『ヤマトタケル』の段治郎のことをあれだけほめた上に今月の一押しを書くのは屋上屋を重ねるようだが、それはそれとして、歌舞伎座の『熊谷陣屋』で平山をつとめている市蔵のことを書いておきたい。これが、すばらしい。
役者としての格が、ぐいと、大きく段を上がった。一言でいうなら、大人の芸、大人の役者になったのだ。なかなかよくやっている、というレベルから、これは本物だ、と思わせられる存在感を備えている。おとっつぁんそっくりだが、少なくともセリフに関してはおとっつぁんよりしっかりしている。いい役者になった。
大分前になるが、勘三郎がまだ勘九郎時代に初役で『籠釣瓶』の次郎左衛門をしたとき、一緒に立花屋へ上がりこんで、愛想尽かしをされると、恥さらしだなどと騒ぎ出す佐野の絹商人の仲間を市蔵がやって、あゝいまの若い役者にはこういう、野太いような厚かましいようなアクの強い男というのは、むずかしいんだなと、思ったことがある。市蔵のことだからまじめに役に取り組んでいるのだが、がっかりだった。劇評にもそのことを書いた。
と、それから数年して、勘三郎がまた『籠釣瓶』を出して、市蔵も同じ役で出た。オオと思った。見違えるほどよくなっている。欲をいえば切りがないものの、ちゃんと、佐野のお大尽に、自分の欲と都合でくっついたり離れたりしている、野太いあきんどのオッちゃんになっている。積み重ねた努力のあとが偲ばれた。
それ以来、わたしはそれまでにも増して市蔵ファンになった。畏敬の念すら、ひそかに抱くようになった。それからまた三年ほどあっての、今度の平山である。このイキでやっていったら、父親より役の幅は広いだろうから、本人にとってはもとより、歌舞伎界にとっても大いに慶賀すべきことになるのは間違いない。
亡き父の先代市蔵は、ついこの間といいたくなるほどの近い過去まで活躍していたから、ある年齢から上のファンにはまだくっきりと印象が残っている。決して、上手いという人ではなかった。どんな役のときでも、少し猫背ぎみに前かがみになって芝居をした。とりわけ癖の目立つのはセリフで、少し吃るような訥弁で、そうでなくても絶句をしているような感じでセリフを言う。声も、むしろ銅間声というのに近かった。こうした点では、息子はすでに親を抜いている。だが、本当の勝負はここから先にある。
市蔵がセリフを言うとハラハラしてね、と懐かしそうにその芸を語り合う。そんなファンを、先代はいまでも沢山持っている。むしろ欠点であったかもしれないその癖ゆえになつかしい。いや、まだ元気で活躍している時から、市蔵は、ひとになつかしいという気持を抱かせる役者だった。亡くなったとき、誰言うともなく、「片市十種」を考えようということになったが、それが、私のまわりだけでなく、方々で、そういうことが言われていたらしい。つまりそういうことを誰もが考えたくなるような役者だったのだ。
十種を書き並べるスペースがなくなったから、最後に私の「片市五種」を書こう。まず『一谷』の平山、『幡随長兵衛』の坂田金左衛門、『河内山』の北村大膳、蝙蝠安、『道明寺』の偽迎えの五種は動かないところ。もひとつおまけで、次点が『四段目』の薬師寺。