対パラグァイ戦はみっちり見ました。結構な試合振り、そして結構な負け振りであった。あの負け振りは、なまじに勝って浮かれ騒ぐよりも、長い目で見て、どれだけよかったか知れない。もう一つ、という欲を余韻に変えて終るのも乙なものだと思わせたのは、中身があったからで、トータルに見て、今度のワールドカップが結果として残したものは、日本のサッカーにとってだけでなく、あらゆる点から見てよいことばかりであったと思う。
最後の相手がパラグァイという、大方の日本人にとってはちょっと盲点を突かれたような、こんなことでもなければ多分意識に上ることもないような国であったのもよかった。お陰で、みんなが謙虚な気持で向かい合うことができた。そういえば予選リーグで対戦したのも、オランダは別とすれば、カメルーンだのデンマークだのといった、ややマイナーなイメージの国ばかりだったのも面白い。もちろんサッカーおたくからすれば、スペインだドイツだブラジルだといったサッカー強国と対戦させたかったということになるだろうが、サッカー音痴すなわち非・サッカーおたくの目から見ると、必ずしもそうとも限らない。前々回、日本で開催したときに、九州のどこかの山村がカメルーンの選手村に指定されたということがあったが、その村の人たちは今度も(日本でなく)カメルーンを応援したのだという。こういうのはなかなか素敵な話であって、ワールドカップに参加することがもたらす副産物中の一番良いものとは、こういうことから生まれるに違いない。
決勝リーグの最初の相手がパラグアィだと聞いたとき、マスコミの論調は、パラグァイが相当の強敵だと言いつつも、希望的観測から、まあ勝てるだろう、から、たぶん勝つであろう、へと時が経つにつれて移っていった。ところが、試合が始まって10分もしない内に、やはり相当に強い相手であることが誰の目にも明らかになった。デンマークなどより柔軟で素早くて巧者なようだ。大相撲でいえば安美錦というところか。もちろん勝負だから勝てるかもしれない。前頭5枚目だって、ときには横綱に勝てることもあるのだから。で、ほとんど互角の勝負をして、実質の勝負は分けたといってもいいだろう。PKで決着というのは大会の運営上からこしらえたルールだから、別物である。それで慰めとするか。だからこそくやしいと思うかは、人さまざまの思い様である。しかし忌憚なく見れば、これがいまの日本の実力一杯であったにちがいない。5枚目から、三役は無理でも前頭の筆頭ぐらいには昇進するだろう。
普段あまり見ていないお陰で、選手たちを先入観に捉われずに見られるのも非・サッカーおたくなればこその特権(?)で、評判の本田は、むかし日本でプレーをしていたころのわずかな記憶とは随分人相が変わってしまった。まばたきをしない人相になったのは、それだけ厳しい環境で生き抜いて来たための変貌なのだろう。しかし前回のときの中田よりはスター意識が気にならなかったのは、人柄もあろうが、それだけチームに馴染んでいたからでもあるだろう。もうひとり注目を集めたキーパーの川島という選手は、原日本人的な風貌が今様でなく、いかつい体つきといい東京オリンピックの時のマラソンの円谷選手を思い出させた。(若いころの柳家小三治師にもちょっと似ている。)闘莉王(茉莉王ではなく!)という選手はなかなか面白い人間ではないかという気がする。負けが決まった時のショットが捕えた表情がなかなか印象的だった。
見応えのあるゲームだったとはいっても、この前書いた、サッカーというゲームが「徒労」の繰り返しが生み出すイライラとハラハラの裏表であるという認識が変わったわけではない。あの絶え間なく鳴り続ける喇叭の音は、思えばサッカーの本質のある一面をよく表わしている。相撲や剣道のように静の中に動があるのとは、異質の思想が生み出したもので、草原で狩をする猫族の猛獣の呼吸である。野球やアメフトのような、アメリカ流の合理主義が考え出した攻撃と守備を区別するという方式が、結果的に、とくに野球の場合、偶然にも静と動の組み合わせという日本的な様式に似てしまったのは面白いが、さてサッカーにこれだけ現代の日本人が馴染んでしまったということは、日本人がそれだけ変質しつつあることを物語っているのだろうか?
ともあれ、戦前ボロクソに言われていた「岡田ジャパン」が、日本中のサッカーおたく諸氏の評価を豹変させたことは、近来の欣快事と言っていい。岡田という人は、風貌からいっても、団地の中をジャージー姿で歩いていたらそこらのオジサンと間違われそうだし、飲み屋のカウンターでつい隣に座っていてもご本人とは気がつかないかもしれない感じだから(その意味では福田元首相と一脈相通じる)、つい叩きやすいのかもしれないが、どうしてなかなかのサムライであることに気づくには、私のような非・サッカーおたくの方がなまじな情報が少ないので遠目が利くのかも知れない。それにしてもあれだけ無能者・愚物扱いしておいて、岡チャンごめんねだけですむのだろうか。