随談第569回 今月の舞台から

歌舞伎座はまず昼の部全部を使って菊五郎が新作物を出したということにちょいと驚く。七十翁?が膨大なセリフを覚える労を厭わないというだけでも大したもの、なかなかの意欲と言って然るべきである。

まずは敬意を表することとして、木下藤吉郎売り出し時代の長短槍試合から浅野寧々との結婚、清州城三日普請、ちょいと出世して竹中半兵衛への三顧の礼、羽柴秀吉へと出世して叡山焼討ちから中国大返し、清州会議と、出世太閤記の有名エピソードのいいとこ取りをして全6幕、NET3時間余。近頃では珍しくなったこうした一本物の新作として、「いいとこ」のつまみ方がうまいのと足取りの良さ、それに幕が変わるごとに藤吉郎が出世してゆくのと共に、人物として大きく成長してゆく様子をうまく見せる菊五郎の芸とが、案配よく配合されている仕上がりの要領の良さに、菊五郎一流のバランス感覚がある。但し半面から言えば、エピソードの羅列であり、ドラマがないという批判も甘受せねばなるまい。

「太閤記」というものが昔から人気があるのは、底辺から頂点へと上り詰めた太閤秀吉という歴史上の英雄の出世譚としての面白さと同時に、もっと身近な、わが身とも重ね合わされそうな(気のする)、小気味の良いビルドゥングス・ロマンとしての側面をも持っているからで、そこらのツボをうまく押さえているのが今回成功の因であろう。(かつての東宝映画の森繁の社長物シリーズの一篇として『サラリーマン出世太閤記』なる一作があったが、一億総非正規労働者のような現代といえども、一身の知恵と才覚で世を渡ってゆく人物への共感と憧憬は消滅してしまったわけではない。)

吉川英治の『新書太閤記』は戦中に書き継がれた作で、秀吉が偉くなってからの後半は、時節柄皇国史観的な色彩が濃くなってあまり評判がよくないが、(発端、中国人の陶工が日本にわたってくる場面から始まるところを見ると、大陸遠征までが構想のうちにあったかと察せられるが、終戦とともに未完に終わっている)、初めの方は、出世太閤記ものの近代におけるオーソドクシイを作ったような感もあって面白い。(まさに『真書太閤記』に対する『新書太閤記』と称するに値する。)夙に戦前戦中に金子洋文脚色で六代目菊五郎、戦後30年代末に松山善三脚色で十七代目勘三郎が、それぞれシリーズ化している。十七代目版は、日吉丸の幼年時代を勘九郎坊や時代の後の十八代目、少年時代を中村賀津雄という配役が、それぞれグッドアイデアに応える好演と、評判だった。十七代目としても、おそらく最も幸せだった時代ではあるまいか。(賀津雄はまだ嘉葎雄などというややこしい字に改める前で、この時の好評から五代目時蔵襲名の話が持ち上ったりした。三代目未亡人である母堂が同席した記者会見の席上、そんなに時蔵の名前が大事ならお母さんが襲名すればいいじゃありませんかと言い放ったという話が伝わったものだが、今となっては、まさに往時茫々の伝説というべきであろう)。

閑話休題。今度の上演について菊五郎がこれは元々音羽屋のものだと言ったとか聞いたが、とはいえ金子洋文版ではなく新規に今井豊重脚色・演出としてこしらえたわけだ。ひとつ難を言えば、吉右衛門演じる明智光秀が、吉右衛門を煩わせる役としてはちと役不足の感があることで、信長というわけにいかなければ、徳川家康でも登場させて役を作るとか、ひと工夫あって然るべきだった。その信長の梅玉も、黒の着付けが「歌舞伎のお殿様」然として、松江候が出て来たみたいで気になったが、叡山焼討ちで西洋風の甲冑姿になってようやく安心する。だがそれより、梅玉はその知的でクールな持ち味といい、光秀ならぴたりであったろう。(もしかすると、配役はもともと逆であったのかもしれない。)

十七代目のときは信長が松緑、前田犬千代が勘弥、寧々がまだ友右衛門だった雀右衛門、竹中半兵衛が八代目三津五郎という、いかにもそれらしい錚々たる顔ぶれだったのを思い出すが、もっとも、歌六の利家、時蔵の寧々、左團次の半兵衛という今度の配役も悪くない。濃姫に菊之助、仲人役の名古屋因幡守の彦三郎等々、菊五郎劇団という手勢をうまく使った菊五郎得意の水入らずの芝居の良さでもある。團蔵の浅野又右衛門と安国寺恵瓊の二役などというのもなかなか乙で、團蔵もいい年配になって、味なところを見せるようになってきた。

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『太閤記』談義が思わず長くなったが、今月は昼は菊に吉が付き合い、夜は吉に菊が付き合うという、菊吉連合王国が皆々萬(ばん)歳(ぜい)を唱えるがごとき陣容なわけで、その意味では、吉右衛門の次郎左衛門、菊之助の八ッ橋に菊五郎が栄之丞を付き合うという『籠釣瓶』の方が一段とUNITED KINGDOMとしての実を挙げているともいえる。で、またこの栄之丞のスパイスがよく効いている。

吉右衛門は(筋書の上演資料によると、数え違いでなければ今度で12回目ということになる)すっかり草書風、菊之助は、世代からいっても芸統からいっても、例の見染めの謎の微笑ひとつを見ても、歌右衛門神話の呪縛から自由な地点に立っていることがわかる。『籠釣瓶』上演史の観点から見ればそこが面白いとも言え、菊之助論の観点からすれば、菊之助がこの役をどういう風に見ているかに興味が行くことになる。もっとも、目下のところは、決して尻尾を出さない「お利巧菊ちゃん」の埒から出ようとしないから、芸そのものの面白さとなって現れるというわけには行かない。そこが物足りないとも、それが菊之助なのだともいえる。即ちそれが、「菊之助のいま」なのだと考える他はない。今後、いろいろな次郎左衛門を相手にしながら(海老蔵の次郎左衛門などということもあるかしらん)、年齢芸歴を重ねつつ様々に八ッ橋を見せてくれる(であろう)のを楽しみにしよう。(まさか、八ッ橋より次郎左衛門の方がやりたい、などと言い出したりしないだろうね?)

歌六と魁春の立花屋夫婦がいい。立花屋には立花屋なりの打算もあれば商売気もある、というところを抑えつつもそれをあざとくは見せない、そのあたりの案配が大人の芝居である。この『籠釣瓶』という狂言は従来識者からは通俗歌舞伎と見做されてあまり高い評価を受けてこなかったような気がするが、同じ吉原を舞台にしながら、『助六』を裏焼きしたような、リアリズム歌舞伎としてじつはなかなかの傑作であると私は思っている。。

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その他では『源太勘当』で秀太郎の延寿が流石である。こういう作品ほど、義太夫物としてのツボをしっかり押さえてつとめないと何が面白いのかわからないようになってしまう。梅玉の源太も今ではこの人のものだろうが、菊之助がしてみるのも面白いかもしれない。時蔵と松緑の『浜松風恋歌』というのは、実は今度初めて見た。『須磨の写絵』の下の巻と同工異曲で、30分ですんでしまうから追出しとして便利とも言えるが、筋書の解説に『須磨の写絵』にまるで触れていないのは、ちと不親切ではあるまいか?

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新橋演舞場は「喜劇名作公演」と題して新喜劇と新派の相乗り、それに梅雀、つまり前進座育ちの芸が加わるという一座。もちろん、互いに努めてもいるに違いないが、思えば、成立事情はさまざまにせよ、いずれも歌舞伎の縁辺に生まれ、育ったジャンルの芸であるという一点で重なり合う。親和力の根源がそこにあることを、いま改めて知るのも、歴史が巡り巡っての面白さとも言えようか。少なくとも、当節稀な、大人が安心して芝居を見る楽しみがここにある。(作者はというと館直志、茂林寺文福、花登筐ということになるが、こうして並ぶと花登筐の作風のあざとさが気になるのは、まあ、お里の違いで仕方がない。)

三越劇場では北条秀司の『おばこ』を渡辺えりがやる。例によっての体当たり的熱演でそれはそれで悪くはない、こういうのも「あり」だろうと思わせるが、かつて市川翠扇と柳永二郎で見たのと同じ芝居と思えないほどテイストが異なっている。つまり渡辺えり流もありだと思わせるのは北条秀司の作の懐の深さ故であって(ということを、改めて思った)、それを芸の上で繋ぎとめているのは筑前翠瑶だ三原邦男だといった新派の脇役の面々である。演舞場の喜劇名作公演にしても、新派、新喜劇の役者たちこそ、今日の演劇界にあってのまさしくプロフェッショナル集団だということを今更ながら思わないわけにいかない。

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明治座で梅沢富美男が『おトラさん』をやっている。『おトラさん』といっても、懐かしさとともに知る人は六十代以上だろうか。『サザエさん』だけが独り勝ちのように残った形だが(じつを言えばその『サザエさん』だって、今知られているのはテレビでアニメ化されたもので、新聞の4コマ漫画とは実は風味を異にしているのだが)、昭和2,30年代の新聞連載漫画というのは大変な黄金時代で、各紙こぞって大ヒット作を長期にわたって連載していたのだ。

映画化・テレビドラマ化されると、当然ながら、そのタレントの個性で見せることになるから原作の漫画とは味も狙いも異なるのは避けがたいところで、むしろ別物と考えた方がいいが、江利チエミの『サザエさん』、藤村有弘の『エプロンおばさん』、都知事になった青島幸男の『いじわるばあさん』等々といった系譜が成立する。柳家金語楼による『おトラさん』はその最も早い例になる。(因みに、『サザエさん』の初代ノリスケ役は売出し前の、というより、もっと正確に言えば、この役をもって売出しの第一歩としていた当時の仲代達矢である。)

今度の梅沢による舞台版も、原作のキャラとも設定とも大分違いがあるが、これはこれで大衆劇として悪いものではない。昭和36、7年ごろの人形町商店街という設定は、世態人情の移り変わる時代の潮目を捉える上で気が利いているし、毎夏の楽しみだった隅田川の花火も来年からは交通規制のために廃止になるという、幕切れのちょっぴり辛子を効かせる具合など、堤泰之の脚本も端倪すべからざるものがある。(職人たちのうわさ話に、長嶋はよく打つが王はさっぱりだ、あれでは三振王だと言わせるなど、「オヌシやるな」というところである。実際、この当時の王貞治氏はそんな程度だったのだ。昭和43年が初演の『おばこ』では、上州の山奥の温泉芸者が、王選手の一本足打法すごいねえ、と噂するセリフがある。まさしくこの数年のタイムラグの間に、「王選手」は草深い山奥にまで知らぬものない存在になったのである。)

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今月の文楽は『信州川中島合戦』『桜鍔恨鮫鞘』『関取千両幟』とB級グルメのオンパレードの最後に、突如、『義経千本桜』のそれも「渡海屋・大物浦」という本膳が出るような、ふしぎな献立で、こうなると「大物浦」の、物語がすでに終わった後に延々と知盛の述懐と鎮魂のための件が続くのが、生理的苦痛のように感じられてしまう。歌舞伎の「大物浦」が、典侍局の件を少々犠牲にしてでも知盛入水を圧倒的な演出にして見せた知恵を改めて思わない訳には行かない。『靭猿』にしても、いたいけな子猿にしたところに歌舞伎の知恵があることに今度改めて気が付いた。文楽の猿は大猿であって、なるほど、あのぐらい大きい猿でなければ靭を作るには不足なわけだ(という理屈からどうしても離れられないのが、文楽と歌舞伎の違いの根本であろう。)

『川中島合戦』でも、歌舞伎で『輝虎配膳』を見ていると、この配膳はもう一膳足りないような気がするのだが、文楽でそのもう一膳の「直江屋敷」を見せられると、ああそういうことなのかと納得するものの、正直、いささか腹にもたれる感は否定しがたい。歌舞伎が「輝虎配膳」だけで切り上げてしまった理由もわからなくもない、ということになる。どちらにしても、痛しかゆしには違いない。

『桜鍔恨鮫鞘』を咲大夫が語るのが今月一番の大ご馳走だろうが、近代的知性というヴェールに包まれてしまった『天網島』だの『大和往来』だの以上に、こういうものこそ上方の町人社会を如実に映した作なのだろうと思わされる。歌舞伎での通称『鰻谷』という上方狂言の存在を知ったのは、昭和41年6月、東横ホールで十三代目仁左衛門と我童のおつま八郎兵衛で見た時だった。初めても何も、本興行での上演は今以てこのとき限り、その後もう一回、国立小劇場で大阪の芸能を集めた特別公演で、やはり十三代目と我童で見たのが私の『鰻谷』体験のすべてであり、もしかすると私の上方認識の最奥部を作っているかもしれない。菅丞相もさることながら、十三代目という人の芸に一番しっくりするのは八郎兵衛かもしれず(上方の辛抱立役というのはこういうものかと思わされた)、我童のおつまも、これこそが我童の真髄かと思うものだった。

嶋太夫が、人間国宝になったはいいがそれと引き換えのように引退という事態をめぐって、私などの耳にさえ、ホンマかいなと言いたくなるような、あまり愉快でない噂が聞えてきたりしたが、ここ数年、あれよという間に年配の大夫がいなくなってしまったことになる。もうこれで、昔ながらの風情・風格を持つ大夫は咲大夫だけといっていい。きちんと上手に語る大夫はこれからも出るだろうが、計算づくでは計れないような浄瑠璃を語る大夫は出ないだろう。嶋大夫の師の若太夫という人はまさにそういう人だった。嶋大夫は豪放な若太夫と芸は似ていないが、ある種、昔風の義太夫を語る最後の人であったとは言えるだろう。口調が何となくべちゃべちゃする感じが気になる処はあったが、演目によっては流石老巧と思わせるものがあった。七,八年前になろうか、『敵討襤褸錦』の「大晏寺堤」の前の場の「春藤次郎右衛門出立」を語ったとき、コトバのうまさに感じ入ったことがある。

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ところで今回、嶋大夫最後の床となった『関取千両幟』の「相撲場」で猪名川と鉄ケ嶽の取組みの仕切り直しの際、鉄ケ嶽に琴奨菊よろしく琴バウアー(と呼ぶことに一本化した由。菊バウアーの方がよかったのに。猪名川にさせたらイナバウアーになるところだった)をさせたのはご愛敬だったが、塩を四本柱の根方に置いてあったのは間違いである。あれは柱の程よき高さに塩を入れた笊をくくり付けるのだ。現在のような下に置くやり方は、昭和27年秋場所(栃錦が関脇で初優勝した場所である)、四本柱を廃止して吊屋根から房を下げるようにしたときからのことで、当初は、大きな体の力士が体をかがめて塩をとるのをおかしく思ったものだ。(ついでに言うと、「満員御禮」と書いた白い幕も、四本柱にくくり付けたのである。)

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シアタークリエの大竹しのぶ三演目の『ピアフ』の大熱演。すっかり堂に入って「しのぶ十種」の内に入れてもいいほどだが、どうも歌が上手くねえなという声も、ロビーのそこここから聞こえてくる。私はパム・ジェムス作のこの狂言(!)は歌より芝居だと思っているので、一応ピアフらしく聞こえれば歌の巧拙はさほど気にしないが、いや歌があってのこの芝居であると考える向きも少なくないようで、そうなると、評価もがらりと変わってくることになる。

これとは別物だが、先に話に出した『おばこ』の後、「渡辺えり愛唱歌」と題するコーナーというか、もう一幕というかがついている。一丁のアコーディオン(だったりギターだったりピアノだったり、大塚雄一が弾き分ける)の伴奏で歌とトークで運ぶのだが、こちらでも、歌がどうも、ということになる。歌手の公演とは意味が違うとはいえ、わざわざ一演目として設ける以上、客を喜ばせてくれなければ、余計なおまけをもらって却って困るということになる。たぶん、歌う曲によってバラツキ(乱高下?)があるのだろうが、もっともこちらは最後の演目だったから、ロビーの噂を聞く暇もなかった。

随談第568回 一月の人物誌-梅之助・鶴蔵・春団治・前田祐吉・榎本喜八、一転して琴奨菊

梅之助逝去を伝えるのに、「遠山の金さん」などでおなじみの俳優中村梅之助さんが亡くなりました、という相変わらずのテレビ報道のスタンスには今更驚きもしないが、これはテレビとはそういうものであるとテレビ局自身が、ということはテレビ人種という人類が揺るぎなく考えていることの現われと見るべきであろう。しばらく昔になるが芥川也寸志逝去の折の報が「大河ドラマ『赤穂浪士』のテーマ曲でお馴染みの芥川也寸志さんが亡くなりました」であったから、仮にいまベートーベンが死んだとすると「『エリーゼのために』でお馴染みの作曲家ベートーベンさんが亡くなりました」というニュースになるわけだ。

それにしても、並のワイドショーならまだしも、TBSでも看板番組に相違ないかの『サンデーモーニング』でさえ、遠山の金さんから切り出したのはともかく、司会者の原稿の読み方が胡乱で、うっかりすると梅之助が前進座の創立者であるように聞いた人がいたかもしれないようだったのは、要するに知識も用意もまるでなしに読んだが故なのだろう。ほんの二、三秒の言い淀みの揚げ足を取るのではない。関口宏氏が名司会者(といっていいであろう)たる所以は、インテリぶりといい、世上の事どもに対する知識や見識、如才なさと骨っぽさの混じり具合等々、すべてが「中の上」という程のよいところでバランスよく整っているために、何事にもニュートラルな対応が出来るところにあると見ているが、つまり当節の中高年男性の質の良いところの備えている「常識」というものが如何なるものであるかを、この関口氏のヘマははしなくも物語っているかのようだ。前進座第二世代の代表として、芸の上でも座の運営の上でも、前進座の担い手であり顔であった中村梅之助も、要するに「遠山の金さん」の「これにて一件落着」というセリフで有名なあの人、であり、「前進座」とかいう劇団みたいなところの創立者だか何だか(?)でもあるらしい・・・といった辺りが、当節の中高年ジェントルメンの持ち合わせている「梅之助認識」であるということであろう。そもそも番組としての扱いもおざなり臭かった。要するに、知らない、のだ。ということは、「関心外」なのだ。かの「サンデー・モーニング」にしてなお、である。

(梅之助はそれでも「金さん」があったからまだいい。先年亡くなった安井昌二など、「新派の重鎮」だけでなく、かつては映画俳優として『ビルマの竪琴』という有名作の主役としての経歴もあるにもかかわらず、当節のマスコミ人には『ビルマの竪琴』といえば市川崑監督で石坂浩二のやったリメーク版であり、同じ頃に死んだ宇津井健なら知っているが、安井昌二などと言っても、ハア?といったとこなのだろう。)

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鶴蔵が死んだ。訃を聞いたのは暮れの内だったか。舞台に立たなくなってもう何年になるか、俳優協会で出している『かぶき手帖』の俳優名鑑の「市村鶴蔵」の項はもう十年來、私の書いたものが再録されていたが、それもこの一月発行の「2016年版」でお終いということになる。巧いという人ではなかったが、戦前からの歌舞伎を知る人ならではの「役者らしさ」があった。

何と言っても思い出すのは『三人吉三』の八百屋久兵衛だが(大詰に庚申丸と百両の金包みの二品を預かって花道を駆け込むところで、たまたま席を隣り合わせていた水落潔さんが「あんな人にあんな大事なものを預けて大丈夫なんでしょうかねえ」と笑いながら話しかけてきたのが如何にもむべなるかなという感じだった)、昭和46年5月、六代目菊五郎二十三回忌追善興行の歌舞伎座で鶴蔵になった時に、『道行旅路の花聟』に伴内をつとめて、はじめ三段目、つまり「進物場」「喧嘩場」と同じ裃袴で登場、花道付け根ではらりと衣裳が脱げ落ちていつもの湯文字姿になるという型を見せたのが忘れられない。つまり『旅路の花聟』と『仮名手本』三段目との脈絡をつけて見せるという、なかなか味な型なわけで、この型はのちに十代目三津五郎が見せたことがあったが、特に通しで出す場合など、今後も誰かが受け継いで然るべきであろう。ともあれこれで、大正生まれの歌舞伎俳優はいなくなったことになるわけか。

桂春団治についても書いておくべきだろうが、実をいうとこの人について私は語るべきことをあまり持っていない、というより、語るべき資格がないといった方が妥当かも知れない。つまり私が高座に何度か接した頃の春団治は、端正さが取り澄ました気取りと紙一重のような感じで、親しみをもって取りつく隙を与えてくれなかった。黒の羽織に朱色の紐といった一種の気障さと、一針のほころびも見せない完全主義の芸が、正直、まだ固かった。近年の、老熟を感じさせる風格から、いまならまた違う春団治に接しられるだろうと思いながら、落語を聞きに行くという習慣を失ってしまったという不精から、その真骨頂を窺う機会をついに得ないままになってしまった。米朝の上方言葉は東京の客にもわかるように按配した上方弁で、春団治のこそ本来の上方言葉だと教わりながら、そういうものかと思いつつ、遂にこれという機会を得ないままになってしまった。

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前田祐吉といっても、ハテ?と首をかしげる人の方が多いだろうが、1960年(つまり安保の年だ)の秋の六大学野球で早慶6連戦ということがあり、そのときの慶應の監督である。つい昨秋、その折の早稲田の監督だった石井連蔵氏が亡くなったときにもこのブログに書いたが、両校監督が相次いで逝ったことになる。こういうことは不思議なほどよくあるもので、よく、後を追うように亡くなった、という言い方をするが、あれから56年、月並みだが、時代が終わったと思わせられるような事態が次々と起る、これもそのひとつということになる。

しかしそういうこと以上に、あの年は、夏前に安保騒動があり、プロ野球では大洋ホエールズが三原監督になって万年最下位から優勝、日本シリーズでも大毎オリオンズに四タテを喰らわせて勝ってしまった年であり(巨人はこの年が水原監督の最後の年、翌年から川上監督になる端境期で、およそパッとしなかった)、大相撲はこの年5月場所で栃錦が引退し、その1月場所に大鵬が新入幕(3月場所で栃錦・大鵬戦というのが一回だけ行われている)、柏鵬の対戦が人気随一になった最初の年であり、という風に、何かにつけ、同じ「戦後」でも、昭和20年代以来の匂いがなくなって、「第二期戦後」とでもいうような時代の匂いが充満し始めた、分水嶺の年であったような気がする。私はちょうど大学に入学した年でもあったから、我が身と重ね合わせて、56年という歳月の果て、前田・石井の早慶両監督の死が相次いだことに感慨を覚えるのだろう。

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つい先頃、工藤公康、斎藤雅樹と言った面々が野球殿堂入りしたというニュースの中に、榎本喜八も殿堂入りというのがあってエーッと思った。まだ殿堂入りしていなかったのか、という驚きである。殿堂入りのための規定というのが、毎回、殿堂入りの記事に添えられているので凡そのことは知らないわけでもないのだが、何だかややこしいルールがあってびしっと頭に入っていない。とに角、榎本ほどの名選手がまだ殿堂に入っていなかったというのは不思議という他はない。ご当人はもう故人であって、直接その喜びを知ることはないままである。

変人だとかなんとか言われていたようだが、要するにそれはかつての剣豪小説の人物のような求道のため故の変人ぶりであって、いまのイチローだって相当の変人であるらしいのと同じことだ。人気のない時代のパ・リーグを代表する強打者として、南海ホークスの野村克也と双璧であろう。違うのは、大監督だの名監督などに間違ってもならない生き方にある。

三ノ輪に東京スタジアムが出来て阪急=大毎戦というのを見に行ったことがある。真夏のナイターで、歌右衛門と寿海でやった綺堂の『箕輪心中』を見て間もなくだったのをいま思い出したが、つまり地下鉄の日比谷線で南千住の手前の、そんなところにプロ野球の球場が出来たというのでちょいとした話題になった。当時はやりのコンクリート打ちっ放しのような殺風景な感じが、妙に似合っていた。試合経過などはもうまったく覚えていないが、阪急に、黒人選手第一号で人気のあったバルボンがまだ出ていた。その当時だって在日もう10年を越えていたろうから、かなり息長く活躍したわけだ。わが榎本は、パリスという白人選手の強打者と大毎の3,4番を打っていた。この試合でも、どちらかが一本、打ったのではなかったっけ。

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訃報がらみの人物誌の最後に琴奨菊のことを書くのは気が差すようだが、妙なつもりは全くない。今場所の相撲っぷりの見事さは既に言い尽くされている通りで,言い足すべきこともない。まさしく気は優しくて力持ち、「おすもうさん」というイメージ通りの人柄があまねく知れ渡ったらしいのも、我ひと共に喜ばしいことだ。

年末に載せた第565回の「BC級映画名鑑」の『名寄岩涙の敢闘賞』にちょいと名前を出しておいたが、栃錦などよりやや先輩だがひと足遅れて大関になった三根山という大関がいた。体つきと言い、がぶり寄りが得意の相撲ぶりといい、琴奨菊をその三根山と重ね合わせて見ることが多かった。あまり強いとは言えなかったが、真面目な土俵ぶりと「おすもうさん」らしい風格とで独特の人気があった。琴奨菊も、いうなら現代の三根山かと見ていたのだが、そういえば三根山も一度優勝している。もっともその場所は上位陣総崩れの乱戦混線模様の中で比較的傷の浅かった三根山が12勝3敗で勝ち残るように優勝したのであったから、今度の琴奨菊の優勝の内容充実とは比較にならない。今場所の「化け」ぶりがもし本物なら、先代の師匠の琴桜が、突如、押しとのど輪の威力がワンランク上がったかのような強さと風格となって二場所連覇して横綱になってしまった先例の再現もあるかもしれないと思わせる。(取りこぼしが多かったので連覇してなお疑問視する声も上がった時、現役の先輩横綱であった北の富士氏が「あんな強い奴を横綱にしないで誰を横綱にするんだ」と言い放ったのが実に痛快だったのを思い出す。)

日本人力士の優勝が10年ぶりというので、普段は大相撲など見向きもしないマスコミが大騒ぎをして、(案のごとく)ナショナリズム偏向と批判も出始めたようだが、私は今度のマスコミのフィーバーぶりは一度通らざるを得ない通過儀礼のようなものだと考えている。以前若貴ブーム前期の頃、貴乃花がまだ完熟に至らず、曙の方が先んじていた一時期があって、ある場所、ようやく貴乃花が曙との決戦に勝てば優勝というところまで行きながら負けてしまい、曙に名を成さしめたということがあったが、その時の表彰式はひどいものだった。テレビの画面に映る向う正面の客席がほとんど空になってしまったのだ。なんたる狭量かと、この時ばかりは、相撲ファンと称する人たちの心なさに唖然、憤然、曙のために義憤を覚えたものだったが、あれからざっと20余年、観客も随分大人になったのは、「小錦黒船説」などが起った頃を思い起こせば、「文明開化」もずいぶんと進んだことがわかる。日本人力士も時には優勝するようになってこそ、いうところの「大相撲国際化」も雨降って地固まるのだ。それにつけても、立役者となった琴奨菊の「おすもうさんぶり」は、さまざまな意味で「値千金」であったといえる。

随談第567回 新春舞台巡り

明けましておめでとうございます。

大みそかの晩、除夜の鐘でも聞いて静かになろうかと『行く年来る年』なる番組にチャンネルを合せたら、一応しめやかそうに喋る男性アナの長話の最後にゴーンと一突きだけ鐘の音を聞かせたと思ったら、たちまち男女アナの賑やかな掛け合いに変り、今年もいろいろなことがありました、まずこのポーズ、とまたしても五郎丸の例の映像が映し出された。五郎丸もラグビー人気復活も結構だが、もう散々やったではないか。結局NHKは、いやこの国は、百八煩悩を払うことなどどうでもよく、小休みもなくはしゃぎまわって、煩悩ならぬ憂さを紛らせばそれでよい、ということなのだろうか。

などと、いきなりぼやき初めをしてしまったが、新年はまず、四座+一劇場にかかった初芝居の舞台からとしよう。

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見た順にまず、「新春浅草歌舞伎」から。去年から新メンバーになって松也が最年長で30歳、以下巳之助27歳、新悟25歳、米吉と隼人が22歳、国生が一番若くて20歳というのは、過去さまざまの花形たちの例から見てもこの面々だけが殊更若いというわけではない。少年老い易し、急いてはならず、と言って、あまりうかうかしてもいられない。

もっとも、ついまだ子供のように思ってしまうのは、見るこちらも気をつけなければいけないのであって、恒例の開演前の年始ご挨拶に米吉が出てきて、その「トーク」の流暢なこと、機転の利くこと、たとえば『源氏店』の解説に、社長さんが若い女性を住まわせていてそこへやって来たわけあり風の若い男が彼女の元カレだったんです、などとやって程のよい笑いを場内から取っている。聞けばトークショウなどで既に定評があるのだそうだ。イマドキノ若イモンはみな頭がいいのである。(但し、多左衛門は番頭だから社長ではなく専務というべきだろうが。)

だがその頭のいいのが必ずしも芸にプラスとして働くわけではないのが難しいところであって、たとえば『三人吉三』で隼人のお嬢が、花道を出てきて後ろをキッと振り返る顔が男になっている。たぶんこれは台本を読んだ上で自分の解釈でしていることと思われる。『源氏店』でも松也の与三郎が、表で所在なく爪先で小石をもてあそんでいる様子が、いかにもわけありげである。なるほどこれも、台本を「読み抜けば」そういうやり方も成り立ち得るかも知れない。こういう種類の頭の良さは、かつてののほほんとした御曹司たちにはなかったことだろう。皆、真剣で、熱心な研究家なのだ。大切なのは形ではなく「肚」、「性根」であるとかつての先輩たちは説いたが、現代の若手は肚も性根も自分で「研究」してとっくに「わかっている」のかも知れない。だから現代の先輩役者たちは、肚だの性根だのと言う前に、大事なのは「型」である、「手順」であると説くべきなのかもしれない。

以下、ひと口評。『三人吉三』。巳之助のお坊のツラネがまるで時代物だ。様式とはいっても時代に世話あり、世話に時代あり。緩急は根底に意味を踏まえている。たぶん、己之助は分かってはいるのだろう。わかってはいても、「ああなっちゃう」のだろう。

『土佐絵』。内容は「鞘当」だが、清元の踊りにしたところがミソ。不破と名古屋に、留め女が傾城になっている。坂東流にあるものの由。己之助としてはこういう形で出せることを有難いと思わなくては。

『源氏店』。松也の与三郎は声に柔らか味と色気があるのが二枚目としては天性恵まれている。先月の『関の扉』の宗貞でも、ぬーっと立っているだけでサマになっていたのは大したものだったが、与三郎となるとそうは行かないのが世話物の難しいところ。米吉のお富は時蔵に教わった由。初めて見る大人の女の役だが、それなりに役になっているのはエライ。蝙蝠安の国矢は敢闘賞。下女およしの国久ともども澤村藤十郎の門人である。舞台に立てない師に代って気を吐く彼等に声援を送ろう。

『毛抜』。己之助の粂寺弾正。こういう役は精一杯ぶつかれるからか、今の已之助なりに役になっている。体に色気がつくには場数を踏むしかない。10代の頃一時ブランクのあったのが響いているともいえるが、逆に、歌舞伎を疑うことを知らぬ「歌舞伎大好き人間」の知らない「目」を持った(であろう)ところに、期待も楽しみもあるとも言える。

隼人が秦民部などという大人の役でそれなりの貫目を備えているのに驚いた。お嬢吉三とは大違い。昨秋の『おちくぼ物語』といい、この人は立役で大を成すようになるのかも知れない。

『千本桜四の切』。松也の、(取り分け本物の忠信の)役者ぶりはここでもいいが、狐になってからの体が重い。音羽屋型の忠信は、澤瀉屋みたいに派手に跳びはねなくともいいが、ケレンのエッセンスを見せるにはむしろ澤瀉屋以上の身の軽さを思わせる必要がある。

錦之助の上置き役の数々。引率の先生と自ら称する由だが、生徒たちがみなマジメなので大過なく務まっている呑気な先生、といった体。

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歌舞伎座は新聞に書いた通り。補遺という趣旨で幾つか箇条書きにすると、

◆今月の三傑。吉右衛門の梶原。芝雀の梢。東蔵の丈賀。

吉の梶原は今更のようだが、今回取り分け感服した。力みというものが一切ない。芝雀の梢は芝雀の名でつとめる最後の舞台だが、散々やり尽くした娘役で、娘というものはこう務めるのだというところを見せるかのよう。三千歳も、手を氷で冷やしてつとめたという古名優の逸話を思い出させるような、男のことだけを思っている女である。東蔵の丈賀は先代権十郎など前代の丈賀役者の水準を思い出させる。次点として歌六の六郎大夫も今やこの人のもの。

◆今月の推奨。染五郎の直侍。金太郎の秀頼。吉弥の吉田屋おきさ。種之助の『廓三番叟』新造。(もちろん、それぞれのレベルに於いて、の話である。)

染五郎の直次郎は、セリフの声音からして低く苦み走って吉右衛門のよう。いつもの甘い染ちゃんではない。この線で行けば、この作この役を次代まで愉しめる期待が持てる。染五郎は『廓三番叟』の太鼓持ちでも、孝太郎の傾城、種之助の新造という間に太鼓持という役回りで入って程よく納めるところに、端倪すべからざるプロデュース的才覚が窺える。染五郎論を書くなら着目の要あり。

金太郎は背も伸びて、10歳で小学校5年生、上演史上最年少との由。家康にまず一献と盃を差されるのには本当はちと早いわけだが、凛とした風情が立派な秀頼である。幸四郎おじいちゃんが待ち切れないのも無理はない。あの秀頼見たわよ、というのが後世語り草になるであろう。(その頃も歌舞伎が健在ならば、だが。)

吉弥のおきさ。この吉田屋で唯ひとり、正真正銘の上方の女である。

種之助はまだ役どころを定めていない段階だが、兄の歌昇が今度の俣野も推奨ものの好演で、役どころも固まりつつあるようだが、兄の小型になるより今度の役は将来へのひとつのヒントになり得る。

◆幸四郎が夜の部だけ、吉右衛門が昼の部だけの出演というのも、あって然るべきだが、二人に比べれば若いとはいえ、玉三郎が松緑と『茨木』、鴈治郎と『廓文章』と、後輩を引き立てながら、鬼女と傾城と対照的な役をするというのはよい仕事ぶりと言える。もっとも、夕霧は格別として、茨木という役は元来は女形の役と限ったものではないと思うが、かつて歌右衛門も梅幸も芝翫もやったように、女形が食指を動かしたくなる役であるらしい。(雀右衛門はやらなかったが、これも見識である。)しかし小顔の玉三郎は、前ジテの真柴はともかく茨木童子になってからは、小さいお皿に模様を沢山描いたようで、ナンダカナアと呟きたくなる。かつての若き日『紅葉狩』の鬼女をしたのを思い出した。

橋之助が『鳥居前』の忠信と『猩々』で正月役者ぶりを見せる。秋に決まった芝翫襲名の暁、ぜひとも「いい役者」になってもらいたい。『猩々』といえば梅玉はこのひと役だけだが、そういえば今月は、幸・吉だけでなく左団次も魁春も、東蔵も又五郎も、ひと役だけの出演が多い。

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国立劇場の『小春穏沖津白浪』は14年前の復活上演のときは何の感興も感想も覚えのない芝居だったので、その再演と聞いても期待薄だった割には、存外面白かった。座頭格の日本駄右衛門が富十郎から菊五郎へ、小平が菊五郎から菊之助に変ってきびきびとテンポがよくなったのが因。伝奇ものらしい雰囲気が随所にあったのも悪くなかったし、あとは上演台本を切り詰めてテンよく運ぶだけ、と割り切った芝居作りがいい。

と同時に、これは新聞にも書いたが、菊五郎劇団に時蔵父子という水入らずの一座で、大どころから脇役端役に至るまでキャスティングすることが、ことにこういう芝居の場合、絶大の効果を発揮することを如実に証明した。毎月が顔見世みたいな歌舞伎座とひと味、ふた味違った芝居を見せるにはこれに限る。かつて日本映画爛熟時代の東映時代劇や東宝の森繁の社長シリーズが何故面白かったが、進藤英太郎だ山形勲だ、加東大介だ三木のり平だ、その他その他、毎度おなじみの手練れの脇役たちがするべき仕事を当り前のようにし遂げるという、偉大なるマンネリズムにこそ理由がある。マンネリズムというとマイナス面ばかりが言われがちだが、読みを変えればマナリズム、復活物をしこなすにはこれなくしてはあり得ない。『岡崎』だ『伊勢物語』だ、最近の吉右衛門の復活物の成果も、一座と謳ってこそいないが、歌六だ東蔵だ芝雀だ、およびその門人たち、ほぼいつもの顔ぶれで脇役端役がそろっていればこその成果であったと、私は思っている。

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新橋演舞場初春花形歌舞伎。海老蔵、獅童に市川右近という一座形成前々夜みたいな海老蔵軍団ともいうべき顔ぶれで、おととしの傑作『寿三升景清』、昨年の非傑作『石川五右衛門』と乱高下した新作路線から、今年は『車引』に『女男白浪』に『七つ面』という温故知新路線。やや音なし(大人らし)の構えだが、そうなると却って、この面々がそれぞれ抱えている瑕が気になってくる。

海老蔵は、女に化けた弁天娘の容子など、いかにもドラマをはらんで天下一品なのだが、何故かもうひとつ冴え渡らない。長い人生、そういう時期もあらあな、と片づけるにはちょいと気になる。

右近は、このところの年の功でこの軍団に抑えの格で迎えられるだけの、役者ぶりに尾鰭がついてきたのは認めるが、飴玉を頬張ったような口跡の悪さは相変わらず。若い頃に、師の二世猿翁の真似をしたのが癖となり、更に嵩じて第二の天性となったか。こういう「天性」はいただきかねる。獅童は今回はまず無難の口。鷹之資が加わったのは今回だけのことか、それとも今後も同道するのか?

『七つ面』の終いに『幡隨長兵衛』の山村座よろしく書き足して、いま見終った『七つ面』を劇中劇とし、「お坐りを、お坐りを」と舞台番を活躍させて最後に海老蔵が「睨んでご覧入れまする」という趣向。自作自演のようなものだから、今回限りのこういう趣向もありかもしれないが、あまりいただきかねる。見終って全体に印象に薄い今回であった。

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四座+一劇場、と先に言ったのは、三越劇場の新派にこの月から月之助が新派入りしての初春新派公演がなかなかの出来栄えであったことを書いておきたいからだ。

新狂言『糸桜』とは故河竹登志夫さんの『作者の家』から斎藤雅文が劇化・演出したもので、黙阿弥の長女糸女を波乃久里子、養子になる河竹繁俊さんを月之助という配役で、脚本もよく役者もよく、新派といわず演劇界近頃のクリーン・ヒットである。繁俊が河竹家の養子に入り、当主として地歩を固める大震災後までを全6場、駆け足というより、欲張らずにキリリと引き締まった構成で、斎藤雅文という人を、皮肉でも何でもなく見直した。

月之助も嫌みのない素直な演技で好演、波乃久里子はこういうものをさせれば流石というべく、一旦帝劇の作者部屋の人となった繁俊が作者の道を断念すると言い出した時の驚き、呆れ怒り狂うさまなど、さながら17代目勘三郎を目の当たりに見るようだ。(18代目よりよほど似ている。)

もうひとつ書き落とせないのが、こういうものをするときの脇を固める新派の俳優たちの見事さで、腐っても鯛などと言ったら叱られるかも知れないが、そうではなく、まさしく正真正銘の鯛であって、竹柴其水になる佐堂克実、黙阿弥になる柳田豊といったベテランから、女中になる石原舞子・鴫原桂、車屋になる鈴木章生その他その他の中堅から、新派なければ見られない世界を作っている。

というわけで、これを今月のお奨めとする。へたな歌舞伎より実になる面白さを味わえること請け合いである。