随談第528回 今月の舞台から

今月もずいぶん遅くなってしまった。7月の二十日というのは、むかしから小学校が夏休みに入る日で、そのことが呼び覚ます子供の頃の追憶の感覚というものは、幾つになっても薄らぐことはない。

こと東京周辺の気候に関する限り、この二、三日の気候はいかにも小、中学生の頃の追憶を誘うのにふさわしいものだった。晴れれば昼時分の気温は30度を超すが、せいぜい31、2度どまり、曇天だったりすると30度に届かない。昭和30年代頃までの東京の夏というのは、大体、こんなものだったと思う。猛暑でも33、4度どまり、35度を超えるなど何年に一度という珍事だった。そうした、今日は凌ぎやすいだの、ひどい暑さだのと、大人たちが交わす挨拶をよそに聞きながら、子供なりの日常の中にさまざまな記憶が蓄えられる。別に大したことをするわけでもない。ごく普通の日常と結びついて、その時々の暑さ涼しさ、風のそよぎ木々や草の匂い等々と結びついた皮膚感覚の記憶は、都会でも自然が身近までやってくるこの季節ならではのものだ。そうした記憶の感覚ほど、今になっていとしいものはない。

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さて、今月の芝居の話である。歌舞伎座は玉三郎と海老蔵と中車と、目玉が三つあって、それぞれてんでんばらばらのようで、うまく噛み合わせているという、製作部としてはおそらく苦心の座組み、苦心のプログラムであろう。中車にせよ、実質上の中枢を占めている澤瀉屋の一門の面々にせよ、例年7月は「猿之助」の持ち分という「恒例」は、猿翁が40年続け、倒れてからも既に十年の余、経った今なお威力を保っているのは前代未聞のことと言っていい。偉大な師を持った一門の者どもは感謝しなければなるまいが、それにつけても。当代猿之助が顔を出さないのはどういうことだろう?

海老蔵の『夏祭』も玉三郎の『天守物語』もさることながら、何と言っても目が行くのは中車である。襲名ということを抜きにした、いよいよ一本立ちしての事実上最初の仕事であることが、まず注目の理由の第一だし、自分の出し物として夜叉王をし、海老蔵の團七に一寸徳兵衛ではなく義平次をするというのも、既にして「曲者」ぶりを見せるかのようでもある。どちらもそんじょそこらの役ではない大役。『天守物語』のつき合い役も含めひと興行に三役も勤めると言うのも、歌舞伎では当り前だが、中車にとっては当り前といえるかどうか・

順序から言って、まず夜叉王をほめるのが筋だろうが、好演だの何だのというより、どこがいいとか良くないとかいうより、全体としてさしたる違和感もなく演じ切ってしまったことに驚く。と、書いて、襲名の時の『将軍江戸を去る』の山岡のときにも同じようなことを書いたのを思い出した。批評のしにくい演技だとも言える。個性とか特徴とかいうものをつかみ難い、とも言える。翻って言えば、中車という役者の魅力は何か、と問われて答えようがない、とも言える。厳しく言えば、局面局面を追って行けば無難無難で通る、減点法で採点しようとすれば特にマイナス点をつけるところはない、にも拘らず、無難という以上の賛辞を呈する理由も見つけにくい。まあそこが、学ぶは真似ぶ、真似ぶも「模写」の段階の中車としては余儀ないところなのかも知れない。今はこれでいいのだ、というべきかもしれない。よくできた模写と言ったら、意地が悪い批評ということになるだろう。肝心なのは、歌舞伎の『修禅寺物語』として違和感がない、ということであり、考えてみればそれはもっと驚いて然るべきことかもしれない。

義平次についても同じことを言うことになる。どこがどう巧いとか拙いとかいうところがない。ただ少なくとも、コクーン歌舞伎の笹野高史よりは「歌舞伎」である、とは言える。常識からするなら、海老蔵・中車で『夏祭浪花鑑』を出そうというなら、海老蔵の團七に中車の徳兵衛というのが、真っ当な配役というものだろう(しかも通しで出せば徳兵衛の活躍する場面は倍増するのだ)が、そうしないのは何故か? 義平次は体当たりでできるが、徳兵衛は、仕草のキマリキマリ、角々の様式等々、「歌舞伎」が身についていないとサマにならないだけ難しい、ということか?

(それで思い出すのは、猿翁がまだ二十代の若さで義平次をつとめたことがあったっけ。昭和四〇年八月の旧・新橋演舞場。竹之丞時代の富十郎の團七に、徳兵衛と二役、それも「道具屋」まで出したのだった。その後は、徳兵衛よりもっぱら團七をつとめるようになったが、通しで出すなど、この時の経験が猿翁にとって大きな財産になっているのは間違いない。それはそれとして、「三代目猿之助」としての良きものとして、私にとってはこのときの徳兵衛は忘れがたいものの一つである。あのころの「猿之助」は、何とも爽やかな役者だった。)

それにしても、笑三郎の桂といい、月之助の頼家といい、春猿の楓といい、春彦の亀鶴以外、今度の『修禅寺物語』はまったくかつての二十一世紀歌舞伎組である。かつての寿海の頼家はどうだった、等と言い出せば格別、今現在の歌舞伎として、特に何の不足もあるわけではない。(そういう中での中車の夜叉王なわけだが。)笑三郎の『草摺引』の舞鶴など、芝翫・宗十郎亡き後、これだけの古典的女形美を他に誰が見せてくれるか、というほどのものではないか。

聞くところによると、中車は、香川照之としての仕事の予定がまだまだぎっしり詰まっているらしい。それがすむまでは、まだ、中車が半分香川照之が半分のようなものともいえるが、歌舞伎役者中車としての助走期間とも考えられる。それまでは、多大な努力が窺われるその努力を多とするしか、言い様がないのかもしれない。

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『天守物語』については、もし「玉三郎十種」の如きものを選ぶとすれば富姫はまず第一に指を屈すべきものであろうということを、今更でもないが改めて確信したと言えば充分であろう。図書之助に海老蔵を得れば天下無敵というものだが、それよりも、団七のセリフがあんなにひょろつく海老蔵が、図書之助のセリフをあんなに立派に言えるのは何故だろう? 当代歌舞伎三不思議の一に数えられて然るべきではあるまいか?

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『天守物語』でもうひとつ。我當の桃六がよかった。あの神韻縹渺たるセリフといい、たたずまいといい、(十三代目仁左衛門のも見ているがその父を越えて)歴代の桃六中、最上ではあるまいか。私はカーテンコールというものがどうも苦手で、少なくとも歌舞伎ではやってほしくないと考える者だが、今度の、初めの一回だけは、我當のために喜びたいと思った。

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しかし今月の東京各劇場を通じて随一のお薦めはと言えば、新橋演舞場の松竹新喜劇だった。希少価値という意味合いも含めてのことだが、まさしくここには芝居がある、これが芝居なのだ、と涙を流して笑いながら、何度も思った。茂林寺文福(こと曾我廼家十吾)、館直志(こと渋谷天外)という作者たちこそ、ある意味では、昭和演劇で一番の作者だということが出来る。ある意味で、とは、舞台というものが全世界であり、すべてのことは舞台という世界の中で起こり、発展し、終る、という作劇法こそが、もし演劇の究極であるとするならば、という意味である。つまりこれこそ、すなわちフランス古典劇の作劇法ではないか。現に、茂林寺文福・館直志合作による『裏町の友情』などというものは、ラシーヌが見たらびっくり、というほど見事に三一致の法則に則っている。そこにふんだんにある涙と笑いは、端倪すべからざる人間観察に裏打ちされている。しかも、今回上演された四作品、『朗らかな嘘』は初演が昭和二八年、『裏町の友情』は二六年、『船場の子守唄』は二九年、『お祭り提灯』は二四年と、どれも半世紀の余も昔の作でありながら、必要に応じて手直しして(手直ししても骨格は揺るぐことなく)見事に現代の社会に適応させている。ラシーヌはともかく、北条秀司や菊田一夫ばかりが昭和の名作者ではないとは、言っても少しも可笑しくない。天外の「口上」での言によれば、新喜劇のレパートリーは一四〇〇篇あるのだという。すべてが名作というわけではないにしても、だ。

渋谷天外も、曾我廼家寛太郎もいい役者になった。風貌といい、身体中から大阪人の匂いが沸き立っている。曾我廼家文童、大津領子、出てきただけでその世界のひとである。しかも歌舞伎と違って、特別な扮装をするわけではない。『朗らかな嘘』で渋谷天外の社長が三つ揃いの背広の上着を脱いだ姿で応接間に現われただけで、その人物、その世界が雄弁に語られる。目指すものが違うからとはいえ、もしこれが芝居、いや演劇というものだとすれば、新国立劇場でしばしば見せられるあれらは何なのだろう?と、(真面目に)考えさせられることになる。

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その新国立劇場だが、今月のドナルド・マーグリーズ作『永遠の一瞬』はどうして、悪くなかった。戦場カメラマンの夫婦と、雑誌編集者の夫婦という登場人物四人だけの会話で成立するという無駄のない構成、少しずつ時日の経過をにじらせて行く間に、それぞれの人物とその関係が微妙に変化してゆく在り様が納得できるように書かれている。とりわけ、いちばん凡庸な存在と見えた人物が案外にも懐の深いところを見せる辺り、作者の人間洞察の柔軟さが窺えて秀逸であった。

現代劇のシリーズの一環だから、毎回せめてこのレベルの作を、とはなかなか行くまいが、このところ低打率に喘いでいた新国立としては、久しぶりに走者が塁に出た、というところか。

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劇団「若獅子」が前回の前篇に続いて『大菩薩峠』の後編を出して、これがなかなかよかった。もともと、『大菩薩峠』では「間の山」の件が小説でも芝居でもいちばんコクがあって面白いのだが、新国劇の灯を燃やし続けるという劇団の目的に最も適った舞台だと言っていい。こういうものをしている時は、笠原章もなかなかいい役者に見えるから不思議なようなものだが、終演後に挨拶をしている顔が師匠の辰巳柳太郎を彷彿とさせたのは、これこそ師の導きか、摩訶不思議というものだろう。かつての片岡千恵蔵の映画で、お玉の役で星美智子が間の山節を唄うのがなかなかの名場面だったのを思い出すが、もしかしたらお玉という役が、『大菩薩峠』の人物中、最もよく描けている人物なのではないだろうか?

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幸四郎が早稲田大学芸術功労者として顕彰された記念に大隈講堂でトークをしたのが、なかなか面白かった。上機嫌でいろいろなことを語る、内容のことはここでは触れている暇がないが、舞台を通じて知る幸四郎と重なりつつも微妙な揺れと共にブレが生じて意外な顔が二重写しのように重なり合う具合が、何とも興味深い。ある意味で、舞台で見ている時以上に「役者」を感じさせた。

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国立劇場の鑑賞教室『吃又』については「演劇界」九月号に書いたので、そちらを見ていただくことにしたい。