随談第291回 ハテナの断罪

草彅クンの騒動も、どうやら不幸中の幸いというあたりに荷を下ろして落着しそうな気配だが、(と書いたところで、逮捕した赤坂署に爆弾を送りつけたとかいうニュースが入った。なるほど、そういう展開もあるわけだ)それにしてもこの一件でおのずから露呈したのは、ひとつはこういう人気者または超有名人に何かことがあったときの世間、とりわけマスコミの過剰反応ぶりと、もうひとつは、いわゆる不祥事というものに対する「公け」というものの対処の仕方の画一さだろう。

もっとも、朝のワイドショーの放送中に飛び込んできた第一報は、公然猥褻で逮捕というのだったから、どこかの国の発射したミサイルが国内のどこかに落下したかのような物々しさになったのも、まあ仕方がなかったかもしれない。実際に女性に卑猥な行為にでも及んだのかと思うのは自然な話で、むしろ罪は警察の発表の仕方やタイミングの方にあるのは、すでに大方の指摘の通りといえる。その後、一面のトップ記事にした新聞があったり、最低の人間と広言した大臣が翌日には発言をトーンダウンしたり、といったドタバタも、まあ、こういう時によくいうように、平和な国のアリガタサの表れといえないこともないかも知れない。が、それにしても、ちと大人げがなさすぎた。

幸い、その後ひと呼吸遅れて世間一般の声が聞こえてくると、バランス感覚が健全に働いているのがわかって、まずはひと安心だが、それにしても、公然猥褻といっても、カレの裸体を実際に見たのは、逮捕した当の警察官だけなのだから、べつに誰も被害を蒙ったわけではない。警察だけに限ったことではないが、こういうときの対応の物々しさというのは、どこかに、お仕置き的な発想の匂いが感じられなくもない。

もうひとつ気になるのは、カレの出演しているCMのたぐいを即座に引き上げるスポンサーの対応の過剰な敏感さと画一性だ。臭いものに蓋というのを、絵に描いたよう。誰かも言っていたようだが、一社ぐらい、わが社はクサナギの出ているCMを引っ込めたりしないぞ、という会社があってもよさそうなものだが。それにしてもこの素早さというのは、一体、何なのだろう? 本当にカレをケシカランと思ってそうするのなら、まあ、それはそれで筋が通っているとも言えるが、おそらくそうではあるまい。大変な損害の筈だが、それをも厭わずに放映を中止にするのは、身の潔白を誇示してみせるため以外には、理由は考えられない。その酷薄さは思えば不気味である。

食品会社が賞味期限や産地をごまかしたりして、発覚すると社長以下がずらりと並んで頭を下げる。これも、とにかくあやまるに如くはないか謝っておこうという画一主義のあらわれで、あんな不見識で嫌な光景もない。前にも書いたが、伊勢の赤福が餡を練り直して賞味期限を先延ばしした事件のときなど、そもそも賞味期限などという妙なものについて考え直すアピ-ルをする絶好のチャンスだったのに、経営者にそれだけの見識も才覚もなかったと見え、ただ嵐が過ぎるのを待つように頭を下げていた。煎じ詰めれば、謝る方以上に謝らせる方も、何故、何を謝るのか、あやまらせるのか、誰も問おうとしていない。空洞化しているのだ。近頃は、さあ、こうしてあやまったんだからもういいでしょ、と言わぬばかりの態度をぬけぬけと誇示してみせる、ナントカ協会の理事長のような厚顔もちょいちょい見掛ける。アタマのいい彼等は、そこらをとっくに見通しているのに違いない。

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随談第290回 劇団若獅子の『王将』

結成二十二年を迎えた劇団若獅子が、北条秀司作の『王将』を上演した。一昨年の二十周年の折の『国定忠治』に続き、新国劇の流れを汲む劇団としては極め付の演目を出したことになる。東京での公演は二日間だけだが、二回とも場所は国立劇場という大舞台である。しかし初日の3月28日から4月18日の楽日まで、実質十一日間に十五ステージ、劇場も大阪新歌舞伎座から各地を転々として、最期の二日間四ステージが国立劇場という公演日程を見るだけでも、この公演の実現が容易でないことが窺われるだろう。終演後の挨拶での、新喜劇から客演の高田次郎の証言によれば、幕間の舞台裏では出演者全員が大道具から何から大童になっての働きをしているのだという。そういう劇団なんですよ、という高田の言葉には真実味があった。

『国定忠治』もそうだったが、今度の『王将』も、この劇団の現在持てる力をすべてふりしぼっての舞台だった。立派だったといってよい。ダメ出し風の注文や不満を言い出せば幾らもある。しかしそういう欠点を云々するよりも、全体に漲るスタッフキャスト総員の思いの丈が、「立派」という一言で評することが他のどんな評語よりもふさわしいと思わせる舞台を実現させたのだと考えたい。

劇団を率いる笠原章は、もう還暦を迎えたというが、そういえば若々しい風貌にうまく見合う形で、頭に白いものが混じっている。新国劇が解散した二十二年前には、まだ四十前で、中堅というより世間的にはむしろ若手という印象の方が強かった。さぞ悪戦苦闘の連続であったろうと想像されるが、いまここまで来て見ると、その悪戦苦闘はむしろ勲章であったと考えた方がふさわしい。正直に言って、もう少し陣容に厚みが出来ればと思いもするが、森田優一等のような、劇団結成後に育てた、つまり新国劇を体験していない者も、しっかりした中堅俳優として育って来つつある。何かの賞を貰ってもいい筈だと思うが、気になるのは、こういう舞台を、いわゆる批評家やマスコミ関係者がどれだけ見に来ているのだろうということである。

笠原の坂田三吉は、各幕とも、芝居が進んで演じ込んでゆくに従って、辰巳柳太郎の三吉そっくりになってくるのが面白い。歌舞伎のように、造形として師の形を遵守する方法を取っているからでもあるが、もうひとつ考えられるのは、笠原という役者が、歌舞伎でいうところの「仁」の上で、辰巳よりも島田正吾の方に近い人ではないかと思われるからでもある。つまり、三たび歌舞伎になぞらえるなら、本来白く塗る方の仁なのだ。第一幕冒頭、三吉がまだ一介の素人天狗として破天荒な暮らしをしている場面など、どうも板についていない。(正直、ここだけ見たときは、こりゃまずいかな、と心配になりかけたほどだ。)つまり、こういう場面のこういう姿の三吉には、少し距離のある仁なのである。

それやこれやで思ったのは、思い切って今度は島田の当り役の代表として『霧の音』に取り組んで見てはどうかということだった。相手役に誰か適任者の助演を得れば、不可能ではないだろう。劇団としての若獅子がどうしても時代劇が中心になるのはわかるが、同時に、そのときどきの「現代」を演じてきたのも新国劇精神であった筈である。

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随談第289回 『曽根崎心中』について

いつまでも病気の話ばかりしているわけにはいかない。そろそろ芝居の話をすることにしよう。

今月、初演以来五十六年という『曽根崎心中』を見ながら、私はひとつのことを思い続けていた。初演以来半世紀余り、お初を演じ続けるという坂田藤十郎の意欲には敬意を表するしかないが、当然ながら、そのことから生じるいろいろなひずみは避けることが出来ない。間もなく八十歳にも手が届こうとい藤十郎が演じるお初は、これも当然ながら、昔と同じではありえない。藤十郎自身は初心を忘れず変らぬ意欲で勤めているとしても、周囲とのバランスというものは、以前とは大きく異ならざるを得ないからだ。徳兵衛が違う。その他の役々も違う。周りを固める役々を演じるのは、すべて年若の人々である。単にそれは年齢だけのことではない。演技の質、スタイルが違う。藤十郎と、その他の俳優たちの間に、この半世紀の間の歌舞伎の演技の変容が、断層のように現れているともいえる。別の言い方をすれば、藤十郎だけが突出している。藤十郎演じるお初という巨頭を頂いた芝居になっている。

たとえば徳兵衛の翫雀は、なかなかの好演だと思うが、明らかにかつて二代目鴈治郎が勤めた徳兵衛とは違う。和事味がない、などと評する向きもあるらしいが、私は逆に、翫雀を見ながら、この芝居の徳兵衛には和事などいらないのだと確信した。二代目鴈治郎は近年での稀代の和事師だが、それだけに、その徳兵衛は見ようによってはキャラクターとしては曖昧で、よく分からないところがあったともいえる。鴈治郎一代の芸として見るなら格別、当時扇雀の、革命的ともいわれた新しい歌舞伎という観点から見るなら、その徳兵衛のキャラクターには不得要領なところが多々あった。革命的な新しい歌舞伎なのに、和事から脱しきれない。(そこにこそ、和事役者鴈治郎の栄光があったのだといえば、そうともいえる。)その点、翫雀の徳兵衛は、小僧を使用し、奉公人を使う術も知っている、ともかくも一人前の青年商人であるという意味で、性格が明確である。和事だの何だの、歌舞伎の約束や慣習から自由な、新しい歌舞伎の人物にふさわしい演技であり人物像である。

ひとり翫雀だけではない。我当の久右衛門も、いままで見た誰の久右衛門よりもその役らしい。八代目三津五郎だ十三代仁左衛門だ、錚々たる優たちも演じているが、みな立派過ぎて、役よりも役者の方が大き過ぎた。古典ならともかく、これは宇野信夫作の新戯曲としては、キャラクターを曖昧にしてしまい、よいこととは本当はいえない。その他、お初を取り巻く役々は、それぞれに、藤十郎のお初を支える上で一糸乱れぬチームワークを見せている。つまり、今や『曽根崎心中』は、藤十郎のお初という「壮大なるもの」を見るための芝居になっているといえる。

そうなると改めて思うのは、もう大詰の「道行」はなくてもいいのではないか、ということである。あれは、二代目鴈治郎の徳兵衛には似合っても、翫雀の徳兵衛のような現代的で明快なキャラクターには、「道行」はもうそぐわない。今度ほど、「道行」を長く感じたことはなかった。

誤解されると困るが、私は藤十郎を難じているのではない。藤十郎にとっての『曽根崎心中』というものの意味も知らないわけではない。ただ、時の流れと共に、共演者も変れば観客も変る。何よりも、芝居全体の中でのお初の、藤十郎の占める比重が、以前とは比較にならないほど、大きなものになってしまっているということである。藤十郎は、そのことに気づいているだろうか?

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随談第288回 退院後八日間

3月31日に退院して八日が経った。その前後寒い日が続いたために、開花はしたが花を咲かせずにいた桜が、ちょうど退院を待っていてくれたかのように見事に咲き出した。わが家から五分も歩くと石神井川が流れていて、両岸から川面に向けて枝を張り出すように咲く風情はちょっとしたものだ。遠くからわざわざ見に来るほどの名所にはなっていないので、近隣の人だけが花見を愉しんでいる。人手も程ほどなのがうまい具合である。それにしても、花見はやはり四月がいい。二十一世紀の最初の年の3月31日は歌右衛門の命日で、雪月花が揃ったのが珍しいというので話題になったが、その後年を追うごとに、三月中に花見をするのが当り前のようになってしまっていた。

退院から三日後には歌舞伎座を終日見て、翌日に新聞評を書き六日に掲載になったのが、復帰後初仕事である。もっとも、入院してはじめの二日間は腹痛のためベッドの上で唸り通しだったが、三日目には痛みも薄らいだので、歌舞伎座の筋書の原稿を病床で書いた。『先代萩』の話だったからよかったが、厄介な資料調べが必要なものだったら困ったろう。幸運といえば、歌舞伎座と新橋演舞場と国立劇場と、三月は三座で歌舞伎があったのをすべて見て、劇評も書いてしまった後だったからよかったが、入院がもう一週間前だったらお手上げになるところだった。もっとも、『演劇界』の『独道中五十三駅』評の校正は病院のベッドの上の仕事だったが。文化講座やカルチャー関係には迷惑をかけてしまったが、最小限度ですんだのは僥倖というより他はない。

それにしても、潰瘍というのはほとんど出し抜けに襲ってくるもののようだ。数日前から、時折、腹痛が襲ってくることはあったが、疲れと冷えのせいだろうぐらいに思っていた。(事実、暖かくしてひと眠りすれば、何ともなくなっていた。)二〇年前に患った経験からも言えることだが、潰瘍の原因は過労かストレスに決まっている。思えば去年の十月ごろからこの二月半ばごろまで、次々と色々な仕事を引き受けてほとんど休みがない状態が続いたのが遠因に違いない。気をつけるべきだったのは、病魔というものは、その多忙の真っ最中には襲って来ず、ひと息ふた息ついてホッとしたところに忍び寄って来て突如匕首を揮うのだ、ということである。論より証拠、イチローの胃潰瘍発病はそれを絵に描いたようなタイミングではないか。おそらく、連戦中にも時には激痛に見舞われていたのだろうが、それどころではないと押さえ込んでいたのに違いない。事がすんで、ホッとした隙に病魔が匕首を揮ったのだ。

それで思い出したのは、労災の過労死の判定で、過酷な残業が何ヶ月も続いた後、ようやく一日休暇が取れて家族サービスをした夜、倒れたというサラリーマンが、その一日の休暇があったがために過労死とは認められなかったというニュースを、大分以前だがニュースで聞いたことがある。だが実は、そのようやく取れた一日の慰安が曲者だったのだ。倒れたのは休暇を取った後だから過労死とは認定されないなどというのは、人間の心理の綾を知らない、机上の屁理屈以外の何ものでもない。

入院中は見なかったWBCをビデオで見たが、松坂だなんだより、今回は岩隈が殊勲第一。それと、青木とか中島、内川、片岡といった小兵の名手の手練の小技が鮮やかだったのが印象的である。それにしても、以前から思っていたことだが、岩隈という選手の色っぽさというものは大変なものだ。にっこり笑ったときの口元など、ほとんど女性である。

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随談第287回 ブログ再開の弁

3月1日以来、まるまる一ヶ月、更新なしを続けてしまいました。今日、3週間ぶりに開いてみたら、その間なんと延べ3000を越えるアクセスがあったのを知って、つくづく有難いと思いました。改めて、この場を借りて感謝の言葉を申し上げる次第です。

      *   *   *

じつは、おとといまで20日間、入院していました。3月12日の午前1時過ぎ、救急で入院、8日間は点滴だけという有様。救急車や入院はまだしも、点滴すら処女体験というのはいまどき極めて少数派に違いない。病名は十二指腸潰瘍。二十年余り前にも一度経験し、そのときは二ヶ月通院してすんだのだが、今度はあと1ミリで穴が開いていたとのこと。穴が開いていたら腹膜炎か何かで大ごとになるところだった。昭和30年の11月、先代の勘三郎が楽屋から即入院、手術して半年の余休演したのが腹膜炎だった筈と思い出した。いまの勘三郎がまだ生後半年ぐらいの時の話である。

しかしまあ、こんなことにも初体験には初体験の面白さというものはやはりあって、六人の相部屋だったが、20日もいるとつぎつぎといろいろな患者の出入りがある。退院のときは、一番古株だった人と同時だったので、つまり20日で総入れ替えになったわけだが、どなたも、胃なり腸なりが痛いからそこにいるわけで、みんなカーテンを閉め切って孤独に時を過ごしている。交流というものはほとんどない。それでも、看護婦さんとの会話を漏れ聞いていると、つくづく、世の中にはいろいろな人がいるものだと、悪いがなかなか面白い。一日だけの検査入院のつもりだった人が、何泊もする羽目になったり、まさしく人生いろいろである。

こういう時とばかり、古い『演劇界』を表紙から目次から投書欄・雑報までみっちり、1年分とちょいと読んだ。実に面白い。時を距てたが故の面白さもあるが、分量・内容、ともあれ読みでがたっぷりある。普段だと、必要に迫られた部分しか読まない、読んでいる暇がないのをかねがね残念に思っていたので、20日間をそう長いとも思わずに過ごしてしまった。

テレビも挿入カードを買えばもちろん見られるのだが、敢えて見なかったので、WBCも春場所も一切見ていない。もっとも小型のラジオで春場所は聞いていた。音波の具合で、日によってAMよりもTVの音声の方が綺麗に聞こえる時もあるので、いきおい、どちらも聴くことになったが、ラジオの方がはるかに面白い。テレビの相撲放送がいらいらすることは、確か前にも書いたと思うが、ラジオに比べ、画面に頼って報道よりもつまらぬ話題作りにばかり気を回して、伝えるべきことを伝えていないことが如実にわかる。たとえばその日の話題の一番というのを決めて、何番も前からその話題を持ち出して、いま土俵上のことをきちんと伝えようとしない。解説の北の富士が、何度もおなじような質問を蒸し返されるのにもうんざりしたらしく、それ、さっき言ったじゃないの、とやり返したのには思わず笑った。

もうひとつ思ったのは、NHKの女性アナというのは、テレビで見ると女教師みたいであまり面白みがないが、ラジオで聞くとじつに素晴らしい。つまりは、読む・話すということについての基本がしっかり身についているからだろう。アナではないが、天気予報士も、テレビに出る女性たちより、ラジオで声だけ聞いている方がはるかに大人の女性としてのチャームを感じさせるのは何故だろう?

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