随談第601回 第7世紀第1年

この随談も今回で通算600と1回とは相成った。もっとも、一回分が今のように長くなったのは最近のこと、初めのころは一回一題のような短いものを毎週のように出すなど形態はその後もいろいろに変化したから、一回分の分量はその時々で大分違う。第1回は2005年の4月(つまり私が2Bの鉛筆からパソコンへと「武器を変え、旧石器時代人から新石器時代人へと進化だか退化だかしたのがこの時であったのだ! もっとも新聞の劇評だけは、字数を計りながら書く必要から、担当の方のご厚情を当てにしていまでも旧石器を用いているから、進化(退化)にはまだ多少の歯止めがかかっていることになる)、当初しばらくはアクセス数も微々たるもので、1万に達するのに確か一年近くかかったのではなかったか。まったくの偶然だが、新しい歌舞伎座のこけら落とし開場前日の2013年3月末でちょうど累計40万になったのを覚えている。今は幾つぐらいになっているのか、以前のようにカウント数が表示されなくなったので知らないままだ。

ともあれ、この回から第7世紀に入る。日本の歴史ならまだ推古天皇の御世である。

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菊吉仁幸に最長老坂田藤十郎と五横綱揃った今年の顔見世、こんな壮観にいつまた巡り合うことができるか、見留めのつかない今日この頃の歌舞伎界の気圧配置ではある。この月に限らない、おそらくこの人たちはいまどの役をするにしてもこれが最後かという思いでしているに違いないが、菊の直侍、吉の貞任、仁の勘平、幸の最後の一日の大石、どれもそれぞれの思いのこもった様子が見えて良きものだった。

顔見世ではないか、てんでんばらばらに店を構えるばかりで何が顔見世だ、仁左衛門が『大石最後の一日』でせめても荒木新左衛門を付き合うのが唯一の例外とは何たること、という意見が出るのももっともだが、顔見世ではなかったが昭和38年の正月、11代目團十郎の与三郎、歌右衛門のお富、17世勘三郎の蝙蝠安、初代猿翁の多左衛門というのが、私の実見した最大の超弩級大顔合わせだろうが、それの何分の一なり真似ようとしても、玉三郎が出ない弩級女方不在の「野郎歌舞伎」では、揃い踏みというより、五横綱が次々に土俵入りを見せるという、今回の方式に落ち着くことになったのだろう。

とするなら、今回の各店品揃えに留意した名店街方式もあながち悪くはなかった。吉右衛門の貞任、又五郎の宗任、雀右衛門の袖萩、歌六の直方、東蔵の浜夕、錦之助の義家という『安達原』、『入谷』の菊五郎の直次郎、時蔵の三千歳、東蔵の丈賀といった辺りは現在まず考え得る適任適材と言うべく、團蔵の丑松もここに加えていいだろう。むかし流行った夢の配役みたいなことを言えば、宗任を海老蔵にさせたらとか、まあいろいろあり得るだろうが、それぞれがチームプレイ本位の体制で固めた今回としてはそのプラス面が表立ったことになる。

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『奥州安達原』という芝居を初めて見たのは東京オリンピックの翌月の歌舞伎座で、初代吉右衛門を偲んで何年振りといった角書をつけて十七世勘三郎がした時だった。こんなに面白い芝居があったのかと思った。奥州のあらえびすの摩訶不思議な神秘の闇が広がっているように感じられた。桂中納言に化けた貞任が見著わしになって束帯を脱ぎ、下に重ねている白い小袖を一枚脱ぎ二枚脱ぎ(今度の吉右衛門は二枚でおしまいだったが)三枚脱いだような気がする、まだ脱ぐのかという驚きがどよめきとなって聞こえたのを覚えている。当時の勘三郎は、頂点に立とうとする者の勢いが情念逆巻く精悍さとなって、実に魅力的だった。(こういう「闇」が、銀の匙を咥えて生まれてきた18代目には遂になかった。そこが父と子を分ける分水嶺であったろう。)貞任と兼ねた袖萩が弾く祭文の三味線が哀切を極め、中村光輝のお君のけな気さがこちらの胸に届いてくる真率さ。三代目を襲名して急峻を上り詰めようとする者の猛なる勢いをたぎらせていた延若が、あの顎のしゃくれた写楽美であらえびす宗任を演じ、八幡太郎は腰こそやや前傾していたがまだまだ元気だった寿海だった。勘三郎はその後にもう一度、国立劇場で今度は長大な通し上演を敢行し、本名題の根拠となった安達原の「一ツ家」を出して、当時はまだ沢村精四郎だった紀伊国屋藤十郎の恋絹の腹を裂く老女を演じて素晴らしかった。精四郎また可憐を極めた。両舞台とも、まさしく、嗚呼、夢だ夢だ、と独り言つほかはない。

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菊五郎の直侍。やっぱりいい。他の追随を許さない。おなじ頬かむりをする江戸の二枚目でも、雪空の寒空に尻を端折って鼻水をすするのが絵になるという美学は、与三郎と違って江戸ローカリズムというふるいにかけなければならないから、三津五郎もいなくなってしまった今、当面、候補者はいそうにない。それにつけても菊吉健在の今、もう一度、通し狂言『天衣紛上野初花』を是非やってほしい。三千歳時蔵、金子市左團次、丑松歌六でいまならまだ出来る。

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幸四郎の大石は、これまでの涙過剰が抑えられて非常に豪宕な趣があって、幸四郎一代の到達点に降り立つかのようだった。先頃のサリエリのおのずからなる飄逸味といい、ここに至って何かを突き抜けたような心境の深まりを思わせるのが、年明けての二世白鸚襲名を控えて興深い。

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仁左衛門の勘平の音羽屋型はいまさら言うまでもないが、筋書の「今月の役々」によると、私の勘平は十五世羽左衛門さんの型ですと明言している。そうであろうと思っていたことには違いないが、こうご本人の口から明言されると、改めてフームと思う。ささやかなる再発見と言おうか。

孝太郎のおかる、ちょっとしたものだった。先月の『亀山の仇討』の女房役もよかったし、することに芯が通ってきた。この人はタイプが父親と違うために、仁左衛門ファンの女性たちから辛い点をつけられて大分損をしている。

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東蔵が、さっきの幕で時代物の老女をつとめたのが今度は幕が開くと間もなく按摩の丈賀になって出てくるのに、改めて感じ入る。これで「六段目」におかやで出たとしても不思議はない。(吉弥のおかやも、腕のある人だからする仕事にそつはないが、理の勝った人だけに先月の『亀山の仇討』の茶屋の女将の方が適任だった。)結構な丈賀を見せてくれるとは言うものの、本来この役は脇の立役から出るべき役のはずだが、では誰が、ということになると、適任者が思いつかない。田之助とこれで二代、女方から丈賀役者が続いたことになる。脇役者払底、と決めつけてしまわずに、機会を作ってやれば、人は必ずいる筈だ。

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国立劇場が『坂崎出羽守』と『沓掛時次郎』という大正昭和の新歌舞伎の二本立てを出したのは、創立当時のむかし歌っ(謳っ)ていた、忘れた歌を思い出したかのようだ。年一本の割で長編の新作を作っていたなど、信じられないような事実である。三島由紀夫の『弓張月』も大佛次郎の『戦国の人々』も北条秀司の『大老』もその一作であったのだし、青果の『平将門』という問題作を出したのも、目下のところあれが最後となってしまっている『桐一葉』を出したのも、その一作であったのだ。(幸四郎は『平将門』を遂に再演する機会のないままに白鸚になってしまう。あれは、幸四郎一代のベスト幾つかに数えるべき意義ある上演だった。父に代わって敵討ちをするぐらいの気持ちで、新しい幸四郎にぜひともトライしてもらいたい。それもなるべく早い機会に。ラスベガスくんだりなどに行っている暇があるなら、とは言うまいが。)

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『沓掛時次郎』という芝居は、昭和50年3月、歌舞伎座が舞台の床を張り替える工事のため月半ばまで休場、後の半月ほどを宛てて新国劇の特別公演というのが企画されたことがあった。歌舞伎から14代目勘弥がつき合って辰巳柳太郎の山岡初役の『将軍江戸を去る』に慶喜、島田正吾の『沓掛時次郎』に八丁徳を付き合うという筈だったが、ところが1月に中日劇場で『酒井の太鼓』の松浦候を勤めていた勘弥が楽日の舞台中に発病、何とか最後まで持ちこたえてそのまま入院、それが最後の舞台となって、亡くなったのが何と三月の特別公演の楽日だったという皮肉な巡り合わせとなった。もちろん、出演の不可能は夙に知れていたから、二役とも十三代目仁左衛門が、これは初めから本役としてつとめたのだった。(勘弥はノミネートされていた人間国宝にもなり損ねた。あれは「生ける国宝」という意味なのだから、選考の時点で余命のないことがわかっている場合は対象から外されるのだという。ふつう、こうした選考に関わることは口外されないのだが、この時は、当時「演劇界」を率いていた利倉幸一さんが選考委員の一人として、特に記事にすることを許されたとして「演劇界」の追悼文に明記している。)

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ところでその『沓掛時次郎』だが、この時の島田正吾の時次郎はまさに名演というべく、ことに大詰め幕切れの余韻はいまなお忘れ難い。芝居としての拵え方の巧さ、面白さという点では『一本刀土俵入』の方がまさしくWELL MADEだが、作者長谷川伸の詩魂と純度の高さという点では『沓掛時次郎』がまさると考えるのは、この時の島田の舞台を見たのが根拠となっている。

本来他人の人妻を守って旅を続ける男の物語といえば、実際にそういう男を見たことがあるとも言い、また一方、女と門付けの芸をしながら旅を続けるのは、三代目の林家正蔵の若き日の姿ともいうが、晩年に林家彦六と名乗った八代目正蔵の『旅の里扶持』という噺を感に堪えて聞いたのを今も忘れかねている。長谷川伸自身から、この話はお前にやるよと言われたものだという。初めと終わりの渡世人の仁義にかかわる部分はなく、旅先で駆落ち者らしい芸人夫婦と知り合った他生の縁から、幼い女の子を抱いた女を助けて旅を続ける内、女が死んでしまい幼子を里子に預ける。時が経ち、出世して三代目正蔵となった身で出かけた旅先で、年頃の娘に成長したかつての幼子に巡り合うという話で、彦六という人は、露伴の『幻談』など、文芸物を手掛けて知る人ぞ知る佳作を残しているが(先頃当代の猿之助と中車でやった『あんまと泥棒』などというのも、私が知った最初は彦六の高座でだった)、まことにこれは忘れ難いものであった。思うに長谷川伸は、股旅という枠を外せばテーマが『沓掛時次郎』とあまりにも重なり合うので、同じ正蔵の三代目の逸話というところから彦六に譲ったのだと思われる。

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シアタークリエ開場10周年という『DADDY LONG LEGS』がなかなかよかった。四演目というが今度が断然いい。理由はジルーシャ役の坂本真綾が女優として大人になったからで、出来のいい少女小説の主人公だったこれまでの域から、賢い少女が聡明な大人の女性へと成長してゆく姿を生き生きと見せた。原作小説に伏在する、新時代の女性像という塑像を彫り起こしたジョン・ケアードの脚本の卓抜さを見事に躍動させたのは天晴れといっていい。

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