意味をもつ情報を入手、日本に情報を送るが無視されたという陸軍武官夫妻を描いた作だが、毎年終戦記念日が近づくとこの手のドラマが作られるのが恒例で、さほど期待もせずに、むしろ夫の役を市川中車、じゃなかった香川照之がするという興味に引かれて片手間気分で見ていたのだが、途中から仕事の手を止めて画面に見入ることになった。善良なメイドも親しい友人もスパイとして警戒しなければならない日常の中、夫婦の対話も立聞きされないようにレコードの音量を最大にして交わす。ベートーベンの第9シンフォニーというのは、こういう時に絶好の曲であり、同時にそれが、時代を語り、ドラマのテーマ曲として音楽自体が癒しともなるという、二重三重の効果が秀逸だった。

面白かったのは、戦後30年経った頃、どこかの雑誌の企画で、かつての同僚武官たちの座談会が行われ、出席したものの、まるで同窓会みたいな雰囲気でそれぞれ勝手な法螺を愉し気に吹き合っているのを見、違和感を覚えるという場面で、ものの5分もあるかないかだが、出席者の元武官の役を演じる面々がなかなか上手い。苦心して送ったヤルタ会談密約の報も、出席者のひとりが、そういえばそんな話も聞いたことがあると取り繕うような感じで証言してくれたのが関の山、それ以上の関心を示す者もない。よくいわれる日本の組織の、組織人の無責任体制、無責任心情の、これもその一例というわけだ。

こういう善良な人物を演じるときの中車、ならぬ香川照之というのは、なんとなくもったりとして、これは案外にも猿翁とよく似ている。スーツ、というより背広の着こなしといい、誠実に過去を引きずったがために時代に置いて行かれた男の感じがよく出ている。薬師丸ひろ子の、のちに『ムーミン』の翻訳で知られることになる夫人役も、あの時代の誠実で聡明なアッパーミドルの女性の(こういう場合は「婦人」というべきか)感じを、かなりよく出している努力にも感心した。

●ぐずぐずしている間に都知事選は終わり、千代の富士が死んでしまった。前者の経過と結果を一言で言えば、女は度胸、男は姑根性、でなければ据え膳食った律義者の父さん、でもなければお人よしの暢気なパパ。当世社会の縮図と言うところか。小池氏の真価はこれからのお手並み次第、鳥越氏は晩節にべたりと味噌だれのシミをつけてクリーニング代を無駄づかいし(あれなら石田純一の方がマシだった?)、増田氏は少しは有名になった分、得をしたからご本人の±はゼロだが、普段の会見ではにこりともしない官房長官があんなにべったりくっついて、愛嬌を振り撒いていたのが真の敗因と悟るべきであろう。

●千代の富士についてはいずれゆっくり書きたいが、投げの切れ味と豪快さは初代若乃花以来、立ち合いの踏み込みと神速華麗な早業は栃錦以来。見て面白く、小よく大を制す痛快感も両者以来。いまのところ、以後はなし。(朝青龍に一面を偲ばせるものがあったが、残念なことに彼はヒールになりすぎた。)千代の富士がぐいぐいのし上がって行くのと共に、街を歩いていてもテレビの前に足を止める人の数がぐんぐん増え、人気の上昇が空気となって実感されたのをまざまざと思い出す。

 

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随談第578回 7月の舞台(訂正版)

歌舞伎学会の機関誌『歌舞伎-研究と批評』に今年2016年下半期の評を書く約束になったので、新聞評とこの随談と、三通りに書き分けなければならず、それはちょいと難儀な話になる。そこでこれから12月までの向こう半年間は、歌舞伎のことは落穂を拾うに留まることになるかもしれない。と、まずはそれをお断りしておいて…

●帝劇『エリザベート』

花總まりのエリザベートが興味深い。わずかな体の構えひとつで役の位を表す「位取り」の巧さ確かさ、歌舞伎の赤姫を連想させる。序幕の小娘から皇太子妃・王妃・国母・老皇太后となる各段階を年配と共に的確に見せる。大仰のようだが日本ミュージカル史上最高の「赤姫」と言って差し支えない。仕草の手先指先の重み、ぎりぎりいっぱいに身を保ちながら、同時にそれが威厳となる微妙な均衡、ちょっぴり歌右衛門を思い出させる。幼い王女を失う哀しみは政岡を、ゾフィー皇太后の圧迫に堪えるあたりは尾上というところか。

涼風真世のゾフィー皇太后にも位取りの確かさ面白さに芝居っ気が加わり、花總と二人で岩藤と尾上をしたら面白かろう。井上芳雄のトートの時に女性かと見紛うような色気、成河のルキーニの曲者ぶりもそれぞれ上手い。

ダブルキャストのもう一方、蘭乃はなのエリザベート、城田優のトート、香寿たつきの皇太后、山崎育三郎のルキーニも適役でありそれはそれで悪くないが、花總が尾上や政岡をさせてみたいと思わせるような意味での面白みを感じることはない。もっともこれは、花總が特別なのであって、それがないからといって悪いわけではない。

前年以来の新演出は、ミュージカルとしては限界近くまで歴史劇に近づいた骨格を持つようになった。トートとエリザベートの二人の芝居にして、歴史をメロドラマの蔭に埋もれさせてしまっていた従来の演出より、ドラマの骨格が明確になったのは手柄である。一般論として私は照明の暗い舞台は好きではないが、この演出に限っては是認しよう。

エリザベートが輿入れする1853年(即ち嘉永6年、黒船来航の年だ!)、ルキーニの銃弾に倒れる1998年(明治31年である)まで45年間を休憩25分を入れて3時間10分に収めてしまう脚本は相当の力技である。ハンガリーの自治独立を求める民主運動が、半面、20世紀のナチズムにつながってゆくことを示す演出も巧い。ハーケンクロイツの旗の使い方は、帝劇ミュージカルとしては相当「過激」と言える。ダブルキャストのために二回見たが、二度ともこの場面では満場しんとなった。見たのがたまたま、難民問題でイギリスがEU離脱を決めたすぐ後だった、という現実がそうさせた一面もあるが。

というわけで、従来この作品にもうひとつ興味を感じなかった私が、これだけ字数を費やして書くこととなった。

●OSK

今年もOSKの東京公演が新橋演舞場で4日間だが実現した。ダンス一本やりの純粋なレビューはいまやOSKだけ、その存在はますます貴重である。

前にも書いたが、なまじな物語や芝居の要素のない、ひたすら踊り踊り踊り、というレビューの哀歓が何とも言えない。舞台はただただ華やかに、踊り手たちはひたすら闊達に、舞台面も(物語のために、あるいは演技のために)渋滞することなく、次から次へと変転する。簡単な筋のようなものはあってもあくまで踊りの展開のための、いわば扇の骨みたいなもので、それが前面に出てくることはない。ここが肝心なところで、物語が前に出て「ドラマ」になってしまっては、もうそれはレビューではない。(宝塚はその道を歩んだわけだが。)

ラインダンスというのはその極致であって、今度もロケットガールズが飛び出してきてずらりと並んで脚を上げ下げするのを見ているだけで「感動」する。乙女の姿しばし留めむ、と僧正遍照ならずとも歌に詠みたくなる。「無常」ということをこれ以上実感する機会は、我々の日常の中にそうめったにあるものではない。かつてのラインダンス全盛のころは、SKDや日劇ダンシングチームなど、東京にもいずれ劣らぬチームが覇を競っていたものだが、いまや年に一度のOSK公演でしか見ることが叶わなくなってしまった。

(昭和32年7月封切りの松竹映画『抱かれた花嫁』という浅草を舞台にした映画は、この年始まったシネマスコープと称する横長のワイドスクリーンに全盛期のSKDのラインダンスが何度も映るのが壮観だった。松竹蒲田以来の珍名優日守新一が、田谷力三を思わせる往年の浅草オペラの名歌手の役で余人を以て代えがたい存在感を見せるなど、いまは語る人もない知られざる傑作で、いずれBC級映画名鑑に登場させるつもりでいる。)

●東宝現代劇とは、かつて菊田一夫が創設した日比谷の芸術座で数々の舞台を、脇役として支えてきたいわば座付きの俳優たちの集団である。この人たちがいなければ、『がめつい奴』も『放浪記』も、その他の数々の名舞台もなかったのだ。だが芸術座がシアター・クリエに「転生」して以来、この人たちが腕を振るうべき場は失われ、年に一度、地道に続けているこの公演が、その存在を示すほとんど唯一の場となってしまった。こういう芝居、こういう芸が、ついこの間までは当たり前のようにあったのだということを、その舞台を見れば今更のように思わされる。

今回は座のメンバーであり作者としても実績を持つ横澤祐一作の『坂のない街』。三遊亭圓朝の不肖の子として知る人ぞ知る出淵朝太郎の妻と、関東大震災の折56歳で消息を絶ったとされる朝太郎の先妻の子が、昭和30年代の東京に生きていた、という「ありうべき話」を時代の変転の中に展開する「現代の人情話」としてよく仕上がっていて、東宝現代劇健在をアピールするに足る出来と言っていい。冒頭、横澤みずから圓朝役で語って見せるのがなかなか堂に入っている。加藤武亡き今、こういう芸当ができるのは、それだけでも貴重な存在というべきだろう。

●毎夏楽しみにしている新橋演舞場の松竹新喜劇は藤山寛美27回忌追善。と言っても、藤山直美の出演はなく、当代渋谷天外と藤山扇治郎の二人で持ち切るという新喜劇水入らずに水谷八重子が客演するという体勢である。開幕劇の茂林寺文福作の『愛の設計図』など、毎度ながらこの作者のお笑い人情喜劇には感服させられるが、『宝の入船』とか『夜明けのスモッグ』となると、扇治郎がまだ少々荷が重いということもあるが、作そのものの賞味期限も気にならなくもない。『夜明けのスモッグ』は新喜劇十八番の内でもあり、もう少し期待していたのだが、時代との齟齬がひっかかる。昭和26年作の『愛の設計図』が、脚本に手を入れて現代に設定を変えてもびくともしないのを思えば、十八番という角書に捉われず改修手術が必要である。

館直志の傑作『はるかなり道頓堀』で満足を得るが、『愛の設計図』で、女子事務員の醸し出す雰囲気や江口直弥の幹部社員の背広の着こなし(ちょっと手が短い感じ)など、もうそれだけで大阪人種以外の何物でもない空気が漂う。これこそが新喜劇を支える財産なのだ。小島慶四郎が出てきて随分歳を取ったのにびっくりするが、セリフが危ういようでちゃんと辻褄を合わせる芸など、腕に歳を取らせてはいない。

●その他、サンシャイン劇場の『グレート・ギャッツビー』(脚本がよくできている)、シアター・クリエの『ジャージー・ボーイズ』(なかなか見せた。ビートルズのことばかり今どきのマスコミは言うが、その前にこうしたアメリカ産の音楽が流れ込んできて日本人の感性を「洗脳」?していたことを知るべきである)、それぞれ悪くなかった。

『マイファレディ』のダブルキャストは、演技の巧拙はともかく、貴婦人イライザ・ドゥーリトル実&amp;#12789;花売り娘イライザ、という転身の要諦をよりよく踏まえていた分、霧矢大夢の方が私としては好みである。

●新国立の別役実作『月・こうこう、風・そうそう』はカーテンコール一回だけで失礼させてもらった。通路に近い席だったので幸いだった。「サッサと逃げるはロシアの兵、死んでも尽すは日本の兵」というお手玉の数え唄が昔あったが、この場合私はロシアの兵隊式だった。近年私は、このカーテンコールなるものがだんだん、いや、ますます、苦手になってきた。せいぜい三回まででお終いにしてもらいたいと思う。歌舞伎にはカーテンコールのないのが実によき習慣である。(往年の名ヴァイオリニストのヨーゼフ・シゲティは狷介な皮肉屋で、日本の聴衆は常に一日のプログラムの最後の曲が一番気に入るらしい、と言ったそうだと太宰治が書いていたのを思い出す。)

●歌舞伎座は、海老蔵・猿之助という二枚看板でそれぞれの心意気が感じられる具合がよかった。『荒川の佐吉』の海老蔵が成川郷右衛門で出たのなど、その好例である。

海老蔵・猿之助に加えてもう一枚の注目の駒、中車が、『柳影澤螢火』の将軍綱吉役でアル中の中年めいた感じが、なるほどこういうやり方もあるかと思わせたが、筋書の出演者の弁を読むと「若く純粋で世間知らずゆえ常に誰かに頼っている、という方向で演じさせていただければと思っています」と言っている。おやおやと思った。そうだとすれば、あの演技は何なのだろう。新聞にも書いたが、初演のとき先代中車(まだ健在だったのだ)がやった飲んだくれの変なおじさん曽根権太夫を当代で見たかった。あれなら、現代劇俳優香川照之として培ってきた性格俳優ぶりを新歌舞伎の演技として仕活かすことも可能だったろう。それにつけても、歌舞伎俳優市川中車として既に3年、いつも安全運転ばかりでなく、そろそろ、歌舞伎役者としてより大きくなるための冒険をしていいのではあるまいか。昨夏だったか、海老蔵の与三郎に多左衛門を付き合ったが、何故蝙蝠安に挑戦しなかったのだろう。失敗したって恥ではない。お付き合いに多左衛門をして無難につとめたところで、血肉とはならない。あれは海千山千、いろんな役をつとめたベテランがさらりとやって貫録を見せる役だ。今月の相政にしてもそうだ。配役の都合もあろうがいまの中車がする役ではない。少年老いやすし、中年ならなおのこと、一寸の光陰も無駄にできない。うかうかしていると、やがて、中車という変わった経歴の歌舞伎役者がいたっけ、などということにもなりかねませんぞ。

ところでこれも新聞にも書いたが、尾上右近の『柳影』のおさめ、米吉の『荒川の佐吉』のお八重が、すっかり芸が大人になってオッと思わせる。

●国立鑑賞教室の『卅三間堂棟由来』はやっただけの甲斐も価値もあった。魁春はその実力を示したし、どうかと思った平太郎の弥十郎も、やはり大和屋の家には和事の血が流れているのを思わせる好演だった。いかつい体だからといって、決して役違いではない。秀調の進ノ蔵人はまさにその大和屋の和事の味を見せる。この人、もう少し、自分の値打ちを知ってよいのだ。歌女之丞、橘太郎と実力者が揃い、地味だが質実な実のある舞台で、少なくとも私の見た日、高校生の団体もじっと舞台に見入っていたのが印象的だった。

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随談第577回 6月の舞台、その他あれこれ

何かと隙取っている内に既に月末である。早稲田から毎日オリオンズで投げたアンダースロー投手の末吉俊信とか、タイガースの選手だが熊さんというあだ名だった後藤次男とか、ちょうどプロ野球が二リーグになった前後、つまりこちらはまだ小学生のころに全盛だった年代の人たちの訃報が、新聞の片隅に小さく載っているのを横目に見ながら、ゆとりもないままに日が過ぎてしまった。(私は末吉が早稲田のエースだった当時の試合を見た記憶がある。早明戦で、末吉は途中一旦外野を守ったのち、再びマウンドに上がったりした。私は小学校二年生だったが、まだ旧式の電灯による夜間照明がついていた時代の、私にとっては神宮球場で観戦した最も古い思い出である。プロ野球でナイターが始まってカクテル光線の明るい照明設備が後楽園球場に出来るまでには、まだ3,4年待たねばならない。)

象のはな子の死は大きく報じられたが、人の背より小さい子象としてやってきて、名前がガチャ子、これはタイ語で花子という意味だからというのではな子と呼ばれるようになった…と、当時聞かされて、そうとばかり思っていたら、今度の訃報によると、戦時中に殺処分された先代の名を継いだのだという。そうでもあったのだろうが、ガチャ子という、日本人には面白い響きを持ったタイ語の名前は、その後かなりの間お馴染みだったはずだが、そういうことは記事の上におくびにも出されないのはどういうわけだろう。ガチャ子からひと足遅れて、インドから、ネール首相の令嬢の名前を取ったインディラがやってきて、はな子と姉妹のようになったのだが、このインディラのこともひと言も触れられなかったのも、往時を知る者としては物足りない。(当時の情況を知らず、調べて報道する現役記者には無理な注文なのだろうか?)インディラは深夜竹芝埠頭に到着、腹帯をクレーンで吊って桟橋に降ろされるとそのまま、夜の東京の街を上野まで歩いて動物園に到着したという印象的な映像をニュース映画で見た覚えがある。

BC級映画伝も、気になりながら3月に載せてから休載状態を続けているし、『キース・へリング』『パーマ屋スミレ』『熱海五郎一座』、更には『ローエングリン』,鶴沢津賀寿の会等々、書くつもりでいたのが時期を逸して旧聞となってしまったものも多々出来てしまった。以前のように、もう少し小まめに書くようにした方がいいかも知れない。

と、ここまでがマクラ、今月の、といってももうじき7月、ややこしいから「6月の」と謳って、今月の各座のお噂をやや足早に伺うことにしよう。

        ***

6月の歌舞伎座について早くから話題になっていたのは、三部制にして、しかも一等の料金が従来1万8000円なら1万2000円となるべき理屈のところを1万5000円にしか割り引かれないので、これでは事実上の値上げではないか、豆腐屋が値上げをしない代わりに豆腐1丁の切り身を小さくするのと同じであると、非難する者ぼやく者、さていよいよ蓋を開けてみれば客席の模様はどうであったか、さまざまな現況報告が飛び交った幾つかは、私の耳にも届いたが…。

今では当然のようになった昼夜二部制も、元はと言えば戦時中に始まり戦後そのまま固定化されたものだが、戦後の混乱も納まった昭和30年代当時、批評家・ジャーナリスト等々のいわゆる識者で、二部制こそ諸悪の根源と非難しない者はないといってよかった。役者に過重労働を強い、ひいては芸の水準の低下につながるというのが理由だったが、昭和41年10月と11月に相次いで開場した帝劇と国立劇場が、帝劇は&#26478;落し公演を万之助改め当代の吉右衛門襲名公演を松竹と同じく二部制で行い、以後も歌舞伎公演の場合に限り二部制を取り続けたのに対し、松竹歌舞伎に対する批判の意を内在させ、理想主義を建前に掲げた国立劇場が一部制を実施したのは、象徴的だった。一日中のんべんだらりと芝居見物とはけしからんという戦時体制として始まった二部制が、戦後定着したについてはそれ相応の理由があったに相違ない。当世の若者には長すぎるというので三部制に踏み切ったのが1990年以来の納涼歌舞伎、その成功の実績が今度の試みにつながるわけだろうが、筋書巻末の出演俳優の顔写真にローマ字書きのキャプションを添えたり、外国人観客向けの「おもてなし」の、これが第一歩ということか。

         *

さてその三部制のテストケースに『千本桜』の通しというのは、対社会的知名度、三つの物語からなる内容、なるほど三部制のためにあるような狂言だ。染五郎と猿之助が三部出づっぱりで大奮闘という企画もいい。第一部が「碇知盛」、第二部が「いがみの権太」、第三部が「狐忠信」という立て方は、何のことはない、かつて現・猿翁が「知盛編」「権太編」「忠信編」として出したのと同じ発想だが、染・猿コンビがそれぞれ、知盛に典侍局、維盛弥助にお里、静に忠信と取り組み合うという配役も結構である。8月には二人で「弥次喜多」をするらしいが、菊五郎劇団の菊・海老・松トリオに対して染・猿コンビを売り出すというのは、いろいろ面白そうな可能性を秘めている。< 染五郎は第一部では渡海屋銀平実は知盛、第二部では弥助実は維盛、第三部では「吉野山」の静を加役でつとめ、更に所作事「時鳥花有里」にも出る。知盛が予期以上によかったのは、先年、『勧進帳』の弁慶を無理からにでも立派にやってのけた経験が下地になっているのかもしれない。こうした力と大きさが求められる役を手の中に入れたのだ。 一方、適役の筈の弥助と維盛が、悪いわけではないが、もっと良くていい筈、というところに留まるのはここらが難しいところ、和事味が身についていないと、ひと通り、という評の範囲に留まることになる。却って静は悪くなかった。加役でつとめる女形の美しさと面白さがあるのは、かつて色気皆無ながら桜姫など女形を手掛けた体験が無駄ではなかったか。もっともこれは『吉野山』という踊りだからであって、芝居だったらこうは行くまい。 一方猿之助が、お柳・典侍局にお里と女形に取り組むのは、若き日を知る者には昔馴染みに巡り合うような気分にさせる。亀治郎として売り出した昔は女形だったことを知らない人も多くなったいま、こういう形でのアピールは二重三重の意味合いを持つことになる。染五郎の静があくまで加役の女形であるのとはさすがに違うのが値打ちと言っていい。 三役の中ではお里が一番しっくりするのは、柄の問題もあるが娘方として昔取った杵柄でもあるだろう。いかにも権太に向かってビビビビビーとやりそうなオチャッピーのコケティシズムは、当節の女形の中に似合う人がいないから、猿之助を以て当代随一としていい。 お柳と典侍局、いずれもしっかりしているのは褒めていいが、お柳の方がベターなのは、お里がいいのと共通する、世話物に向いた柄の問題でもあるが、芸格の問題でもある。幸雀、京妙、京蔵…と居並ぶ局たちが皆立派なので、典侍局との落差が僅少になるのは、今度の局連中に限らず当節の歌舞伎で一番粒が揃っているのがこのクラスの女形たちであることが理由の一方にある。残る問題は、猿之助自身の今後の精進にかかることになる。 第三部の忠信は、新・歌舞伎座初の「四の切」とあって大張り切り、大車輪でもちろん結構だが、しかしまたぞろケチをつけるようだが、猿翁のあのぐらいの年齢の時、もっと役者ぶりが大きかったのではないだろうか? 『道行』で、定番ではカットされる件を出すなど(染五郎もよく付き合ったわけだが)意欲は満々、昨夏、尾上右近の「翔の会」に付き合って出したのを早速、この機会に活かしたのは猿之助らしい気働きで、本興行ではかつて現猿翁が先の雀右衛門と出して以来ということになる。         *  そうした染・猿大奮闘に、御大幸四郎が第二部で権太をつとめ、梅玉のために第一部「渡海屋・大物浦」の次に「時鳥花有里」なる長唄の所作事がつく、というふたつの「瘤」がついている。というと「瘤取り爺さん」みたいで一見、おじゃまみたいに思われそうだが、 ところがこの二つの「瘤」がさすが永年取った杵柄、なかなか結構、なかなか乙である。幸四郎の権太が登場すると役者ぶりのデッケエこと、それまでの各幕が子供芝居だったように思えてくる。することも無駄な力が抜けて、幸四郎ぶりもここまでくると、この人なりにひとつの境地が拓けつつあるやに思えてくる。 第一部の最後に『時鳥花有里』なる、このたび新作された長唄による所作事でも、梅玉の義経の風情がまさしく年功というほかはない立派さで、ただ立っているだけで憂愁の御大将義経になっている。二枚目役者として、この人もここまで来たのである。ところでこの所作事、物知りに教わったところによると寛政年間の絵本番付を粉本に、それから逆算して作ったという、正直、そう面白いというわけでもない一幕だが、なるほど、東蔵の鷲尾三郎だの魁春の龍田の神女だのを揃えて、知らずに見ればだまされそうな古びた趣きがあるのが一徳。染五郎がここにも現れて四ツ面の踊りを見せるという、はりきり男ぶりを見せる。          * 「すし屋」で彦三郎の梶原、秀太郎の小せん、錦吾と右之助の弥左衛門夫婦等々を見ていると、みなそれぞれに無駄に歳を取っていなかったのだなあと、改めて思わないわけにいかない。(彦三郎の体調はどうなのだろう? かつての東横ホールの若手「忠臣蔵」でこの人のつとめた若狭助や平右衛門がなつかしく思い出される)。高麗蔵の若葉の内侍にしても、これまで何回努めてきたろう。「四の切」で門之助の義経のそこにいるだけで紛れもない義経になっている見事さ。この人たちに通じて言えるのは、皆、本物の仁の持ち主だということである。         * 忘れるところだった。安徳天皇役で初目見得の武田タケル(頭韻を踏むなど、凝っていていい名前だ)が、声よくセリフは明確、品よく可愛く、体の大きさも程よく、ほぼ理想的な幼帝ぶりである。あの役は、セリフがすべて重要で、とりわけ、御製の歌をしっかり言ってくれないと見物は泣くことが出来ず、画竜点睛を欠くことになる。幼すぎては無理、と言って大きすぎては可愛げもなく、そもそも典侍局が抱くのが難しくなるからこれもダメ、なかなか程のいい子役がいない役なのだ。         * 国立の鑑賞教室で橋之助が『魚屋惣五郎』を出しているのが20年ぶりだという。あっけなく時が経つのにも呆れるが、秋の襲名の演目が決まって盛綱と熊谷を出すのだという。この二つを眼目に立てたというのは、時代物役者としての自覚を天下に表明したということか。いよいよこの人の役者ぶりの見事さを思わないわけには行かない。先頃『逆櫓』の樋口をした時の評を『演劇界』に書いて、橋之助を稀勢の里になぞらえたら、なかなか横綱になれない大関に例えるのはどうでしょうと編集の人が心配した。もちろん、そういう意味ではなく、大器ぶりを重ね合わせたのだ。 梅枝がおはまをやっていて、年齢なりキャリアなりにその役になっていることに、改めて驚く。橘太郎が太兵衛を当り前のようにつとめているのにも、意味合いは違うが、ある感慨を抱かざるを得ない。 宗生が体育会系のような三吉だが、これが大人の役者としての第一歩ということか。         * コクーン歌舞伎の『四谷怪談』については新聞にも書いたしまもなく出る『演劇界』にも書いたから、そちらを見ていただくことにしたいが、勘三郎がいなくなったコクーン歌舞伎ということを、しきりに考えながら見た。         * 三越劇場の新派公演が、『深川の鈴』と『国定忠治』の二本立てという、新派の近未来を予告するようなメニューを出した。 『深川の鈴』は川口松太郎の人情馬鹿シリーズ別巻のような作で、いまやこういうものをさせたら波乃久里子は、人間国宝にさせたいようなものだ。ある時代にある土地に生きていた人間の生き様を舞台の上にさながらに生きて見せるのが芸だとするなら、少なくとも、かつての名優とか名人と言われた人たちの舞台や高座に覚えたものと同種類のものを、久里子の舞台に覚えるのは確かである。上手い人は今だって各ジャンルにたくさんいるが、こういう確かな手触りを感じさせるような芸の持ち主という意味で、絶滅危惧種のようなものだ。 それと、いつも同じことを言うようだが、立松昭二の円玉、伊藤みどりのお辰等々、痩せても枯れても芝居の内容が要求するものをちゃんと舞台の上に作り出して見せる新派の脇役たちの見事さ。月之助が新派の二枚目としての仁を備えているのを見ても、その新派加入は、ただに彼一人のためだけでなく、大正解であったと言っても早計ではないだろう。正月以来、新派の人となって、目下、毎試合連続安打を放っている。 その月之助が新国劇十八番の『国定忠治』を新派公演の演目として出すというのは、いろいろな想像を掻き立てるが、忠治ならぬ新国劇の残党ともいえる劇団若獅子の笠原章ほか、れっきとした旧新国劇の面々が脇を固めて、さながら歌舞伎の型物のごとくに「再現芸術」として演じて見せる。老いたる者には在りし日の思い出を、若人には新たなる夢を、とは、かつてコロンビア・トップが懐メロ番組の司会で聴かせた名文句のもじりだが、思えば新派も新国劇も歌舞伎の周辺演劇として発生・発展したもの、それがいまこうして、歌舞伎で育った月之助が新派の舞台で新国劇の十八番を演じるというのも、巡り巡っての歴史の必然ともいえる。少々、肩に力が入っていたのは否めないが、まずは立派なものだ。(辰巳柳太郎の訛りの癖までコピーしているのはおかしいが、いまは目をつぶろう。)こういう役も守備範囲の内に入れられるなら、月之助、いや二代目喜多村録郎によって新派そのものの守備領域が広がることになる。笠原章が川田屋惣次役で、老け役の巧いのにも感心した。『荒川の佐吉』の鍾馗の仁兵衛をさせてみたくなった。 その新派が6月19日の日曜に一日だけ、三越劇場で水上滝太郎の『銀座復興』を上演という思いがけない企画があって、なかなか結構だったことも、最後に書いておこう。終戦直後の昭和20年10月に、六代目菊五郎が一座を率いて帝劇で上演、劇の背景の関東大震災と米軍の爆撃による戦災という現実とが重ね合わされて感動を呼んだという、音に聞えた話で知るばかりだった芝居を初めて見る興味と、いざ見てみると正直なところ、こういうものか、という思いと、両面あるのが率直な感想だが、それはそれとして、よき企画であり、よき舞台であったことは間違いない。かつて菊五郎のやった「はち巻」の主人を田口守、多賀之丞のやった女房を瀬戸摩純など、みなよかったが、ここでも参加の笠原章がかつて尾上鯉三郎のした稲村老人の役で、老けの巧さを見せた。

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随談第576回 今月の舞台から

今年の團菊祭は目玉が二つの、鵺ならぬ双頭の鷹のごとき様相だが、この鷹は、片方は雛鳥、片方はすでに雛を子に持つ親鳥たちである。菊吉両首脳が目に入れても痛くない二歳半の坊やの観客吸引力は、気が付くと真後ろの席に小泉純一郎氏の姿があったり、孫に引かれて團菊祭29年ぶり出演の播磨屋の五右衛門に菊五郎の久吉という大ご馳走の『楼門』が出たりしたのだから、当節の歌舞伎の「陽」の面をシンボライズしたようなものだが、双頭のもう一方の親鳥たちの方はと言えば、陰陽こもごも木漏れ日のごときまだら模様を呈している。

そもそも今回の團菊祭は、寺嶋和史クン初御目見得という慶事を表にしながら、じつは菊之助・海老蔵・松緑三人体制を明確に打ち出したところが眼目であって、昼夜7演目中4演目、それも中心部分に彼等の演目が置いてある。これが軌道に乗れば、菊五郎劇団も11代目團十郎・梅幸・二代目松緑以来の三代がめでたく揃い踏み、團十郎亡き後、菊五郎が背負ってきた重荷も次代へ受け渡す体制が整うことになるわけだ。いや、歳月人を待たず、そうのんびりもしていられない。

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三人顔合わせによる当月の眼目といえば、海老・菊の松王夫婦、松緑に梅枝の源蔵夫婦という『寺子屋』で、幕が切れロビーに溢れ出た途端、とかくを云々する声も耳にしたが私はむしろ、ほっとした、というのが第一の感想であった。まずは神妙につとめているのと、4人の均衡が取れてそれがおのずから、この狂言の骨組みを明確にしていることを良しとする。但し、各人それぞれが役の心理やら情やらを心を籠めて演じ出そうとするために芝居が伸びて劇全体の結構が歪みがちになるのがよろしくないが、もっともこれは、この『寺子屋』という芝居自体が,近代主義的に演じ尽され末端肥大的に心理芝居と化して久しいためで、今回の4人だけの話でもなく、責任とも言い難い。次の機会には、親世代よりもっと前世代の名だたる演者たちの映像なり、音盤なりを、皆で研究してみることだ。

それにしても、アラサーからアラフォー世代の、役の人物たちとほぼ同年輩の彼らが発散するオーラというものには、なかなかのものがあるのは確かだ。海老蔵が首実検で刀を抜いて源蔵夫婦に突きつける團十郎型を見せるのがよく似合う。菊之助の千代がときどきはっとするほど梅幸に似ている。松緑も手堅いマッチョぶりに祖父や父のますらおぶりを彷彿させる。梅枝の戸浪は曾祖父三代目時蔵の若き日はかくもあらむかと思わせるオーソドクシイを感じさせる。というわけで、まずはこれが現時点での彼等の平均値と見る。

もうひとつの三人勢揃いの『三人吉三』大川端となると、疑問がぞろぞろ出てくる。3人とも祖父以来の仁を伝来しているからその点では結構なのだが、まず海老蔵のお坊がすべてのセリフをツラネであるかのように謳うと、菊之助のお嬢もそれに応じるから、二人のやりとりが掛け合いのアリアの如くになる。如何にこの場は様式美を愉しむ場だとはいえ、あれでは、あるいは謳いあるいは世話のセリフになって虚々実々の応酬をする緩急の妙というものが生まれてこない。

お坊とお嬢はあそこで初めて出会って、互いの手の内や人物としての器量の程度を探り合っているのではないのか? その上で、ヤアこいつはなかなかの奴だと互いに認め合うに至るのだ。そこのところを、七五調のセリフの様式を踏まえながらも「芝居」として見せてくれなければ、黙阿弥劇の醍醐味は生まれてこない。謳い上げるだけが様式美ではない。

中では松緑の和尚が、世話の芝居の緩急を一応なりと押さえている。和尚のセリフがそのように出来ているから、ということもあるし、おそらく祖父先々代のテープでも聴いたか、ということもあるが、ともあれ、まずは和尚らしいセリフになっている。口跡の固さはあるにせよ、だ。

菊之助のお嬢が、おとせを川に突き落とし木っ端どもを抜き身で追い払って、棒杭へ片足をかけ、ひと呼吸、いやふた呼吸ぐらい間を取って(声がかかるのを待つかのように)、「月もおぼろに白魚の」と厄落しのアリアにかかる。このことについては前にも(このブログにも、以前に出した『21世紀の歌舞伎俳優たち』という著書にも)書いたことがあり、このやり方にもそれなりの理由はあるとは認めるが、祖父梅幸が晩年に久々にお嬢を演じた時、アッと思ったことがある。つまり、抜き身で追い払い棒杭に片足を掛けるとすぐ、そのままひと流れの呼吸で「月もおぼろに」と始めたのだ。そのことを書いた私の文章を読んだのかどうか知らないが、それから程なく、まだ勘九郎だった当時の勘三郎が、梅幸のおじさんに教わったやり方だと言って、つと立ち上がって、目の前で、このくだりの一連の仕草を一筆書きのようにやって見せてくれたことがある。やり終わって、ネ、という風に頷くと、今、もう誰もやらないんだと言った。私にとっては貴重な体験だったが、なるほど、と深く感じるところがあったのは確かである。(この時点での勘三郎は、やがて梅幸譲りのお嬢吉三を演じる秋(とき)を待つつもりであったと思われるが、その後コクーン歌舞伎で和尚吉三を演じたが、ついにお嬢吉三を演じて見せてくれることなく終わってしまったのは、返す返すも残念なことと言わねばならない。)

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菊之助が『十六夜清心』で清心をつとめてこれはなかなかのものである。何といっても、和事のかかった二枚目という仁と芸質が絶対のものを言う。それとセリフの平仄が整っているので、松也の求女との割り台詞など、黙阿弥の韻律が心地よく耳に響いて狂言の皮膜の間へ引き入れられる。現今の菊之助としてやや優等生に過ぎるきらいはありはするものの、一脈それが、心中を図って死に切れず、しかし待てよ、と悪心が兆すまでの清心の在り様に通じるところが一徳である。凄みがないとの評もあるようだが、それは後に鬼薊の清吉になるまで取っておいていいのだと思う。

松也の求女も、菊之助と並んで立つと背の高さが目につくが、それを別にすれば、よく体を殺して若衆になっているのは偉い。白蓮に左團次、十六夜に時蔵が控えている安定感も、ここでは大いに物を言っている。というわけで、この一幕は、この世代の歌舞伎として一級品と言っていい。

松緑が『時今也桔梗旗揚』と真正面から取り組んで訥々、詰屈、外連味のまったくない舞台ぶりで、これを見たら斜に構えた戯評などできるものではない。この人は、家康ではないが重い荷を背負って長い道を歩き続ける人になるのかもしれない。團蔵が春永でこのところの好調をキープ。役者は六十からか?

松緑の光秀が三宝を踏み破って謀反の意を顕わして高笑いするまで蓄積された疲労を、海老蔵・菊之助の『男女道成寺』が按摩する。二人のもっている役者として花がここで物を言う。

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團菊祭に梅玉と魁春が出るのは、祝い事の『勢獅子』にお付き合いのためだろうが、せっかくのことだからというように『鵺退治』という珍物が二人のために開幕劇として用意された。54年前に勘弥がした時の上演時間は19分だったのを、今度は清涼殿屋根上の立回りを増補して30分に仕上げたという。したが顔は猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇という怪物の着ぐるみが登場しても、やれクマモンだつば九郎だ、可愛らしい着ぐるみ隆盛の当節、あまりこわくないからせっかくの源三位頼政の武勇も却って引き立たない。「鵺」という字は「夜」扁に「鳥」と書くように、夜な夜な屋上で奇怪な鳴き声を立てる怪鳥であるところに肝があり、だからこそ頼政も矢で射殺すのだ。とすると、折角の今井豊茂苦心の補綴ながら、立回りはすっかり裏に廻してしまった54年前の勘弥所演の方が賢かったということになりはしまいか?

(それにつけても、当時の勘弥は、『鵺退治』の翌年には『凧の為朝』を出し、その秋には『治承の旗揚』を出すなど、珍品堂主人よろしく蘊蓄を傾けてくれたのが懐かしい。

        ***

今年は前進座創立85周年というので、国立劇場公演に『東海道四谷怪談』を気張って出したのが、「前進座のいま」を語り尽すかのようななかなかの出来だ。「地獄宿」は端折って「宅悦内」になったが「三角屋敷」をきちんと(と言ってよいだけにまとめて)出し、「又之丞住処」は食ったが小仏小平の立場は明確にするとか、奥田庄三郎のスパイ活動は端折っても与茂七と衣類を交換する件は見せるなど、今日可能な上演時間の中で物語を成立させる端々をきちんと見せるなど、前進座らしい几帳面なテキストである。折から6月にはコクーン歌舞伎版の『四谷怪談』が出るが、いまや今度の前進座版が、今日最もオーソドクシイを保ったバージョンとも見える。教科書になり得るだろう。

演じる側も、先代国太郎のお岩のような突出した存在がない代わり、主要などの役もバランスよく納まるべきところに納まりつつ、それぞれ存在を明らかにしている。つまり、脚本の在り様にぴったり見合った、それもまた「前進座のいま」を具現している。そこが物足りないという向きもあるだろうが、求めるところが違うのだから、それはないものねだりというものだである。

お岩の國太郎、芳三郎の伊右衛門、矢之輔の直助と芸の背丈が揃う中で、与茂七に菊之丞を招いたのが今回の配役の最大のヒットである。詳しい事情は敢えて知らずに、舞台の上だけのことに限って言うのだが、座への復帰を切に望みたい。仁のよさでは芳三郎の伊右衛門がそれにつぐが、この伊右衛門なら、またこの脚本でなら、「隠亡堀」で「首が飛んでも動いて見せるわ」というセリフはなくもがなだ。(あのセリフをやたらに強調し、重要視するのは、今から見れば60年代70年代というひとつの時代の「風景」であって、それから早や半世紀を隔てた今日、伊右衛門像として却って古めかしい。)

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随談第575回 訃報あれこれ

加賀屋歌江が死んだ。小山三という別格的な存在は別とすれば、ひと足先に逝った吉之亟とともに、「昭和歌舞伎」を知る最後の女形だった。歌右衛門が八ッ橋をするのがテレビ中継されれば、画面のフレームの中、歌右衛門の斜め後ろ辺りに歌江の顔がある。遠近感が失われる画像の中では、身を殺していても大柄な姿はすぐに目についた。実を言うと少し目立ちすぎたのかもしれない。

それは、歌江にとっては決して喜ばしいことではなかった筈である。芯の役の役者の邪魔になってはいけない並び腰元や並び傾城の役を務める女形として、目立ちすぎることは慎まなければならない、という建前のもと、しかし実を言うと、これという女形は、みなそれぞれの個性をもって自分の贔屓を持っている。傾城や腰元たちの中に心に留まった顔を見つけて、あれは誰だ? というのが、観客の側の楽しみでもある。

歌右衛門の踊りに後見として影身の如く付きしたがって、引き抜きを行う名手としても知られたが、歌江の前に同じ役をつとめていた加賀屋鶴助がひと際の小柄だったのと、ここでも対照的だった。踊りの後見を表芸とすれば、形態模写という隠し芸があって、永い時期、俳優祭の名物になっていたことは、私がここに書くまでもないだろう。

昭和の末期から平成の初年にかけて、例年八月に国立劇場で続けていた葉月会で、珍しい狂言をいろいろ見せてくれたことが最も評価されるべきことだろうが(特に幸右衛門と組んで見せた『敷島物語』をはじめとする諸作は正に隠れた名作だった)、ああした形で一歌舞伎俳優として気を吐いたことと、歌右衛門の影法師として女形人生を全うしたことと、歌江自身、どちらを本望としていたかは、本人以外には窺い知れないことである。

上野の酒屋の倅で、昭和30年前後に新東宝の二枚目スターとして宇津井健の次ぐらいの位置にいた中山昭二が兄だという、かつては歌江のことを人に教えるときによくした説明は、今となっては、ヘエ―と言ってわかる人も稀になった。

       *

ダーク・ダックスのバリトン喜早哲氏が亡くなって、それなりの話題にはなったが、新聞の扱いは必ずしも大きくなかった。中には顔写真も何もないベタ記事の扱いのところもあったらしい。新聞を読まない若者世代が増えたというので東大総長が入学式の訓示に新聞を読みましょうと言う時代、紙面構成の中での扱い様でニュースの重大性が相対的に知れるのが新聞ならでは、インターネットではそうはいかない、と新聞人がアピールに努める昨今、喜早哲氏の死亡記事のこの扱いはその言を自ら裏切るものと言わねばなるまい。

確かに、イマドキノワカイモンはダークダックスなどといってもピンと来ないかも知れないが、しかし相前後して訃報が伝えられた秋山ちえ子、戸川昌子といった名前とともに、昭和30年代という時代の匂いを伝えるという意味で欠くことのできない名前である。もっとも戸川昌子が第一回の江戸川乱歩賞を取って作家デビューしたのは既に高度成長期に入ってからだから、実は少し遅れる。ラジオでデビューして最盛期をテレビで迎えたという意味で、ダークダックスも秋山ちえ子も、他の同業の人々とは一線を画す、戦後世相史年表を作るとしたら、独特の時代の匂いを持っているが故に逸することのできない名前なのだ。

ダークダックスよりデュ-クエイセスの方が上手いだの何だのということを言い出せば、いろいろな評価があり得るだろう。しかし4人コーラスというあの形で戦後社会に登場したのはダークダックスが先駆者であり、そのこと自体が、戦後世相を語るひとつの「事件」であったのだ、という意味で、他の、ダークダックス以上に音楽的に優れ、より以上にヒットナンバーを持ち、人気の上で上位に立ったどのコーラスグループにもまさって、喜早哲氏の死は、新聞紙面に然るべき扱いをされるべきなのだ。(つい先日、日本映画チャンネルで江利チエミの東宝映画『サザエさん』を放映したので70年ぶりの再会をしたが、初めと終わりに、ダークダックスが近所の酒屋の御用聞きの役で出てきたのを見て、アア、そうだったっけ、と古い古い記憶が甦った。つまり、あの映画は江利チエミだけでなくダークダックスが出演したことによってミュージカル映画となったのである。(もちろん、当節のミュージカルとは全然違うが、当時の製作意図としては、あれでもミュージカルなのだ。)

秋山ちえ子氏については、訃を伝えるどこの局でも流していた、戦時中殺された上野動物園の象の物語の語り部としてよりも、そのいわばデビューとなったラジオでの、声によるニュース解説のような番組が、子供心にも新鮮な感じが印象的だったのを覚えている。ダークダックスにしても秋山氏にしても、格別ファンであったわけでも愛読者・愛聴者であったわけでもないが、ラジオからテレビに移り変わって行った時代の感覚を鮮やかに思い出させてくれるという意味で、欠かせない名前であり懐かしい名前なのだ。

    *

ここまで書き継いできたところで、蜷川幸雄氏の訃報が入った。もっとも私は、決して氏のよき観客ではなかったし、あちらとこちらの活動を線で表すなら二つの線分が交わることはほとんどかった。

唯一接近したのは、既に10年も前になるか、菊之助が働きかけてシェイクスピアの『十二夜』を蜷川演出による歌舞伎仕立てで、まだ建て替え前の元の歌舞伎座で上演、大評判になったとき、旧体制時代の『演劇界』に私が書いた劇評を、氏が気に入っているらしいと教えてくれた人があった。と言ってもそれだけのことで、あちらからもこちらからも別に何をしたわけでもなく、交差しかけた2本の線は、またそれなりにてんでんに放物線を描きながら相遠ざかるようになった。

氏がまだ役者だったごく若いころ、大佛次郎の『三姉妹』という、国立劇場で新歌舞伎にもなった維新物の大河ドラマで、ほんのチョイ役だが(たしか二回ほど出てすぐ殺されてしまったと思う)、開港場になった横浜で虚無的な通弁の役をしていたのが、妙に気になってそれ一作でその存在ははっきりと認識することになる。やがてその後、灰皿を投げつける演出家、などと面白がられながら評判を高めていくのを、時にはその演出した舞台を見たりしながら、遠くから眺めていた。というのがそれからほぼ半世紀間の、わが蜷川像ということになる。

というわけで、私などが口を挟むようなことは何もない。一言で言うなら、主演俳優や、ときにはタイトルよりも、演出家の名前が大きく語られ、大きな文字で宣伝されるような時代状況を切り拓いき、現出させた人、ということだろう。料理はシェフ次第、芝居は演出家次第、ということを、時代の常識にした人、と言い換えてもいい。

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随談第574回 ニコニコ超会議2016で獅童を見る

台風並みの烈風吹きすさぶ旧天皇誕生日の4月29日午後、乗り継ぐ電車3路線の内、2路線が大幅遅延という悪条件もものかわ、乗りかかった舟と肚を決めて、幕張メッセに辿り着いた。二時間半の余もかかってようやくプレス受付に着いたのは14時開演に遅れること既に5分余、教えられた会場へ行く途中で、ふと魔がさして他の催し物の会場へ紛れ込み、その、何というか、妖しうこと物狂おしき中をさまよいさすらい、ようやく心づいて脱出、カタログ番号E-112、超歌舞伎『今昔饗宴千本桜』の行われているイヴェントホールまで漕ぎつけたのは、察するところ狂言も佳境に入ったと思しき頃合いであった。

今回のニコニコ超会議2016のメインイベントである超歌舞伎の主役を獅童がつとめるについて、案内があったので出席の返事をしたのは、ニコニコ超会議なるものが如何なるものか、実際を見ないことには見当もつきかねる。「社会勉強」にもなることだし、その中で演じられる「超歌舞伎」なるものが如何なるものか、この機会にひとつ見ておこうかと、むらむらと興味が湧いてきたのである。酔狂・物好きと言わば言え、同日同時刻、紀尾井ホールでは竹本駒之助が『媼山姥』の「廓噺の段」を語るのを、ニコニコ超会議の獅童に乗り換えたのだから、愚挙と断ずる人がいたって不思議はない。

超歌舞伎『今昔饗宴千本桜』はかの松岡亮の脚本にして大正百年という超未来が現実、初音美玖(登場人物の役名である)の脳内で大過去に遡ったところが『義経千本桜』の時代という設定、獅童は『千本桜・鳥居前』の仁王襷を付けた忠信の扮装で、初音ミク扮する(と言っていいのか)美玖姫のために奮戦する。「鳥居前」あり「花矢倉」あり、その他観衆の歌舞伎イメージを満足させるような立回りの手を惜し気もなく見せて、青龍の精なる悪を倒すために獅童が大奮闘する。カラミ、鳴物その他、歌舞伎側は藤間勘十郎演出・振付によるすべて本物が出演しての初音ミク側とのコラボレーションである。この日が超歌舞伎公演の一日目で三公演、翌日が二公演、各ほぼ一時間という上演時間を獅童が初音ミク嬢と共演する。大変な運動量(!)と言わねばなるまい。

大団円には、特性舞台を駆け回っては、サアサアサアというように場内を煽っていやが上にも盛り立てようとするサービスも堂に入っている。5千人と聞いたが大観衆の場内から「萬屋!」と、結構悪くないタイミングで掛け声も掛かる。この場にいる観衆にとって、獅童は歌舞伎の世界からやってきた使者であり、(「月よりの使者」という映画が昔あったっけ!)何よりもまず、獅童はそのイメージによく似合っている。おそらく現在の歌舞伎界の誰よりも、獅童はこの役割にふさわしいに違いない。そもそも、この空間、醸し出されるこの空気、知名度、どれをとっても、獅童以上に程よくマッチングできる歌舞伎俳優がいようとは思われない。私としても、こういう獅童の姿を見ていれば、少なくとも好感を抱かざるを得なくなる。見終わって、滔々たる大河の流れのような人の波に流されながら、「凄い迫力だなあ、びっくりした」といった声を幾つか耳にした。これを最大公約数の感想と考えてよいとするなら、獅童は、歌舞伎伝道師という自分に課せられた責務を十分に果たしたことになる。

それにしても、と少々の負け惜しみを交えながら蛇足を加えると、前半を見はぐっても、会場へ向かう途中で他の超会議の催し会場に紛れ込んであの異空間の洗礼を受けておいたのは、結果としてよかったと思う。ロックの大音響が鳴り響く中、イマドキの若い人々の興味を引きそうなありとあらゆるものがごった煮状態で、差別なく並列されて行われている。「自民党」だの「民進党」だのという、いかにも場違いそうなコーナーまであって、たまたま通りかかったときには、自民党の代議士と思われる人物が黒スーツ姿の街頭演説と寸分たがわぬスタイルでアベノミクスが何とやらという演説をしていた。まるで地獄極楽巡りをしているみたいなもので、これで頭がおかしくならなかったらどうかしている、ようなものだが、こういう洗礼を受けた後に見た「わが獅童」は、間違いなくちょいとしたものであった。

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随談第573回 今月の舞台

何とか無事手術が終わり、両目が開いて娑婆へ釈放された翌日から各座へ巡礼ということとなった。目明きになって見る最初の舞台、歌舞伎座昼の部『操り三番叟』の幕が開くと、雛壇に長唄囃子連中が居並んでいるひとりひとりの目鼻立ちまでくっきり見える。視力1.2というのはこういうことなのか。(小学校6年生の時以来の視力ということになる!)とはいえ、当面は一日に6回、3種類の目薬を忘れずに点さなければならず、となると当然だが、6回の内何回かは出先でしなければならないのが厄介である。

ま、それはともかく。

歌舞伎座に空席が目立つということが、其処此処で囁かれている。昼夜とも新作が出し物のメインでなじみが薄いことや、菊之助、勘九郎、七之助と揃う明治座の方が活気があって面白そうだということなどが、差し当たって思いつく理由ということらしい。確かに、四日、五日と二日続けて両座を見ると、明治座の方が華やいでいる。入りの良し悪しもだが、ロビーに溢れた人波の色彩の鮮やかさが違う。

歌舞伎座には仁左衛門も出ていて、『身替座禅』『毛谷村』ともっぱら古典の演目を引き受けているが、何となく影が薄い。ちっとも悪いわけではなく、特に『毛谷村』など、「杉坂墓所」から出したり、冒頭の剣術試合に立会いの侍の衣装を違えたり、随所に独自の見識を窺わせる仕方を見せるなど、丁寧な仕事ぶりで、なすべきことはちゃんと果たしている。お園の孝太郎も精一杯の努力を見せて悪くないし、お幸に東蔵、京極内匠に歌六とくれば当節これ以上はないという配役であり、このところの仁左衛門は、透明感というのか、余計な力みが一切なく、これもひとつの境地なのであろうし、見る人が見ればそこが素敵だということにもなるに違いない。『身替座禅』も、この狂言の妙趣は朝帰りの陶然たる風情を踊りとして見せるところが肝だから、踊りが得手とはいえない仁左衛門ならではというものではないのは確かだが、何といっても品の良さが生きるし、左團次の奥方も、少なくとも我々の見た日は悪ふざけなどなく、一種古風な趣さえあって、左團次もここまで来たかと思わせる。

というわけで、両演目とも、褒めこそすれ悪く言う筋合いは少しもないのだが、昼の部の最後と夜の部のはじめに納まって、今月の一座の中で何となくお客さんのような気味がある。また幸四郎が、『不知火検校』がこの人近来の傑作と言ってよく、『幻想神空海』にも終幕に特別出演といった趣で登場する唐の皇帝がこの人ならではの異国の偉い人らしい風が素敵で、つまり今月は高麗屋大当たりなのだが、それはそれとして、昼夜を通して眺めると、今月は染五郎の月なのだなという感が強くする。もう少し正確に言えば、偉い人たちを立てながら染五郎がこまねずみのように抜かりなく気を配りながら取り仕切っている、という感じである。

『不知火検校』は、元々、十七代目勘三郎に当てて書かれた江戸のピカレスクを、幸四郎が再演、3年前の初演の折には、中村屋風の世話の小味を高麗屋風の時代の大味に力づくで変えようとしてギクシャクしたが、今回はそこらが自然体のように程よく落ち着いている。着丈を自身の寸法に仕立て直し、柄や生地も幸四郎色に染め変えて、ちょっぴりバタ臭さも隠し味程度に効かせながら見せる具合が、なかなかうまくいっていて、ここ数年来、道玄だの新三だの、黙阿弥ものの小悪党にトライしても柄にも仁にもピッタリ来ず、叶わなかった会心の幸四郎振りを見せている。近来の傑作と言った所以である。先月の『金閣寺』の大膳などを見ても、幸四郎こそ悪党の蒼白な美を見せるピカレスクを演じておそらくは当代での第一人者であろう。同じ宇野信夫作品で染五郎時代に帝劇で初演した『花の御所始末』など、もう一度手掛けて然るべきである。

そうした中で、染五郎が生首の次郎という、いうなら、しがない按摩の富の市を二代目不知火検校へと成り上がらせるプロデューサーのような人物を演じて、じつにいきいきと立ち回るその取り回しが小気味よく、悪党というには凄みだの悪の強さだのが薄味なところを突く評もあり得るだろうが、私が興味を覚えたのは、むしろこの種の役どころでこそ、染五郎という役者は生き生きと精彩を放つのだということである。

転じて、『幻想神空海』で空海を演じても、染五郎はじつに溌剌と、若き留学僧空海として舞台の上の唐の街々を歩き回る。その自負に満ちた屈託のなさは、若き明治の代に伯林はウンテル・デン・リンデンを逍遥する太田豊太郎ならぬ森林太郎青年でもあるかのようだ。二年という限られた留学期間に「密」を学び取る(学び盗る?)という難行など、口では大変そうに言いながらその実まるで意に介していないかのように、健康的である。留学仲間の橘逸勢ともども、赴く先々でさまざまな人物や妖異と出会い、会話を交わして愉しむさまは、前回の同じ作者の『陰陽師』の安倍清明の、勘九郎の源博雅のコンビとそっくりそのまま重なり合う。当事者でありながら、当事者ではない。ストーリーの真の当事者は、歌六演じる丹翁であり又五郎演じる白龍であり、空海はシャーロック・ホームズとして、逸勢ワトソンと共に謎解きに腐心はしても、いうなら主役であって主役ではなく、むしろ狂言回しであると言った方がふさわしい。そういう立場で、程良く立ち回る染五郎は、なかなかに魅力的である。染五郎空海のそのスタンスは、不知火検校に於ける生首の次郎にも類似してくる。

誤解されると困るが、私はそういう染五郎の演技を難じているのではない。夢枕獏原作のこの芝居は、畢竟、そういう芝居なのであり(筋書の演出者の言にもあるように、玩具箱をひっくり返す愉しみである)、登場人物としての苦悩やら何やらは歌六や又五郎の演じるところに任せておけばいいのだ。(もっともその分、歌六と又五郎のセリフ術というものは大変なものであり、その労は大いに報われるべきである。)膨大な原作小説から要所をつまみ上げて、2時間20分、休憩なしで一気呵成に見せるという設定も、染五郎のこの行き方でこそ可能なのであり、さもなかったら、つまりあの迷路のようなストーリーにまともに付き合っていたなら、見る側は疲労困憊したであろう。

その意味では、脚本も出演者一同も、よく頑張ったと言っていい。中程の、話が50年昔に遡って事の因縁を説明する場面を幻想劇として浄瑠璃仕立てにして、京蔵やしのぶがチャイニーズ風女義のような姿で登場したりするのは、している方もだろうが見ているこちらもちょっぴり照れくさいが、脚色者としては苦心のアイデアに違いない。新・雀右衛門が、かつての父先代の演じた妲己みたいな扮装で楊貴妃になるのもミソであろう。橘逸勢やら白楽天やら、歴史上の偉人たちを松也や歌昇がつとめてずいぶんかわいらしい様子で登場するのはご愛敬というところか。米吉や児太郎が唐代のホステス役で平素の彼らからはヘエーというほど大人っぽく(おねえさんぽく)見えるのも妙だ。

        *

言い忘れるところだった。『不知火検校』で、第一幕で富の市にまんまと手籠めにされる旗本の奥方の魁春と、妻を寝取られながら一向にそれと気づかないのほほん亭主役の友右衛門が、共に前回以来の持ち役だが、これがなかなかの秀逸である。(富の市が舞台の上で実際にやってのける悪行のうち、一番鮮やかで印象的なのがこの場面でもある。)魁春は、立ち居から声音から、さながら歌右衛門を彷彿させる。歌右衛門がした筈もないこういう役で、唸るほど似ているというのが面白い。(但し、零落して検校を恨んで返り討ちになる、前回から書き足された(宇野信夫の原作にはない)場面は、やや蛇足の感もある。)

それにつけても、この場が春雷の鳴る江戸の旗本屋敷、次の場が中仙道は熊谷宿近くの、向こうに夏山が迫り草いきれが匂うような街道筋、というように、流れるように場面を転換させながら話を佳境へと導いてゆく宇野信夫脚本の巧さに、今更ながら感服した。その前の浜町河岸の場から、短い時間でテンポよく運んで、富の市の悪行ぶりが増してゆく過程が手に取るように見える。

       *

染五郎はもう一幕、開幕に『操り三番叟』を器用に踊るが、かつての延若のことを、河内屋のおじさんの三番叟は意思のない人形の空虚感が切なかった、と筋書の「今月の役々」でうまいことを言っている。ワカッテイルんだよなあ。それにしても、毎日違う隈取でつとめたいと言っているが、どういうことなんだろう?

ところでここでも、松也が後見をつとめる。今月の松也は昼夜三役が三役、染五郎の弟分の格である。

       ***

明治座は菊之助、勘九郎、七之助が全部で五演目からそれぞれ三役をどれも初役でつとめる。皆々、優等生の好青年らしい清々しさだが、その一方、興行のタイトルは「花形歌舞伎」でももはや単なる花形ではない、中堅俳優としての道を歩み始めているわけで、彼らが現在歩んでいる道程のそれぞれの地点で、それぞれに難しい時期に差し掛かっている。その苦しい時期を如何に乗り切るか? 極論すれば、いちいちの演目や役の芸評で褒められるか否かよりも、彼らにとって肝心なのはそちらにある。われらにとっても、むしろ見どころはそこにある。

中では七之助が、葛の葉にせよ、あるいはお吉にせよ、芸も役者ぶりも上げ潮に乗っている最中なので、成長の様子を実感させる。役者として大人になったと思わせる。葛の葉と葛葉姫の早変わりが効果的に見えるのも、人外のものにすんなりなれる七之助の仁が物を言っているが、『油殺し』のお吉となるとその正反対の質実感が不可欠になる。こちらはどうにか無難に持ち切ったというところ。葛の葉も、人間と契った女房なり母なりの質実感より、メルヘンのヒロインとしての感覚のほうが優先する。これは半ばは芸質の問題であり、半ばは女形としての芸の若さの問題であろう。(裏返せば、現在の七之助にふさわしい演目を選んだということでもある。)

ところで、それはそれとしてだが、七之助に限らず、最近の若い葛の葉たちの、「恋しくば」の歌を障子に書く曲書きの文字の何という情けないことよ。先の雀右衛門や現・坂田藤十郎あたりを最後に、墨黒々と見事に書いて見せる葛の葉が後を絶ってしまったかのようなのは、小学校から習字をきちんと教えない現代の学校教育の問題が歌舞伎の芸にもろに現れた例ともいえる。日常筆を持ちつけない悲しさは、この狂言最大の眼目の場面で画竜点睛を欠くことになる。七之助は、口に筆を咥えて書いた「葛」の字が一番ましだったのは、皮肉というべきか。

>一方勘九郎が、父の遺作『浮かれ心中』を父そっくりに演じると、その声音、その息の間の良さ、父に学ぼうとするサービス精神、この間までであったなら、「おとっつぁんそっくり」とこちらも無邪気に驚き喜んでいられたものが、却って、いろいろな矛盾やら疑問やらを感じさせられてしまう。つくづく思ったのは、もうこの狂言は賞味期限が来ているということである。なまじ勘九郎が十八代目そっくりに演じれば演じるほど、客席の笑いのボルテージがかつてのようでなくなっていることが見えてくる。これは勘九郎の演技が拙いからではない。既にこの作に、10年前のような喚起力がなくなっているからで、勘九郎(と彼を取り巻く人々)はそれに気づき、思いを致すべきなのだ。

この作が駄作だと言っているのではない。かつて父が小幡欣治の脚色で歌舞伎に仕立て、演じた1990年代には、この作は、歌舞伎ブームを巻き起こした当時の先代勘九郎の存在をアピールし、歌舞伎など縁遠いものと思い込んでいた人々を吸引し、認識を改めさせる上で大いなる役目を果たした。つまり、「期限限定の名作」だったのだ。何も百年、二百年後まで生命を保つものだけが名作ではない。すべての新作が『仮名手本忠臣蔵』や『義経千本桜』である必要はない。野球に一人一殺、ワンポイント・リリーフの名投手があるように、いっときの観客をワッと沸かせる期限限定の名作だって、あって然るべきである。勘九郎のなすべきなのは、この作をお父つぁんそっくりに(即ち「十八代目の型」で)演じ続けることではないことに、深く思いを致すべきである。今回の勘九郎としては、父の遺作を復活した『末広がり』の方が、小品ながら可能性があると言える。

『末広がり』といえば、勘九郎の太郎冠者に傘を売りつけるよろず商人になる国生が、オヤと思わせるなかなかの役者ぶりを見せる。去年あたりから大分大人びてしっかりしてきたなとは思わせていたが、今度は、これはちょっといけるぞという感じ。大化けとまではいかないが、中化けぐらいには優になる。

菊之助が『女殺油地獄』に取り組んだのは相当の意欲と自負をもってのことだろう。万端遺漏のない研究と準備を思わせる周到な演技だが、さてこの芝居、こんなにも難しくしなければならないのだろうか? 父親に対し母親に対しひいては世間の者どもに対し、さらにはお吉に対し、与兵衛が抱いているアンビバレントな心情の裏も表も、そのすべてを漏れなく表現し尽そうとすれば、説明演技に陥らなければならない。何だか、尾上菊之助ならぬ寺島和康氏のものした学術論文『女殺油地獄論』の絵解きを読んでいるような気がしてこないでもない。

(しかも、これは菊之助の責任ではないが、父親役の橘三郎も母親役の上村吉弥も、理知的で堅実な演技の持ち主だから、こんなにしっかりした両親をもったこんなに賢い青年が揃っている家庭ならそもそもあんなことにはなりそうもない、などと、つい冗談の一つも言いたくなる。)

      *

この狂言について、前々から気になっている二点。その一、序幕「徳庵堤」に登場する小栗八弥なる小姓頭、偉そうな口を利くのは代参だからいいとして、その方の鞘の鯉口、詰めようが甘そうな、などと剣術の達人でもあるかのような口を利いたり、必要以上に物々しい人物に見える。何故か?

その二。お吉の娘の、序幕ではあのおませな口を利く女の子が、油屋の殺し場では奥で赤子笛でピーピー泣くだけだ。店先であの惨劇が行われている間、あのおませな娘は何をしていたのだろう?

『油地獄』を論じる人は多いが、誰もこのことには触れないのはなぜだろう?

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