随談第368回 『不滅の熱球』月遅れの忌辰簿から

ブログを更新するゆとりもないままに、早くも歳末である。書きたい題材はつぎつぎありながら、機会を逸してしまうと、出遅れたお化けと同じで、気が利かない以上に気が抜けてしまう。中日の落合監督がますます坊さんめいてきて、ユニフォームよりも墨染めの衣の方が似合いそうな面相になってきこととか、白鵬の連勝記録にまつわることだとか、今更めいて書きにくい。いま、という話題も幾つかあるが、既に残り日は一日しかない。

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月末ごとに何回か続けたその月の忌辰簿のなかに、それと知りつつ、池部良のことを書かないままでいるのが、気になっていた。といっても、格別なファンというわけではない。しかし私自身の子供のころの記憶からいっても、昭和20年代という時代を最も体現している役者はこの人であるという思いが強い。『平凡』という、それ自身がいかにも昭和20年代を物語っている雑誌が、毎年恒例で行なっていたファンの人気投票で、つねに上位を占めた現代劇の俳優は、三船敏郎でも鶴田浩二でも佐田啓二でもなく、池部良ではなかったか。少なくとも、石原裕次郎が登場するまでは。私がいま言いたいのは、人気のことではない。タイプからいけば一番のほほんとした、甘い二枚目でありながら、20年代を誰よりも体現できたのは、ひと言で言えば、既に戦中にスターとなり、兵隊に行ってそれも生半可でない体験をしてから、戦後ふたたびスターであり続けたという、ありそうで実は他にあまりない経歴がものを言っているからだろう。(軍隊を体験した有名スターは他にも居るが、多くは戦後、輝きを失ってスターの座から失墜している。)

池袋の新文芸座で池部良特集をやっているのを、ようやく押し詰まった30日に見に行った。『不滅の熱球』という、澤村栄治のことを映画にしたのを、せめてこれだけはと思ったからである。『青い山脈』ももちろん、現在の目で見直したかったが、結果的には、『不滅の熱球』の方がむしろよかったかもしれない。そのぐらい、面白かった。(ついでだが、『青い山脈』の亜流のように見做されがちだが、『山の彼方に』というのを是非改めて見たいと思っている。主題歌もいかにも藤山一郎流のなかなかいい唄でヒットもしたが、こちらも『青い山脈』の二番煎じと見做されがちなのは、映画・歌とも、不運な巡りあわせである。)

昭和三十年三月の封切りで、冒頭、当時の後楽園球場の巨人・中日戦の情景が写し出される。別所が投げたり川上が打ったりしている。もうそれだけでもタマラナイ。長嶋出現以前のプロ野球というのは、ON以後しか知らないヒトビトには神話伝説時代の如くに見られそうだが、この映画では、冒頭の「現代」の情景に、こんな今日のプロ野球の隆盛もその土台が築かれる陰にはこんな物語もあったのです、と言った風なナレーションがかぶさって、話は昭和十一年、まだ後楽園球場もなかった時代にさかのぼって、マウンド上の澤村、つまり池部良がGIANTSの文字が胸に入ったユニフォーム姿で、大きくワインドアップをして足を高く上げたなかなか堂に入ったフォームで投球する。つまり、現代からみれば、神話伝説のもう一つ昔の時代ということになるわけだが、投球フォームだけでなく、捕手の内堀保(千秋実がやっていてなかなかいい)から返球を受けたり、ボールをこねたり帽子をかぶりなおしたりする池部良の仕草が、いかにも澤村がこうであったろうと思わせてなかなかうまい。技術指導として名を連ねる往年の選手の中に、阪神の御園生(みそのう)崇生(たかお)の名前があったのにアッと思った。もっともそれに気を取られてあとの三人の名前を残念ながら覚え切れなかったが、つまり、往年の澤村をよく知る人たちが、仕草やフォームの特徴や癖を教えたのだろう。内堀の他、当時の巨人の藤本監督の役を笠智衆がやっていてこれも面白い。ソックリさんというわけではないが、ある風格をあらわしている。

と、こんな風に書いていては切りがないが、再三にわたって応召し、カムバックしながら遂に戦場に倒れるまでを、当然美化もあるだろうが、諄々と描いてゆく。つまりここらで、スターとしての池部良と澤村の軍隊体験が、ごく自然に重なり合うのだ。当時見るより、いま見る方が、ある種の感動があるのかもしれない。

満州事変が始まって最初の応召から昭和十四年に一度復帰したとき、その間に巨人軍に入団した、吉原・川上・千葉・平山・中尾といった選手が紹介される場面がある。別にご本人が出演しているわけではないが、戦死した吉原以外はすべて、我々世代には、オッと声を上げたくなる名前である。いかにもそれらしい俳優が選ばれているのも面白い。

沢村の英姿を見に球場に通いつめ、やがて結ばれる妻の役に、デビュウ間もない司葉子が出ていて、現代には存在しなくなった、しかし昭和のある時期までには実在した、ある女性像をあらわしている。この女性は、芦屋の富豪の令嬢だから、つまり『細雪』の姉妹たちと、まったくの同時期、芦屋の空気を吸っていた人であることになる。

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まず本年はこれ切り。来年もご愛読ください。

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随談第367回 海老蔵と琴光喜

海老蔵騒動も、海老蔵の退院と記者会見、犯人出頭(というより名乗り出)と逮捕と、第二幕に入って、いまこの時点ではボールは向こう側のコートにある感じである。記者会見での海老蔵の発言などなど、気掛かりなことはいろいろあるが、いまあまり不用意なことは言わないほうがいいだろう。ただ、あの時点での会見は、一月のル・テアトルの興行をどうするのか、ぎりぎりのタイムリミットであったというのが一番の理由であったと思われるが、マスコミ(と世間)の関心は事件の方にあり、質問も時間も大半はそちらに費やされることになったのは、余儀ないところと言わなければならない。しかしいま、海老蔵が何よりも痛切に気づかなければならないのは、事件の黒白よりも、あの会見に対する世間の痛烈な空気だろう。

事件の黒白は、ここまでくれば警察に、もし裁判に持ち込まれたなら裁判所にまかせるしかないのであって、大切なのは、一件落着したあとに社会が「海老蔵という存在」をどう受け止め(てくれ)るかにある。社会の受けとめ方としては、極論をすれば、ある意味では、仮に「黒」であったとしてもいいのだ。それを社会が、納得して、海老蔵というものを、よしと認められるようなものであるならば。逆に「白」であっても、世人の得心がいかないような「白」ならば、人気役者海老蔵は死ぬだろう。仮に「黒」であったとしても、海老蔵っていい奴なんだ、と世人が思うなら、海老蔵は甦るだろう。要は、正直に認めるべきは認め、自らの内にわだかまるところないようにする以外はない。ひとは、そういうことにかけては、おそろしいほど敏感に見抜くものだ。これは、警察のレベルの白黒とは別のレベルの話である。

海老蔵は荒事役者である。仮に光源氏を演じようと、海老蔵が演じる以上は、それは本質的な意味において、荒事である。荒事は、わっさりと、明々白々でなければ意味がない。心に曇りがあっては、荒事など無意味である。海老蔵という天性の荒事役者が、ことばの真の意味に於いての荒事を演じられなくなっては、海老蔵は死んだのも同然である。(それは手術の後遺症がどうのこうのといった話とは全然別の問題である。)

私の見るに、海老蔵は21世紀という現代に生まれた助六である。助六は、毎日喧嘩をしに吉原にやってくる。雷門でヘソを取ったり、砂利場に喧嘩の相手を蹴込んだり、カラスの鳴かぬ日はあっても助六の喧嘩の噂を聞かない日はないほど、乱暴はするが天真爛漫な男である。助六が喧嘩をして警察につかまれば、ときには喰らい込むこともあるだろう。しかしそんなことで、だれも助六を悪くいうものは出ない。もう一度言う、助六は乱暴はしても天真爛漫で、じつは誰だって、助六のようにふるまえたら、助六のように生きられたら、どんなに気が晴れ晴れするだろうと思うからだ。海老蔵の助六が誰の助六よりも、本当に助六がそこに、われわれが手を伸ばせばすぐそこにいるような感じがするのは、海老蔵が助六そのものだからである。しかし髯の意休やくわんぺら門兵衛を相手に喧嘩をしている内はいいが、今度の一件の相手はいかにもタチが悪すぎる。どちらが手を出したの出さなかったのというより前に、あの手の連中と酒の席で関わりを持ったというのは不敵すぎ不用意過ぎる。ただの喧嘩沙汰ではすまされないところへ踏み込んでしまったことになる。

いまの時点で、無期限の出演見合わせという松竹の取った措置は、適切というべきだろう。琴光喜が永久追放になってしまったのとはもちろん意味が違う。あれは、警察のターゲットは暴力団にあり、大相撲はそのキャンペーンを世間に周知させるよい見せしめとして使われたようなものだ。窮地に立った大相撲としては、これだけ真剣に取り組んでいるぞというところを世間に周知させる必要があり、大関という地位にある琴光喜は、見せしめのまた見せしめとして格好と見做されたわけだろう。調べに対し、自分は潔白と嘘の供述をしたのが罪を重くしたというのが外部識者による委員会の説明だったが、一旦の保身のためのウソを理由に力士生命を奪うほどの罪を犯したとは思われない。それこそ無期限なり、一年なり半年の出場停止ぐらいで充分であったはずで、復帰嘆願の運動が始まっていると聞くが、尤もなことである。かつてのプロ野球の黒い霧事件で、西鉄の池永が追放処分になったのと同じ、つまり協会なり野球連盟という組織のための生贄になったわけだ。

海老蔵の場合は、ことの事情はもちろん異なる。が、暴走族とかその背後に暴力団の存在が見え隠れしているのが、事態を想わぬ方向へ急転回させないとも限らないイヤな感じである。それが、気になる。

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