随談第386回 『秀子の応援団長』

この三月、四月は、新文芸座だの神保町シアターだので、高峰秀子特集だの何だの、昭和10年代から30年代頃までの、見る予定にしていた古物映画がいろいろあったのだが、震災の後遺症やら節電が理由の休館やらのために、お目当てをかなり見損なってしまった。いわゆる名画は、またいくらも見る機会はめぐってくるが、昭和27年に高峰秀子がパリから帰った再起第一作の『朝の波紋』とか、同じ27年、原節子と三船敏郎の『東京の恋人』などというのは、いつまた機会がめぐってくるのか、あまり当てにはできない。(痛恨の極みと言ったって大袈裟ではない。)

名画ももちろん結構だが、別に名画というほどでもないが当時としてはごく当り前に作られ、当り前に見ていたようなものの方を、むしろ私は愛好する。極めの付き過ぎた名画は、さまざまな言説がいまもなお絶えずつけ加えられる(という宿命にある)ので、いつまでも(永遠に)「現代的」でありすぎて、作品自体が語ってくれている「当時」という「現在」が却って見えにくくなる。もっと有体に言えば、他人の手垢がびっしりついているのが、ちょっとバッチクて邪魔臭い。そこまで言わないとしても、極め付の名作以外の佳作・フツーの出来の作が玉石混交し合っている中に、思いがけない発見をしてオオと叫び出したくなるオモシロさは、古物ならではの愉しみというべきである。

そうした中からせめても見た幾つかの中で、『秀子の応援団長』は昭和十五年一月だか二月だかの作、高峰秀子十四歳である。同時に見たその翌年の作『秀子の車掌さん』は、監督も成瀬巳喜男だし原作の井伏鱒二の田園牧歌的ムードをよく生かして、こっちの方が映画として上等であることは確かだし、高峰としてもこちらの方が後年を思わせるものがほの見えて、もし「高峰秀子論」をするなら大切だろうが、それはそれとして私は『応援団長』に何故か「感動」した。なにしろ、『わたしの渡世日記』を読んでも、当の高峰自身が忙しくて完成試写も映画館でも見るヒマがなかったと書いている、その程度の作品である。とはいえ、『車掌さん』もそうだが、更に翌年の、こちらは名画の誉れ高い『馬』といい、十四、五、六歳ごろの高峰秀子というものの可愛らしさというものは、いま見ても素晴らしい。(それで思い出したが、やはり今回、せめてもと思って余震の中を見に出かけた昭和三十年の日活『銀座二十四帖』に出てくるやはり十五歳の浅岡ルリ子の可愛らしさというものも、のちにスターになってからが別人としか思えない。あたら「明眸」を分厚い付けまつげの中に埋没させてしまったわけだ。またここに写っている昭和30年の銀座の、とりわけ朝のたたずまいというものも、溜息が出るほどだが、それもまたの話としよう。)

ところでこの『応援団長』での高峰は、成上がりとはいえ金持ちの令嬢という設定で、伯父が「アトラス」なるプロ野球チームの監督で(この役を何とまだ壮年の千田是也がやっていて、戦後のいかにも新劇のボスみたいな千田しか知らない私には、大袈裟にいえば、新劇史を見直してみようかと思わせられるほどの感慨がある)、エースが出征して戦地へ行ってしまったために新エースになった第二投手が散々の出来で連戦連敗、秀子の作詞作曲した応援歌が俄然チームを奮い立たせる、という、つまりアイドル秀子がお目当ての「他愛もない」作なわけだろうが、それにもかかわらず「感動」したのは、14歳の高峰の初々しさと重ね合わせて画面からたちのぼってくる昭和十五年という時代が持っていた「空気」である。もちろん私はまだ生まれていない当時を、じかに知っているわけではない。にも拘らず、時代の空気は、この「凡庸な」映画の画面からも明らかに伝わってくる。往時の後楽園球場のグラウンドやスタンドが映し出されるだけで、私の知る戦後のそれと重ね合わせると千万言に優るものがある。旧き善き「戦前」が辛うじてまだ保たれていた、あるひとつの時代。それは、「戦後」を知る我々だから感じ取るのであって、昭和十五年という「現在」に生きていた人たちは知る由もなかったものだろう。

「アトラス」の対戦相手の各チームの選手のショットが映る。これがみな本物で、巨人の攻撃が満塁で、一塁走者がスタルヒン、二塁が水原、三塁が(後に戦死する)吉原という(「アトラス」からすれば)ピンチに中島治康が打席に入ってニヤリとする。(それにしてもこの打順はどう考えても変テコだ。)別なチームでは(のちに中日の四番打者になる)西沢がまだ投手で投げている。その他、さすがに昭和十五年となるとほんの一瞬の短いショットでは多くは見分けがつかないのが残念だが、野口二郎や阪神の景浦も写っていたような気がする。(ひとつひとつ確かめてみたいものだ。)

散々打ち込まれて悩むエースを灰田勝彦がやっていて、有名な『煌く星座』を劇中で歌う。『銀座カンカン娘』も巡り会わせがよくて再会できたが、戦争を挟んで9年後のこの映画でも、高峰と灰田はいいコンビを組んでいるわけだ。こうした作品に写っている大女優・名優になる前の高峰秀子の何というナツカシサ。それはある種のデ・ジャ・ヴュであって、かつてを知る知らないに拘わらないことだ。『宗方姉妹』『細雪』といった、名作になりそこねた名作、といった風情の戦後の有名作に出てくる高峰も、いま見ると実に興味深いが、その話を始めるにはちと長くなり過ぎる。今日のところはこれ切りとしておこうか。

随談第385回 海老蔵の舞台復帰について

大震災と原発のニュースでほとんど埋め尽くされた間隙を縫うように、海老蔵が七月から舞台復帰という報が伝わってきた。ちょっと意表を突かれた。何故ともなく、もう少し先のように思っていたからだ。というより、あまり急がない方がいいと思っていたからだ。

五月の團菊祭で、ということがひと頃しきりに言われた。もっともこれには、私も一枚、われ知らずこの流説に関わっていなかったとも言い切れない。出演した某番組で、あくまでもあり得るとすれば、という条件付で、比較的近い時点でひとつポイントとなるのは五月の團菊祭だろう、ということを言ったら、それから五月復帰説というのがひとり歩きし出した感じがあったからだ。私個人としてはあまり急がない方がいいと思いますが、と言い添えたものの、この手の発言というのは、こういう場合、聞き捨てにされてしまうのが、世の常、とりわけテレビの、更にとりわけワイドショーというものの常というものだろう。

もっともそのころは、まだ事件がどういう展開を見せるのかも予断が許されず、海老蔵の受けたケガもどの程度のものなのかも、よく分からない状況だった。

事件のこと、その後の推移のこと、裁判とその判決、事態の決着といったことについては、ここでは触れまい。もっとも、裁判は相手側の人物についてのものだから海老蔵には直接関わることではないが、裁判官が、海老蔵の方にも芳しからざるものがあった、というフシのことを言っているのは、それなりに重く受け止めるべきだろう。つまり、この裁判は、決して相手方だけに関わるものとは言えないことになる。そうしたことを踏まえて、さて、問題は復帰の仕方である。復帰の時期、よりも、復帰の仕方の方が肝心だ、と私は考える。

海老蔵が、だけでなく、歌舞伎ファンをも含めた世間が、あの事件を通じて海老蔵をどう見ているか、ことはかかってそこにある、と私は考える。そのことは、当時も、二、三の週刊誌に問われるままに述べておいた。よほど熱狂的なファンならともかく、かなり厳しい、という以上に、シビアな目で見たのだ、ということを知らねばならない。ここで意味を持ってくるのは、市川家が荒事の家ということであり、とりわけ、海老蔵が再三行い、世間の耳目を集めた「にらみ」の持つ意味である。(あの「にらみ」というものに世間がどれだけ関心(好奇心も含めて)を持っているか。あのとき、私がテレビ取材の記者に最初に受けた質問は、「海老蔵さんは目にケガをしたそうですが、「にらみ」は大丈夫でしょうか」というものだった。)ありがたいことに、いまという時代のこの世の中に、海老蔵のあの「にらみ」というものを、とにもかくにも、世間は「関心」を持って見てくれていたのである。

さていま、私が気になるのは、このまま海老蔵が舞台復帰して、またいずれ、「にらみ」をして見せたとして、以前と同じインパクトを世の人々に与えることが出来るであろうか、ということである。海老蔵の側もまた、以前と同じ心で「にらみ」を行なうことが出来るだろうか、ということである。「にらみ」によって邪気を払い、瘧を落すことが出来るだろうか、ということである。睨んでもらった人たちが、邪気を払い瘧を落してもらったと、素直に思うことができるだろうか、ということである。

それはちょっと、難しいのではないか、と私は思う。そうして、それが難しいとすれば、役者海老蔵の持つ意味は、随分薄れてしまうのではないだろうか、ということである。(これが、単なるひとりの人気役者に過ぎないのだったら、こんなことはさほどの問題ではない。しかし海老蔵は、私の考えるに、単に一個の人気役者、というだけの存在ではない筈なのだ。そうでなければ、現代というこの世の中に、「にらみ」などという「非条理な」ことをやってのけて世人の関心を集めるなどということが、ありえようか?)

海老蔵は是非とも、復帰の前に、元の海老蔵とは違う海老蔵になったのだ、ということを世人に示す必要がある、と私は思う。別に、品行方正の優等生や人格者になれ、ということではない。(そもそも、そんなものになれる筈もないし、仮になったところで、そんな海老蔵に魅力はない。)助六が、夜な夜な吉原に現れ雷門で喧嘩相手のヘソを取って闊歩したように、これからだって、海老蔵は海老蔵らしく、自由闊達に闊歩すべきである。(但し、灰皿で酒を飲ませたりするのはやめるべきだが。)だがそのためにも、海老蔵自身が、みずからの瘧を落し、邪気を払わなければ。幸い、市川家には成田山という存在がある。七月に復帰をするのなら、その前に、せめて一ヶ月でもいい、世俗を離れ、坊さんたちと一緒に、修業の生活を送ってきてはどうだろうか。いや、是非、そうしてもらいたいと思うのだ。

随談第384回 災害をめぐるよしなしごと(その6・近頃鬱陶しいもの)

自粛が行き過ぎだったというので、今度は経済を活性させるために大いにやるべしという声が高まっている。これからは、花見を自粛などしないで、被災者のためを思ったら花見酒をじゃんじゃん飲むのが被害地復興のためだ、というわけだ。確かに、金を天下に廻すのが経済というものには違いない。そんなことは、川に落した十銭を探すために五十銭の松明を買って川底を浚った青砥左衛門藤綱の昔からわかっている。しかし、自粛のやりすぎは日本人の悪い癖だ、などとテレビで得々と喋っている識者のしたり顔を見ると、少なくとも、自粛をしすぎるぐらいの人間の方が、人物としては信用するに足るのではないかという気も、しないでもない。

左から右へ右から左へと、世論はせわしなく揺れ、揺れ戻す。この分では、いずれまた、やはり日本経済復興のために原発は必要だ、という大合唱が始まるのは目に見えている。のど元の熱さを忘れた原発安全論者がしたり顔でテレビのニュースやワイドショーのお座敷を賑わすであろう。その一方で、福島からの避難者は胸に「福島」と書いたマークをつけるべきだ、という声が上っているというからおそろしい。そんな議論を繰り返している内に、眠りを覚まされて怒ったゴジラがまた東京湾から上陸してくるかもしれないぞ。(昭和29年製作のあの映画では、まだ東京タワーもマリオンもない東京に上陸して来たゴジラが、口から放射能の火を吐いて日劇(つまり今のマリオンである)を焼き滅ぼし、放送局を踏み潰して、中継放送中のアナウンサーが「皆様、さようなら」と悲痛な叫びと共に沈んでゆくのだったっけ。)

天罰だ、と都知事が言って物議を醸した。この人が言うと、自分ひとりは天罰の対象外だと言っているように聞こえるところがモンダイなのだろうが、しかし今度の天災人災相まった有様を見ながら、これは天罰だ、と密かに思った人はおそらく少なくないに違いない。もちろん、天は被災者に罰を下したのではなく、人間どものしていることに怒ったのであって、実は私は、地震のつい前月、さる気の置けない人達と、スカイツリーだっていつ倒れないとも限りませんよ、むかし宇宙船が海上に着水していた頃、宇宙から帰還した飛行士がジョーズにぱくりとやられたら面白いなとひそかに期待したものです、などとつまらぬお喋りをしたばかりだった。まさかその軽口に罰が当ったわけではなかろうが、つまり、最先端の科学といえども人知である以上遂には天に敵わないのだと思わないヒトが、私は何よりオソロシイのだ。都知事がどうのとは関係なしに、私は今度のことは天罰だと思っている。(断わっておくが、私は無信心の人間である。)

こういうことを言うと嗤う人があるに違いないが、今度しきりに言われた東北の人たちの辛抱強さ、謙虚さといったものがどこから来るのかといえば、つまるところ、まだこの地域には、農業や漁業といった、いわゆる第一次産業にたずさわる人たちが多く残っているからだろう。いま現在は工場(や原発)などで働いているにしても、畑や海で自然を相手に生きていた父や母の世代の記憶は、強く深く、身にも心にも沁み付いている筈だ。東北の人達のあの謙虚さは、文字通り地に足をつけて生きている人ならではのものだ。

むかし小学校で、日本の人口の七割は農漁業だと教わったように覚えている。(ついでにいうと、これからの電力は水力発電だ、と教わったっけ。)いわゆる第一次産業にたずさわる人の比率を、その後わずかの間に激減させてしまったことが、いま日本の社会でいろいろ生じている問題の、ほとんどすべての原因に違いないと、私は確信している。もちろんどんな仕事だって多くの人はマジメにやっているには違いないが、土を耕して作物を作るのを業とするのと、数字を操作して巨額の金を動かすのを業とするのとでは、マジメさの質がおのずから違うのは避けようがない。いつまでも自粛ばかりしていては経済が沈滞するのは当然だが、それを説く人たちの顔に、自粛する者を愚かと嗤うかのような表情が仄見えるのが、私はどうも気になるのだ。過度に自粛を説く者も、過度に経済効率を説く者も、鬱陶しさに於いて変わりはない。

もうひとつ、鬱陶しいものがある。いっせいに始まった、タレントやスポーツ人などの、被災地へのガンバレコールのCMである。激励は結構だし、フームと思わせられるものも中にはあるが、どうも頭が高すぎはしないか。まるで大統領か予言者みたいな口を利く男もいる。ニッポンは強い国、力を合わせればきっと立ち直れる、信ジテル、か。善意に疑いはないにせよ、自分の二倍も三倍もの長い人生を生きた果てに悲惨を味わった年配の人達に向かって、同じことを言うにも物の言い方、態度があるだろうに。

私のような自由業者もそうだが、自分たちは、確かなモノは何ひとつ作ることのない存在なのだということを、まず思うべきではないか。その上で、歌唄いは歌い、芸人は芸をし、球を蹴る人は球を蹴り、球を投げる者は投げ打つ者は打ち、相撲取りは相撲を取り、物書きは物を書いて、もしそのことを通じて、人が共感や喜びや(もしかしたら励ましも)感じ取ってくれるなら、それをわが喜びとする、というのが、まず基本だろう。何億のギャラを稼いでいようと何万の観衆聴衆を熱狂させようと、そのことに変わりはない筈だ。

セ・リーグの開幕をめぐってゴタゴタしていた時、ヤクルトの宮本が、いま自分たちが被災者を激励できると思うのは思い上がりだと思う、と言ったという。ホッとするものを感じた。被災者へコールを送るさまざまな姿に、自ずから、コールを送る者自身の有り様が見えてくるようだ。

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蛇足をひとつ。地震発生以来、「未曾有」という言葉がしきりに使われるが、あれは「ミゾーウ」ではなく「ミゾウ」ではないだろうか? いま思えば、「ミゾーユウ」と読んだ人を嗤っていられた頃は、暢気なものでしたね。

随談第383回 災害をめぐるよしなしごと(その5・春ここに)

家から五分も歩くと石神井川が流れていて、駅までの往来にも必ず橋を渡る。両岸から桜が枝を伸ばしているのが、ちょいとした風情がある。せいぜいが数百メートル、さほどの長さでないので名所として有名になるほどではないが、それが却って幸いして、毎年この季節になると、近隣から繰り出してほどほどの賑わいになる。今年も、見事に咲いた。一晩、帰宅の途次、夜空を背景に花盛りの枝を見上げる内、我にもなく突き上げてくるものがあった。

年年歳歳花相似たり

この言葉が、こんなにも痛切な思いで思い起こされるとは思ってもみなかったことである。「国敗れて山河あり」という言葉は、六十六年前の敗戦のときには正しくその通りであったろうが、今度ばかりは、その山河の有様さえも大津波が変えてしまった。まだこの時点では、花は北国には達していないだろうが、遠からず、被災した地方にも桜は咲くだろう。その時、人々はどういう思いで、花を見るのだろう。花見を自粛すべきだとか、いやむしろ経済効果のために花見をすべきだとかいった議論を、はるかに超えた思いがそこにはあるに違いない。翌日、月に一度開いている連句の会で私は、

春ここに在り春ここに在り

という短句を作って、ひとり東北の人達と心を重ね合わせたつもりで精神的自慰行為に耽っていたところ、「春」という字をここで使うのは前に差合いがありますよ、と同人の冷酷な指摘を受けてこの句はオジャンになってしまった。

そのまた翌日の選挙では、落選するに決まっていて前日まで投票する気もなかった候補者に投票した。理由はただひとつ、原発に反対と明言していることだけだった。普段から私は、投票する基準は候補者の人品骨柄で決めることにしている。党がどうのイデオロギーがどうのマニフェストがどうの、などということは『勧進帳』の富樫ではないが「アーラ難しの問答無益」で、何党だろうがマニフェストがどうだろうが、実際にそれをやるのは人物であって、ろくでもない奴がやれば何をしたってろくでもない結果しか出てくる筈がない。で、その落選必至候補は人相もまあまあだったので入れた。みすみす一票を無駄にしたようなものだが、外に誰それと決める根拠が見つからなかったからである。

当選したヒトを、私は嫌う人が嫌うほどには嫌いではないが、直下に大地震が起ったら液状化現象が起るとみすみすわかっているところへ魚市場を移転するというだけで、入れる気にはならなかった。専門家はおそらく大丈夫と言っているのだろうが、こういうときの専門家というものがいかに当てにならないかということは、いま福島で起っていることのザマを見れば明らかである。ついこの間、原発の安全性の基準を決める委員をしていたという老人が、津波が来ずに地震だけだったら今度だって大丈夫だったのだ、現に7.4の大きな余震では大丈夫だったでしょ、と言って得意そうな表情をチラリと浮かべたのには愕いた。今になってもまだ、こういう発言を得意然とする人間が存在するのである。海岸に作る以上、地震と津波はセットではないか。ボクチャンてアタマガイイからエライんだぞ、と一生涯、思い込み続ける人間というのは、確かにいるのだ。まったく、『森の石松伝』の広沢虎造の言う通りなのだ。バカは死ななきゃナオラナイ。石松はそれでも、自分がバカだということを知っているが、この手の専門家は自分がバカだということを知らないだけ、バカに念が入っているわけだ。

しかし、都知事選に当選したヒトも、直後のインタビュウーで二つ、いいことを言っていた。第一は、開票前に当確を出すのは有権者を愚弄するものだ、ということ。これは本当にその通りだ。一秒でも早く当確を決めることに、関係者以外、どういう意義があるのだろう? 第二は、日本ほど電気をツマラヌことに浪費している国はないぞ、ということ。それなら何故、原発を容認するのかということにもなるが、二十四時間営業のコンビニが皓々と照らして影も作らず、真夜中過ぎても小学生が屯する、などいう光景は、間接的にだが原発の存在を擁護しているのと変らないであろう。

そういえば、つい先週、国立劇場へある舞踊会を見に行ったら、節電で薄暗い二階のロビーで、聞こえよがしに高声に話す老人の声が聞えて来た。「これじゃあさっぱり盛り上がりませんね。やっぱり原子力は必要ですねえ」だってさ。どんな意見を言おうと自由だが、しかし何だって、あんな不必要にデカイ声で、聞かせよう、とするのだろう?

随談第382回 大相撲技量審査場所って何だ?

またしても大きな地震があって、まだまだ落ち着かせてくれないようだ。そうでなくとも、いま他にしなければならない仕事を抱えていて、こんなことを書いているヒマはないのだが、やっぱりこれは、黙ってはいられない。

相撲協会としては、「想定内」の、その意味ではシナリオに沿っての展開なのだろうが、どうもこれは最悪のシナリオではないだろうか? 技量審査場所なるものの曖昧さもさることながら、根幹は、その前提となる処罰問題だ。

私の意見は、前回書いた「大相撲慈善場所」を読んでいただけばわかるが、事態が進んだいまは、夏場所本場所を慈善場所の趣旨で開催すべし、と修正すれば、意見の内容に変わることはない。要するに、一番実行可能で、且つ、私の理解する大相撲の伝統にも、あるべき姿にも適う方法だと思うからだ。だがどうも、「現在の」相撲協会の考える大相撲の伝統もあるべき姿も、それとは違うらしい。

放駒理事長のかねて言う、本場所再開のためのいわゆる三点セット「調査・処分・再発防止」なるものの実態がこれだった、ということなのだろう。疑惑力士に対して特別調査委員会の取ったスタンス・方法にも釈然としないものがあるが、それはこの際措いて、それを受けての協会の決定がこれなわけだが、一見これは、八百長(疑惑)力士に対して厳正な処置を取ったように見えて、じつは極めて形式的・事大的で、つまりこれは、相撲協会という「国体護持」のための、一種の「相撲協会無謬主義」ではないだろうか?

疑惑力士たちが仮に本当に悪質な八百長をやっていたとして、その連中を厳しく罰すれば、それで相撲協会は「膿を出し切った」ということになるのだろうか? 一部の不埒な連中がやったことでした、今後こういうことがないように努力いたします、と記者会見の場で理事たちが頭を下げれば、それで終りというのだろうか? (夏場所を本場所にしないのは、まだ未解決の部分が残っているからだそうだが、それはこの際、話の筋としては同じことだ。)そうすれば、やがてはNHKも放送をしてくれ、天皇賜杯も頂戴出来、公益法人としても認められることになる、のだろうか? つまり、そういう「シナリオ」なのだろうか?

琴光喜のときにも思ったことだが、はじめから正直に白状しなかったから、というのが厳罰を与えた理由だった。引退届を出せば引退として認め退職金を出し、出さなければ解雇、という今度のやり方にも、同じ論理が働いているに違いない。だが、その厳罰とは何だろう? 正直に言わないことが「膿を出し切ろう」と努力している協会に迷惑をかけたから、なのか? 親の心子知らず、ということなのか? 「親」である協会は正しく、正直でなかった「子」だけが悪かった、ということなのか? つまり、これで「国体を護持」する形式は整ったというわけなのか?

私もそうだが、世間の、それも昔から大相撲を愛し、親しんできた大方の人達は、八百長問題の「膿を出し切る」などということは、在り得ないことだと(直感的に)知っている。だから、「膿を出し切る」まで、という言い方には、形式主義か、でなければ事大的な権威主義を感じてしまう。いまここで名前を挙げるのは不穏当だが、あの力士があの場所辛うじて勝ち越しができたのは・・・といった類いのことは、相撲ファンなら誰だってたちどころに幾つも数え上げることが出来る筈だ。だがそれで、相撲が嫌いになったという人はほとんどいない。むしろ、そうやって(すんでのところで)勝ち越しを決めた○○山や××川が、別の場所でいい相撲を取って活躍してくれれば、拍手喝采を惜しまない。

何度も言ったように、栃若も柏鵬も、その他誰の時代だって、あまたの名勝負、忘れがたい一戦は、「膿を出し切った」が故にあったのではない、同じ場所、すぐその前の一番で△△錦が千秋楽に8勝目を上げて角番を辛うじて脱出した、などということはゴマンとあった筈だ。それを許容してきたのが、みんなが愛してきた大相撲なのだ。そうではないだろうか?(あのサッカーだって、ついこないだの慈善試合で三浦カズが決めたシュートを、ああいう風にみんなで計らったのだろう、と言った人もいた。しかしその人だって、決して、だからケシカランと言ったわけではない。)

どうしてもっと、相撲取りらしく、おおらかに出来ないのだろう。それにしても、今度の技量審査場所は、見てもいいですよ、というだけであって興行ではないのだそうだ。それなのに、土俵入りだの弓取り式だのもやるらしい。ああいうものは、見る人があって、はじめて意味を持ち、成り立つことだろう。歌舞伎の見得を、誰も見ていないところでするようなもので、よほどのナルシストでなければやっていられるものではあるまい。ま、実際には無料だからというので大勢見に来るのだろうが、それもまたチャリティというのだろうか? やはり金を取って興行すべきなのだ。普段よりは安くして、その上で、既に多くの声が上っているように、収益は被災地へのチャリティにすればいいのだ。そうしたからといって、相撲協会もなかなかやるじゃないか、と思いこそすれ、誰が批判をするだろう? それから、NHKも、本場所と同じように、放送すべきだ。

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別の話だが、ついでに書いておきたい。白鵬以下の力士たちが被災者にチャンコの焚き出しをしたというニュースをテレビで見た。もちろん結構なことだが、見ていると、白鵬は襷掛けでなかなかよかったが、魁皇と琴欧州がぞろりと袖をたらしたまま、チャンコの入った容器を被災者に渡しているのを見て、アリャリャと思った。こういうときは、あんなぞろりとしたナリではなく、浴衣に襷掛けとか、もっとキリキリシャンとした格好でなければ! みっともないし、そもそも被災者に失礼ではないだろうか?

これも実は「別の話」ではないのだと思う。外出の際は和服を着用すべしという礼節のためのキマリが、妙な形式主義に陥った結果でなければいいが。相撲が本来の闊達さやおおらかさや素朴さを失ったことの現われという意味で、ふたつのことは決して無縁ではない。