随談第539回 今月の舞台から

この月の歌舞伎座はところどころに、八王子の炭焼き売炭の歯ッ欠け爺みたいに空席があって、むかしの歌舞伎座みたいで懐かしいですな、などと穿ったことを言う人もある。もちろん、入りもよく松竹の財政も潤い、それが巡り巡って観客の上にトリクルダウンされればいいに決まっているが、一面、そう何時までも、いつもいつも満員札止めなどということが続くものではないということも、知っておくのはあながち悪いことではない。この前の歌舞伎座が出来た当初も大入り続きで、当時の松竹のある重役氏が、この分なら十年は大入りが続くぞと言ったとかいう話を、何かで読んだ覚えがある。

しかし舞台は、どうしてなかなか結構なのが揃っている。それでも大入りとはならないのは、菊・幸・吉、三横綱が揃い踏みするより、若手の〇〇蔵や〇五郎や〇之助やの方が集客力の点でははるかにまさっているとか、どれも古典名作とはいえやや地味目な作ばかりが並んだとか、アベノミクスのトリクルダウンが、世間的には味噌もくそも一緒に富裕層扱いされる歌舞伎ファン一般のところまで、そうはぼたぼた落ちてはこないとか、理由はいろいろあるであろう。(確かに、セコムのCMなどを見ていると、歌舞伎ファンというのはみなセレブなのだと思い込む人が出来ても無理はないという気もする。トリクルダウンといえば、この正月に三越劇場で見た新派『大つごもり』は現在の新派の実力を示してなかなか良かったが、見ながら、ああこの芝居は、トリクルダウンなるものの実態を描いているのだ、つまり、石之助のような放蕩息子が介在しないと、富はみねのような境涯の者のところまで滴り落ちてこないのだ、と、思わぬところで経済学の勉強をさせてもらった。いま話題のピケティ教授は一葉を読んだかしらん。)

さて閑話休題、今月の歌舞伎座だが、開幕の歌六、芝雀、又五郎の三人を錘の(お守りの)石とした次々代歌舞伎『吉例寿曽我』は旧正月で雑煮を食べ直すようだが(昔は寒餅(かんもち)などといって、寒中にもう一度餅をついたものだったっけ)、後はビッグ3がそれぞれ抱負のある出し物を披歴し合うという形。意欲あるところを見せたとも言えるし(地味目の演目が並んだのもそれ故であろう)、顔合せがひとつもないのはサービス精神の欠如だとする意見も出よう。どちらも正論正解、模範解答は一通りとは行かない。

菊五郎が『毛谷村』の六助をいまごろ初役というのも、ヘエ、という感じだが、いわゆる学校が違ったが故の巡り合わせだろう。菊五郎の、あるいは菊五郎劇団の丸本物というのは、つまり、随分と限られていることが改めて知れるとも言えるが、しかしこの六助は、いまになっての初役というのが良い方に目が出て、好打一番、少しも気張ることも無理をすることもなく楽々と二塁ベース上に達した二塁打というところか。いまの菊五郎の心境が、こうしたメルヘンチックとも言える芝居に波長が合ったのかも知れない。いわゆる「枯れた」というのとも違うが、菊五郎なりのひとつの境地がもたらした産物なのだろう。時蔵のお園は仁と言い柄と言い時蔵ベスト幾つかの内に入れていいものだし、左團次の斧右衛門も年の功だし、というわけでこれも月遅れのお正月のようなめでたさである。こういう芝居は、めでたい気分が肝要なのである。

吉右衛門が、旧臘の『岡崎』でかなりのエネルギーを消耗、三年越し(いや、もっとか?)となる味覚障害も未だ完治とはいかないようで、この月も夜の部のみ。とはいえ『陣門・組打』の熊谷を、これぞ年来演じ来たった総決算とも見える充実した気組みで見せる。この芝居、白鸚のも松緑のも見ているが、充分に演じながらゆとりを感じさせる具合といい、その上を行くものと言っていいように思う。手に掛けたのが敦盛か小次郎かという二重性を、技巧を際立たせずに自ずから感得させる、煎じ詰めれば音を遣ったセリフの妙にある。

敦盛に菊之助を得た効用(などという勘定高い言葉は本当はふさわしくないが)は『岡崎』に於ける志津馬の比ではない。おそらくこの役辺りが、菊之助という役者の仁の核心部分、もし守備範囲を円に描くとしたらコンパスの針を置く位置に限りなく近いところにある。祖父梅幸の再来と思ったのはまだ丑之助時代のことだが、その後、自身の意思もあって祖父以上に役の幅を広げようとしているかに見えるが、核心部分が祖父とほぼ同じ位置に在ることは疑いない。「陣門」で管弦の音に耳を傾けるところの風情など、まさしく梅幸の再来だが、それは単に「お祖父さんそっくり」というようなレベルの問題ではない。吉右衛門と勘三郎の不仲が修復され、二人で演じた『鈴ヶ森』の閉幕後、吉右衛門の方から握手を求めたという話の後日談として、二人で『陣門組打』をしようという話もあったと伝わっていたが、それが叶わなくなってまだ日も浅いいま、こうした形でこれだけの『陣門組打』が見られたというのも、平成歌舞伎の語り草となっておかしくないであろう。『関の扉』でも小町姫と墨染を踊ってどちらもいいが、墨染の方により多くの長所が発揮される辺りに、菊之助というものをどう考えるかの鍵がありそうだ。

吉右衛門がひと役、菊五郎はもう一役といっても『神田祭』をさらりという中で、最長老の幸四郎がそれも『関の扉』に『筆屋幸兵衛』を昼夜にわたって出すという大元気で、これがどちらも悪くない。この人はこの人なりに、いよいよ熟して来つつあるのである。関兵衛にしても黒主にしても、あの扮装をしてあれだけ大きな役者ぶりを示すというのは既にそれだけで大変なことと言わねばならない。(これがあの『心を繋ぐ6ペンス』の染五郎か、という思いは、往時を知る者なら、大なり小なり抱いて不思議はない。)やや腰高だが、腰高なりに一代の強豪だった柏戸のように、「幸四郎ぶり」というものを認めてもいいのではないかと、私はこの頃考えるようになった。『筆幸』はこれで三演目か、これも幸四郎の黙阿弥物として、最も仁も柄も合い、士族らしいという意味では旧世代の幸兵衛役者たちを含めても随一だろう。台本にいろいろ手を入れて、明治というのは治まるめえと読むのだとか、盲目の姉娘に光明の差す幕切れとか、「藤間ナニガシ補綴」でもあるかのように、明治初年の時世を明確にして一種の世相劇・社会劇としての形を整えようとの試みも、前回に比べると大分整備されて、これはこれで試みとして得心出来るだけになってきた。

前回、今日の歌舞伎地図をUKか連邦共和国かとなぞらえたが、今月にしても、菊五郎には時蔵、吉右衛門には芝雀、幸四郎には魁春と、一座それぞれに実質上の立女形を備えているのも、一座という感を深くさせる。時蔵のお園のことは既に書いたが、玉織姫という、もたれ役の代表のような労して功の報われにくい役をさせると、ひときわ芝雀の実力がよくわかるとも言える。芝雀は来月の『道明寺』でも立田の前だが、この人の犠打の成功率の高さというものはもっと認識されて然るべきだろう。魁春の萩原の夫人も、『筆幸』という芝居を締め括るために出るように見えるのは、それだけの風が備わっているからである。三人とも、もう少し高く評価されて然るべきであろう。

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今月の文楽が、やはり古典の有名作を並べながら、客席が歯っ欠け爺なのは歌舞伎座と似ているが、違うのは、住大夫の引退に文雀の病気休演という大駒が欠けただけでなく、なにやら急に手薄のような感じがする。咲大夫は『布引滝』の小万の件を語って充実しているし、清治も『国姓爺』の「楼門」を弾いて綺麗な音色を聞かせるし、蓑助は…と言っていけば、個々には人がいるのだが、さる人が、文楽はもう芸を見る(聴く)のではなく物語を見に行くのだとしたり顔に言っていたのが、ふと思い出されたりする。そいつを言っちゃあお終えよと言いたいが、『天網島時雨炬燵』に『国姓爺合戦』などという番組を続けて見ていると、その人物のしたり顔がふと思い出されたりする。『天網島時雨炬燵』は伝承をつなげるための虫干し、『国姓爺合戦』も、じつは賞味期限がそろそろ迫っているのではあるまいか? 共に、部分としては捨てがたいものがあるにしてもだ。

それはそれとして、咲大夫が「切」として『布引滝』の小万の件までを語り、「後」として次に文字久大夫が瀬尾の件から段切れまでを語ったが、なるほど、見せ場・性根場というものが歌舞伎と文楽で微妙に違うことが分る。矢走の仁惣太の首を馬上から掻き切るのだし、実盛の仁も歌舞伎とは異なるのは考えるに値するヒントだ。

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日生劇場の『La Cage aux folles』のようなものを見ていると、月並みなことを言うようだが、日本のミュージカルも大人の見るもの愉しむものとなったことを、改めて思うことになる。それにしても市村正親の女装ぶりでいつ見ても感心するのは、あでやかな舞台衣装姿より、よき母親ぶりを見せようと堅気の中年女性の姿になった時の、ブラウスを着た中太りのボディがいかにも本ものの中年女性になっていることだ。つまりここには独自の芸があるわけで、こればかりは、いかなる名女形といえども成し能わざるところだろう。

新橋演舞場の『BLOOD BROTHERS』も、前に見た時よりぐんと地に足がついたものになっている。作もいいが、イギリス物のよさがあらわれているのがその証明といえる。主役の双子になるジャニーズWESTの二人も、いわゆるジャニーズ臭をあまり出さずにやっていて好感がもてる。

どちらも規模からいえば中級の作品だが、日生にせよ演舞場にせよ、あるいはシアタークリエにせよ、いま仮にあちら出来の翻訳ものに話を限っても、このレベルの演目が何時も並ぶようになれば、様変わりした日本のいわゆる商業演劇(などというと古めかしいようだが、厳然として存在しているのは紛れもない)も、大人のよき愉しみを提供する場として成熟したといえるだろう。

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随談第538回 このところのいろいろ

前回の文中で「亀寿」氏の名前を「亀蔵」と打ってしまうというミスを犯してしまった。指摘を受けて、三日後には他の部分の修正も併せて訂正・修正版に差し替えたが、改めてお詫びを申上げたいと思う。亀寿君、ごめんなさい。

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ちょっと言い訳めくが、この数年来(首筋や肩・腋などのしこりが原因なのだそうだが)左手、とりわけ左手指が少々不自由な状態になり、小さなボタンをはめたり(とりわけシャツの右手首のボタンをはめるたりはずしたりに難渋する)紙をめくったりといった、普通ならほとんど無意識裡にすませてしまう作業に手古摺ることが多くなった。(どうせなら分厚い札束を繰るのに苦労したいものだと思うが残念ながらその機会にはまだ恵まれない。)パソコンのキーを打つのも例外ではなく、気がつかないうちに左手の小指なり薬指なりが思ってもいないキーに触れると見え、変換すると思いも寄らない文字や読解不能な言葉が画面に現れて唖然・愕然・呆然とするという事態もしばしば生じるようになった。「さて」と打ったつもりが「さあて」となっていて、これがメールだったりすると相手によっては「ふざけるな」と叱られてもやむを得ないという事態も生じる。今回のミスは、思うに「亀寿」の「寿」を打ち出すために「ju」と打ったつもりが「zou」と打っていたのに違いない。もちろん見直しはしたのだが、頭では当然「寿」と打ったつもりでいるために見過ごしたものと思われる。

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もうひとつ、これも生まれて初めての体験で、先日眼科へ行って検査をするのに眩むような光線を当てられて、表へ出ると、このところの冬晴れの晴天の下、見慣れた駅前の広場が色彩を失ったように、やたらに明るく白茶けている。原爆投下直後の街というのはこうもあったろうかと思うようだった。

これがケチのつきはじめというわけでもなかろうが、二日目に見に行った時、かの逸ノ城を鮮やかな肩透かしに切って捨てて名人芸を堪能させ、前半戦を二敗で乗り切って技能賞と来場所の関脇復帰は確実と思われた安美錦が、その日鶴竜との一戦が物言い取り直しになって勝てた勝負を失うということがあってから、あろうことか7連敗をして負越したり(白鵬の言によると、その前日の天覧相撲の安美錦戦からギアを入れ直したという)、事の大小を問わず何かと乱高下の大きい月末ではあった。(「あのニュース」が飛び込んできたのもその翌日だった。)

ところで、白鵬が優勝回数で大鵬を上回ったのはめでたいが、優勝を決めた稀勢の里戦での物言い取り直しの判定について審判の批判をしたというのは、因幡の白兎の余計な一言の類であろう。(尤も、千秋楽の翌日の優勝力士談話でだから、鰐鮫の最後の一匹を残していた因幡の白兎の軽率に較べれば賢かったわけだが。)

その白鵬談話と引き比べて、あゝいう際どい負け方をしたこちらが悪いのだと言ったという、かつて連勝記録更新中の大鵬が審判の誤審で負けとされた折の名言が引き合いに出されたが、差違えとされた行司の軍配の方が正しかったわけで、その時の「誤審」がきっかけで写真判定が導入されるようになったのだから、相撲協会というのはそういう点ではなかなか開明的なのである。(あの一番を捌いた当時の庄之助の風貌・風格、朝日新聞の投書欄に能の名人桜間道雄がその挙措の美しさを絶賛する投稿をしたほどの見事さだった。絶後というべきだろうが、それにしてもむかしの行司の顔は放送を見ていると自然に見覚えたものだが、いまの行司の顔がさっぱり覚わらないのは、単にこちらが齢を取ったせいなのか、それともイマドキの行司の風貌に個性がないからなのか?) ところでその世紀の大誤審の後、大鵬は途中休場、場所後、オーストラリアへ遊びに行き、ビヤホールでの飲みっぷりに呆れた隣席の豪州人から飲み較べの挑戦をされたのを受けて立ち、圧勝したという豆ニュースが後日談として報道された。その記事に曰く。カンガルーいずくんぞ大鵬の志を知らんや、というのだった。昭和40年代の当時、こういう記事を書ける記者が(朝日にも)いたのである。

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サッカーとテニスの話題の陰に埋もれていた野球のニュースが聞え出し、イチローの去就がようやく定まって、日本で入団会見をしたというニュースの中で、イチローが、応援よろしくお願いします、とはぼくは絶対に言いませんと言っていたのが面白い。もちろん以前からの持論だが、実際、野球選手の談話といえば「応援よろしくお願いしまーす」の一点張りなのは(勝ち力士インタビューの「ウレシイデス」というのも、天下の関取が小学生みたいでおかしい)、選手や力士の側の語彙の乏しさもさることながら、そういう紋切り型の返事しか引き出せない、あるいは引き出そうとしない、更には引き出さなくてもすんでしまう、聞き手の側の問題の方が大きいのではあるまいか。政治家の記者会見などでも、外国の記者に比べ、型通りの質問しかしないことが多いような気がする。想定した通りの記事にまとめれば能事終わりというのが多すぎるのだ。イチローほどの「曲者」でもなければ、インタビューされる側からその幣を破ろうとすることなど、まずないであろう。

もうひとつ野球のはなし。メジャーから古巣の広島に復帰した黒田の行動が話題になって、契約金の多寡を問わずに「復帰」した「おとこ気」が賞賛されているが、黒田の言っていることをよく読むと、今度の復帰は普通の「出戻り」ではなく、はじめから自身の選手としての道程を見通した上での、ある意味予定された「回帰」であるらしい。そこが面白い。こういう「展望」をもってメジャー入りした選手が他にもいるのかどうか知らないが、「おとこ気」もさることながら、日・米の球界をこうした「複眼」をもって見据えてプレイをしていた選手というのは、実にユニークである。

メジャー・リーグへ行った意義というものを感じさせる選手として、これまで野茂とイチロー(ちょっと別な意味で長谷川滋利と新庄を加えていいか)ぐらいと思っていたが、新たに黒田も加える価値がありそうだ。

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中村京蔵の舞踊の会を見た。今度は数年ぶりだったが、前は隔年ぐらいには開いていたのではなかったか。場所も、今度は日本橋劇場だったが、青山の銕仙会など歴としたところばかり、客席を一望しても錚々たる顔がそちこちに見える。努力と苦労の程も察しられるが、それだけの関心と評価を獲得するだけの実績を重ねて来たればこそでもある。

ひところは随分難解なものを試みたりしていたが、今回は、師の雀右衛門の当り役から『豊後道成寺』と『二人椀久』。どちらも、師の間近に居て教えを受け、後年は後見もつとめた演目である。京蔵の踊りは、立腰でスケーターのような動きのよさとスピード感で幻惑させる当世流と異なり、腰の入った練りのある踊りぶりと、役者の踊りとしての思い入れの巧さが身上だが、今度の二演目とも、その長所が生きている。『豊後道成寺』は師の雀右衛門自らが創演したものであり、『二人椀久』は、椀久役の富十郎も松山役の雀右衛門も亡き今、別の行き方を目指すなら格別、あのイキ、あの踊りぶりを見ることが出来るのは、他にはないとも言える。京蔵が雀右衛門と同じ域に達しているというわけではない。しかしまた単にその影法師たることに甘んじているのでもない。師を範としつつ、自分を見失うことなく、わがものとして踊っている。そこに意義がある。(椀久役の花ノ本海もよくつとめた。)かなりの数の観客を集めているとは言っても、まだ知る人ぞ知るという存在の域を出ていないともいえる。もっと知られてよい会である。

配布されたパンフレットに京蔵自身が、両演目についての師との思い出を溢れる思いを留めかねるかのように、この種の文章としては異例ともいえる長文の文章を載せている。普通、こういう立場の者がこの種の文を詳しく綴るということはあまりない。資料としても一読の価値がある。

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「想定外」という言葉が、じつは誰もが内心密かに「予期」していながら、現実にはないこととしていたことが現実に起ったことを指すのだとすれば、4年前の大震災及び原発事故が「想定外」の出来事であったように、今度の「あのこと」も、やはり「想定外」の出来事であったと言えるであろう。

立場も思考心情もレベルも異なる3人の人が、3人それぞれの行き方からそれぞれの行動をし、3人それぞれに地雷を踏んでしまったということであろうか。

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