随談第438回 新漫才・おもだかやおめでたや(PART Ⅱ)その3

八五郎:そろそろ新猿之助について聞きたいですね。『四ノ切』と『ヤマトタケル』と、先代の新旧の極め付けを披露の演目に選んだわけですが。来月の『黒塚』が初代猿翁以来の澤瀉屋のシンボルとすれば、頂点ばかりを刃渡りするようなものですね。

家主:今月の二役はどちらも立派なものだったと思うよ。偉いのは、どちらも、先代に学びつつ既に自分の色に染め変えていることだね。源九郎狐もヤマトタケルも、先代のようにテーマを全面に押し出し更に自分とダブらせて、この狂言は、この役は、こういう芝居こういう役で、こうこうこういうテーマなんですよ、と押しつけてくるということをしない。その分、狐が親を慕う情愛や、タケルの哀しみが素直にこちらに伝わってくる。見ているこちらも、「天翔ける心」なるお題目にタケルと自分自身を重ね合わせて、さあ、また共に戦おう、などと猿之助哲学を聞かされて辟易したりせずに、素直に受け入れることが出来る。良くも悪くも、先代という人は夾雑物がたくさんあって、まあそれが魅力といえば魅力だったともいえるが、いつも所信表明演説を聞かされているような気分になったものだが、それがない。もちろん亀治郎にも、「カメカメ・スペシャル」風の夾雑物、イヤサ哲学がかなり濃厚にあるのだが、さすがに今度は神妙に勤めているから、あまりうるさくない。若いころは女形と目されていたものだが、それがいまも生きていて、タケルを演じるのに有効に働いている。ヤマトタケルは女だった、ではないが、このタケルは非常に女性的だね。というより、両性を具有している感じで、それが局面局面で男女両面が陰になり陽になって働くのが、効果的だし面白い。

八:亀治郎って、小冠者ですよね。その感じが、タケルの生きざまにうまくマッチしたんじゃないでしょうか。

家:巧いことを言うじゃないか。伊吹山の征伐に赴く前にタケルが、何ほどのことやあらんと言って草薙の剣をミヤズ姫に預けるところがあるだろう? つまりあそこが梅原哲学猿之助哲学に言う傲慢の病のあらわれなわけだろうが、亀治郎は、いや失礼、猿之助はそこに不思議な実感があった。つまり八っツァンのお説を拝借するなら、小冠者の生意気であり小気味よさであり、というわけだ。父と子の関係というのは、志賀直哉やツルゲーネフを持ち出すまでもなく(註・このところ猿之助風)文学上でも永遠のテーマだが、父帝との和解というテーマが、先代よりも自然に生きていたのも、小冠者故ともいえる。先代のタケルはあくまでも英雄で、別に父と和解などしなくても生きていけそうだった。それが白鳥になって「天翔ける心」なんて言い出すと、ああやっぱりこの人はこのセリフが言いたくてやっているんだ、なんて思ってしまうところがあったが、あそこも、先代よりも素直に聞けた。

八:熊襲タケル兄弟や、相模のヤイレポ、ヤイラム兄弟に対するスタンスの取り方も、先代より明確だったと思います。

家:そこにも、さっき言ったことが通じているね。つまり先代のタケルほどの大英雄ではないから、これら旧文明の人間たちに対してもどこか対等でしなやかなところがある。もっとも、ここは脚本がもうひとつ明確に書いていないからちょっとあいまいなところがあるのだが、鉄と稲の文明をもつ帝とその使命を帯びたタケルが、これらの旧文明の人間を征伐するのを、作者はよしとしているのか、それともそこに疑問を呈しているのか、暗示に留めているのか、もうひとつ判然としない。タケルのしたことは、人間としてすぐれた旧文明人を滅ぼす帝の手先でしかなかった、とまでは言っていないのだね。滅ぼされる方も、弥十郎の熊襲兄タケルはスケール大きく役者ぶりにも独特のユーモアがあって、小賢しい新文明人よりいかにも大らかな感じがしてよかったが、東国のヤイレポ・ヤイラム兄弟の方は、することも策略的であまり感心するほどの連中とも思えない。もっとも、新中車の帝の扮装は、これまでの誰の帝よりもいかめしくて、おっかなそうで、悪が利いているように見えなくもないが。

八:何だか鍾馗様みたいでしたね。

家:役の上だけのことから言うなら、中車には、帝などより熊襲タケルかヤイラムをさせたかったね。その方が柄から言っても、演技の質から言っても、ふさわしかったろう。

八:でも、小栗栖の長兵衛だけでも大変だったのに、いくらなんでも無理ですよ。やるならヤイラムでしょうけど。ところで猿之助は来月の『黒塚』はどうでしょうね。

家:勝手な予断を持つのは禁物だが、踊りとしてはきっと上手く踊るだろうが、仁からいうとあまり適役とは思えない。少なくとも、初代・二代とはひと味違った『黒塚』になりそうな気がするね。

八:中車も『将軍江戸を去る』の山岡という試金石ですし、猿翁さんは猿翁さんで『山門』の久吉をやろうというんですからね。大丈夫なんでしょうか。セリフもさることながら、小柄をサッと受け止められるか心配だなあ。波瀾含みなんて言ったら叱られるかしらん。

(PART2はこれ切り。PART1は昨年10月10日付。)

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随談第437回 新漫才・おもだかやおめでたや(PARTⅡ) その2

八五郎:それにしても新猿之助の口上はさすが秀才亀ちゃんという趣でしたね。なにしろニーチェの「運命愛」まで登場するんですから。それもただのニーチェじゃない。フリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェと来ちゃうんですから、○○○(特に名を秘す)なんかには逆立ちしたって出来ませんよね。猿之助になれるとも思わずなるつもりもなかった亀治郎が猿之助になり、22歳の折訪ねて行った猿翁さんから親でもない子でもないと宣告されたという香川照之氏が親子の名乗りをあげて中車になるというのですから、大家さんならずとも、運命というものを思わずにはいられませんよね。

大家:去年の襲名発表のときにも言ったが、新中車のあの生い立ちあの育ちなら、歌舞伎なんか糞くらえと思うようになったって不思議はない、むしろその方が普通であるかもしれないのに、あそこまで親を慕い歌舞伎に思い入れをするというのは、われわれの想像の外と言うしかない。その思いの深さというものは、尋常ではないね。

八:『ヤマトタケル』では、猿之助のタケルに中車の父帝という配役ですが、もし可能だったなら、中車がタケルをやって猿翁さんが帝になったら、実人生とどんぴしゃり重なり合ったわけですよね。こんなことを言ったら不謹慎かなあ。ところで中車の帝は如何ですか?

家:忌憚のないところ、可もなし不可もなしというところだろう。そもそもこの役には、年配年功からいっても仁からいっても、中車はふさわしいとはいえない。猿翁が無理なら段四郎がやるのが順当なところだろうが、いろいろな事情からこうなったのだろう。初演の延若は別として、過去にも島田正吾・金田龍之介・安井昌二などなど、他ジャンルの大ベテランが勤めてきたように、動きがなくセリフがしっかりしていればいいのだから、無難ではあるのだが、そうなると風格とか含蓄とかいったことがものを言うことになり、それだと中車はちと若すぎる。順位をつければ歴代最下位かもしれない。といって落第というわけではない。劇評常套句を使うなら「無難」「無事」というところだろう。しかし『小栗栖の長兵衛』が初舞台の激励の意味も籠めてやや甘の「優」、帝が「可」なら、まずは上々の船出といってしかるべきだろうよ。

八:やや甘の「優」と「可」で上々ですか?

家:上々だろう? 中車については、きっちりと忌憚のない評価をすることが、何より肝要なことだと思うね。その中から、可能な道を探っていくことだ。

八:来月は『将軍江戸を去る』で團十郎の慶喜に山岡をやりますが、早速の試練というところでしょうか。これまで錚々たる人たちが演じ、観客にもさまざまな山岡像が出来上がっていますから。

家:真山青果というのが、まず、中車の取り組むべ勝負所だろうね。そこには、青果劇に新しい可能性を開く期待を抱かせる一面もある。もし青果劇で従来にないものを打ち出すことに成功すれば、それだけで、歌舞伎俳優市川中車になった意義は十分あるというものだ。

八:古典の役はいりませんか?

家:少なくとも今の今、求める必要はないね。将来、本人がどうしてもやりたいと言い出せばどうか知らないが。もしかすると『俊寛』をやりたいと言い出すかもしれないね。古典の中では狙い目だろう。

八:初代・二代の猿翁が演じ、丸本物としては澤瀉屋の家の演目ですしね。

家:歌舞伎俳優中車ということを考えるときに思い当るのは、萬屋錦之介が晩年に言っていたという言葉だね。熊谷でも盛綱でも、やれと言われたら明日にでもやってみせる、と錦之介は言っていたそうだね。セリフから動きから、寸法も全部知っている、と。但し、というんだ。但し残念ながら、もう今の自分には歌舞伎の匂いがなくなってしまったんだ、と。しばらく前の『演劇界』で中村歌六が言っているのを読んだのだが、何とも、面白くて哀しくて、含蓄のある味な言葉だと思って強く印象に残っている。つまり錦之介は、知識も技術も完全に持っていたんだ。だがもう、身体に歌舞伎の味がなくなってしまったという。

八:歌舞伎の家に生まれ育ち、名子役として鳴らし、成人して歌舞伎から離れて他ジャンルで大をなした。中車とは対照的な人生行路ですね。

家:錦之介は映画で大成してからもしばしば舞台を踏み、大衆劇にはさまって青果や長谷川伸は演じているが、最晩年に歌舞伎座の本興行で父の三代目時蔵の追善に『番隨長兵衛』をやった以外は、新歌舞伎までで留めている。己れを知ると同時に、歌舞伎の怖さを知っていたのだろう。中車はそれと正反対の道を進んできて、いま、現象としては錦之介と一面相通じる地点に立っているとも言える。

八:今の人はそういう時「真逆」っていうんですよ。

家:あれは「まさか」と読むんじゃなかったのかね。

(つづく。なおPART Ⅰは昨年10月10日付です。)

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随談第436回 新漫才・おもだかやおめでたや(PARTⅡ) その1

八五郎:いよいよ澤瀉屋一家4人同時襲名の開幕、香川照之改め九代目市川中車のスタートですが・・・

家主:ちょいと待った。香川照之改め、と言ったが、本当に「改め」なのかね。歌舞伎の時は中車だが映画やテレビに出るときは今まで通り香川照之でやると、去年の襲名発表のとき確か言っていたのじゃなかったかね。

八:でも、「口上」の席で彼、本当に泣いていましたよ。まさに感涙にむせんでいた、という感じでした。場内も一瞬、思わず粛として声なしでした。本当に本気なんだなと伝わってくるものがありました。

家:だからといって映画やテレビも市川中車でやるとは、まだ正式に言ったわけではないんだろう? 聞くところによると亀治郎、いや猿之助も、夏に「亀治郎の会」をやるとかいうが、こっちは更に妙な話だ。襲名をしたならもう亀治郎ではない、別人格ではないか。襲名というのはそういうものだ。むかし林不忘という名前で『丹下左膳』を書き、牧逸馬の名で犯罪物や実録ものを書き、谷譲次の名で『めりけんじゃっぷ』なんてのを書き分けた作家がいたが、そういうのとは意味が違うのだ。

八:落語家または喜劇俳優としては柳家金語楼、落語作者としては有崎勉なんていうのもありましたっけ。

家:それなら趣旨が通る。役者と作者は別物だからね。吉右衛門だって脚本を書くときは松貫四だ。十一代目團十郎も二九亭十八の名で脚本を書いた。

八:『鳶油揚物語』(とんびにあぶらげものがたり)ですね。亀治郎、いや猿之助だって、将来、喜熨斗ナニガシの名で「スーパースーパー歌舞伎」なんてのを書くかもしれませんよ。猿翁さんだって喜熨斗政彦の名前でいろいろやっています。「亀治郎の会」の場合は、これまでその名称で続けてきたので、今度の第十回でけじめをつけようというんでしょう。将来は「春秋会」を引き継ぐのでしょうが。

家:とにかくだ。襲名ということが何故近代個人主義の今日でも意味を持ち得るのかということを考えなくてはいかぬ。

八:猿之助はわかっていますよ。引幕の福山雅治さんの作という、猿翁二代と段四郎と猿之助自身と四人の隈を取った顔を重ねた顔がデザインされていましたが、あの趣向は、おっしゃるように襲名とは一人であって一人に非ずという意味合いなのではありませんか。はじめは何故猿之助にならねばならないのかとも思い、亀治郎の名に愛着があったが、初日の舞台に立ったら百パーセント猿之助になろうと思ったという、口上の言葉を信じましょうよ。信じてもいいと、あたしなどは思いましたがね。なにしろ大家さんと違って、人間の出来が素直ですから。

家:しかし猿之助になってから「亀治郎の会」というのは納得できない・・・

八:まあ愚図愚図言っていないで。それより新中車は如何でした?

家:「口上」で顔を上げた時、先の中車に面差しが似ていたのにはびっくりした。これは、と思ったね。

八:舞台に飾ってあった前の段四郎さんの笑顔の遺影にもよく似ていますね。血筋だから似ていたって不思議はないわけですが、何かそれだけではないものを感じさせますね。

家:そうなのだ。正直に言って、これまで今度の襲名のことについてどこか釈然としないものを覚えていたのだが、あの顔を見て、これは生半可なことではないと思った。あの顔は、単に血縁だから似ているというようなものではない。

八:それにしても『小栗栖の長兵衛』とはうまい演目があったものですね。若き日の初代猿翁さんが大正九年に初演したれっきとした澤瀉屋の狂言で、いまの段四郎さんなんかもよくやっていましたっけ。

家:同じ岡本綺堂でも二代目左団次にあてて書いた『番町皿屋敷』や『鳥辺山心中』では無理だったろうが、こっちはまあ新劇みたいなものだからな。こういう演目が目の前にあったとは天の配剤のようなものだ。まるで誂えたみたいだ。

八:大家さん、今日は何だか運命論者みたいなことをおっしゃいますね。察するところ、新中車にひそかに肩入れしたくなったのじゃありませんか?

家:何を馬鹿な。しかし好感を持ったのは事実だ。

八:初代の猿翁さんが昭和33年に当時のNHKのスタジオで撮った『小栗栖の長兵衛』の映像があって、それをなぞるのだと言っていたそうですが。

家:あの映像は私も知っている。亡くなる5年前だからまだまだ元気とはいえお歳だから、さすがにちょっと息が上がっているところはあるが、初代猿翁という人がどんな感じだったかはよくわかるね。とにかくあれを新中車がよく学んでいることは確かだ。ウーイ、なんてオクビを漏らすタイミングまでよく写している。なぞってなぞり抜いたというところだが、あれだけなぞれればたいしたものだ。一番感心し、安心もしたのは、声に歌舞伎として違和感がなかったことだね。歌舞伎の他の演目をやる上でも、これなら希望が持てる。

八:夜の部の開幕前の口上で、猿之助が、舞台の袖で見ていて、初日二日目にはまだまだと思ったところも三日目には見違えた。普通ならひと月二月かかるところを三日でやってしまうのだからやっぱり才能があるんだなあ、などと、十歳も年上の者をつかまえて兄貴分みたいな口ぶりでしたが、言っていることはその通りと思っていいんでしょうね。

家:あの口上は面白かった。去年の発表以来、マスコミや世間の関心は新中車に集中しているが、こと歌舞伎の舞台に関しては自分が取り仕切るのだというところをはっきりと示したわけだ。それでこそ、彼は昔の亀治郎ならず、我こそは四代目猿之助であるということを、世間にも中車にも宣言ことになる。

八:ほらご覧なさい。彼はちゃんとわかっているのですよ。

(続く)

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随談第435回 貼り混ぜ帖

グズグズしている内に月が変わってしまったので、いまさら「今月のアラカルト」でもあるまいから、月をまたいで、このところ心に移りゆくよしなしごとを取り混ぜて一回分ということにしよう。

        ***

夏場所のことは既に遠い話になってしまった感があるが、3階C席3600円也というのに味を占めて、今場所も二回ほど、三段目・幕下の取組から見るということをやった。外野席か内野のBあたりで、ひとりボケーッと野球を見るのを私は愛好するが、それとよく似た感覚である。(但し玉に瑕は、球場でもそうだが、試合の進行や土俵の展開にまったく関係なく通路を歩き回る、どころか、長々と立ち止まっていたりする人が少なくないことで、あれには閉口する。あの人たちは一体、何を見に来たのだろう?)

今場所は旭天鵬の優勝などという大番狂わせになって大方のファンは歓迎し、識者からはまたまた大関陣への批判が続出した。私はどちらかというと前者組で結構面白かったと思っている。大関への批判もむべなるところには違いないが、何勝以上して優勝亜争いに絡むのが大関の義務、といった論を近頃よく耳にするのが少々気に障る。月は隈なきをのみ見るものかは、横綱を目指す(のはもちろん結構だが)ばかりが大関ではない。星勘定の上では横綱になるような戦績は上げられなくとも、余人を以て代えがたい味な相撲を取る名手もまた、大関として立派に存在の意義があるのであって、敢えて大昔の話をすると、戦後、私などが相撲を知り染めた頃でもなお、名大関の代名詞として伝わっていた大ノ里という昭和初期の大関は、かの双葉山よりさらに一世代前の人だが、記録を見ると、一場所11日間だったその頃、ほとんどが六勝,七勝といった成績である。いまなら八勝か九勝、せいぜい十勝というところだが、それでも戦後にまで名が伝わるほどの名大関として尊重されていのだ。新作歌舞伎の主人公にもなっている。星勘定はクンロクでも、名人であるがゆえに立派な大関であると評価する見識が社会にあったからだろう。勝率がどうの、昇進前3場所の成績がどうのということばかりを云々する風潮は底が浅過ぎる。魁皇が名力士扱いされるのは、その意味では結構なことだが、角番を繰り返していた頃の冷たい扱いを忘れ、手の平を返したような上っ調子が、ちょいと気になる。

        ***

福井の原発を再稼働させるというので、勇ましく反対していた大阪市だの滋賀県だのの長が、お土砂でもかけられたみたいに急にへなへなになってしまったり、当てにはすまいと知りながらも、いずれ原発再開の大合唱の声が起こるだろうと書いたわが予言が、あさましいほどに現実になってくるのに憮然とする。要するに、一国の長が国家としてあるいは政府として原発をどうするのかということを、国家の方針としてはっきり「宣言」し、それをいかに実現して行くか、計画を示さない限り、あてどもなくぐずぐずになってしまうに違いない。訊かれれば、脱原発依存と前から申し上げていますと答えるが、訊かれなければ言わないというのは、愛シテルといちいち言わなくてもワカッテル筈だというのと同じ論法で、つまり本気ではないと思われても仕方がない。それをしない限り、瓦礫の山も片付く日は永遠に来ないだろう。ご理解いただけるまで説得を続けます、というのが首相の口癖だが、一見誠実で丁重のようだが、つまり、相手が折れてウンというまで粘り抜くぞということであって、欲しい玩具を親が根負けして買ってくれるまでワーワー泣き続ける子供と同じ手法なのだ。TAKEはしてもGIVEはしないというわけだ。

        ***

映画といえば最近は昭和20年代・30年代の日本映画ばかりで、新しい洋画はあまり見なくなってしまったこの頃だが、たまたま時間をつぶす必要もあって今頃になってといわれそうだが『アーティスト』を見た。面白かった。無声映画がトーキーに転換するという味なところをつかまえて(何だか、この前書いた旧石器時代が新石器時代に転換する話と通じるような感じだが)、全編を無声映画の手法で通すという手法が、大仰な身振りや気障ったらしさを少しも感じさせないところが見事なものだ。つまりは大人なのだ。こういうのを見ると、こういう大人の感覚というものが、いまの日本の、映画といわず、演劇・芸能といわず、社会全般に至るまで、随分希薄になっているのを、残念ながら思わずにいられない。

新国立劇場の『サロメ』を見ても、明治座の『黒蜥蜴』を見ても、共通するのは、底の浅さが見え透いて、敢えて昔風の言い方をすると「芝居を見た気がしない」ということだ。やたらに絶叫させるのは、いまや新劇に蔓延する風土病のごときものになってしまい、そういう中で育った役者も演出家も、それが当たり前だと思っているに違いない(としか思いようがない)。サロメを、これまでのような思わせぶりたくさんな妖艶さで売るのではなく清純な少女なのだという新解釈は、それを舞台を通じて得心させてくれるなら、当然受け入れようが、舞台を見る限り、ヘロデ王はせいぜい六本木辺りの高層マンションか何かに住んで得々としている成金ぐらいにしか見えないし、サロメも、甘やかされて育った女子大生ぐらいにしか見えない。あれならむしろ、明治大正の昔に帰って、当世の日本を舞台にした翻案物にでもした方がむしろ新たな発見があり得たかもしれない。(まあとにかく、サロメちゃんの絶叫に次ぐ絶叫には恐れ入った。)

『黒蜥蜴』は、とにかく舞台の素養のない人には無理な芝居だというに尽きる。三島由紀夫の芝居は、手練れの舞台俳優が演じてこそのものなのだ。三越の新派『華岡青洲の妻』はよかった。ここにはちゃんと「芸」がある。(波乃久里子は歌舞伎に学んで見事に歌舞伎を新派にしている。)それと、この芝居、三越劇場の寸法と空間の中で見ると、じつに緊密にできた芝居であることがよくわかる。

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