随談第523回 近頃人間模様-カワチノカミ事件と小保方騒動-

ボクチャンみたいな政治家がトップの座に坐って、尊敬するお祖父チャンみたいなテンカビトになりたいなー、と支持率の高い今のうちに、オタク式勉強で習い覚えた「趣味の政策」を実現しようと躍起になっている(オヤ? どこの国の話をしているのだっけ?)のと関係があるのやらないのやら、このところ、ひとつがすめばまた一つ、この世のタガが外れたかのように、ケッタイな出来事が次々と浮かんでは消えてゆく。まあその中でも、ケッタイさに於いて、浮世を映す鏡とも、面白うてやがて哀しき人間模様が透けて見える出来事といえば、差当りこの二件だろう。

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柳生但馬守と書いてヤギウ・タジマノカミと読み、柳沢出羽守と書けばヤナギサワ・デワノカミと読む。だから佐村河内守とあればサムラ・カワチノカミと、おのずから読んだ。

それにしてもこの現代に河内守って何だ、というのが、あの「現代のベートーベン」なる難聴の作曲家を知って最初に思ったことだった。知って、といっても、あの荘重なるNHKの特集番組で見た「現代のベートーベン」以外のことは全く知らない。だから問題の、彼が作曲したことになっていた音楽そのものについては、あの番組に流れていた断片以外、聞いたこともない。(あ、それから高橋大輔選手のフィギュアの演技の時と。)

やがて、なんとも風采のあがらない、胃弱で胆力の乏しそうな人物が現われて、あれは自分の作曲した曲だと名乗り出ると、今度は強面風のスタイルをやめて長髪を切り落し、サングラスを取ったカワチノカミ自身が出てきて、謝罪だか反論だかどちらともつかないようなことを言い出すに及んで、興味は一気にしぼんだ。話が見え透いてしまったからである。

そもそも、ゴーストライターによる代作などというものは、どこまでが代作でどこからがそうでないか、わかったものではない。世の有名人の自伝めいた文章の多くは代作というなら代作であるに違いない。書いた者と書かせた者、あるいは書いてもらった者、当事者の間で納得し合っているか否かがすべてを決める。カワチノカミ氏の場合も、ほどほどのところで留めておいて、然るべき報酬をゴースト氏にきちんと納得ずくで渡していれば問題はなかったのだろうが、「現代のベートーベン」となってクラシック界の鬼才として社会に認知されようと欲を起したために、ゴースト氏からすれば、そりゃアないよということになったのだろう。

作曲業だの文筆業だのというのは、世間に認められるようにならない間は、これという社会的なポジションも、確かな収入もあるわけではない。かのゴースト氏も、初めは、まあ悪くないアルバイトとしてやっていたのに違いない。(私なども昔は、著名な翻訳家の下訳を散々やったものだ。親会社と下請け業者の関係とまったく同じである。)

残る問題があるとすれば、作曲家サムラゴウチ・マモルなる者が作曲したとされる曲は、どういうことになるのだろう?ということだが、名作説、駄作説、とりどりあるようだが、それもこれも、くだんの曲の世評がどれだけ高くなるか、それ次第というわけか。万が一、百年後にも残る曲があったなら、かのゴースト氏は大作曲家として後世に名を留めることとなり、カワチノカミの一件は、名曲にまつわる珍エピソードとしてクイズ問題のネタか何かとして、これも後世に伝わらないとも限らないが、そもそもそれだけの曲なのかどうか、私には何とも言えない。

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カワチノカミの一件と小保方女史の騒動とは、本来、同日に語るべき種類のものではない筈だが、世間の耳目を惹く現象としては共通するものがある。

1. 耳の聞こえない作曲家の名曲と、割烹着を着た女性理学博士の大発見。片方はそれで自ら売ろうとし、片方は理研という権威が組織のPRのタレントとして使おうとした。(スンナリいけば、理研も小保方女史も、双方メデタシメデタシ、ウィンウィンの形で落着するはずだった。割烹着はちょっと悪ノリがすぎたとしても。)

2. 売出しに成功したかと見えたところで、どちらにも、なんともケッタイな謎が露呈した。侃々諤々、甲論乙駁をやらかすのにこれほど格好の題材は、そう滅多にあるものではい。まず理研のエライ人たちが尻尾を切り捨て、イクラナンデモソレハナイデショとご本人が登場し、いつまでも頬かむりをしていられなくなって、彼女を担いだセンセイが登場する。しかしその彼女が頼りにしていた筈の秀才教授は、案の定、3時間半に及ぶ記者会見を、要するにワタクシは手を汚していませんと、考え抜いた台本で弁舌さわやかに切り抜けると、ミソギをすませたかのように逃げてしまった。げに頼み難きは人ごころ、である。

3. カワチノカミ氏の一件の方は既に勝負あっただが、小保方女史の一件の方は、STAP細胞という錦の御旗が掲げられている以上、無碍にはできないから、その真偽をめぐって、まだ当分は、ジャンヌダルクか女天一坊か、ドタバタはまだ当分、続くことになる。未熟な研究者のお粗末なやり方と冷笑していたエライ人が同じ墓穴を掘っていたことが分ったり、「悲喜劇・理研村騒動記」のようなドダバタ劇の様相も呈してきたが、理研をやめさせられてハーヴァードの研究所なりどこかへ流れて行ってから、一発大逆転、やっぱりありました、などということに万が一にでもなったら、現実は芝居などよりはるかにオモシロイということになるだろう。

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芝居といえば、つい先夜、入谷の入口にある小劇場でミハイル・ブルガーコフの『犬の心臓』という芝居を見た。1925年、ロシアに社会主義政権が出来て数年後という時代に書かれたこの劇は、常識的には、ソヴィエト革命後の社会の風刺劇ということになっているが、この際そういうことはどうでもよい。核となるのは、ソ連政権下のある医師が、飲んだくれて野垂れ死にしたどうしようもないダメ男から、脳下垂体と睾丸を摘出して、一匹の野良犬に移植すると、やがて犬が人間と化して、革命思想を叫び出したり、とんでもない言動を取り始め、生みの親の医師と助手が振り回されるというグロテスクな物語である。同じ犬が人間になる話でも、落語の『元犬』なら笑っていられるが、こちらのロシア版『元犬』は、うっかりすると夢にでも見てうなされそうなコワイ話になっている。

最後には、医師と助手が、再び男に手術を施して犬に戻してしまうのだが、これで本当にヤレヤレメダタシということになるのか、芝居はここで終りになるが、この元犬男は、一旦はちゃんと(医師の私生児として)戸籍に登録され、ナントカ委員会のちょっとした幹部にまで成り上がったりもしたのだから、そういう人物?が急にいなくなったとして、医師の弁明がどこまで社会的に通用するか、実は知れたものではない。現に医師は、犬に戻るための施術の記録は失われてしまったという、やや苦しい弁明もするのだ。(ア、オボカタだ、とまことに申し訳ないことだが、医師のこのセリフを聞きながら思い出してしまった。)

そうなのだ。小保方女史はすこしも嘘などついていないのに違いない。犬からヒトを作り、また犬に戻してしまった医師のプレオプラジェンスキー教授が「嘘」をついていないように。だがそれを、どうやって社会に信じてもらえばいいのだろう?

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随談第522回 今月の舞台から

またしても大分、間遠になってしまった。それと、今月の歌舞伎座評を来月早々発行の「演劇界」6月号に書いたので、発売前にあまり書くのは遠慮したい。そこで、今月のお薦めは三津五郎の『靫猿』ということだけを言っておこう。

それにしても、これは本当によかった。古典芸術でなければ味わえない喜びというものが、ここにある。現代における歌舞伎の在り方をめぐって、あゝあるべき、こうするべき、さまざまあるわけだが、少なくとも、歌舞伎は何を以って歌舞伎であり得るのか、何を以って歌舞伎と呼び得るのか、ということを問う時の、これがひとつの欠かすことの出来ない答えであるのは間違いないであろう。

それにつけても、三津五郎健在をこうした形で示してくれたことは、何よりという他はない。亡き九代目が猿曳、当代がまだ八十助で女大名、奴は梅玉だったが小猿を現已之助がつとめて親子三代による『靫猿』と話題にもなり、また素敵な出来でいまなお印象深い舞台だったのが、もう19年前になっていたのだ。

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いままでミュージカルのことを書いたことはあまりなかったが、今月は、帝劇で初演の『レディ・ベス』を見ながらあれこれ思ったことがあるのでそれを書いてみよう。

まあ、面白かったと言っていい。主役がダブルキャストなので、中三日おいて(今どきのプロ野球の投手の登板よりも間隔が狭い)二度見て、二度とも面白いと思ったのだから、というより、二度目を見ながらはじめ気が付かなかったいろいろなことに気が付く面白さがあったのだから、よく出来た作であるのは間違いない。それにしても、まず思うのは、こういう、いわば西洋史を題材にした作品が日本主導で欧米の作者・作曲者によって作られ本邦初演が世界初演になるというようなことが、(もちろん当事者の苦労や苦心は多々あるにせよ)いうなら当り前のような顔をして実際に行われる時代になったのだということである。何をいまさら、と言われるかも知れないが、しかしこれは改めて驚く(ことを忘れてはいけない)ことである筈だ。これは、制作、演技・演出、観客の受容、さまざまな位相・レベルで言えることである。

西洋史を背景・題材にした作品を日本人が作り、大ヒットしたといえば、例の『ベルばら』がすぐ思い当るわけだが、事実あの辺りから、ジャンルとして「こういうのもあり」ということになったのだったと思う。まあそれには、宝塚歌劇というものが久しい以前から種を蒔いてあったわけだが、(「ホフマン物語」だの、タイトルは忘れたが例の「エリザベート」と同じテーマのものだのが、春日野八千代といった人たちの時代からやっていたのは覚えている)、どうしても「疑似西洋」めいたものを志向する感が強かったのを、そういう遠慮を取り払ってグイと日本人の好みに引きつけたという意味で、『ベルばら』の存在・作り方というのが画期的だったのは間違いない。だがここへきて、ミヒャエル・クンツェの作、シルヴェスター・リーヴァイの曲と結んでの一連の作が出来るようになって、『ベルばら』レベルの「日本人臭」をひとつ抜けた作品群が出来、馴染まれるようになった。この辺は、日本人の日常と西欧の距離の作り出す微妙な感覚の変化が背景にあるのだと思うが、まあ、すっ飛ばして言えば、遂にこういうところまで来たか、という感慨を抱かないわけには行かない。

とはいうものの、正直なところ、これまでの『エリザベート』『モーツァルト!』その他その他の諸作は、(私の胃の腑には、という意味だが)ちとこなれの悪い部分があって世評ほどには乗れなかったのだが、今度の『レデイ・ベス』を見て、ああここまで(あるいは、あゝ、こんなにも)こなれのいい西洋種芝居が出来てしまったのだ(作れちゃったのだ)という思いを抱かざるを得なかった、というわけなのだ。

この作を、今までの諸作に勝る名作だというのではない。評価は人さまざまにあるであろう。しかし16世紀50~60年代前後の、イギリス・チューダー王朝時代の(せめて高校の世界史程度のことをある程度真面目に勉強していないと、まず馴染みのない時代だ)、宗教と外交と王権と王族相互の婚姻関係といった事情が王位継承の問題と複雑に絡まりあってのもろもろを、あるいはすっ飛ばし、あるいは短絡させるなどして、3時間程度のミュージカル・ドラマに仕立てた手際というもの大したものだ。当然、英国史の知識のある人から見れば、気になる部分はいろいろあるわけだが、(たとえばイギリスの国教会=アングリカンというのは信仰上の理由からローマ法王庁と断絶したわけではないから、他の欧州諸国の旧教と新教の対立・確執とは様相が違うはずだとか、何だかんだといった事ども)煩雑に入り組んだそれらの事象を、枝を落し葉を刈り込む、その大鉈・小鉈の使い分けがなかなかうまい。現女王のメアリ・チューダーがカトリックに復帰させるために宗教的圧政をし、市民が反発してベス、つまりエリザベス一世を担ごうとするという、ドラマの展開の主軸になる経緯など、日本の観客にとってはあれぐらいが、少なくとも頭が痛くならずに済むぎりぎり一杯だろう。もっとも、舞台の本場であるイギリスの観客が見たらどう思うだろう?とか、他人の疝気を気に病むようなことを始めれば、切りがないことになる。

日本人から見たって、ロンドン市民がメアリ女王に反発して自由を叫ぶところなど、『レ・ミゼラブル』のパリ市民蜂起の場面と瓜二つだったり(16世紀のロンドン市民ってあんなにデモクラチックだったのだろうか?)、ベスと惹かれ合うロビンなる青年がロック・ミュージシャン風だったり、こうした割り切り方が「東宝ミュージカル」のテイストということでもある。ロビンとの恋がエリザベス一世が終生独身で通した理由の種明かしになっているのがミソであり、この種のドラマの作劇術の黄金律とも言える。

それにしても、こういう風に、歴史を娯楽ドラマに仕立てる手際は、向こうの人たちにとってはシェイクスピアの歴史劇以来、作る側・見る側双方に自ずからなるノウハウがDNAに擦り込まれているかのようである。ベスとロビンがロミオとジュリエットみたに忍び逢ったり、その現場からロンドン塔に連行されたり、といった大胆不敵に枝葉を払ってドラマを展開させる手際は天晴れというべきである。ついこの間新橋演舞場の滝澤歌舞伎をしばらくぶりに見たが、第二部で毎回趣向を変えてやる「義経」の物語が、やたらに心情的だったり、かと思うと妙に歴史新解釈みたいだったり、どうも面白くない。もっと、昔から伝わっている義経伝説の正統を、現代のテイストも加味しながら(つまり、ロビンである)、面白く運んでゆく方法がありそうなものだと思う。テレビの韓流時代劇を見ても、人物の造形と筋立ての組み合わせがうまいので、興味を次々と引っ張ってゆく。典型的人物でありながら、そこに端倪すべからざる人間洞察が窺われる。そこが面白い。歴史ドラマのおもしろさは、つまるところ、史実と絡みながら人間模様が如何に描かれるれているかに掛かっている。

ダブルキャストのベス役は、舞台俳優としてのキャリアからいって花總まりの方にはるかに安定感がある、つまり舞台の演技としてサマになっているのは当然というべきだろうが、平野綾にはその代わりに役と等身大の初々しさと実感があるのと、もうひとつ、ロビンと抱き合っているところへメアリ女王崩御の報が届き、ベスがあれよという間にエリザベス一世として奉られてしまうところで、『千本桜』の弥助が「たちまち変わる御装い」というわずか数秒の竹本の語りの間に、平維盛になってしまうみたいに、見事に女王になって見せたのに感心した。わずかな身のこなし、仕草ひとつ、つまり「位取り」という技法だが、舞台俳優として、ちょいとお見それ申し上げたと言っていい。

姥桜のメアリ女王と国際的政略結婚をするスペイン皇太子のフェリペというのが、端倪すべからざる遊び人という儲け役で、こういうキャラクターの掴まえ方にも脚本の巧さがあるが、海老蔵がやったら面白かろうと思った。(今度の平方元基や古川雄大もそれなりに良くやっているが。)そういう、舞台俳優としての演技という意味では、大司教ガ-ディナーになる石川禅がなかなか巧者である。花總まりにせよ、石川禅にせよ、石丸幹二にせよ、この前見た『モンテ・クリスト伯』にも出ていたのにたいして印象に残っていないのは、彼等の演技よりも、作品の出来により多くの理由があるだろう。つまりみんな、今度の方がいい役者に見えるのである。

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新国立劇場では、この春以降、『アルトナの幽閉者』『マニラ瑞穂記』といった、かねて音に聞こえていながら見る機会のなかった問題作に接することが出来た。そのこと自体は新国立劇場に感謝すべきだが、それと、実際に見ての思いというものはまた別と言わなければない。どちらについても今更ながら思うのは、こういう劇はあくまでも時代と共にあるべきもので、そうした「時」が過ぎ去った今、どうしてこれがあれほどまでに当時の人の心を捉えたのかということを、まず思わないわけに行かない。サルトルなどは、ちょうど私などの学生時代が「サルトルに非ずんば哲学に非ず」、だれそれさん曰く「猫も杓子もサルトル佐助」の時代だったわけで、そういうのを横目に見ながらほとんど無縁に過してきた私などは、往時熱心に実存主義に「かぶれた」人たちがいまこの作を見て抱くであろう感慨とはまた一種別の感慨をもつことになる。

『マニラ瑞穂記』の方は、ひとつの「日本人の記録」という意味で、『アルトナ』に比べれば、ある種の迫真的なものを今なお、まったく感じないというわけには行かない。秋岡伝次郎と高崎碌郎というドラマの芯になる二人の人物の設定がこの戯曲の肝で、今の日本では忘れ去られてしまったに等しいフィリピン独立戦争の周辺に係わった日本人の在り様が、今もまったく無縁になってしまったわけではないことを現代の観客に訴えるだけの力を失っていない。ただ、いわゆる「からゆきさん」に係わる筋はいまなお普遍性を失わないのに比べ、にほんじん義勇兵士と革命軍との関係など今となっては分かりにくいことが、過去の名作の鑑賞、という以上にはなりにくくしていることは否めない。

とはいえ私などには、個々の作品の評価は別にして、『アルトナの幽閉者』にせよ『マニラ瑞穂記』にせよ、このシリーズのようなものが、新国立劇場の仕事として一番ありがたいことは間違いない。

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随談第521回 話題吹寄せ

またまた、掛け流し状態が永らく続いてしまった。3月は遂に更新が一回に留まった。書こうと思うことがあっても時期を失してしまったり、といったことが重なるときは重なるもの。そこで今回は、やや旧聞に属する話題が混じってもご容赦願うこととして、各種の話題吹寄せということにしよう。

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春場所は、鶴竜がめでたく横綱になって(鶴竜が白鵬を破った一番の気迫のこもり方を見ただけで、甲斐はあったといえる。琴奨菊が奮起して両横綱に勝った相撲もいい相撲だった)土俵入りは雲竜型だそうで、不知火型と両方見られるようになるのは結構なことだ。ひと頃は、不知火型というと、両手を広げるのは攻めだけで守りの姿勢がないから異端だの、短命に終わるから縁起が良くないだのと、妙なことが言われたこともあったのが、このところは形勢逆転、二人横綱が二人とも不知火型という珍しい「時代」であったわけだ。

不知火型短命説というのは吉葉山以降、たまたま、老齢で横綱になったために在位期間が短かった例がつづいたからの俗説で、その前は太刀山とか羽黒山とか、40歳近くまで取った大横綱が不知火型だった。太刀山はもちろん知る由もないが、羽黒山のは実に見事なものだったのを子供心に忘れない。ついでだが、日馬富士の土俵入りはリズム感と流れがあってなかなかいいが、白鵬のは、ひとつの所作ごとに間が途切れるのが気になる。双葉山の映像を見て研究したのだそうだから何か本人なりの理由があってしているのだろうが、何だか次の動作を忘れて、思い出しながらやっているみたいに見えることがある。

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話題の遠藤を白鵬が退けた一番で、立会いに白鵬が張り手を喰らわせて相手の出足を挫いた取り口へ、新聞の投書などでも非難が続出している。そもそも、近年では張り手という技に対する暗黙の禁忌という感覚が忘れ去られて久しいから、おそらく白鵬にしてみれば、初顔合わせの遠藤に対して横綱の厳しさを遠慮会釈なく示してやることが大切だと考えてしたことなのだろう。新人相手でも容赦なく張り手を使うことが、横綱としての権威保持につながっているわけだ。しかし張り手に対する禁忌は、むしろ相撲界あるいは力士たちの間でよりむしろ一般の間に今も伏流水の如くに伝承されていることが、はしなくも今度の白鵬-遠藤の一戦を機に、表に現れたと言える。もっとも、白鵬-遠藤戦当日の放送でも解説の舞の海氏が、横綱らしくきちんと受けて立ってもらいたかったと明言したが、大砂嵐と安美錦の取組でも、大砂嵐の張り手の連発に北の富士氏が強い口調で注意を促していた。つまり彼等の世代までは、(既に日本人の横綱でも立会いに張り手をかます取り口は珍しくなくなってはいたが)張り手への禁忌は生きていたことが分る。

張り手というと、かつて、前田山という大関が、同じ場所で双葉山と羽黒山を張り手まじりの突きで連破したというのが、それから終戦を距て何年も経った我々の少年時代までも語り伝えられていたものだった。前田山は後に横綱になり、本場所を途中休場中に日米野球(戦後初めて来日したサンフランシスコ・シールズという3Aのチームだった)を見物して問題となり詰腹を切らされて引退したが、高砂親方として、二代の朝潮だの高見山だの異色の力士を育てた。高砂部屋というのは近年の朝青龍に至るまで、波乱含みの力士が多いのも、その淵源は前田山の張り手にあるような気もする。

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波乱といえば、まったくの他人事ながら、今回の小保方騒動というものの気色の悪さというものはない。大発見をした割烹着の理学博士で売り出したのも、形勢芳しからずと見るや「体を成していない論文」を書いた未熟な研究者とこきおろしたのも、不正と捏造の単独犯と決めつけたのも、すべては理研の理研による理研のためのPRであり保身のためであったことは、既に誰の目にも明らかだが、いわゆるオトナ社会のおぞましさというものをこれほど赤裸々に見せてしまったところが、学者集団ならではのある種の「バカ正直さ」というものだろう。つまりは、組織というものの論理と構造というものが如何なるものか、というオハナシなわけだが、「大発見」も、おもしろうてやがて哀しき一場の夢ということか。

ところで中山千夏といえば、昭和30~40年代に芸術座の東宝現代劇の芝居で名子役として売り出したかと思うと、70年代のいわゆる政治の季節にあっという間に政治運動にのめり込み、運動家に転身、その後永いこと、私などの耳には音沙汰もなかったのが、つい最近、東京新聞の連載コラムの執筆者の一人になって、なかなか読ませる文章を書いている。その中山氏が、今度の小保方一件に関して書いていたコラムが、一番、機微をついているかに思われて面白かった。

かつてまだ20代だった彼女(当時、誰もが知る人気タレントだった)を政治集団のリーダーに担いだ男たちがいたように、今度の一件にも「彼女」を担いだ男たちがいるわけで、中山氏が幸いだったのは、氏を担いだ男たちが、形成どんなに不利になった時も少なくとも自分たちが担いだ神輿である中山氏を放り出すことだけはしなかったことである、どうか小保方氏を担いだ男たちもそうであることを願う、という趣旨であった(と私は読んだ)。「侠気(おとこぎ)」というタイトルだった。肝心要は、「彼女」を担いだ面々が、科学研究の厳しさなるものを楯にとり隠れ蓑にして、口を拭ってしまわないことであろう。つまり、あの方々に「おとこ気」がどれだけあるか、ということであろう。

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チャンネルNECOも日本映画チャンネルも、ここしばらくゆっくり見ている暇もなかったが、このところようやくひと息ついたのを幸い、60年ぶりの珍作品の数々にめぐり会うことが出来た。若き日の岡田茉利子主演の『芸者小夏』だの、香川京子が感化院の先生になり、売出し前の池内淳子や三ツ矢歌子が生徒になる『何故彼女らはそうなったか』だの、どれも昭和30年前後の作品だが、浪花千栄子や沢村貞子や、まだ純然たる脇役者だった森繁久弥が映画的演技としてやたらに巧いのに思わず笑ってしまう。ところでその中で、昭和32年の日活映画『川上哲治物語・背番号16』というのにめぐり会えた。

監督滝澤英輔といえば、前進座の『戦国群島伝』だの硬派の問題映画もたくさん撮った名監督列伝中のひとりだが、昭和32年の正月映画としてこの作が封切られた時、長嶋茂雄はまだ立教大学の3年生だったことになる。つまり二年後に巨人の4番打者の地位を長嶋に譲る前の、まだ川上が球界最大のスターであった最後の日々に作られた作品なわけで、前にも書いたが、この時点での「背番号16」は日本野球界最大のシンボルであり、川上は「カワカミテツハル」などではなく「カワカミテツジ」だった。(現に、映画の中でもナレーションがはっきりと「テツジ」と言っている。)川上自身も出演してセリフも多少あるが、出演場面のほとんどは、戦後のラビットボール(つまりよく飛ぶボールである)使用の生み出したホームラン量産時代に「弾丸ライナー」を身上とする川上は乗り遅れ、長期の不振にあえぐ中で黙々とバットの素振りに打ち込む、それを妻役の新珠三千代がはらはらしながらもじっと見守る、というもので、やがて球界最初の二千本安打を達成、というのが大団円となる。

じつは川上の出演場面は戦後以降の場面で、映画としては、熊本工業から巨人軍の新人時代の前半の方が真っ当な場面ということになる。若き日の哲治青年を牧真介(などという俳優がいたっけ!)、親友の名捕手吉原を若き日の宍戸錠(まだ豊頬手術など施していないいかにも純粋な青年らしかった頃の、何とも懐かしい細面の顔で出てくる)、藤本監督が二本柳寛、両親を河野秋武と高野由美等々、やや渋いがまずまずの出演者を揃えている。(高野由美は民芸の新劇女優だが、かつての六代目菊五郎の作った俳優学校の出身である。)

しかし何と言っても、今となってみると圧巻なのは、映像として何度も写される往年の後楽園球場のたたずまいである。グラウンドも狭く、いろいろ難点はあったものの、日本のプロ野球の球場としてあれほど似つかわしくも雰囲気のあった球場はなかったといまでも思う。もっともこれは、東京ドームになってからしか知らない方々には、言っても詮無いことには違いない。神宮休場を私はこよなく愛するが、しかしあの球場はやはり本来学生野球のために作られた球場であることは、良し悪しとは別に、否定し切れないものがあると思う。

その後楽園球場のスコアボードに、二千本安打を達成寸前の巨人のラインアップが何度も画面に映し出される。といっても、四番の川上を中心に、二番の坂崎、三番の宮本、五番の岩本、六番の藤尾とだけしか出てこないのだが。(そういえば、坂崎はつい先ごろ、訃報を聞いたのだったっけ。)

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