随談第579回 7月の話題あれこれ

●昭和8年生まれの天皇が生前退位の御意向というニュースが話題を呼ぶ中、永六輔だ大橋巨泉だと、昭和8年、9年生まれという世代が相次いで世を去ってゆく。こういう名前と絡みついている記憶はもちろん数々あるが、方々で書かれ語られている上に今更私がしゃしゃり出てここに書き並べる必要もあるまい。(こういう人たちの事績についてなら、現役テレビ人新聞人に任せておいても遺漏はない。私がなすべきは、もしかしたら他に拾う人がいないかもしれない落穂を拾うことである)。わが身と重ね合わせての個人としての思いに過ぎないものが、ほぼ悉く社会史・世相史的な意味合いを持ってしまう、というところにこの御両人のような存在の特性がある。その意味で、永六輔はラジオ三分のテレビ七分、巨泉は100パーセントテレビ、という違いが、私の個人史の中で彼らの持つ意味にもニュアンスの違いをもたらしている。ラジオはイニシエーションの季節に私の中に種子を撒いたものであり、テレビはその後に襲ってきた大津波のようなものだからだ。

二人の蔭に、ザ・ピーナッツの残る片方がひっそりと逝ったというのも、昭和30~40年代というテレビの時代の縮図のようだ。

●という波がやや静まった所へ中村紘子の訃報が入ってきた。時期的には、私が大学に入ったころ、中学生だった彼女が華々しく話題の人となったのだったから、ザ・ピーナッツと世間的デビューはほぼ同じころ、というタイミングになる。別に熱心な聴き手であったわけでもないが、やはり相前後して鮮烈デビューした小澤征爾と言い、あのころからクラシック音楽の世代と人種が変わった、そのシンボルとして何となく懐かしさと親しみを覚える。それにつけてもだが、同じヒロコでも他のヒロコさんたちとひと味違って、「紘子」というのは昭和10年代生まれのシンボルのような名前で、むかしチョイ惚れしていた同級生にもこの名前の女性がいたっけ。典拠はもちろん、八紘一宇である。

●大相撲の名古屋場所が終わって、まあ、荒れ場所らしい面白さはあったが(とはいえ、終盤の日馬富士はその真骨頂を示すものだった。あれは高く評価されて然るべきである)、一に安美錦、二に豊ノ島という私にとっては一番面白い二人が二人とも、同じアキレス腱断裂という不祥事で全休というオソロシイ事態になってしまった。来場所もおそらく休場だろうから、さ来場所には十両はおろか幕下陥落まで覚悟しなければなるまい。年齢で力が衰えてのことなら十両陥落となる前に引退するところだろうが(格から言って十両に落ちてまで取る力士ではない)、事情が事情だから、幕下からでも再起することになるのだろう。(宝富士が金星・銀星を挙げてインタビューを受けるたびに安美錦の情報を漏らすのがなかなかよかった。お陰で、わずかながらも怪我の様子を知ることが出来た。)

それにつけても、照の富士が先場所わずか2勝という惨状の後、今場所は膝の具合も多少よくなったかと思わせる面もあったが、結局は辛うじて勝ち越しという惨状に終わった。何故、手術をして完治の上、再起するという道を選ばないのだろう。仮に二場所連休して大関陥落しても、三場所目に10勝すれば復帰できるのだし、もっとかかったとしても、完治しさえすれば照の富士の実力なら早晩、大関復帰は難しいことではなかろうに、中途半端な出場を続けているのは、本人の意思なのか親方の意向なのか、いずれにしても不可解なことである。膝の怪我のために大関横綱を断念したり(安美錦でも、このほど引退した若の里でもそうだろうが)、仮になっても凡庸な成績で終わってしまった先例はゴマンといる。あれだけの逸材を無下に終わらせてはならない。

●相撲の話題ではもうひとつ、新方針となった春場所以来、立会いのやり直しがあまりにも多すぎるのは感興を殺ぐこと甚だしい。さしものNHKさえ、千秋楽の放送でこの問題を取り上げて、アナウンサーが、個人の意見ですがと断った上だが、呼吸が合ったら立会い成立と認めていいのではないかと言っていたのは、ちょいとした勇気ある発言と言っていい。まったく同感である。今場所の白鵬=稀勢の里戦など、立会いやり直しが明らかに勝負の帰趨を左右したし、先場所だったかその前の場所だったか、一旦勝敗が決した後にやり直しとなって、さっき勝った方が負けになってしまった。しかもやり直しの理由が、相手がキチンと手を付かなかったからというのでは、本人は元よりだろうが見ているこちらも釈然としない。北の富士氏も言っていたように、行司によって、また審判員によってばらつきがあるし、そのくせ、二度やり直して三度目となると、さっきよりひどいと思うようなのでも認めてしまうケ-スも多々ある。手を付く立合いを励行させるのはいいが、呼吸が合っていれば認めるようにしないと、それもすぐに止めるのならまだしも、取り進んでから、更には勝負がついてからやり直しというのは、感興を殺ぐだけでなくそもそもぶざまである。運んできた料理を、客が箸をつけてから、ア、間違いでしたと引っ込めるようなもので、度を越せば、良心的なつもりが逆に非礼ともなりかねないことに、協会は思いを致すべきである。

●都知事選の候補者が21人もいるのにビッグな3人のことしか報道しないのはおかしい、という声がようやく高まったと見え、選挙戦もお終い頃になってから、申し訳のように「泡沫候補扱い」の中からめぼしい幾人かの選挙戦の様子が報道されるようになった。選挙公報なるものを、先日、じっくり読んでみたが、なるほどなかなか面白い。広報に書いてあることに限るなら、「ビッグ3」も他の18人に抜きん出るほどのことは言っていないこともわかった。

かつては泡沫候補のなかに面白いヒトがいろいろいたものだが、衆院選が小選挙区制になってからとんとレベルが低下してしまい、残念に思っていたところが、今度は相当盛り返したのは結構である。前知事の辞任騒ぎの過程で、コントを見ているような問答を大真面目でやっていたのが、反面教師的に刺激を与えたのかもしれない。(かの号泣県議の仕草・表情に前都知事のセリフをつけたら、絶妙のコントになったであろう。)

若い世代の投票率が低いのが話題となっているが、選挙を身近に感じさせる上で泡沫候補のレベルが如何に影響を与えるか、私は自分の子供のころの実感に照らして断言できる。小学生だった私が、選挙に、ひいては大人たちの作っている社会に興味を持つようになったのは、面白い泡沫候補がそれこそ多士済々、保守と革新とを問わず、ヘンなおじさんから憂国の士に至るまで、多種多様にいたからであると言っても過言ではない。(かのノンキ節の石田一松が選挙カーの上で演説をしている姿を見たのは、いまなおよき思い出である。もっとも石田一松は実際に当選もしたから、泡沫候補の域を抜いていたとも言えるが。)

昭和20~30年代、何故面白い泡沫候補がたくさんいたのか? 曲がりなりにもせよ、民主主義というものを誰もが実感できていたからだと、今にして思う。自民党の長期安定政権が確立するとともに、泡沫中の名物男たちは老化し、新陳代謝も行われなくなってしまった。代って、いわゆる70年代の過激派学生たちの時代になるのだ。(当時の巨泉の大当たり番組に『ゲバゲバ90分』というのがあった。)とどめを刺したのが、先にも言ったように、衆議院が小選挙区制になって、「無用の用」を容認するゆとりが失われたことである。

それにつけても、過日の参院選の開票速報の放送開始の冒頭、NHKが如何にも得意げに、出口調査に基づき開票前でも当確を出しますと喧伝していたのにウっとなった。これまでは、いくら何でも開票が始まるまでは遠慮していた筈だが、遂にここまで来たかという思いである。あれでは、お前が投票しなくたって選挙の大勢に関係ないぞと言っているようなものではないか。その一方で、若い世代の投票率がどうのと議論する矛盾の滑稽さを思わないのだろうか。そもそも、一秒の何分の一でも早く結果を知ることを、候補者とその関係者以外、誰が必要としているのだろう。

●こんどはNHKをほめる話。都知事選の前日に放送のあったドラマ『百合子さんの絵本-陸軍武官小野寺夫婦の戦争』というのが思いがけない収穫だった。有能な諜報員だったが軍部主流派から疎んじられてストックホルム駐在というやや閑職に置かれながら、ドイツの対ソ戦への動きや、ヤルタ会談で連合国間に交わされた密約など、日本の敗戦を決定づける上で重要な意味をもつ情報を入手、日本に情報を送るが無視されたという陸軍武官夫妻を描いた作だが、毎年終戦記念日が近づくとこの手のドラマが作られるのが恒例で、さほど期待もせずに、むしろ夫の役を市川中車、じゃなかった香川照之がするという興味に引かれて片手間気分で見ていたのだが、途中から仕事の手を止めて画面に見入ることになった。善良なメイドも親しい友人もスパイとして警戒しなければならない日常の中、夫婦の対話も立聞きされないようにレコードの音量を最大にして交わす。ベートーベンの第9シンフォニーというのは、こういう時に絶好の曲であり、同時にそれが、時代を語り、ドラマのテーマ曲として音楽自体が癒しともなるという、二重三重の効果が秀逸だった。

面白かったのは、戦後30年経った頃、どこかの雑誌の企画で、かつての同僚武官たちの座談会が行われ、出席したものの、まるで同窓会みたいな雰囲気でそれぞれ勝手な法螺を愉し気に吹き合っているのを見、違和感を覚えるという場面で、ものの5分もあるかないかだが、出席者の元武官の役を演じる面々がなかなか上手い。苦心して送ったヤルタ会談密約の報も、出席者のひとりが、そういえばそんな話も聞いたことがあると取り繕うような感じで証言してくれたのが関の山、それ以上の関心を示す者もない。よくいわれる日本の組織の、組織人の無責任体制、無責任心情の、これもその一例というわけだ。

こういう善良な人物を演じるときの中車、ならぬ香川照之というのは、なんとなくもったりとして、これは案外にも猿翁とよく似ている。スーツ、というより背広の着こなしといい、誠実に過去を引きずったがために時代に置いて行かれた男の感じがよく出ている。薬師丸ひろ子の、のちに『ムーミン』の翻訳で知られることになる夫人役も、あの時代の誠実で聡明なアッパーミドルの女性の(こういう場合は「婦人」というべきか)感じを、かなりよく出している努力にも感心した。

●ぐずぐずしている間に都知事選は終わり、千代の富士が死んでしまった。前者の経過と結果を一言で言えば、女は度胸、男は姑根性、でなければ据え膳食った律義者の父さん、でもなければお人よしの暢気なパパ。当世社会の縮図と言うところか。小池氏の真価はこれからのお手並み次第、鳥越氏は晩節にべたりと味噌だれのシミをつけてクリーニング代を無駄づかいし(あれなら石田純一の方がマシだった?)、増田氏は少しは有名になった分、得をしたからご本人の±はゼロだが、普段の会見ではにこりともしない官房長官があんなにべったりくっついて、愛嬌を振り撒いていたのが真の敗因と悟るべきであろう。

●千代の富士についてはいずれゆっくり書きたいが、投げの切れ味と豪快さは初代若乃花以来、立ち合いの踏み込みと神速華麗な早業は栃錦以来。見て面白く、小よく大を制す痛快感も両者以来。いまのところ、以後はなし。(朝青龍に一面を偲ばせるものがあったが、残念なことに彼はヒールになりすぎた。)千代の富士がぐいぐいのし上がって行くのと共に、街を歩いていてもテレビの前に足を止める人の数がぐんぐん増え、人気の上昇が空気となって実感されたのをまざまざと思い出す。

 

随談第578回 7月の舞台(訂正版)

歌舞伎学会の機関誌『歌舞伎-研究と批評』に今年2016年下半期の評を書く約束になったので、新聞評とこの随談と、三通りに書き分けなければならず、それはちょいと難儀な話になる。そこでこれから12月までの向こう半年間は、歌舞伎のことは落穂を拾うに留まることになるかもしれない。と、まずはそれをお断りしておいて…

●帝劇『エリザベート』

花總まりのエリザベートが興味深い。わずかな体の構えひとつで役の位を表す「位取り」の巧さ確かさ、歌舞伎の赤姫を連想させる。序幕の小娘から皇太子妃・王妃・国母・老皇太后となる各段階を年配と共に的確に見せる。大仰のようだが日本ミュージカル史上最高の「赤姫」と言って差し支えない。仕草の手先指先の重み、ぎりぎりいっぱいに身を保ちながら、同時にそれが威厳となる微妙な均衡、ちょっぴり歌右衛門を思い出させる。幼い王女を失う哀しみは政岡を、ゾフィー皇太后の圧迫に堪えるあたりは尾上というところか。

涼風真世のゾフィー皇太后にも位取りの確かさ面白さに芝居っ気が加わり、花總と二人で岩藤と尾上をしたら面白かろう。井上芳雄のトートの時に女性かと見紛うような色気、成河のルキーニの曲者ぶりもそれぞれ上手い。

ダブルキャストのもう一方、蘭乃はなのエリザベート、城田優のトート、香寿たつきの皇太后、山崎育三郎のルキーニも適役でありそれはそれで悪くないが、花總が尾上や政岡をさせてみたいと思わせるような意味での面白みを感じることはない。もっともこれは、花總が特別なのであって、それがないからといって悪いわけではない。

前年以来の新演出は、ミュージカルとしては限界近くまで歴史劇に近づいた骨格を持つようになった。トートとエリザベートの二人の芝居にして、歴史をメロドラマの蔭に埋もれさせてしまっていた従来の演出より、ドラマの骨格が明確になったのは手柄である。一般論として私は照明の暗い舞台は好きではないが、この演出に限っては是認しよう。

エリザベートが輿入れする1853年(即ち嘉永6年、黒船来航の年だ!)、ルキーニの銃弾に倒れる1998年(明治31年である)まで45年間を休憩25分を入れて3時間10分に収めてしまう脚本は相当の力技である。ハンガリーの自治独立を求める民主運動が、半面、20世紀のナチズムにつながってゆくことを示す演出も巧い。ハーケンクロイツの旗の使い方は、帝劇ミュージカルとしては相当「過激」と言える。ダブルキャストのために二回見たが、二度ともこの場面では満場しんとなった。見たのがたまたま、難民問題でイギリスがEU離脱を決めたすぐ後だった、という現実がそうさせた一面もあるが。

というわけで、従来この作品にもうひとつ興味を感じなかった私が、これだけ字数を費やして書くこととなった。

●OSK

今年もOSKの東京公演が新橋演舞場で4日間だが実現した。ダンス一本やりの純粋なレビューはいまやOSKだけ、その存在はますます貴重である。

前にも書いたが、なまじな物語や芝居の要素のない、ひたすら踊り踊り踊り、というレビューの哀歓が何とも言えない。舞台はただただ華やかに、踊り手たちはひたすら闊達に、舞台面も(物語のために、あるいは演技のために)渋滞することなく、次から次へと変転する。簡単な筋のようなものはあってもあくまで踊りの展開のための、いわば扇の骨みたいなもので、それが前面に出てくることはない。ここが肝心なところで、物語が前に出て「ドラマ」になってしまっては、もうそれはレビューではない。(宝塚はその道を歩んだわけだが。)

ラインダンスというのはその極致であって、今度もロケットガールズが飛び出してきてずらりと並んで脚を上げ下げするのを見ているだけで「感動」する。乙女の姿しばし留めむ、と僧正遍照ならずとも歌に詠みたくなる。「無常」ということをこれ以上実感する機会は、我々の日常の中にそうめったにあるものではない。かつてのラインダンス全盛のころは、SKDや日劇ダンシングチームなど、東京にもいずれ劣らぬチームが覇を競っていたものだが、いまや年に一度のOSK公演でしか見ることが叶わなくなってしまった。

(昭和32年7月封切りの松竹映画『抱かれた花嫁』という浅草を舞台にした映画は、この年始まったシネマスコープと称する横長のワイドスクリーンに全盛期のSKDのラインダンスが何度も映るのが壮観だった。松竹蒲田以来の珍名優日守新一が、田谷力三を思わせる往年の浅草オペラの名歌手の役で余人を以て代えがたい存在感を見せるなど、いまは語る人もない知られざる傑作で、いずれBC級映画名鑑に登場させるつもりでいる。)

●東宝現代劇とは、かつて菊田一夫が創設した日比谷の芸術座で数々の舞台を、脇役として支えてきたいわば座付きの俳優たちの集団である。この人たちがいなければ、『がめつい奴』も『放浪記』も、その他の数々の名舞台もなかったのだ。だが芸術座がシアター・クリエに「転生」して以来、この人たちが腕を振るうべき場は失われ、年に一度、地道に続けているこの公演が、その存在を示すほとんど唯一の場となってしまった。こういう芝居、こういう芸が、ついこの間までは当たり前のようにあったのだということを、その舞台を見れば今更のように思わされる。

今回は座のメンバーであり作者としても実績を持つ横澤祐一作の『坂のない街』。三遊亭圓朝の不肖の子として知る人ぞ知る出淵朝太郎の妻と、関東大震災の折56歳で消息を絶ったとされる朝太郎の先妻の子が、昭和30年代の東京に生きていた、という「ありうべき話」を時代の変転の中に展開する「現代の人情話」としてよく仕上がっていて、東宝現代劇健在をアピールするに足る出来と言っていい。冒頭、横澤みずから圓朝役で語って見せるのがなかなか堂に入っている。加藤武亡き今、こういう芸当ができるのは、それだけでも貴重な存在というべきだろう。

●毎夏楽しみにしている新橋演舞場の松竹新喜劇は藤山寛美27回忌追善。と言っても、藤山直美の出演はなく、当代渋谷天外と藤山扇治郎の二人で持ち切るという新喜劇水入らずに水谷八重子が客演するという体勢である。開幕劇の茂林寺文福作の『愛の設計図』など、毎度ながらこの作者のお笑い人情喜劇には感服させられるが、『宝の入船』とか『夜明けのスモッグ』となると、扇治郎がまだ少々荷が重いということもあるが、作そのものの賞味期限も気にならなくもない。『夜明けのスモッグ』は新喜劇十八番の内でもあり、もう少し期待していたのだが、時代との齟齬がひっかかる。昭和26年作の『愛の設計図』が、脚本に手を入れて現代に設定を変えてもびくともしないのを思えば、十八番という角書に捉われず改修手術が必要である。

館直志の傑作『はるかなり道頓堀』で満足を得るが、『愛の設計図』で、女子事務員の醸し出す雰囲気や江口直弥の幹部社員の背広の着こなし(ちょっと手が短い感じ)など、もうそれだけで大阪人種以外の何物でもない空気が漂う。これこそが新喜劇を支える財産なのだ。小島慶四郎が出てきて随分歳を取ったのにびっくりするが、セリフが危ういようでちゃんと辻褄を合わせる芸など、腕に歳を取らせてはいない。

●その他、サンシャイン劇場の『グレート・ギャッツビー』(脚本がよくできている)、シアター・クリエの『ジャージー・ボーイズ』(なかなか見せた。ビートルズのことばかり今どきのマスコミは言うが、その前にこうしたアメリカ産の音楽が流れ込んできて日本人の感性を「洗脳」?していたことを知るべきである)、それぞれ悪くなかった。

『マイファレディ』のダブルキャストは、演技の巧拙はともかく、貴婦人イライザ・ドゥーリトル実ㇵ花売り娘イライザ、という転身の要諦をよりよく踏まえていた分、霧矢大夢の方が私としては好みである。

●新国立の別役実作『月・こうこう、風・そうそう』はカーテンコール一回だけで失礼させてもらった。通路に近い席だったので幸いだった。「サッサと逃げるはロシアの兵、死んでも尽すは日本の兵」というお手玉の数え唄が昔あったが、この場合私はロシアの兵隊式だった。近年私は、このカーテンコールなるものがだんだん、いや、ますます、苦手になってきた。せいぜい三回まででお終いにしてもらいたいと思う。歌舞伎にはカーテンコールのないのが実によき習慣である。(往年の名ヴァイオリニストのヨーゼフ・シゲティは狷介な皮肉屋で、日本の聴衆は常に一日のプログラムの最後の曲が一番気に入るらしい、と言ったそうだと太宰治が書いていたのを思い出す。)

●歌舞伎座は、海老蔵・猿之助という二枚看板でそれぞれの心意気が感じられる具合がよかった。『荒川の佐吉』の海老蔵が成川郷右衛門で出たのなど、その好例である。

海老蔵・猿之助に加えてもう一枚の注目の駒、中車が、『柳影澤螢火』の将軍綱吉役でアル中の中年めいた感じが、なるほどこういうやり方もあるかと思わせたが、筋書の出演者の弁を読むと「若く純粋で世間知らずゆえ常に誰かに頼っている、という方向で演じさせていただければと思っています」と言っている。おやおやと思った。そうだとすれば、あの演技は何なのだろう。新聞にも書いたが、初演のとき先代中車(まだ健在だったのだ)がやった飲んだくれの変なおじさん曽根権太夫を当代で見たかった。あれなら、現代劇俳優香川照之として培ってきた性格俳優ぶりを新歌舞伎の演技として仕活かすことも可能だったろう。それにつけても、歌舞伎俳優市川中車として既に3年、いつも安全運転ばかりでなく、そろそろ、歌舞伎役者としてより大きくなるための冒険をしていいのではあるまいか。昨夏だったか、海老蔵の与三郎に多左衛門を付き合ったが、何故蝙蝠安に挑戦しなかったのだろう。失敗したって恥ではない。お付き合いに多左衛門をして無難につとめたところで、血肉とはならない。あれは海千山千、いろんな役をつとめたベテランがさらりとやって貫録を見せる役だ。今月の相政にしてもそうだ。配役の都合もあろうがいまの中車がする役ではない。少年老いやすし、中年ならなおのこと、一寸の光陰も無駄にできない。うかうかしていると、やがて、中車という変わった経歴の歌舞伎役者がいたっけ、などということにもなりかねませんぞ。

ところでこれも新聞にも書いたが、尾上右近の『柳影』のおさめ、米吉の『荒川の佐吉』のお八重が、すっかり芸が大人になってオッと思わせる。

●国立鑑賞教室の『卅三間堂棟由来』はやっただけの甲斐も価値もあった。魁春はその実力を示したし、どうかと思った平太郎の弥十郎も、やはり大和屋の家には和事の血が流れているのを思わせる好演だった。いかつい体だからといって、決して役違いではない。秀調の進ノ蔵人はまさにその大和屋の和事の味を見せる。この人、もう少し、自分の値打ちを知ってよいのだ。歌女之丞、橘太郎と実力者が揃い、地味だが質実な実のある舞台で、少なくとも私の見た日、高校生の団体もじっと舞台に見入っていたのが印象的だった。

随談第577回 6月の舞台、その他あれこれ

何かと隙取っている内に既に月末である。早稲田から毎日オリオンズで投げたアンダースロー投手の末吉俊信とか、タイガースの選手だが熊さんというあだ名だった後藤次男とか、ちょうどプロ野球が二リーグになった前後、つまりこちらはまだ小学生のころに全盛だった年代の人たちの訃報が、新聞の片隅に小さく載っているのを横目に見ながら、ゆとりもないままに日が過ぎてしまった。(私は末吉が早稲田のエースだった当時の試合を見た記憶がある。早明戦で、末吉は途中一旦外野を守ったのち、再びマウンドに上がったりした。私は小学校二年生だったが、まだ旧式の電灯による夜間照明がついていた時代の、私にとっては神宮球場で観戦した最も古い思い出である。プロ野球でナイターが始まってカクテル光線の明るい照明設備が後楽園球場に出来るまでには、まだ3,4年待たねばならない。)

象のはな子の死は大きく報じられたが、人の背より小さい子象としてやってきて、名前がガチャ子、これはタイ語で花子という意味だからというのではな子と呼ばれるようになった…と、当時聞かされて、そうとばかり思っていたら、今度の訃報によると、戦時中に殺処分された先代の名を継いだのだという。そうでもあったのだろうが、ガチャ子という、日本人には面白い響きを持ったタイ語の名前は、その後かなりの間お馴染みだったはずだが、そういうことは記事の上におくびにも出されないのはどういうわけだろう。ガチャ子からひと足遅れて、インドから、ネール首相の令嬢の名前を取ったインディラがやってきて、はな子と姉妹のようになったのだが、このインディラのこともひと言も触れられなかったのも、往時を知る者としては物足りない。(当時の情況を知らず、調べて報道する現役記者には無理な注文なのだろうか?)インディラは深夜竹芝埠頭に到着、腹帯をクレーンで吊って桟橋に降ろされるとそのまま、夜の東京の街を上野まで歩いて動物園に到着したという印象的な映像をニュース映画で見た覚えがある。

BC級映画伝も、気になりながら3月に載せてから休載状態を続けているし、『キース・へリング』『パーマ屋スミレ』『熱海五郎一座』、更には『ローエングリン』,鶴沢津賀寿の会等々、書くつもりでいたのが時期を逸して旧聞となってしまったものも多々出来てしまった。以前のように、もう少し小まめに書くようにした方がいいかも知れない。

と、ここまでがマクラ、今月の、といってももうじき7月、ややこしいから「6月の」と謳って、今月の各座のお噂をやや足早に伺うことにしよう。

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6月の歌舞伎座について早くから話題になっていたのは、三部制にして、しかも一等の料金が従来1万8000円なら1万2000円となるべき理屈のところを1万5000円にしか割り引かれないので、これでは事実上の値上げではないか、豆腐屋が値上げをしない代わりに豆腐1丁の切り身を小さくするのと同じであると、非難する者ぼやく者、さていよいよ蓋を開けてみれば客席の模様はどうであったか、さまざまな現況報告が飛び交った幾つかは、私の耳にも届いたが…。

今では当然のようになった昼夜二部制も、元はと言えば戦時中に始まり戦後そのまま固定化されたものだが、戦後の混乱も納まった昭和30年代当時、批評家・ジャーナリスト等々のいわゆる識者で、二部制こそ諸悪の根源と非難しない者はないといってよかった。役者に過重労働を強い、ひいては芸の水準の低下につながるというのが理由だったが、昭和41年10月と11月に相次いで開場した帝劇と国立劇場が、帝劇は杮落し公演を万之助改め当代の吉右衛門襲名公演を松竹と同じく二部制で行い、以後も歌舞伎公演の場合に限り二部制を取り続けたのに対し、松竹歌舞伎に対する批判の意を内在させ、理想主義を建前に掲げた国立劇場が一部制を実施したのは、象徴的だった。一日中のんべんだらりと芝居見物とはけしからんという戦時体制として始まった二部制が、戦後定着したについてはそれ相応の理由があったに相違ない。当世の若者には長すぎるというので三部制に踏み切ったのが1990年以来の納涼歌舞伎、その成功の実績が今度の試みにつながるわけだろうが、筋書巻末の出演俳優の顔写真にローマ字書きのキャプションを添えたり、外国人観客向けの「おもてなし」の、これが第一歩ということか。

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さてその三部制のテストケースに『千本桜』の通しというのは、対社会的知名度、三つの物語からなる内容、なるほど三部制のためにあるような狂言だ。染五郎と猿之助が三部出づっぱりで大奮闘という企画もいい。第一部が「碇知盛」、第二部が「いがみの権太」、第三部が「狐忠信」という立て方は、何のことはない、かつて現・猿翁が「知盛編」「権太編」「忠信編」として出したのと同じ発想だが、染・猿コンビがそれぞれ、知盛に典侍局、維盛弥助にお里、静に忠信と取り組み合うという配役も結構である。8月には二人で「弥次喜多」をするらしいが、菊五郎劇団の菊・海老・松トリオに対して染・猿コンビを売り出すというのは、いろいろ面白そうな可能性を秘めている。< 染五郎は第一部では渡海屋銀平実は知盛、第二部では弥助実は維盛、第三部では「吉野山」の静を加役でつとめ、更に所作事「時鳥花有里」にも出る。知盛が予期以上によかったのは、先年、『勧進帳』の弁慶を無理からにでも立派にやってのけた経験が下地になっているのかもしれない。こうした力と大きさが求められる役を手の中に入れたのだ。 一方、適役の筈の弥助と維盛が、悪いわけではないが、もっと良くていい筈、というところに留まるのはここらが難しいところ、和事味が身についていないと、ひと通り、という評の範囲に留まることになる。却って静は悪くなかった。加役でつとめる女形の美しさと面白さがあるのは、かつて色気皆無ながら桜姫など女形を手掛けた体験が無駄ではなかったか。もっともこれは『吉野山』という踊りだからであって、芝居だったらこうは行くまい。 一方猿之助が、お柳・典侍局にお里と女形に取り組むのは、若き日を知る者には昔馴染みに巡り合うような気分にさせる。亀治郎として売り出した昔は女形だったことを知らない人も多くなったいま、こういう形でのアピールは二重三重の意味合いを持つことになる。染五郎の静があくまで加役の女形であるのとはさすがに違うのが値打ちと言っていい。 三役の中ではお里が一番しっくりするのは、柄の問題もあるが娘方として昔取った杵柄でもあるだろう。いかにも権太に向かってビビビビビーとやりそうなオチャッピーのコケティシズムは、当節の女形の中に似合う人がいないから、猿之助を以て当代随一としていい。 お柳と典侍局、いずれもしっかりしているのは褒めていいが、お柳の方がベターなのは、お里がいいのと共通する、世話物に向いた柄の問題でもあるが、芸格の問題でもある。幸雀、京妙、京蔵…と居並ぶ局たちが皆立派なので、典侍局との落差が僅少になるのは、今度の局連中に限らず当節の歌舞伎で一番粒が揃っているのがこのクラスの女形たちであることが理由の一方にある。残る問題は、猿之助自身の今後の精進にかかることになる。 第三部の忠信は、新・歌舞伎座初の「四の切」とあって大張り切り、大車輪でもちろん結構だが、しかしまたぞろケチをつけるようだが、猿翁のあのぐらいの年齢の時、もっと役者ぶりが大きかったのではないだろうか? 『道行』で、定番ではカットされる件を出すなど(染五郎もよく付き合ったわけだが)意欲は満々、昨夏、尾上右近の「翔の会」に付き合って出したのを早速、この機会に活かしたのは猿之助らしい気働きで、本興行ではかつて現猿翁が先の雀右衛門と出して以来ということになる。         *  そうした染・猿大奮闘に、御大幸四郎が第二部で権太をつとめ、梅玉のために第一部「渡海屋・大物浦」の次に「時鳥花有里」なる長唄の所作事がつく、というふたつの「瘤」がついている。というと「瘤取り爺さん」みたいで一見、おじゃまみたいに思われそうだが、 ところがこの二つの「瘤」がさすが永年取った杵柄、なかなか結構、なかなか乙である。幸四郎の権太が登場すると役者ぶりのデッケエこと、それまでの各幕が子供芝居だったように思えてくる。することも無駄な力が抜けて、幸四郎ぶりもここまでくると、この人なりにひとつの境地が拓けつつあるやに思えてくる。 第一部の最後に『時鳥花有里』なる、このたび新作された長唄による所作事でも、梅玉の義経の風情がまさしく年功というほかはない立派さで、ただ立っているだけで憂愁の御大将義経になっている。二枚目役者として、この人もここまで来たのである。ところでこの所作事、物知りに教わったところによると寛政年間の絵本番付を粉本に、それから逆算して作ったという、正直、そう面白いというわけでもない一幕だが、なるほど、東蔵の鷲尾三郎だの魁春の龍田の神女だのを揃えて、知らずに見ればだまされそうな古びた趣きがあるのが一徳。染五郎がここにも現れて四ツ面の踊りを見せるという、はりきり男ぶりを見せる。          * 「すし屋」で彦三郎の梶原、秀太郎の小せん、錦吾と右之助の弥左衛門夫婦等々を見ていると、みなそれぞれに無駄に歳を取っていなかったのだなあと、改めて思わないわけにいかない。(彦三郎の体調はどうなのだろう? かつての東横ホールの若手「忠臣蔵」でこの人のつとめた若狭助や平右衛門がなつかしく思い出される)。高麗蔵の若葉の内侍にしても、これまで何回努めてきたろう。「四の切」で門之助の義経のそこにいるだけで紛れもない義経になっている見事さ。この人たちに通じて言えるのは、皆、本物の仁の持ち主だということである。         * 忘れるところだった。安徳天皇役で初目見得の武田タケル(頭韻を踏むなど、凝っていていい名前だ)が、声よくセリフは明確、品よく可愛く、体の大きさも程よく、ほぼ理想的な幼帝ぶりである。あの役は、セリフがすべて重要で、とりわけ、御製の歌をしっかり言ってくれないと見物は泣くことが出来ず、画竜点睛を欠くことになる。幼すぎては無理、と言って大きすぎては可愛げもなく、そもそも典侍局が抱くのが難しくなるからこれもダメ、なかなか程のいい子役がいない役なのだ。         * 国立の鑑賞教室で橋之助が『魚屋惣五郎』を出しているのが20年ぶりだという。あっけなく時が経つのにも呆れるが、秋の襲名の演目が決まって盛綱と熊谷を出すのだという。この二つを眼目に立てたというのは、時代物役者としての自覚を天下に表明したということか。いよいよこの人の役者ぶりの見事さを思わないわけには行かない。先頃『逆櫓』の樋口をした時の評を『演劇界』に書いて、橋之助を稀勢の里になぞらえたら、なかなか横綱になれない大関に例えるのはどうでしょうと編集の人が心配した。もちろん、そういう意味ではなく、大器ぶりを重ね合わせたのだ。 梅枝がおはまをやっていて、年齢なりキャリアなりにその役になっていることに、改めて驚く。橘太郎が太兵衛を当り前のようにつとめているのにも、意味合いは違うが、ある感慨を抱かざるを得ない。 宗生が体育会系のような三吉だが、これが大人の役者としての第一歩ということか。         * コクーン歌舞伎の『四谷怪談』については新聞にも書いたしまもなく出る『演劇界』にも書いたから、そちらを見ていただくことにしたいが、勘三郎がいなくなったコクーン歌舞伎ということを、しきりに考えながら見た。         * 三越劇場の新派公演が、『深川の鈴』と『国定忠治』の二本立てという、新派の近未来を予告するようなメニューを出した。 『深川の鈴』は川口松太郎の人情馬鹿シリーズ別巻のような作で、いまやこういうものをさせたら波乃久里子は、人間国宝にさせたいようなものだ。ある時代にある土地に生きていた人間の生き様を舞台の上にさながらに生きて見せるのが芸だとするなら、少なくとも、かつての名優とか名人と言われた人たちの舞台や高座に覚えたものと同種類のものを、久里子の舞台に覚えるのは確かである。上手い人は今だって各ジャンルにたくさんいるが、こういう確かな手触りを感じさせるような芸の持ち主という意味で、絶滅危惧種のようなものだ。 それと、いつも同じことを言うようだが、立松昭二の円玉、伊藤みどりのお辰等々、痩せても枯れても芝居の内容が要求するものをちゃんと舞台の上に作り出して見せる新派の脇役たちの見事さ。月之助が新派の二枚目としての仁を備えているのを見ても、その新派加入は、ただに彼一人のためだけでなく、大正解であったと言っても早計ではないだろう。正月以来、新派の人となって、目下、毎試合連続安打を放っている。 その月之助が新国劇十八番の『国定忠治』を新派公演の演目として出すというのは、いろいろな想像を掻き立てるが、忠治ならぬ新国劇の残党ともいえる劇団若獅子の笠原章ほか、れっきとした旧新国劇の面々が脇を固めて、さながら歌舞伎の型物のごとくに「再現芸術」として演じて見せる。老いたる者には在りし日の思い出を、若人には新たなる夢を、とは、かつてコロンビア・トップが懐メロ番組の司会で聴かせた名文句のもじりだが、思えば新派も新国劇も歌舞伎の周辺演劇として発生・発展したもの、それがいまこうして、歌舞伎で育った月之助が新派の舞台で新国劇の十八番を演じるというのも、巡り巡っての歴史の必然ともいえる。少々、肩に力が入っていたのは否めないが、まずは立派なものだ。(辰巳柳太郎の訛りの癖までコピーしているのはおかしいが、いまは目をつぶろう。)こういう役も守備範囲の内に入れられるなら、月之助、いや二代目喜多村録郎によって新派そのものの守備領域が広がることになる。笠原章が川田屋惣次役で、老け役の巧いのにも感心した。『荒川の佐吉』の鍾馗の仁兵衛をさせてみたくなった。 その新派が6月19日の日曜に一日だけ、三越劇場で水上滝太郎の『銀座復興』を上演という思いがけない企画があって、なかなか結構だったことも、最後に書いておこう。終戦直後の昭和20年10月に、六代目菊五郎が一座を率いて帝劇で上演、劇の背景の関東大震災と米軍の爆撃による戦災という現実とが重ね合わされて感動を呼んだという、音に聞えた話で知るばかりだった芝居を初めて見る興味と、いざ見てみると正直なところ、こういうものか、という思いと、両面あるのが率直な感想だが、それはそれとして、よき企画であり、よき舞台であったことは間違いない。かつて菊五郎のやった「はち巻」の主人を田口守、多賀之丞のやった女房を瀬戸摩純など、みなよかったが、ここでも参加の笠原章がかつて尾上鯉三郎のした稲村老人の役で、老けの巧さを見せた。

随談第576回 今月の舞台から

今年の團菊祭は目玉が二つの、鵺ならぬ双頭の鷹のごとき様相だが、この鷹は、片方は雛鳥、片方はすでに雛を子に持つ親鳥たちである。菊吉両首脳が目に入れても痛くない二歳半の坊やの観客吸引力は、気が付くと真後ろの席に小泉純一郎氏の姿があったり、孫に引かれて團菊祭29年ぶり出演の播磨屋の五右衛門に菊五郎の久吉という大ご馳走の『楼門』が出たりしたのだから、当節の歌舞伎の「陽」の面をシンボライズしたようなものだが、双頭のもう一方の親鳥たちの方はと言えば、陰陽こもごも木漏れ日のごときまだら模様を呈している。

そもそも今回の團菊祭は、寺嶋和史クン初御目見得という慶事を表にしながら、じつは菊之助・海老蔵・松緑三人体制を明確に打ち出したところが眼目であって、昼夜7演目中4演目、それも中心部分に彼等の演目が置いてある。これが軌道に乗れば、菊五郎劇団も11代目團十郎・梅幸・二代目松緑以来の三代がめでたく揃い踏み、團十郎亡き後、菊五郎が背負ってきた重荷も次代へ受け渡す体制が整うことになるわけだ。いや、歳月人を待たず、そうのんびりもしていられない。

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三人顔合わせによる当月の眼目といえば、海老・菊の松王夫婦、松緑に梅枝の源蔵夫婦という『寺子屋』で、幕が切れロビーに溢れ出た途端、とかくを云々する声も耳にしたが私はむしろ、ほっとした、というのが第一の感想であった。まずは神妙につとめているのと、4人の均衡が取れてそれがおのずから、この狂言の骨組みを明確にしていることを良しとする。但し、各人それぞれが役の心理やら情やらを心を籠めて演じ出そうとするために芝居が伸びて劇全体の結構が歪みがちになるのがよろしくないが、もっともこれは、この『寺子屋』という芝居自体が,近代主義的に演じ尽され末端肥大的に心理芝居と化して久しいためで、今回の4人だけの話でもなく、責任とも言い難い。次の機会には、親世代よりもっと前世代の名だたる演者たちの映像なり、音盤なりを、皆で研究してみることだ。

それにしても、アラサーからアラフォー世代の、役の人物たちとほぼ同年輩の彼らが発散するオーラというものには、なかなかのものがあるのは確かだ。海老蔵が首実検で刀を抜いて源蔵夫婦に突きつける團十郎型を見せるのがよく似合う。菊之助の千代がときどきはっとするほど梅幸に似ている。松緑も手堅いマッチョぶりに祖父や父のますらおぶりを彷彿させる。梅枝の戸浪は曾祖父三代目時蔵の若き日はかくもあらむかと思わせるオーソドクシイを感じさせる。というわけで、まずはこれが現時点での彼等の平均値と見る。

もうひとつの三人勢揃いの『三人吉三』大川端となると、疑問がぞろぞろ出てくる。3人とも祖父以来の仁を伝来しているからその点では結構なのだが、まず海老蔵のお坊がすべてのセリフをツラネであるかのように謳うと、菊之助のお嬢もそれに応じるから、二人のやりとりが掛け合いのアリアの如くになる。如何にこの場は様式美を愉しむ場だとはいえ、あれでは、あるいは謳いあるいは世話のセリフになって虚々実々の応酬をする緩急の妙というものが生まれてこない。

お坊とお嬢はあそこで初めて出会って、互いの手の内や人物としての器量の程度を探り合っているのではないのか? その上で、ヤアこいつはなかなかの奴だと互いに認め合うに至るのだ。そこのところを、七五調のセリフの様式を踏まえながらも「芝居」として見せてくれなければ、黙阿弥劇の醍醐味は生まれてこない。謳い上げるだけが様式美ではない。

中では松緑の和尚が、世話の芝居の緩急を一応なりと押さえている。和尚のセリフがそのように出来ているから、ということもあるし、おそらく祖父先々代のテープでも聴いたか、ということもあるが、ともあれ、まずは和尚らしいセリフになっている。口跡の固さはあるにせよ、だ。

菊之助のお嬢が、おとせを川に突き落とし木っ端どもを抜き身で追い払って、棒杭へ片足をかけ、ひと呼吸、いやふた呼吸ぐらい間を取って(声がかかるのを待つかのように)、「月もおぼろに白魚の」と厄落しのアリアにかかる。このことについては前にも(このブログにも、以前に出した『21世紀の歌舞伎俳優たち』という著書にも)書いたことがあり、このやり方にもそれなりの理由はあるとは認めるが、祖父梅幸が晩年に久々にお嬢を演じた時、アッと思ったことがある。つまり、抜き身で追い払い棒杭に片足を掛けるとすぐ、そのままひと流れの呼吸で「月もおぼろに」と始めたのだ。そのことを書いた私の文章を読んだのかどうか知らないが、それから程なく、まだ勘九郎だった当時の勘三郎が、梅幸のおじさんに教わったやり方だと言って、つと立ち上がって、目の前で、このくだりの一連の仕草を一筆書きのようにやって見せてくれたことがある。やり終わって、ネ、という風に頷くと、今、もう誰もやらないんだと言った。私にとっては貴重な体験だったが、なるほど、と深く感じるところがあったのは確かである。(この時点での勘三郎は、やがて梅幸譲りのお嬢吉三を演じる秋(とき)を待つつもりであったと思われるが、その後コクーン歌舞伎で和尚吉三を演じたが、ついにお嬢吉三を演じて見せてくれることなく終わってしまったのは、返す返すも残念なことと言わねばならない。)

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菊之助が『十六夜清心』で清心をつとめてこれはなかなかのものである。何といっても、和事のかかった二枚目という仁と芸質が絶対のものを言う。それとセリフの平仄が整っているので、松也の求女との割り台詞など、黙阿弥の韻律が心地よく耳に響いて狂言の皮膜の間へ引き入れられる。現今の菊之助としてやや優等生に過ぎるきらいはありはするものの、一脈それが、心中を図って死に切れず、しかし待てよ、と悪心が兆すまでの清心の在り様に通じるところが一徳である。凄みがないとの評もあるようだが、それは後に鬼薊の清吉になるまで取っておいていいのだと思う。

松也の求女も、菊之助と並んで立つと背の高さが目につくが、それを別にすれば、よく体を殺して若衆になっているのは偉い。白蓮に左團次、十六夜に時蔵が控えている安定感も、ここでは大いに物を言っている。というわけで、この一幕は、この世代の歌舞伎として一級品と言っていい。

松緑が『時今也桔梗旗揚』と真正面から取り組んで訥々、詰屈、外連味のまったくない舞台ぶりで、これを見たら斜に構えた戯評などできるものではない。この人は、家康ではないが重い荷を背負って長い道を歩き続ける人になるのかもしれない。團蔵が春永でこのところの好調をキープ。役者は六十からか?

松緑の光秀が三宝を踏み破って謀反の意を顕わして高笑いするまで蓄積された疲労を、海老蔵・菊之助の『男女道成寺』が按摩する。二人のもっている役者として花がここで物を言う。

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團菊祭に梅玉と魁春が出るのは、祝い事の『勢獅子』にお付き合いのためだろうが、せっかくのことだからというように『鵺退治』という珍物が二人のために開幕劇として用意された。54年前に勘弥がした時の上演時間は19分だったのを、今度は清涼殿屋根上の立回りを増補して30分に仕上げたという。したが顔は猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇という怪物の着ぐるみが登場しても、やれクマモンだつば九郎だ、可愛らしい着ぐるみ隆盛の当節、あまりこわくないからせっかくの源三位頼政の武勇も却って引き立たない。「鵺」という字は「夜」扁に「鳥」と書くように、夜な夜な屋上で奇怪な鳴き声を立てる怪鳥であるところに肝があり、だからこそ頼政も矢で射殺すのだ。とすると、折角の今井豊茂苦心の補綴ながら、立回りはすっかり裏に廻してしまった54年前の勘弥所演の方が賢かったということになりはしまいか?

(それにつけても、当時の勘弥は、『鵺退治』の翌年には『凧の為朝』を出し、その秋には『治承の旗揚』を出すなど、珍品堂主人よろしく蘊蓄を傾けてくれたのが懐かしい。

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今年は前進座創立85周年というので、国立劇場公演に『東海道四谷怪談』を気張って出したのが、「前進座のいま」を語り尽すかのようななかなかの出来だ。「地獄宿」は端折って「宅悦内」になったが「三角屋敷」をきちんと(と言ってよいだけにまとめて)出し、「又之丞住処」は食ったが小仏小平の立場は明確にするとか、奥田庄三郎のスパイ活動は端折っても与茂七と衣類を交換する件は見せるなど、今日可能な上演時間の中で物語を成立させる端々をきちんと見せるなど、前進座らしい几帳面なテキストである。折から6月にはコクーン歌舞伎版の『四谷怪談』が出るが、いまや今度の前進座版が、今日最もオーソドクシイを保ったバージョンとも見える。教科書になり得るだろう。

演じる側も、先代国太郎のお岩のような突出した存在がない代わり、主要などの役もバランスよく納まるべきところに納まりつつ、それぞれ存在を明らかにしている。つまり、脚本の在り様にぴったり見合った、それもまた「前進座のいま」を具現している。そこが物足りないという向きもあるだろうが、求めるところが違うのだから、それはないものねだりというものだである。

お岩の國太郎、芳三郎の伊右衛門、矢之輔の直助と芸の背丈が揃う中で、与茂七に菊之丞を招いたのが今回の配役の最大のヒットである。詳しい事情は敢えて知らずに、舞台の上だけのことに限って言うのだが、座への復帰を切に望みたい。仁のよさでは芳三郎の伊右衛門がそれにつぐが、この伊右衛門なら、またこの脚本でなら、「隠亡堀」で「首が飛んでも動いて見せるわ」というセリフはなくもがなだ。(あのセリフをやたらに強調し、重要視するのは、今から見れば60年代70年代というひとつの時代の「風景」であって、それから早や半世紀を隔てた今日、伊右衛門像として却って古めかしい。)

随談第575回 訃報あれこれ

加賀屋歌江が死んだ。小山三という別格的な存在は別とすれば、ひと足先に逝った吉之亟とともに、「昭和歌舞伎」を知る最後の女形だった。歌右衛門が八ッ橋をするのがテレビ中継されれば、画面のフレームの中、歌右衛門の斜め後ろ辺りに歌江の顔がある。遠近感が失われる画像の中では、身を殺していても大柄な姿はすぐに目についた。実を言うと少し目立ちすぎたのかもしれない。

それは、歌江にとっては決して喜ばしいことではなかった筈である。芯の役の役者の邪魔になってはいけない並び腰元や並び傾城の役を務める女形として、目立ちすぎることは慎まなければならない、という建前のもと、しかし実を言うと、これという女形は、みなそれぞれの個性をもって自分の贔屓を持っている。傾城や腰元たちの中に心に留まった顔を見つけて、あれは誰だ? というのが、観客の側の楽しみでもある。

歌右衛門の踊りに後見として影身の如く付きしたがって、引き抜きを行う名手としても知られたが、歌江の前に同じ役をつとめていた加賀屋鶴助がひと際の小柄だったのと、ここでも対照的だった。踊りの後見を表芸とすれば、形態模写という隠し芸があって、永い時期、俳優祭の名物になっていたことは、私がここに書くまでもないだろう。

昭和の末期から平成の初年にかけて、例年八月に国立劇場で続けていた葉月会で、珍しい狂言をいろいろ見せてくれたことが最も評価されるべきことだろうが(特に幸右衛門と組んで見せた『敷島物語』をはじめとする諸作は正に隠れた名作だった)、ああした形で一歌舞伎俳優として気を吐いたことと、歌右衛門の影法師として女形人生を全うしたことと、歌江自身、どちらを本望としていたかは、本人以外には窺い知れないことである。

上野の酒屋の倅で、昭和30年前後に新東宝の二枚目スターとして宇津井健の次ぐらいの位置にいた中山昭二が兄だという、かつては歌江のことを人に教えるときによくした説明は、今となっては、ヘエ―と言ってわかる人も稀になった。

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ダーク・ダックスのバリトン喜早哲氏が亡くなって、それなりの話題にはなったが、新聞の扱いは必ずしも大きくなかった。中には顔写真も何もないベタ記事の扱いのところもあったらしい。新聞を読まない若者世代が増えたというので東大総長が入学式の訓示に新聞を読みましょうと言う時代、紙面構成の中での扱い様でニュースの重大性が相対的に知れるのが新聞ならでは、インターネットではそうはいかない、と新聞人がアピールに努める昨今、喜早哲氏の死亡記事のこの扱いはその言を自ら裏切るものと言わねばなるまい。

確かに、イマドキノワカイモンはダークダックスなどといってもピンと来ないかも知れないが、しかし相前後して訃報が伝えられた秋山ちえ子、戸川昌子といった名前とともに、昭和30年代という時代の匂いを伝えるという意味で欠くことのできない名前である。もっとも戸川昌子が第一回の江戸川乱歩賞を取って作家デビューしたのは既に高度成長期に入ってからだから、実は少し遅れる。ラジオでデビューして最盛期をテレビで迎えたという意味で、ダークダックスも秋山ちえ子も、他の同業の人々とは一線を画す、戦後世相史年表を作るとしたら、独特の時代の匂いを持っているが故に逸することのできない名前なのだ。

ダークダックスよりデュ-クエイセスの方が上手いだの何だのということを言い出せば、いろいろな評価があり得るだろう。しかし4人コーラスというあの形で戦後社会に登場したのはダークダックスが先駆者であり、そのこと自体が、戦後世相を語るひとつの「事件」であったのだ、という意味で、他の、ダークダックス以上に音楽的に優れ、より以上にヒットナンバーを持ち、人気の上で上位に立ったどのコーラスグループにもまさって、喜早哲氏の死は、新聞紙面に然るべき扱いをされるべきなのだ。(つい先日、日本映画チャンネルで江利チエミの東宝映画『サザエさん』を放映したので70年ぶりの再会をしたが、初めと終わりに、ダークダックスが近所の酒屋の御用聞きの役で出てきたのを見て、アア、そうだったっけ、と古い古い記憶が甦った。つまり、あの映画は江利チエミだけでなくダークダックスが出演したことによってミュージカル映画となったのである。(もちろん、当節のミュージカルとは全然違うが、当時の製作意図としては、あれでもミュージカルなのだ。)

秋山ちえ子氏については、訃を伝えるどこの局でも流していた、戦時中殺された上野動物園の象の物語の語り部としてよりも、そのいわばデビューとなったラジオでの、声によるニュース解説のような番組が、子供心にも新鮮な感じが印象的だったのを覚えている。ダークダックスにしても秋山氏にしても、格別ファンであったわけでも愛読者・愛聴者であったわけでもないが、ラジオからテレビに移り変わって行った時代の感覚を鮮やかに思い出させてくれるという意味で、欠かせない名前であり懐かしい名前なのだ。

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ここまで書き継いできたところで、蜷川幸雄氏の訃報が入った。もっとも私は、決して氏のよき観客ではなかったし、あちらとこちらの活動を線で表すなら二つの線分が交わることはほとんどかった。

唯一接近したのは、既に10年も前になるか、菊之助が働きかけてシェイクスピアの『十二夜』を蜷川演出による歌舞伎仕立てで、まだ建て替え前の元の歌舞伎座で上演、大評判になったとき、旧体制時代の『演劇界』に私が書いた劇評を、氏が気に入っているらしいと教えてくれた人があった。と言ってもそれだけのことで、あちらからもこちらからも別に何をしたわけでもなく、交差しかけた2本の線は、またそれなりにてんでんに放物線を描きながら相遠ざかるようになった。

氏がまだ役者だったごく若いころ、大佛次郎の『三姉妹』という、国立劇場で新歌舞伎にもなった維新物の大河ドラマで、ほんのチョイ役だが(たしか二回ほど出てすぐ殺されてしまったと思う)、開港場になった横浜で虚無的な通弁の役をしていたのが、妙に気になってそれ一作でその存在ははっきりと認識することになる。やがてその後、灰皿を投げつける演出家、などと面白がられながら評判を高めていくのを、時にはその演出した舞台を見たりしながら、遠くから眺めていた。というのがそれからほぼ半世紀間の、わが蜷川像ということになる。

というわけで、私などが口を挟むようなことは何もない。一言で言うなら、主演俳優や、ときにはタイトルよりも、演出家の名前が大きく語られ、大きな文字で宣伝されるような時代状況を切り拓いき、現出させた人、ということだろう。料理はシェフ次第、芝居は演出家次第、ということを、時代の常識にした人、と言い換えてもいい。

随談第574回 ニコニコ超会議2016で獅童を見る

台風並みの烈風吹きすさぶ旧天皇誕生日の4月29日午後、乗り継ぐ電車3路線の内、2路線が大幅遅延という悪条件もものかわ、乗りかかった舟と肚を決めて、幕張メッセに辿り着いた。二時間半の余もかかってようやくプレス受付に着いたのは14時開演に遅れること既に5分余、教えられた会場へ行く途中で、ふと魔がさして他の催し物の会場へ紛れ込み、その、何というか、妖しうこと物狂おしき中をさまよいさすらい、ようやく心づいて脱出、カタログ番号E-112、超歌舞伎『今昔饗宴千本桜』の行われているイヴェントホールまで漕ぎつけたのは、察するところ狂言も佳境に入ったと思しき頃合いであった。

今回のニコニコ超会議2016のメインイベントである超歌舞伎の主役を獅童がつとめるについて、案内があったので出席の返事をしたのは、ニコニコ超会議なるものが如何なるものか、実際を見ないことには見当もつきかねる。「社会勉強」にもなることだし、その中で演じられる「超歌舞伎」なるものが如何なるものか、この機会にひとつ見ておこうかと、むらむらと興味が湧いてきたのである。酔狂・物好きと言わば言え、同日同時刻、紀尾井ホールでは竹本駒之助が『媼山姥』の「廓噺の段」を語るのを、ニコニコ超会議の獅童に乗り換えたのだから、愚挙と断ずる人がいたって不思議はない。

超歌舞伎『今昔饗宴千本桜』はかの松岡亮の脚本にして大正百年という超未来が現実、初音美玖(登場人物の役名である)の脳内で大過去に遡ったところが『義経千本桜』の時代という設定、獅童は『千本桜・鳥居前』の仁王襷を付けた忠信の扮装で、初音ミク扮する(と言っていいのか)美玖姫のために奮戦する。「鳥居前」あり「花矢倉」あり、その他観衆の歌舞伎イメージを満足させるような立回りの手を惜し気もなく見せて、青龍の精なる悪を倒すために獅童が大奮闘する。カラミ、鳴物その他、歌舞伎側は藤間勘十郎演出・振付によるすべて本物が出演しての初音ミク側とのコラボレーションである。この日が超歌舞伎公演の一日目で三公演、翌日が二公演、各ほぼ一時間という上演時間を獅童が初音ミク嬢と共演する。大変な運動量(!)と言わねばなるまい。

大団円には、特性舞台を駆け回っては、サアサアサアというように場内を煽っていやが上にも盛り立てようとするサービスも堂に入っている。5千人と聞いたが大観衆の場内から「萬屋!」と、結構悪くないタイミングで掛け声も掛かる。この場にいる観衆にとって、獅童は歌舞伎の世界からやってきた使者であり、(「月よりの使者」という映画が昔あったっけ!)何よりもまず、獅童はそのイメージによく似合っている。おそらく現在の歌舞伎界の誰よりも、獅童はこの役割にふさわしいに違いない。そもそも、この空間、醸し出されるこの空気、知名度、どれをとっても、獅童以上に程よくマッチングできる歌舞伎俳優がいようとは思われない。私としても、こういう獅童の姿を見ていれば、少なくとも好感を抱かざるを得なくなる。見終わって、滔々たる大河の流れのような人の波に流されながら、「凄い迫力だなあ、びっくりした」といった声を幾つか耳にした。これを最大公約数の感想と考えてよいとするなら、獅童は、歌舞伎伝道師という自分に課せられた責務を十分に果たしたことになる。

それにしても、と少々の負け惜しみを交えながら蛇足を加えると、前半を見はぐっても、会場へ向かう途中で他の超会議の催し会場に紛れ込んであの異空間の洗礼を受けておいたのは、結果としてよかったと思う。ロックの大音響が鳴り響く中、イマドキの若い人々の興味を引きそうなありとあらゆるものがごった煮状態で、差別なく並列されて行われている。「自民党」だの「民進党」だのという、いかにも場違いそうなコーナーまであって、たまたま通りかかったときには、自民党の代議士と思われる人物が黒スーツ姿の街頭演説と寸分たがわぬスタイルでアベノミクスが何とやらという演説をしていた。まるで地獄極楽巡りをしているみたいなもので、これで頭がおかしくならなかったらどうかしている、ようなものだが、こういう洗礼を受けた後に見た「わが獅童」は、間違いなくちょいとしたものであった。

随談第573回 今月の舞台

何とか無事手術が終わり、両目が開いて娑婆へ釈放された翌日から各座へ巡礼ということとなった。目明きになって見る最初の舞台、歌舞伎座昼の部『操り三番叟』の幕が開くと、雛壇に長唄囃子連中が居並んでいるひとりひとりの目鼻立ちまでくっきり見える。視力1.2というのはこういうことなのか。(小学校6年生の時以来の視力ということになる!)とはいえ、当面は一日に6回、3種類の目薬を忘れずに点さなければならず、となると当然だが、6回の内何回かは出先でしなければならないのが厄介である。

ま、それはともかく。

歌舞伎座に空席が目立つということが、其処此処で囁かれている。昼夜とも新作が出し物のメインでなじみが薄いことや、菊之助、勘九郎、七之助と揃う明治座の方が活気があって面白そうだということなどが、差し当たって思いつく理由ということらしい。確かに、四日、五日と二日続けて両座を見ると、明治座の方が華やいでいる。入りの良し悪しもだが、ロビーに溢れた人波の色彩の鮮やかさが違う。

歌舞伎座には仁左衛門も出ていて、『身替座禅』『毛谷村』ともっぱら古典の演目を引き受けているが、何となく影が薄い。ちっとも悪いわけではなく、特に『毛谷村』など、「杉坂墓所」から出したり、冒頭の剣術試合に立会いの侍の衣装を違えたり、随所に独自の見識を窺わせる仕方を見せるなど、丁寧な仕事ぶりで、なすべきことはちゃんと果たしている。お園の孝太郎も精一杯の努力を見せて悪くないし、お幸に東蔵、京極内匠に歌六とくれば当節これ以上はないという配役であり、このところの仁左衛門は、透明感というのか、余計な力みが一切なく、これもひとつの境地なのであろうし、見る人が見ればそこが素敵だということにもなるに違いない。『身替座禅』も、この狂言の妙趣は朝帰りの陶然たる風情を踊りとして見せるところが肝だから、踊りが得手とはいえない仁左衛門ならではというものではないのは確かだが、何といっても品の良さが生きるし、左團次の奥方も、少なくとも我々の見た日は悪ふざけなどなく、一種古風な趣さえあって、左團次もここまで来たかと思わせる。

というわけで、両演目とも、褒めこそすれ悪く言う筋合いは少しもないのだが、昼の部の最後と夜の部のはじめに納まって、今月の一座の中で何となくお客さんのような気味がある。また幸四郎が、『不知火検校』がこの人近来の傑作と言ってよく、『幻想神空海』にも終幕に特別出演といった趣で登場する唐の皇帝がこの人ならではの異国の偉い人らしい風が素敵で、つまり今月は高麗屋大当たりなのだが、それはそれとして、昼夜を通して眺めると、今月は染五郎の月なのだなという感が強くする。もう少し正確に言えば、偉い人たちを立てながら染五郎がこまねずみのように抜かりなく気を配りながら取り仕切っている、という感じである。

『不知火検校』は、元々、十七代目勘三郎に当てて書かれた江戸のピカレスクを、幸四郎が再演、3年前の初演の折には、中村屋風の世話の小味を高麗屋風の時代の大味に力づくで変えようとしてギクシャクしたが、今回はそこらが自然体のように程よく落ち着いている。着丈を自身の寸法に仕立て直し、柄や生地も幸四郎色に染め変えて、ちょっぴりバタ臭さも隠し味程度に効かせながら見せる具合が、なかなかうまくいっていて、ここ数年来、道玄だの新三だの、黙阿弥ものの小悪党にトライしても柄にも仁にもピッタリ来ず、叶わなかった会心の幸四郎振りを見せている。近来の傑作と言った所以である。先月の『金閣寺』の大膳などを見ても、幸四郎こそ悪党の蒼白な美を見せるピカレスクを演じておそらくは当代での第一人者であろう。同じ宇野信夫作品で染五郎時代に帝劇で初演した『花の御所始末』など、もう一度手掛けて然るべきである。

そうした中で、染五郎が生首の次郎という、いうなら、しがない按摩の富の市を二代目不知火検校へと成り上がらせるプロデューサーのような人物を演じて、じつにいきいきと立ち回るその取り回しが小気味よく、悪党というには凄みだの悪の強さだのが薄味なところを突く評もあり得るだろうが、私が興味を覚えたのは、むしろこの種の役どころでこそ、染五郎という役者は生き生きと精彩を放つのだということである。

転じて、『幻想神空海』で空海を演じても、染五郎はじつに溌剌と、若き留学僧空海として舞台の上の唐の街々を歩き回る。その自負に満ちた屈託のなさは、若き明治の代に伯林はウンテル・デン・リンデンを逍遥する太田豊太郎ならぬ森林太郎青年でもあるかのようだ。二年という限られた留学期間に「密」を学び取る(学び盗る?)という難行など、口では大変そうに言いながらその実まるで意に介していないかのように、健康的である。留学仲間の橘逸勢ともども、赴く先々でさまざまな人物や妖異と出会い、会話を交わして愉しむさまは、前回の同じ作者の『陰陽師』の安倍清明の、勘九郎の源博雅のコンビとそっくりそのまま重なり合う。当事者でありながら、当事者ではない。ストーリーの真の当事者は、歌六演じる丹翁であり又五郎演じる白龍であり、空海はシャーロック・ホームズとして、逸勢ワトソンと共に謎解きに腐心はしても、いうなら主役であって主役ではなく、むしろ狂言回しであると言った方がふさわしい。そういう立場で、程良く立ち回る染五郎は、なかなかに魅力的である。染五郎空海のそのスタンスは、不知火検校に於ける生首の次郎にも類似してくる。

誤解されると困るが、私はそういう染五郎の演技を難じているのではない。夢枕獏原作のこの芝居は、畢竟、そういう芝居なのであり(筋書の演出者の言にもあるように、玩具箱をひっくり返す愉しみである)、登場人物としての苦悩やら何やらは歌六や又五郎の演じるところに任せておけばいいのだ。(もっともその分、歌六と又五郎のセリフ術というものは大変なものであり、その労は大いに報われるべきである。)膨大な原作小説から要所をつまみ上げて、2時間20分、休憩なしで一気呵成に見せるという設定も、染五郎のこの行き方でこそ可能なのであり、さもなかったら、つまりあの迷路のようなストーリーにまともに付き合っていたなら、見る側は疲労困憊したであろう。

その意味では、脚本も出演者一同も、よく頑張ったと言っていい。中程の、話が50年昔に遡って事の因縁を説明する場面を幻想劇として浄瑠璃仕立てにして、京蔵やしのぶがチャイニーズ風女義のような姿で登場したりするのは、している方もだろうが見ているこちらもちょっぴり照れくさいが、脚色者としては苦心のアイデアに違いない。新・雀右衛門が、かつての父先代の演じた妲己みたいな扮装で楊貴妃になるのもミソであろう。橘逸勢やら白楽天やら、歴史上の偉人たちを松也や歌昇がつとめてずいぶんかわいらしい様子で登場するのはご愛敬というところか。米吉や児太郎が唐代のホステス役で平素の彼らからはヘエーというほど大人っぽく(おねえさんぽく)見えるのも妙だ。

        *

言い忘れるところだった。『不知火検校』で、第一幕で富の市にまんまと手籠めにされる旗本の奥方の魁春と、妻を寝取られながら一向にそれと気づかないのほほん亭主役の友右衛門が、共に前回以来の持ち役だが、これがなかなかの秀逸である。(富の市が舞台の上で実際にやってのける悪行のうち、一番鮮やかで印象的なのがこの場面でもある。)魁春は、立ち居から声音から、さながら歌右衛門を彷彿させる。歌右衛門がした筈もないこういう役で、唸るほど似ているというのが面白い。(但し、零落して検校を恨んで返り討ちになる、前回から書き足された(宇野信夫の原作にはない)場面は、やや蛇足の感もある。)

それにつけても、この場が春雷の鳴る江戸の旗本屋敷、次の場が中仙道は熊谷宿近くの、向こうに夏山が迫り草いきれが匂うような街道筋、というように、流れるように場面を転換させながら話を佳境へと導いてゆく宇野信夫脚本の巧さに、今更ながら感服した。その前の浜町河岸の場から、短い時間でテンポよく運んで、富の市の悪行ぶりが増してゆく過程が手に取るように見える。

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染五郎はもう一幕、開幕に『操り三番叟』を器用に踊るが、かつての延若のことを、河内屋のおじさんの三番叟は意思のない人形の空虚感が切なかった、と筋書の「今月の役々」でうまいことを言っている。ワカッテイルんだよなあ。それにしても、毎日違う隈取でつとめたいと言っているが、どういうことなんだろう?

ところでここでも、松也が後見をつとめる。今月の松也は昼夜三役が三役、染五郎の弟分の格である。

       ***

明治座は菊之助、勘九郎、七之助が全部で五演目からそれぞれ三役をどれも初役でつとめる。皆々、優等生の好青年らしい清々しさだが、その一方、興行のタイトルは「花形歌舞伎」でももはや単なる花形ではない、中堅俳優としての道を歩み始めているわけで、彼らが現在歩んでいる道程のそれぞれの地点で、それぞれに難しい時期に差し掛かっている。その苦しい時期を如何に乗り切るか? 極論すれば、いちいちの演目や役の芸評で褒められるか否かよりも、彼らにとって肝心なのはそちらにある。われらにとっても、むしろ見どころはそこにある。

中では七之助が、葛の葉にせよ、あるいはお吉にせよ、芸も役者ぶりも上げ潮に乗っている最中なので、成長の様子を実感させる。役者として大人になったと思わせる。葛の葉と葛葉姫の早変わりが効果的に見えるのも、人外のものにすんなりなれる七之助の仁が物を言っているが、『油殺し』のお吉となるとその正反対の質実感が不可欠になる。こちらはどうにか無難に持ち切ったというところ。葛の葉も、人間と契った女房なり母なりの質実感より、メルヘンのヒロインとしての感覚のほうが優先する。これは半ばは芸質の問題であり、半ばは女形としての芸の若さの問題であろう。(裏返せば、現在の七之助にふさわしい演目を選んだということでもある。)

ところで、それはそれとしてだが、七之助に限らず、最近の若い葛の葉たちの、「恋しくば」の歌を障子に書く曲書きの文字の何という情けないことよ。先の雀右衛門や現・坂田藤十郎あたりを最後に、墨黒々と見事に書いて見せる葛の葉が後を絶ってしまったかのようなのは、小学校から習字をきちんと教えない現代の学校教育の問題が歌舞伎の芸にもろに現れた例ともいえる。日常筆を持ちつけない悲しさは、この狂言最大の眼目の場面で画竜点睛を欠くことになる。七之助は、口に筆を咥えて書いた「葛」の字が一番ましだったのは、皮肉というべきか。

>一方勘九郎が、父の遺作『浮かれ心中』を父そっくりに演じると、その声音、その息の間の良さ、父に学ぼうとするサービス精神、この間までであったなら、「おとっつぁんそっくり」とこちらも無邪気に驚き喜んでいられたものが、却って、いろいろな矛盾やら疑問やらを感じさせられてしまう。つくづく思ったのは、もうこの狂言は賞味期限が来ているということである。なまじ勘九郎が十八代目そっくりに演じれば演じるほど、客席の笑いのボルテージがかつてのようでなくなっていることが見えてくる。これは勘九郎の演技が拙いからではない。既にこの作に、10年前のような喚起力がなくなっているからで、勘九郎(と彼を取り巻く人々)はそれに気づき、思いを致すべきなのだ。

この作が駄作だと言っているのではない。かつて父が小幡欣治の脚色で歌舞伎に仕立て、演じた1990年代には、この作は、歌舞伎ブームを巻き起こした当時の先代勘九郎の存在をアピールし、歌舞伎など縁遠いものと思い込んでいた人々を吸引し、認識を改めさせる上で大いなる役目を果たした。つまり、「期限限定の名作」だったのだ。何も百年、二百年後まで生命を保つものだけが名作ではない。すべての新作が『仮名手本忠臣蔵』や『義経千本桜』である必要はない。野球に一人一殺、ワンポイント・リリーフの名投手があるように、いっときの観客をワッと沸かせる期限限定の名作だって、あって然るべきである。勘九郎のなすべきなのは、この作をお父つぁんそっくりに(即ち「十八代目の型」で)演じ続けることではないことに、深く思いを致すべきである。今回の勘九郎としては、父の遺作を復活した『末広がり』の方が、小品ながら可能性があると言える。

『末広がり』といえば、勘九郎の太郎冠者に傘を売りつけるよろず商人になる国生が、オヤと思わせるなかなかの役者ぶりを見せる。去年あたりから大分大人びてしっかりしてきたなとは思わせていたが、今度は、これはちょっといけるぞという感じ。大化けとまではいかないが、中化けぐらいには優になる。

菊之助が『女殺油地獄』に取り組んだのは相当の意欲と自負をもってのことだろう。万端遺漏のない研究と準備を思わせる周到な演技だが、さてこの芝居、こんなにも難しくしなければならないのだろうか? 父親に対し母親に対しひいては世間の者どもに対し、さらにはお吉に対し、与兵衛が抱いているアンビバレントな心情の裏も表も、そのすべてを漏れなく表現し尽そうとすれば、説明演技に陥らなければならない。何だか、尾上菊之助ならぬ寺島和康氏のものした学術論文『女殺油地獄論』の絵解きを読んでいるような気がしてこないでもない。

(しかも、これは菊之助の責任ではないが、父親役の橘三郎も母親役の上村吉弥も、理知的で堅実な演技の持ち主だから、こんなにしっかりした両親をもったこんなに賢い青年が揃っている家庭ならそもそもあんなことにはなりそうもない、などと、つい冗談の一つも言いたくなる。)

      *

この狂言について、前々から気になっている二点。その一、序幕「徳庵堤」に登場する小栗八弥なる小姓頭、偉そうな口を利くのは代参だからいいとして、その方の鞘の鯉口、詰めようが甘そうな、などと剣術の達人でもあるかのような口を利いたり、必要以上に物々しい人物に見える。何故か?

その二。お吉の娘の、序幕ではあのおませな口を利く女の子が、油屋の殺し場では奥で赤子笛でピーピー泣くだけだ。店先であの惨劇が行われている間、あのおませな娘は何をしていたのだろう?

『油地獄』を論じる人は多いが、誰もこのことには触れないのはなぜだろう?

随談第572回 両目が開いた

今回はちょっと近況報告。先々週と今週と二回に分けて白内障の手術をしました。一年あまり前から眼科に通い出し、緑内障だと言われて、しかしまだ点滴治療で抑えられる段階だからというので、三月ごとに通院するぐらいですんでいたのだったが、昨秋ごろから頓に視力低下、とりわけ左眼がカスミがかかったようになりこのままでいくと丹下左膳状態になる。素人考えで思うに、昨年末に出した『東横歌舞伎の時代』という一本の、とりわけ巻末の上演記録をこしらえるのに視神経を酷使した故ではないかという気がする。大元は、往時の『演劇界』巻末の月々ごとの各劇場の記録を下敷きにしたのだが、『演劇界』に限らず昔の雑誌というのは、いまのように体裁などは二の次だから(それだけ、ジャーナリスティックな感覚が強いわけだ)、たとえば、号によって、雀右衛門(雪姫)と書いてあったり、雪姫(雀右衛門)となっていたりする。『雪暮夜入谷畦道』となっているかと思うと、『蕎麦屋』となっていたりする。こちらは、本文を書き進めながら取り敢えずそのまま引き写すわけだが、さて本文が完成して、付録の上演記録を整備しようと手を付け始めて、ほとんど途方に暮れた。これを一定の方式に直すのに、相当に、視神経を酷使し、神経をイラつかせたことは間違いない。

もっとも医師の言うところでは、にわかに白内障が進行したからでそちらの治療が先決だということになり、幸いなことに我が家から徒歩10分という間近に順天堂の分院がしばらく前に出来たのでそこへ紹介状を書いてもらったという次第だが、さて、まず進行の度合いの進んでいる左目から取り掛かって、こちらはまあ、一手二手、ちょっと手古摺った程度で無事終了、視力1.0を回復し、新聞というものがこんなにもインクの跡も黒々としていたのか、ということを思い出した。

次の入院までに原稿を二本ばかり、それにこのブログの前回分を書いて、今度の右目はもっと簡単に行くであろうと割に気軽に入院、手術に及んだところ、これが意想外の難手術となった。推定だが普通の3倍は時間がかかったと思われる。局部麻酔だから医師や看護師の緊張している様子が皆わかる。頑張ってくださいという声も三度はかかったが、想定外の事態になったのでその処置をしていますのでしばらく辛抱してくださいと、医師が明確に言ってくれたのがよかった。それならそうと、覚悟を決めるしかないわけだし、どんな事態になっているのかは、凡そ想像もつく。で、まあ、何とか事態は収拾されて手術は終わり、翌日の検診で、あゝ、うまくいってますね、と医師の方も嬉しそうに言ったところで、ほぼ一件落着か、というところに無事着陸、以後の経過もまずまずで、予定の日程通りに退院とは相成った。

と、いうわけだが、いまどき白内障の手術なんて簡単らしいよ、などという話はよく聞くが、何事もそうだが、そうとばかりは限らないこともあるよ、という教訓にしていただければ、少しは世のため人のためになれるかも知れない。

どういう風に見えるようになったのか、とよく聞かれるが、一言で言えばくっきりはっきり、とはいえ所詮視力1.0だから、もっと目のいい人は幾らもいるわけだ。舞台がどれだけはっきり見えるかがお楽しみ、というところ。大相撲で、初日が開いて何日もたつのに黒星続きの相撲取りが、ようやく一勝を挙げると「片目が開いた」と言い、二勝するとようやく「両目が開いた」と言うそうな。どうにか一人前、という意味合いらしい。

ともあれ、まあなんとか、両目が開きました。これからもお愛読の程。

随談第571回 春場所騒動

大相撲の春場所は、想定外の事態がめまぐるしく変転した挙句、白鵬優勝をめぐる椿事となって終わった。千秋楽の是より三役の三番が三番とも、意味内容はそれぞれ違いつつそれぞれの意味で期待外れの一番だったわけで、この三番が今場所のすべてを象徴していたようにも見える。

琴奨菊は元の木阿弥となり、稀勢の里はやっぱりいつもの稀勢の里で終わり、豪栄道は所詮、今日の夢は大阪の夢、浪速のことは夢のまた夢でしかなく、そうした中で鬼と化した白鵬が三人の木阿弥に掛かっていた夢をすべて、浚って行ってしまった。問題の日馬富士戦への不満の根源は、その夢と消えた夢への欲求不満が沸騰した結果の表れと、私には見える。

琴奨菊の横綱昇進への夢というのは、元々、冷静に見れば期待と危惧が半々、むしろ四分六ぐらいに見積もるのが穏当なところであったにもかかわらず、マスコミに煽られるように、横綱昇進なるか、いやなるに違いない、という一点に絞り込んで今場所が始まった。初日までもうは幾日もないという頃になって、地元で優勝パレードなどやっているのをニュースで見て、アリャリャと思った。こういう贔屓の引き倒し方というのは昔からあることで、善意からしてくれることだから無下にも断れない。初日の放送で北の富士氏が、昇進の可能性にについて厳しい見方を示したら、新聞の投書欄に、あの解説者はまるで琴奨菊を嫌っているみたいでアナウンサーも戸惑っていた、公平性を欠く解説であるといった趣旨の投書が載っていたが、何事によらず、ムードに流される世の動向というものを絵に描いたように示す、面白いと言えば面白い投書だった。鉄アレイを持ち上げたりハンマーを振り回したりするトレーニングはしていたろうが、土俵の土を踏んでいなければ、果たして脇は甘い、出足は不足という、元の琴奨菊に戻って、終盤戦は連日、土俵の砂にまみれて終わった。せっかくの琴バウアーのルーティーンが五郎丸の拝みポーズに追いつくぐらいに知られかけたのに、惜しいことだ。本当に元の木阿弥になってしまうかどうかは、来場所以降の問題だが、ともあれ、これが今場所のポシャリの第一。

稀勢の里は、どなたかも指摘していたように、目を臆病な小動物のようにキョトキョト動かす癖が影を潜めたのは結構なことであった。あれはおそらく、精神力の充実の反映であろう。13勝2敗という戦績は、来場所への橋頭保を築いたといってよいかなりの戦果であったわけだが、中日以降、それまでは稀勢の里のことなど話題にもしなかったような向きまでが、琴奨菊がダメならこっち、と期待が俄かに倍増してかかってきたのはやむを得ないところでもあり、むしろそれをも力にして、この機に乗じて優勝を浚ってしまう、という離れ業ができないところが稀勢の里流なのだともいえる。

逆に、これは浚えるぞと見極めをつけたかのように、5日目、6日目頃から以降の白鵬の形相の凄まじさは、今場所は白鵬だなと思わせた。勝ち残りで控えに戻ってからも、次の一番が終わってもなお、物凄い形相は消えなかった。(アナウンサーたちは、そういうところに気付いているのかいないのか、気づいていても予定にないことだから知らぬふりをして触れないようにしているのか、相も変わらず、自分たちの立てた放送スケジュールに従って型にはまったことしか放送しようとしない。)十四日目だったか、対鶴竜戦のとき、時ならぬ鶴竜コールが沸き起こった。「白鵬負けろ」とはまさか言えないから、鶴竜コールとなったのだろう。

日馬富士戦の立ち合いの変化について、あれで決まるとは思っていなかったというのは、本当だろう。(当然ながら)追撃の体勢を取っているのが何よりの証拠で、相手が土俵際で踏みとどまり,体勢を立て直すところへ次の攻撃をしようとしたのに違いない。日馬富士の方も、あそこまで猪突猛進しなくとも、とは思うものの、そのぐらいにしなければ一気に押し込むことはできないだろう。要するに、立ち合いの張り差しだの、八双飛びだの、昔からある技とはいえ、これほど常態化している時代はないだろうが、普段がそうだから、急にこういうときだけ、やるなと言っても無理な話なのだ。別に擁護をしているわけではないが、急に、横綱たるものは、などと勿体をつけるのも空々しい。ただ北の富士氏が言っていたように、曽ての横綱たちと当世とでは、考え方・観念がおのずから違ってきているのは確かだろう。

「荒れる春場所」ということを、場所中、アナウンサー諸氏がしきりに口にしていたが、今場所は、関脇小結が皆、大敗したことでも知れるように、番狂わせが少なかった場所に属する。別な意味での「荒れる春場所」であったわけだが、この言葉は、元来、3月に大阪での本場所が定着して以来、上位陣が総崩れになって、よく言えば予測がつかない展開になる面白さ、悪く言えばハチャメチャ状態になりかねないことがよくあったので、昭和30年前後から言われ出したのだった。関脇以下の優勝や、12勝で優勝などということも他の場所より多いのがその表れだが、昭和30年代前半、雄大な体躯と風貌、眉毛と胸毛の濃さで、神代の昔の力士を思わせた先々代朝潮が(事実、東宝映画『日本誕生』に手力男の命(タヂカラオノミコト)の役で特別出演、原節子演じる天照大神を天の岩戸から引きずり出す場面を演じた)、本来の力を発揮したら栃若以上の筈と期待されながら取りこぼしが多く、他の場所では期待を裏切り続けながら、大阪場所になると優勝するので朝潮太郎ならぬ「大阪太郎」と呼ばれた時代があった。「荒れる春場所」のシンボルでもあったわけだ。

随談第570回 今月の舞台から

まずは雀右衛門襲名の歌舞伎座から。菊吉仁幸に長老坂田藤十郎まで顔を揃える大一座で襲名興行を開けるというのは、新・雀右衛門にとってはもちろん名誉だが、歌舞伎界としてもそれだけの展望をもってのことであろうか。『鎌倉三代記』が吉右衛門の高綱に菊五郎の三浦之助、『金閣寺』が幸四郎の大膳に仁左衛門の藤吉の上に藤十郎の慶寿院までお出ましとなれば、これ以上の待遇はないわけで、これは襲名のご祝儀だけでなく、歌舞伎界の立女形としての待遇とも見える。雀右衛門は夙に吉右衛門を中心とする一座での実質上の立女形としての働きを示して来たが、思えば亡き四代目も、永らく、実に永らく、常に三番手四番手のような位置に置かれて来たのだった。もしあれで、90余歳という長寿に恵まれていなかったなら、と考えれば、おそろしいような、気が遠くなるような感慨に襲われる。

夙に打率・出塁率の高さでは累年の実績を重ねている新・雀右衛門、このたびの時姫、雪姫二役、クリーンに放った二塁打と見る。まぐれか実力か分らないような場外ホームランなど打たないところが新・雀右衛門たるところだが、「口上」で東蔵が、これからはもっと芸の上で自己主張をされるとよろしからむ、といった趣旨のことを言ったのが、ヘエエと唸らされた。

(「口上」といえば今回は、たとえば菊之助は出ない。菊五郎が出る以上、一家の長でない者は列座しないという、やや古風な行き方で、これは近頃結構なことである。人気があるからといって若い者を並ばせても、「この席へ連ならせていただきましたことを喜びおる次第にござりまする」ぐらいのことしか言わないのでは列座する甲斐がない。それにつけても、立者連にしても、これもプログラムの一演目として見せる以上、何も左団次流を真似る必要はないが、もっと内容のあることをしゃべるべきだ。ところで、我當が『口上』のためだけに出演している。その心意気やよし。)

『三代記』では菊五郎が休演で三浦之助を菊之助が代わったが、代役などとは微塵も思わせない水も漏らさぬ出来。フィギュアスケートの採点よろしく点数を付けたなら、菊五郎より高得点になるに違いない。しかも立派な本役である。たぶんこれは菊之助終生の当たり役になるだろう。

襲名の二狂言の次に位置付ける狂言として『対面』と『双蝶々』の「角力場」でどちらも橋之助が工藤に濡髪と座頭役をつとめる。当然ながらこれが、彼の座るべき場所であることが、こういう大一座の中に置かれてみると改めて見えてくる。秋の芝翫襲名、期待してますぞ!

『対面』では勘九郎の十郎に、中村屋三代に通底する和事味があるのを嬉しく見た。この祖父から孫へつながる和事味こそが、勘三郎三代の芸の根源であり故郷なのだ。但し目下のところ、まだそれが勘九郎自身の芸の味として発酵するところまで行っていないから、やんやと受けることはないのは仕方がない。

『角力場』は菊之助が与五郎と長吉を替わって、ここでも完璧主義者らしい歌舞伎界の金妍児(キムヨナ)ぶりを発揮するが、そうなると今度は、長吉という役はこんなに目から鼻に抜けるようなアンちゃんなのだろうか?という疑問も沸いてくるのが歌舞伎の難しいところ。もうちょっと鼻の下に生意気をぶらさげているような、アサハカサが見えていた方がオモシロイのではあるまいか? 濡髪の八百長がらみの恩着せ行為への怒りが、正義感の発露だけになってしまうと、話が割り切れすぎてしまって芝居のコクが薄くなる。

中幕だの追出しだのの格付けで小品の踊りが四つも並ぶのも今回の一特色だが、昼の部の第二に『女戻駕』と『俄獅子』が二段返しのように出るのがちょいと気が利いている。とりわけ、時蔵に菊之助に錦之助の奴という『女戻駕』が近ごろ出色だが、ところがせっかく俄の踊りを上下(と謳ってこそいないが)にして出すのだから、暗転にしてつなぐのは、野暮というよりせっかくの興趣を殺がれる。『俄獅子』の場面が吉原仲ノ町だから、『籠釣瓶』の序幕よろしく、いわゆるチョン・パにしたのだろうが、単独で出すならそれもよかろうが、ここは明るいまま背景を折り返して居所変わりにしなくては! チョン・パというのは電気照明が生み出した近代の産物で、アッと驚かせるにはいいが、「俄」のようななんどりとした小品をふたつつなぐのにはふさわしくない。先の雀右衛門が革ジャンにジーンズでオートバイで楽屋入りして、時姫や雪姫を演じたのとは似て非なるミスマッチである。

『団子売』は仁左衛門がますます玲瓏。『金閣寺』の藤吉にしても、こんなに透き通ってしまっていいのだろうかという気も、一方ではしないでもないが、病気回復以来、これもこの人の到達したひとつの境地でもあるのだろうか?

久々の『関三奴』。踊りとしては勘九郎が一番うまいが、こういう古風なものだと、鴈治郎の鷹揚な役者ぶりがちょいと味がある。松緑は少し顔を描きすぎではないか?

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何年ぶりかという新派の国立劇場出演に選ばれたのが(『婦系図』でも『鶴八鶴次郎』でも『天守物語』でもなく)『遊女夕霧』に『寺田屋お登勢』というのはなかなかよく考えた演目選定であろう。「花柳十種」と「八重子十種」から選ぶという、戦後の新派の高峰の頂上部分を選び取り、それが波乃久里子と当代八重子に受け継がれた、「新派のいま」の極上部分を見せようという狙いは成功だった。入りも、少なくとも私の見た日は一階席に空席がほとんど見当たらないという、相当のもののようだったのは、ある種の新鮮な印象を与えた結果かもしれない。

とりわけ『遊女夕霧』に感心した。『人情馬鹿物語』はそもそも、原作である小説も、自ら脚色した芝居も、川口松太郎の最高傑作だろうが、いま改めて見ると、なんという「大人」の芝居であろうか。「人情馬鹿」という、人間通としての作者のつかまえどころといい、コトバコトバコトバで成り立っている芝居造りといい、それを演じ、それを見て泣いて笑って心洗われて帰って行ったかつての新派の役者たちも、その観客たちも、なんという「大人」たちであったことか。多分そのかなりの部分は、今日の観客の半分程度の学歴も知識も持ち合わせていなかった筈だが、それにもかかわらず、こういう芝居を見事に受け止め、愉しんだのである。

夕霧の久里子も、円玉の柳田豊も、その他の誰彼もよくやった。与之助の月之助も健闘した。かつての誰それは…とは言うまい。少なくとも今、これ以上に出来る者は他にあるまい、今日能うる限りの布陣である。

今月の新派は、国立の舞台に背水の陣を敷いた。その気迫が伝わってくる。そこに感動がある。